第668話 中年冒険者の思惑(中編)
真夏とは言えども、夜明け前の空気は爽やかだ。
太陽が高く昇ると地面や屋根が熱せられ、街中の気温はグンっと上がってしまうが、朝は森から流れてくる涼しい風が街を包んでいるからだ。
東の空が白み始めた頃、中年冒険者のペデルは倉庫街の自宅を出て北東の門へと向かっていた。
普段ならば、この時間であっても開門と同時に出発しようとする者達の気配がするのだが、リバレー峠の通行が出来ないとあって門の近くでも人影は疎らだ。
今日のペデルの服装は、普段のクタクタなシャツやズボンではなく、冒険者としてのフル装備だ。
使い込んだ革鎧、手甲や脚甲を装備し、つば付きの革の帽子にも細い鉄板が仕込んである。
左の腰には使い慣れた長剣、右の腰には特製のスティレットを揃えて差してある。
その他に、斜めに背負った鞄には、血止めの薬や清潔な布、水筒、携帯食、それに素材の剥ぎ取りに使う道具が収めてある。
今日はギリクや若手の冒険者と森に入り、魔物を討伐して素材の剥ぎ取り方を指導することになっている。
以前に比べて危険度は下がっているが、森に足を踏み入れるならば万全の装備を整えておく必要がある。
ペデルは、開門前に集合場所である北東の門に到着したのだが、昨日ギリクと共に手合せをしていた若手は三人しか来ていなかった。
「お前ら、昨日訓練場にいた奴らだよな?」
「そうっすよ」
「他の連中は?」
「さぁ?」
今年冒険者になったばかりなのだろう、ニキビ面の少年は知らないとばかりに両手を広げてみせた。
昨日、ギリクと一緒にいた若手は、四人、三人、三人の三つのパーティーに分かれていて、ギリクを含めた残り二つのパーティーは、まだ来ていないようだ。
「もうすぐ開門の時間だが、いつもこんな調子なのか?」
「そうっすね、遅い時は一時間ぐらい待ちますよ」
「おいおい、冗談だろう?」
「いや、マジっすよ」
どうやら、若手を指導しているギリクも遅れてくるらしい。
「あの馬鹿が……」
今日は討伐だが、護衛の仕事を請け負っている時は、遅刻なんて許されない。
コンビを組んでいた頃も、ペデルが起こさなければ、ギリクはいつまでも起きようとしなかった。
ペデルは、ギリクが若手の指導をやっていると聞いたから、時間にだらしない所も改善しているだろうと思っていたので唖然としてしまった。
「ていうか、お前らそんな格好で討伐に行くつもりなのか?」
「そうっすよ」
「はぁぁ……」
改めて若手冒険者の格好を確かめたペデルは、盛大に溜息を洩らした。
三人とも、まだ新しく見える革鎧で胴体と背中は守っているが、他の部分は無防備に近い。
手甲を付けてブーツを履いている者もいるが、一人は半袖姿にサンダル履きだ。
「お前は、急いで家に戻って長袖とブーツに履き替えて来い」
「うぇ、なんでだよ。あんた討伐には口出ししないんだろう?」
「ダニとかヒルに吸い付かれたいなら好きにしろ。あいつら血を吸うだけじゃなくて病気も持ってやがるからな」
「マジ?」
「マジじゃなければ、このクソ暑い時期に、こんな格好しねぇよ」
ペデルは革のブーツに厚い布地のパンツ、上も厚い布地のシャツを着て、襟元のボタンまでキッチリ閉めている。
へらず口を叩いた若手は、ペデルと自分の服装を見比べて言葉を失った。
「もたもたしてっと置いてかれるぞ、さっさと行って来い」
「お、おぅ……お前ら、待ってろよな、先に行くなよ」
サンダル履きの若手は、仲間に剣や鞄を預けて家へ駆け戻っていった。
開門ギリギリの時間になって、もう一組の若手三人組が現れた。
サンダル履きこそいなかったものの、一人は半袖、一人は袖なし姿だったので、またペデルが脅しをかけて家へ戻らせた。
その場に残った三人も、最初に顔を会わせた時とはペデルを見る目が違ってきている。
開門時間になってもギリク達は姿を見せず、ペデルは頭を抱えた。
それと同時に、もう一つ気になっている事を確かめることにした。
「お前、ちょっと剣を抜いて見せてみろ」
「えっ、俺っすか?」
「いいから、抜いてみせろ」
「はぁ……」
ペデルに指名された若手が剣を抜いた瞬間、ペデルは嫌な予感が当たったことを確信した。
剣を抜く時に、鞘がゾリゾリと音を立てていたのだ。
「なんだそりゃ……刃こぼれしてるわ、錆びてるわ、お前はそんな物に自分の命を預けるのか?」
「いや、大丈夫っすよ……」
「そっちのお前も見せてみろ」
「俺は、ちゃんと手入れしてるっすよ」
別の若手が剣を抜く時には、嫌な音はしなかったし、剣に錆びも浮いていなかった。
「駄目だな、刃が丸まってる。こんなものは剣じゃなくて鈍器だ」
ペデルは平然と若手が抜いた剣を素手で握ってみせた後で、自分の剣を抜き放った。
「手を切らないように気を付けて比べてみろ、これが剣だ」
ペデルの剣は、昨晩自分で研ぎを入れて刃を立ててある。
同じ剣ではあるが、若手のものとは見ただけでも斬れ味の次元が違うと分かってしまう。
「俺の剣で一撃で斬れるものが、お前らの剣では二度、三度と斬り付けないといけなくなる」
明確な違いを見せつけられても、錆びた剣を鞘に納めた若手は不満そうな表情を隠さなかった。
「おっさんよりも体力があるから、少々斬れ味が悪くても大丈夫とか思ってんだろう」
「べ、別に……」
「俺の剣で一度で斬れるものを二度斬り付けないといけない……それは、全く同じ場所を斬れたらの話だ。お前、動き回る魔物に向かって、一度目に斬ったのと全く同じ場所に斬り付けられるか? そんなの達人でもなきゃ無理な話だ」
若手たちは、ペデルの言わんとする事を理解できないでいるようだ。
「分からねぇか? 俺の剣なら一撃で致命傷を与えられても、お前らのなまくらじゃ仕留められずに、二度三度どころか、五回十回剣を振ることになるんだ。森の中では、いつ魔物に遭遇するか分からない。ヘトヘトになって魔物を仕留めました、街に戻るまでに魔物に襲われました、戦う力が残っていなかったら食われて終わっちまうんだぞ」
武器の手入れの重要性を思い知らされて、若手たちの顔色が変わった。
「死にたくなければ武器は必ず最高の状態に整えておけ、自分で出来ないなら武器屋に持ち込んで研いでもらえ、武器屋に頼む金が無いなら手入れを覚えろ。分かったか」
「は、はい、分かりました」
「聞いてなかった連中にも伝えとけよ」
「はい」
汗だくになりながら着替えに戻った連中が帰ってきても、ギリク達は姿を現さなかった。
ペデルは呆れながら若手に向かって口を開いた。
「お前ら、本気で討伐で稼ぎたいなら、今の時期は開門と同時に出発して昼には戻ってくるつもりでいろ」
「なんでですか?」
「暑いからだ。森の中でも日が高くなれば気温が上がる、人間だって動くのが嫌になるんだ、魔物だって動かなくなるんだよ」
「でも、じっとしている魔物ならば倒しやすいんじゃないんですか?」
「見つけられればな。岩陰、木陰、灌木の中などに隠れている魔物を見つけるのは難しい。お前は暑い中、魔物を探してウロウロ歩き回りたいのか?」
「いやぁ、嫌ですね」
「だろう? だから、この時期はさっさと出掛けて、サクっと仕留めて戻ってくるもんなんだが……」
ペデルのボヤキに若手達も同感だと頷いた頃、ようやく道の向こうにギリク達が歩いて来るのが見えた。
「俺は討伐については口は出さないからな」
「えっ、そんなこと言わないで教えて下さいよ」
「まぁ、ギリク次第だな……」
ギリクと若手四人は、さすがにサンダル履きとか半袖といった軽装ではなかった。
「揃ってるな、行くぞ……」
散々遅れてきたギリクは、詫びの一言も口にせず出発を宣言した後でペデルの方へ視線を向けた。
「なんか文句あんのか?」
「そう思うのは、お前に後ろめたいことがあるからじゃないのか?」
「なんだと、手前ぇ……」
「遊んでると、遅くなる一方だぞ」
「けっ……行くぞ」
ギリクが先頭を歩き、身分証を提示して北東の門を出る。
マールブルグへと向かう街道を五分ほど歩いたら、草地を突っ切って西へと向かう。
ヴォルザードの北側は牧草地で、夏の間に育てた牧草を秋に刈り込み、冬の間の馬の飼料に使っている。
牧草地であると同時に、見通しを良くして魔物が街道に接近しにくくしているのだ。
ヴォルザードには南西と北東に門があるが、直接魔の森に向かう南西の門はBランク以上の冒険者が同行しないと出入り出来ない。
北東の門からは身元のハッキリしている者であれば誰でも出入りが出来るが、魔の森に入るには大きく周り込む必要がある。
つまり、直接魔の森に入る許可は出さないが、どうしても入りたいなら自己責任で入れということだ。
牧草地を突っ切って、西へ西へと進めば魔の森にぶつかる。
ランクの低い冒険者がリスクを冒して討伐をしたければ、このルートで魔の森に入るしかない。
森の手前まで来ると、ギリクは十人の若手をそれぞれのパーティーに分けた。
一番南側に行動を共にしている四人、真ん中と北側に三人ずつのパーティーを配置し、ギリク自身は中央のパーティーの後ろに付くようだ。
「ギリク、俺はこっちの三人を見るけど、構わないか?」
「あぁ、好きにしろ」
ギリクは、それぞれのパーティー同士、互いの姿が見える距離で動くように指示しただけで森に入るように命じた。
あまりに杜撰な指示に、ペデルは溜息を洩らした。
「何かヤバイんすか?」
ペデルが付いたのは、一番最初に来ていた三人組で、サンダル履きで来ていた若手が不安そうに振り返った。
「俺は討伐には口出ししないって約束だぞ。だが、本当にヤバかったら止めてやるから、思うようにやってみろ」
「う、うっす……」
若手の三人組は、まだ不安そうな顔をしていたが、それでも最悪ペデルが助けてくれると思ったのか、おっかなびっくりながら魔の森へと踏み込んでいった。
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