第675話 噂話の恐ろしさ

 守備隊の敷地に開設されたプールには照明施設が無いので、夕暮れと共に営業を終了する。

 初日は、営業終了時間の告知が十分でなかったために、帰りの更衣室は大混雑になってしまった。


 その経験を活かして二日目からは、まだ日が高いうちから帰りの更衣室は混雑が予想されると、監視員を務めている守備隊員たちが告知をおこなった。

 その甲斐もあって、二日目の夕方は大きな混乱も無く営業を終了した。


 営業終了ギリギリまで残っていたのは、この日一気に増えた小さい子供たちとその兄弟、それに邪な願望を抱えていた連中だった。

 そうした者たちは、一日プールで過ごしてふやけたり、日焼けして火照った体で、足取りも重く守備隊の門から出て行く。


 ただし、子供たちの顔は満足感に溢れ、邪な願望を抱いていた者たちの顔は絶望感に沈んでいた。


「おかしい! いくら何でも変だろう!」

「まったくだ! 国分が現れた時にはあんな大混乱になったのに、俺らが見向きもされないのは変だ!」


 足取り重く守備隊の門を出てきた新旧コンビは、胸に仕舞い切れなくなった不満を吐き捨てた。


「達也、俺たちの泳ぎが激しすぎたのか?」

「激しいというよりも、和樹の泳ぎがキモかったんじゃねぇのか?」

「なんでだよ、俺の泳ぎのどこがキモいって言うんだよ!」

「お前のバタフライもどきの腰使いだよ」


 オープン前日に入念なシミュレーションを行った新旧コンビは、水泳の習慣の無いヴォルザードでは華麗に泳ぐ男がモテるという結論を導き出した。

 この二日間、二人はその結論に従って、正式オープンしたプールでは泳ぎでアピールを続けていたのだが、女の子と仲良くなる切っ掛けすら掴めなかった。


 注目されなかった訳ではない。

 注目はされたが、あえて視線を避けられたというのが正解だろう。


 そこで二人は泳ぎ方を変えてアピールすることにした。

 クロールが駄目なら平泳ぎで、平泳ぎが駄目なら背泳ぎで、そして背泳ぎでも駄目ならバタフライでアピールを行ったのだが、バタフライに関しては二人ともまともに泳げていなかった。


「あ、あれはドルフィンキックをするために必然的になるものだろう。てか、達也だって俺のことを言えた義理じゃねぇぞ」

「なんでだよ、俺はヴォルザードのトビウオと呼ばれるであろう男だぞ」

「どこがだよ、盛りのついたトドみたいじゃねぇかよ」

「それを言うなら、和樹こそセイウチみたいだったぞ」

「なんだと、俺のどこが……いや、もう止めよう、不毛すぎる」

「だな……」


 新旧コンビは通り掛かったケントの屋敷の門にチラリと視線を向けたが、引き摺るような足を止めずに通り過ぎた。


「達也、明日はどうする?」

「どうすっかなぁ……てか、リバレー峠はいつ通れるようになるんだ?」


 新旧コンビ、近藤、鷹山の四人は、ヴォルザードで一番の大店オーランド商店から定期的に護衛の依頼を受けている。

 行き先は殆どがマールブルグで、時々バッケンハイムまで行く事もあるが、いずれにしてもリバレー峠が通行止めでは仕事にならない。


「さぁ? でもジョーの話だと、そんなに時間は掛からないみたいだぞ」

「国分から聞いたって?」

「そうみたいだけど、今回は復旧工事には国分も眷属も直接は絡んで無いらしいぞ」

「なんだそれ、それじゃあ時間掛かるんじゃねぇの?」

「いや、直接工事はやらないけど、工事に関わる連中は瞬間移動で送り込むみたいだぞ」

「あぁ、そういうことか……じゃあ、明日はパスだな」


 古田は少し考えた後で、明日のプール行きは止める決断をした。

 護衛の依頼の場合、相手をするのは魔物だけでなく山賊の場合もある。


 魔物と違って頭を使ってくる人間を相手するのに、肉体的な疲労を残していたら命取りになりかねない。

 下半身がらみの欲望に忠実な古田ではあるが、最低限の節度は無くしていないようだ。


「でも、泳がないなら行ってもいいんじゃね?」

「泳いでいても切っ掛けが掴めねぇのにか?」

「いや、潜水って手は残されてるぞ」

「アホか、潜ってたら見てもらえねぇじゃんかよ」

「達也、見てもらえなくても、こっちからは見放題なんだぞ」

「和樹、お前天才か」


 古田は前言を撤回して明日もプールに行くと決めたが、女の子と知り合えないなら鑑賞に徹しようなんて考えが自分たちの評価を落しているとは気付かない。


「ただいま~」

「戻りました」


 新旧コンビの暮らすシェアハウスには、いくつかの決まりごとがある。

 その一つが帰宅時の挨拶だ。


 冒険者として活動している者も多いので、ちゃんと無事に戻って来たことを知らせるために、先に帰宅している者が返事するまで挨拶をする決まりになっている。


「おぅ、おかえり。にししし……その様子じゃ成果無しだな」

「うっせぇよ……」

「その通りだよ、悪かったな」


 リビングのテーブルでレシピノートを眺めていた綿貫の一言は、クリティカルに新旧コンビの心を抉った。


「てか、おかしいだろう! もう四人も嫁がいる国分にあんなに女が群がって、俺達には寄り付きもしないなんて」

「あぁ、昨日は凄かったらしいねぇ」


 古田に不満をぶつけられると、綿貫はレシピノートを閉じてお茶に手を伸ばした。


「凄いなんてもんじゃなかったよな、和樹」

「あぁ、なんつーか、磁石に吸い寄せられる砂鉄みたいだったな」

「へぇ……貴子から盛況だったとは聞いたけど、そんなに凄かったのか」

「そうだよ、それなのに……それなのに、俺たちには見向きもしないなんて変だろう!」

「あっ……」

「どうした和樹」

「もしかして、俺達が国分のマブダチだって知られてなかったんじゃねぇの?」

「でも華麗に泳げる黒髪黒目のイケメンだぜ、分からないはずがないだろう」

「いや、イケメンじゃねぇけど、そうだよなぁ……いくら日本みたいに情報に溢れていなくても分かりそうだよなぁ……」


 新旧コンビの会話を聞きながら、綿貫が笑みを深めていく。


「新田も古田も、女の情報網を舐め過ぎ……」

「はぁ? 情報網?」

「どういう意味だ?」

「考えてもみなよ、情報が伝わっていなかったら、国分目当てで女の子が押し掛けたりしないっしょ」


 噂の発端はフラヴィアの店だが、ケントがプールに現れるという話は翌日の夕方ぐらいにはヴォルザード中の女子に伝わっていた。

 メールもSNSもメッセージアプリも無いけれど、無いからこそ噂話として伝わっていくのだ。


「確かにそうなんだけど……」

「だったら、何で俺らは何も無しなんだよ」

「そんなの、二人が国分の友達であることを差し引いてもヤバい奴だと思われてるからに決まってるじゃん」

「はぁぁ?」

「達也はまだしも、何で俺まで!」

「知りたい?」

「当り前だろう」

「どんなガセネタを……って、八木が原因か!」

「違う違う、原因はあんたら自身だよ」

「何でだよ!」

「俺らが何したっていうんだよ!」

「ギルドの受付嬢に、おっぱい揉ませてって土下座したんだって?」


 綿貫の指摘に新旧コンビの顔が引き攣る。


「いや、あれは……ちょっとした冗談というか」

「そうだよ、オッサンの冒険者も近いことはやってるぜ」

「オッサンならね。若手にはいないらしいよ」

「で、でも、実際に揉ませてもらってねぇし……」

「無許可で揉んでもいないぞ」

「でも、娼館通いはしてるよな?」


 綿貫の新たな指摘に、また二人の顔が引き攣る。


「いや、それは……ちゃんと金払ってるし」

「行っちゃいけない訳じゃないだろう?」

「まぁね。でも、お金かかるよね?」

「それは……掛かるけど、自分で稼いだ金だぞ」

「そうだよ。シェアハウスのローンだって返してるし、むしろ稼げる証拠じゃん」

「そうそう、稼げる証拠だね」

「だろう?」

「むしろ評価されてもいいんじゃね?」

「確かに、同年代より稼いでるけど、それって見方を変えるとさ、同年代の男子は娼館通いなんてできないってことじゃないの?」

「えっ……」


 綿貫の言葉を聞いて新田と古田は顔を見合わせ、娼館の様子を思い返してみた。

 近頃は通い慣れて意識しなくなっていたが、確かに娼館の客層は新旧コンビよりもずっと上の年代だ。


 言葉を失った二人に、綿貫が追い打ちを掛ける。


「しかも、やり過ぎて娼館から出禁食らったんだって?」

「なんで、それを!」

「娼館の女どもが喋りやがったのか!」

「いや、あんたらが飲み屋でオッサン連中に話したんでしょ」

「あっ!」

「そうだった……」

「ヴォルザードでは、国分絡みの噂は広まるの速いらしいよ。ついでに、国分の周辺の人間の噂もね」

「マジか……今の話が全部広まってるってこと?」

「娼館通いも、出禁の話も……?」


 綿貫が二度、三度と頷いてみせると、古田は天井を見上げ、新田は頭を抱えた。


「同年代よりも稼ぎは良いけど、娼館や飲み屋で散財している……そんな男と一緒になりたいと思う?」

「いや、でも借金して遊んでる訳でもないし」

「別に犯罪ではないじゃん」

「まぁね、でも二人ともヴォルザードの女の子について知らなすぎじゃない?」

「どういう意味だよ」

「知らないって言われても、知りようが無いじゃん」

「駄目だねぇ……敵を知り己を知れば百戦して危うからずだよ。てか、良い例が近くにいるじゃん」

「はぁ? 良い例?」

「どこにいるんだよ」

「八木の嫁」

「はぁぁ?」

「さすがにマリーデは規格外だろう」


 納得がいかない新旧コンビに向かって、綿貫がやれやれとばかりに首を振ってみせた。


「まぁ、確かにマリーデはちょっと極端だけど、ヴォルザードって最果ての街なんて呼ばれて魔物の襲撃が多い土地柄じゃん。日本よりも平均寿命とか短いし、新生児の死亡率も高いし、結婚願望も高いのさ。だから男を選ぶ基準の中で、この人と結婚したら……って考える比重が日本よりも遥かに高いのよ」


 ヴォルザードの平均的な結婚年齢は、日本に比べると遥かに低い。

 それでも、更に出生率を上げようと領主クラウスが画策するほどに、結婚や出産に関する意識が日本とは異なっている。


「若いうちから娼館通いして、武勇伝を飲み屋で吹聴するような男が、結婚相手として選ばれると思う?」

「それは……」

「それにさ、国分や鷹山みたいに、ちゃんと家庭を築いている男もいれば、八木みたいな例もある」

「くっ、俺たちがモテないのは八木の……」

「そうじゃないでしょ、他人のせいにするな」


 新旧コンビは、ぐうの音も出ずに黙り込んだ。

 暫しの沈黙の後で、ふっと新田が視線を上げた。


「あれっ、そういえばジョーは? いつもなら、ここでダべってる時間じゃね?」

「あぁ、なんか打ち上げみたいだよ。プールが盛況だったからって……」


 綿貫の答えに新旧コンビは不満げな表情を浮かべる。


「えっ、打ち上げって、フラヴィアさんも一緒なのか?」

「なんで、俺達に話が来ないんだよ」

「フラヴィアさんや貴子とは別口みたいだよ……」

「えっ、どういうこと?」

「服屋の関係じゃ……あーっ!」

「どうした達也」

「あの、イヌ耳っ娘」

「あーっ! ジョーの野郎、抜け駆けしやがったのか!」

「抜け駆けとは違うんじゃないの? ジョーから誘ったんじゃなさそうだし」

「はぁぁぁ? なんだそれ」

「イヌ耳っ娘から誘ったっていうのかよ!」


 声を荒げた新旧コンビに、綿貫が冷静に指摘する。


「国分の友達で、娼館通いもせず、飲み歩きもせず、仲間をまとめるリーダー役で、オーランド商店と交渉し、ギルドの手続き全般をこなし、その上フリー……まぁ、どこかの誰かさんたちとは評価が違うからねぇ」

「ぐぅ……でも、ジョーだって八発野郎なんだぞ」

「そうだそうだ、八発様だぞ、八発様」

「ジョーの場合は合意の上でしょ。それに、結婚願望の強い女は子作り願望も強いんじゃないの?」


 綿貫が八木とマリーデの部屋の方向をくいっと親指で指し示すと、新旧コンビは納得したようだ。


「どうすりゃいいんだよ、和樹」

「俺に聞くな!」

「まぁ、日頃の行いを改めるんだねぇ」


 綿貫の言葉に、新旧コンビは深い溜息を洩らした。


「はぁ……日頃の行いかぁ」

「日頃の行い……あっ!」

「どうした、和樹。何か思いついたのか?」

「いや……なんでもない」

「嘘だな、お前、何か企んでるだろう?」

「馬鹿言うなよ、企んでなんかいねぇよ……あぁ、ちょっとトイレ」

「おい、和樹……」


 席を立った新田に続いて古田も立ち上がる。


「鷹山ぁ……お父さんって呼んでもいいか?」

「和樹、手前ぇ! 抜け駆けする気か!」

「あはははは……駄目だ、ありゃ」


 綿貫は、鷹山の部屋に向かった新旧コンビを見て、ひとしきり笑った後でレシピノートを開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る