第669話 中年冒険者の思惑(後編)
ペデルから見たギリクの討伐指導は、最悪ではないがツッコミどころだらけだった。
例えば、城門を出る時に誰も旗を見て風向きを確かめていなかったが、森に入る時には足跡を見逃さないように注意するという感じだ。
一つの事には注意を向けるが、他の事は疎かになっている。
ギリクから足跡に注意しろと言われれば、全員が足下に目を向けて、周囲への警戒が疎かになっていた。
「下ばっかり見てると獲物を見逃すぞ」
ギリクには聞えないように、ペデルが声を掛けると、三人組の若手はハッとしたように視線を上げた。
「三人いるんだから、先頭が足跡を探して、残りは周りを警戒しとけ」
「はい、分かりました!」
空気を読まない三人が大きな声で返事をしたから、ギリクが不機嫌そうな視線をペデルに向けたが、じっと睨んだだけで何も言わなかった。
ペデルはギリクに見られていると気付いていたが、素知らぬ顔で若手を見守っている振りを続けた。
「ギリクさん、足跡です」
ペデルを睨み続けていたギリクに、四人組の一人、オスカーが声を掛けた。
「よし、全員集まれ」
ギリクは討伐に参加している全員を足跡が残っている場所へと集めた。
「見ろ、オークの足跡だ。数は三頭、北西に向かっている。こいつを追うが……その前に配置を変える」
ギリクは足跡を発見した四人を中央に据えて、自分が見ていた三人を左翼に、ペデルが見ていた三人はそのまま右翼に置いた。
「よし、追うぞ。先に気付かれるようなヘマすんじゃねぇぞ!」
「はい!」
参加している十人の若手は、オークとの遭遇戦を想像して表情を引き締めていたが、ペデルは欠伸を噛み殺すのに必死だった。
ペデルの目には、足跡は古いものに見えていた。
先日の嵐で、魔の森にも大量の雨が降り、今も足下にはぬかるんだ場所が残っている。
にも関わらず、オークの足跡は乾いていて、形が崩れかけていた。
ペデルの見立てでは足跡は昨日か一昨日のもので、今から追い掛けても見つけられる確率は低いと感じている。
だが、十人の若手は厳しい表情で、中央の四人が足跡、残る六人が周囲を警戒監視していた。
オーク三頭となれば、一グループに一頭が割り振られるだろう。
ギルドの訓練場でいくら手合せを重ねようと、実戦経験の乏しい若手たちにとってオークは難敵だ。
恐怖心はあるものの、戦ってみたいと思う気持ちの方が強いようだ。
その瞬間を今か今かと待ち望みながら、若手達はガチガチに緊張しながら足跡の追跡を続けたが、先に遭遇したのはただの獣だった。
「ギリクさん。鹿です!」
魔の森には、魔物以外にウサギや鹿などの獣もいる。
遭遇したのは一頭のオス鹿だったが、若手が上げた声で、ギリク達の存在に気付いてい
る。
「ちっ、鹿なんか大した金に……いや、待てよ」
体内に魔石を持たない獣は、解体作業を苦手とするギリクに取っては旨みが少ないが、今回はペデルが同行している。
面倒な解体はペデルに任せれば良いとギリクは考えた。
「ブルネラ、足を止めろ」
「やってみます」
思い直したギリクは足止めするように指示したが、ブルネラが弓を引き絞る前に鹿は走って逃げだした。
十人以上の人間に血走った視線を向けられて、鹿が逃げない訳がない。
ペデルは大きく口を開けて、噛み殺せなくなった欠伸をした。
その後も、ゴブリンやコボルトと遭遇するものの、いずれも五頭程度の群れで、相手が自分達よりも多いと見るや逃げ出していった。
ゴブリンやコボルトの群れが小さいのは、ケントの眷属たちが大きな群れを間引いているからだが、それをギリクやペデルは知る由も無かった。
二時間以上もオークの足跡を辿ったが、最後は小川に入ってプッツリと途絶えていた。
「ちっ、無駄足踏ませやがって」
ギリクが小川に入って顔を洗い始めたのを見て、若手達も緊張を解いて顔を洗ったり、手拭いを絞って汗を拭き始めた。
ギリクや若手が緊張を緩める一方で、ペデルは警戒を最高レベルまで上げて周囲を見回していた。
オークが小川に入って足跡を消すのは、追って来られたくない場所があるからだ。
ペデルは、近くにオークのねぐらがあるかもしれないと睨んでいた。
こんなに緩み切ったところをオークに襲われたら、下手をすると死人が出るだろう。
見張りも置かずに水遊びに興じている若手に呆れながら、ペデルが周囲を警戒してると、突然弓弦の音が響き、直後にコボルトの悲鳴が上がった。
鹿に逃げられたブルネラが、汚名返上の機会を伺っていたのだ。
「追え! 逃がすんじゃねぇぞ」
ギリクの指示をうけて、若手達は水遊びを中断して手負いのコボルトを追い掛け、袋叩きにして仕留めたが、群れからはぐれた個体らしく一頭だけだった。
「ペデル、出番だぞ」
戻ってきたギリクがぶら下げていたのは、ボロ雑巾のようになったコボルトだ。
「なんだ、これ?」
「コボルトに決まってんだろう」
「そんな事を聞いてんじゃねえ。何でこんなにボロボロなのか聞いてんだ」
ペデルの言う通り、コボルトの死骸は傷だらけだった。
当然、魔物の毛皮は傷の有無に寄って値段が変わってくる。
背中や脇腹の部分に傷が無い物ほど高値で引き取ってもらえる。
「ガキどもがやっとの思いで仕留めたんだから、仕方ねぇだろう」
「皮の剥ぎ取りをやるって分かってるのに傷だらけにしやがって、足を止めたなら首を狙って一撃で仕留めろ。こんなボロボロじゃ売り物にならねぇぞ」
ペデルに文句を言われると、若手達は首を竦めて視線を逸らした。
「まぁいい、これでも手順の説明は出来るからな。ギリク、周りを見張っておけ」
「あぁん? なんで俺がそんな事しなきゃなんねぇんだよ」
「若手に解体の様子を見せるんだろう? だったらお前しか警戒する人間はいないだろう。それに、この小川でオークの足跡が消えてるってことは、奴らが通り道に使ってるって事だぞ」
「ちっ、やりゃいいんだろ、やりゃぁ……」
ギリクがブツブツ文句を言いながら見張りについたところで、ペデルは解体の手順を説明し始めた。
「最初に言っておくぞ、コボルトの死体は素手で触るな。必ず革の手袋をしろ。それも短いものでなく長い奴だ。でないと袖口からダニに入り込まれるぞ」
「マジかよ、やべぇ……」
仕留めた後に素手で触ったらしい若手の一人が、慌てて袖を捲って確かめ始めた。
「手順を説明するぞ、まずダニ落としの粉を掛けろ。こいつは薬屋に行けば手に入る。護衛の仕事で宿に泊まる場合には、布団のダニ除けにも使えるから持っておけ」
ペデルはダニ除けの粉を若手に見せて、臭いを嗅がせた後で、コボルトにたっぷりと振り掛けて、毛の間に入り込むように揉み込んだ。
「うげぇ、あれ全部ダニかよ……」
ダニ除けの粉を揉み込んだところから、コボルトの毛の間がウゾウゾと蠢き始め、地面にダニが逃げ出した。
「皮を剥ぐのに使う道具は二つだけだ、良く切れるナイフと木のヘラだ。ナイフを入れるのは、首の周り、喉から股まで、足先の周りと内側、それと肛門のまわりだ。尻尾は邪魔だから切り落としちまえ」
ダニがあらかた逃げ出したところで、ペデルは説明をしながらナイフを入れていく。
首の周りから始めて、流れるような動作で切れ目を入れていく。
「皮が切れていればいいからな。特に腹は破らないように気を付けろ。内臓が溢れると臭いがキツくなって他の魔物を呼びやすくなる」
一通り切れ目を入れたペデルは、ナイフを丁寧に拭ってから鞘に納め、代わりに木のヘラを手に取った。
「皮を剥ぐのは足の先から、切れ目から皮と肉の間にヘラを入れて剝がしていく。コボルトの皮は切れにくいから、少々乱暴に剥がしても大丈夫だ」
ペデルは、右の前足と後足から皮を剥がし終えたところで手を止めて、見学している若手を見回した。
「よし、手袋しているお前、ちょっとやってみろ」
「うぇ、俺っすか?」
「見てるだけじゃ出来るようにならないぞ。皮剥ぎが出来るようになれば収入も増える、仲間内で自分しか出来る奴がいないなら、分け前を余分に要求できるようになるぞ」
「や、やります!」
ベテラン腕利きの冒険者ともなれば、普通に働いている同年代の者の何倍も稼げるが、若手のうちは夢を見るばかりで現実の稼ぎは少ない。
その稼ぎが増える、他の者よりもスキルが上がると言われれば、張り切るのは当然だろう。
ペデルは、指名した若手が足一本を剥がしたところで、手袋をしている別の若手を指名、その後も何人かで交代させながらコボルトの皮剥ぎを終えた。
「皮を剥ぎ終えたら、内側にもダニ除けの粉をまぶしておけ、これは血や脂の臭いを消すためだ。それが終わったら畳んで丸めて、紐で縛れば作業は終わりだ」
ペデルがキッチリ畳んで丸めると、コボルトの皮は小さくまとまった。
「何頭かまとめて仕留めた時のために、布地が厚い袋を持っておけ。口を折り畳んでから縛れば、ダニが残っていても出て来られないから刺されずに済むぞ」
「分かりました」
作業を終えた頃には、若手たちがペデルを見る目が変わっていた。
普段ギリクと行動を共にしている四人ですら、尊敬の眼差しを向けている。
「手順は分かったな。後は失敗しながらでも実際に自分でやってみることだ。それと、皮剥ぎに夢中になって、他の魔物に襲われるようなヘマはするなよ。冒険者は生き残ることが一番の仕事だ。皮一枚の値段と自分の命、どっちが大切かなんて言わなくても分かるよな」
ペデルが若手達を指差すと、全員が頷いてみせた。
「ギリク、終わったぞ。この後はどうすんだ?」
「獲物を探しながら戻る。全員隊列を組め」
朝と同じく、四人、三人、三人に別れて森の外を目指して歩き始めた。
偶発的な遭遇が無ければ、今日は他の獲物は無いとペデルは見ていた。
「ペデルさん、ありがとうございました」
「礼は森を出てからにしろ。今度は森の中心を背にするんだ。後ろにも気を配れよ」
「分かりました!」
またギリクが不機嫌そうに睨んできたが、ペデルは意にも介さない。
「ジョー達のように使えるようになるには少し時間が掛かるかもしれないが、おいぼれやギリクよりかは使いやすいだろう……」
「えっ、何か言いましたか、ペデルさん」
「いや、こっちの話だ」
気温が上がり蒸し暑くなってきた森の中で、ペデルは上機嫌に笑みを浮かべた。
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