第666話 秘書の対応

 おはようございます、今朝はいつもよりも少し早起きをして、マールブルグに出掛ける準備をしています。

 今日はリバレー峠の崖崩れ現場に、マールブルグから復興作業を行う作業員の皆さんを送り届けなければなりません。


 リバレー峠はヴォルザードとマールブルグを繋ぐ唯一の街道であるだけでなく、ランズヘルト共和国のその他の領地と隣国リーゼンブルグを結ぶ道でもあります。

 魔の森の危険度が下がったことで、リーゼンブルグとの交易も増えていますので、早期の復旧が望まれています。


 街道が通れなくなると、商人は勿論ですが、護衛の仕事をする冒険者達にも影響が出ます。

 近藤や新旧コンビも定期的に護衛の仕事を請け負っているそうですし、早く復旧作業に取り掛かってもらいましょう。


 食堂で眠気覚ましのコーヒーを飲みながらサンドイッチを食べていると、ベアトリーチェが話し掛けてきました。


「おはようございます、ケント様」

「おはよう、リーチェ」


 すっと体を寄せて来たベアトリーチェをギュッと抱きしめてから、チュッとおはようのキスを交わしました。


「ケント様、こちらが本日の仕事の内容となります」

「へっ? ぼ、僕の……?」

「はい、ノルベルト様と打合せを済ませておきました」

「んんっ? 打合せ……?」


 ベアトリーチェの差し出した紙には、マールブルグによるリバレー峠の復旧計画と、それに伴う僕の役割が書かれています。

 それによると、合計七ヶ所の崖崩れに対して、マールブルグは四つの復旧チームを投入する予定のようです。


「一ヶ所に七十人の人員を投入して、三交代制で作業を進めるそうです」

「でも、僕が送還するのは一ヶ所だけなんだ」

「はい、四つの集団の配置は、マールブルグから見て一番手前の崖崩れ現場、四か所目と五か所目の崖崩れの間、そして一番ヴォルザード側になります。ケント様には、この中間地点に二つの集団を送還していただきます」

「なるほど、一番マールブルグ寄りとヴォルザード寄りの現場には、自分達で移動できるのか」

「その通りです。ケント様が送還する場所が少なくなれば、マールブルグの負担も小さくなり、尚且つ迅速に復興作業を進められるという訳です」


 マールブルグから見て、四か所目と五か所目の崖崩れの現場は距離にして二百メートルほどしか離れていません。

 ここに二つのチームを投入して、それぞれがマールブルグ側、ヴォルザード側に向かって復旧作業を進めます。


 これで、一つのチームが二か所の崖崩れを取り除けば、リバレー峠は通れるようになるという訳です。


「でも、いつの間に打合せなんてしたの?」

「昨日、ケント様が戻られた後、ホルトを使いに出してどの程度の人数を投入するのか知らせていただきました」


 その結果としてノルベルトさんから来た計画は、一ヶ所に作業員六十名、支援要員十名、合計七十名を三ヶ所に送り込むというものだったそうです。

 その計画を受け取った後で、ベアトリーチェが修正を加えた提案を持ち掛けて、ノルベルトさんの了解を得たそうです。


「なんだか、僕の出る幕が無いね」

「とんでもないです。そもそも作業員を離れた場所に送り込むことは、ケント様以外の誰も出来ません。ですから、私は私に出来ることでケント様のお手伝いをしたかったんです」

「そうか、また僕は一人で何でもやろうとしてたんだね。ごめんね、リーチェ。そして、ありがとう」


 感謝の気持ちを込めて抱き締めると、ベアトリーチェが僕の耳元で囁きました。


「ケント様、依頼料の交渉も済ませてあります」

「あ、ありがとう……」


 うん、時々忘れそうになるけど、やっぱりクラウスさんの娘なんだよなぁ……。

 ノルベルトさん、搾り取られていないといいけどなぁ……。


 早めの朝食を済ませて身支度を整えたら、影に潜ってマールブルグへと移動しました。

 指定されたマールブルグ家の前庭には、もう作業員達が集まって来ていました。


 大きな木箱が幾つも積まれているのは、復旧作業のための資材、それに作業員達の食事を作るための道具や食材でしょう。


「おはようございます、ノルベルトさん」

「おはよう、今日はよろしく頼む」


 闇の盾から表に踏み出しながら声を掛けると、ノルベルトさんは慣れていましたが、周りにいた作業員達は急に姿を見せた僕に驚いていました。


「改めて確認させていただきますが、総勢百四十名をこの場所に送り込めば良いのですね?」

「うむ、その通りだ。最初は別々に送り込むことを考えていたのだが、確かにこちらの方が効率的だからな」

「そうですね。実は、この計画は今朝ベアトリーチェから聞いたばかりなんです」

「そうなのか? 大丈夫なのか、この計画で」

「はい、問題ありません。資材とかは別ルートで眷属達に運ばせてしまいますし、全員がギュッと一塊に集まってもらえれば一発で送り届けられます」


 マールブルグから現場までは馬車なら半日以上かかる距離ですが、日本に人を送ることに比べれば目と鼻の先です。

 間隔を詰めて集まってもらえれば、百四十人を一度に送還することは可能です。


「では、いったん向こう側の準備を整えて来ますので、こちらも準備を始めておいて下さい」

「了解した」


 再度影に潜って、送還予定地点へと移動しました。


『ケント様、既に地均しは終わっておりますぞ』

「さすがラインハルト、助かるよ」


 移動した送還予定地点では、ラインハルト率いるコボルト隊が街道に落ちて来た折れた枝や落石を片付け終えていました。

 障害物の無い、直線部分ならば送還にもってこいです。


『そちらのカーブの先が四ヶ所目の崖崩れ現場、こちら側はカーブを二つ抜けた先が五ヶ所目の現場になります』

「わかった、それじゃあ、カルト、キルト、クルト、ケルト、広がって目印の位置に立って」

「わふぅ、分かりましたご主人様」


 カルト達が目印に立ったのを確認して、マールブルグへと戻りました。

 マールブルグ家の前庭では、作業員達が整列を終えています。


「ノルベルトさん、準備はよろしいですか?」

「うむ、いつでも構わんぞ」

「では、送還します。皆さん、その場から絶対に動かないで下さい……送還!」


 作業員たちが身じろぎを止めたのを確認して送還術を発動させると、百四十人が一瞬にして姿を消しました。


「おぉ、ワシもブライヒベルグまで飛ばしてもらったが、これだけの人数が一度に消えるのは壮観だな」

「では、一度現地に確認に行って、それから物資の運搬を始めます」

「作業が終わったら執務室に顔を出してくれ」

「了解しました」


 送還先の現場に向かうと、無事に到着した作業員達は周囲を見回しながら少々混乱している様子です。

 表に出ながら、現場監督らしき人に声を掛けました。


「皆さん、無事に到着していますか?」

「おぉ、それは大丈夫なんだが、ここはどの辺りで、どっちがマールブルグなんだ?」

「はい、こちら側がマールブルグで、そのカーブの先がマールブルグから見て四か所目の崖崩れ現場になります」

「分かった。おい、作業に掛かるぞ!」

「資材はどこに置きますか?」

「そうだな……そこの木の根元に頼む」

「了解です」


 指定された木の根元に大きめの闇の盾を展開すると、すかさず資材の木箱を抱えたコボルト隊が姿を現しました。

 体格の良い作業員が二人掛かりで運んでいた木箱をコボルト隊は一頭で軽々と持ち上げて運んで来ます。


 コボルト隊は木箱を地面に下ろしながら影に潜って行き、次から次へと木箱が運びこまれて来る様子を作業員達は呆気に取られながら見詰めています。


「おら、手前ら何をボンヤリとしてやがんだ、俺らも負けずに作業を始めるぞ。そら、モタモタすんな!」


 現場監督にどやされて、作業員達も一斉に動き出しました。

 まぁ、小柄なコボルトが、重たい木箱をひょいひょい運んでいれば驚くのも無理はないと思うけどね。


「わぅ、ご主人様、運び終えたよ」

「ご苦労さま、みんなおいで!」

「わふぅ、撫でて撫でて!」


 総勢八頭のコボルト隊に揉みくちゃにされて、マールブルグからの依頼は完了です。

 さて、ノルベルトさんに報告に出向きますかね。


「失礼します、資材の運搬も完了しました」

「なんと、もう終わったのか。ここに運び入れるのに、夕べ遅くまで掛かったのだぞ」

「うちの眷属は優秀ですし、そもそも運ぶ距離が短いですからね」

「そうか……これほど早く終わるならば、もう少し価格交渉の余地があったかな」

「依頼料についても打合せ済みだと聞いていますが……」

「そうだ、父親に似てしっかり者だな」

「恐れ入ります……」


 ニンマリと意味ありげな笑みを浮かべたノルベルトさんは、応接セットに座るように促し、メイドさんにお茶を淹れるように命じた。


「今回も色々と世話になって感謝しておる」

「いいえ、リバレー峠はヴォルザードにとっても重要な街道ですから」

「そうだな。だが、そなたの存在無くして、これほど素早い対応は出来なかった。改めて礼を言わせてもらう」


 ノルベルトさんは僕に向かって頭を下げた後で、マールルトを呼び出し、慈しむように頭を撫でた。


「マールルトには本当に助けられておる。これまでリバレー峠が通れなくなったら、ヴォルザードとの連絡は鳥に頼るしか無かったが、確実性に欠けていて、復旧は独断で行うしかなかった。それが瞬時に連絡が取れ、綿密な打ち合わせも出来ている」


 今回の台風では、マールブルグ以外でも多くの被害が出ているそうで、領主の皆さんは新コボルト隊の連絡網を活用して連絡を取り合っているそうだ。


「互いの状況を把握し、必要な支援を必要な場所に届けられれば、ランズヘルト共和国として早く復興ができる。そのための連絡が迅速に行えることは、本当有難いことだ」

「お役に立てて何よりです」

「ただ、唯一リーベンシュタインだけは情報が入っておらん。クラウスから少し経緯は聞いたが、これほど価値ある仕組みを放棄するとは、ワシから見ると正気の沙汰ではないな」


 マールブルグのみならず、橋などが流されれば他の領地との連絡が途絶える可能性はどこの領地でも有り得ます。

 それに、道が正常であったとしても、手紙のやり取りには多くの時間が必要です。


 そのタイムロスが、ほぼゼロになる利点、ノルベルトさんは再認識したようです。


「今回の報酬は打合せ通りにギルドの口座に振り込んでおく。作業員の撤収は、馬車を使って行う予定だが、また突発的な事態が起こった時には依頼を出すかもしれん」

「はい、その時には、ホルト宛てに依頼の内容を知らせて下さい。うちの有能な秘書が対応いたします」

「そうか……お手柔らかに頼むぞ」

「はい、伝えておきます」


 渋い笑みを浮かべたノルベルトさんと握手を交わし、ヴォルザードへと戻りました。

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