第661話 嵐の日のシェアハウス

※今回はちょっと時間を遡り、台風当日のシェアハウスの様子を相良貴子目線でお送りいたします。


 二日間のプールのプレオープンは、まずまずの状況で終了したのだが、今日は嵐の接近に伴って外出禁止の警報が出ている。


「うーん……結構ヤバい台風みたいだよ。国分のコボルトちゃん、呼んでも顔出さないからね」


 早智子は両手を広げて、お手上げのポーズを取ってみせた。

 なんで国分君のコボルトを呼び出せるのか分からないのだが、普段なら早智子が声を掛けるとひょっこり顔を出して色々と手を貸してくれているそうだ。


「あー……プールが気になる、ちょっとだけ見に行って……」

「何言ってんだ、国分がいるのに警報が出るってことは、それだけヤバいってことなんだぞ。何かあったとしても、後で国分を拝めば何とかしてくれるだろう」

「だよね……でも、まさか新田に怒られるとは思わなかった」

「お前なぁ……」


 新田達も明日からマールブルグ行きの護衛依頼をする予定だったが、この台風で中止になったようだ。


「新田達の出発はいつになるの?」

「さぁな? それこそ国分から情報聞いてからじゃねぇの」

「こっちじゃテレビで台風情報や交通情報を見る……とはいかないもんね」


 日本にいた頃ならば、台風は遥か彼方の太平洋上にある頃から予想進路や影響について報道されていた。

 ヴォルザードでは気象衛星も無いし、そもそもテレビのようなマスコミも存在していない。


 このシェアハウスにはテレビが置かれているけれど、映るは日本の番組だけだ。


「古田や近藤は?」

「達也は寝てるんじゃね? ジョーは筋トレかな?」

「新田は筋トレやらないの?」

「このジトジトの状況でやれってか?」

「だよねぇ……」


 台風の接近に備えて、シェアハウスの窓は鎧戸までビッチリ閉め切られている。

 日本のアルミサッシみたいに密閉度が高くないので、外の湿気が家の中まで入り込んできて蒸し暑い。


 ヴォルザードは夏を迎えて、昼間は外出をためらう暑さが続いているが、近くに森があるせいか日影で窓を開けていれば過ごしやすい。

 だが今日は、閉め切られた室内に閉じ込められている状態なので、不快指数が上がっている。


「早智子は明日は仕事なんでしょ?」

「んー……たぶんね。でも、街の被害次第なのかな?」


 アマンダさんの食堂で働いている早智子も、今日は台風の警報が出ているから休みだ。

 日本から送ってもらったスイーツの本をペラペラと捲って眺めている。


 もう、何度も何度も読みつくしているからヨレてきているが、ページを捲っては何やら考え事を繰り返しているようだ。


「ねぇ早智子、やっぱり焼きそばの屋台を出せない?」

「無理、無理、毎日あれはしんどい。昨日、一昨日だって、国分のところのコボルトちゃんに相当助けてもらってたからね」


 早智子はページを捲る手を止めて視線を上げると、大きくなってきたお腹をポンポンと叩いてみせた。

 確かに、今の早智子に無理をさせるのは駄目だ。


「別に焼きそばじゃなくても良いんじゃないの?」

「そうなんだけど、ソースの匂いはインパクトあるからなぁ」

「あぁ、それは言えるね。でも、匂いだけならば、その場で調理すれば大丈夫だと思うよ。プールではしゃいで腹ペコになった連中ならば、なんでも美味しく感じるんじゃない?」

「それもそうか……何か考えてみる」


 またプールの状況が気になり始めていたら、近藤が二階から降りてきた。

 本当に筋トレしていたらしく、少し息を切らせて汗だくだ。


 その近藤に早智子が声を掛けた。


「ジョーは真面目だねぇ」

「外出できないから暇だしな」

「汗臭いから、さっさと水浴びしてきて」

「手厳しいなぁ、今いくところだよ」

「にししし……」


 シェアハウスで暮らすようになるまで特別に仲が良かった訳ではないので良く知らなかったが、早智子は男子のあしらいが上手い。

 元々の性格なのか、それともこちらの世界に来てから色々経験したからかなのは分からないけど、あのギリクも平然とイジっていたのには驚いた。


「早智子って、ホントに客商売に向いてるよね」

「えっ、なんで?」

「だって、男女関係なく自然体で話せるじゃない」

「あー……アマンダさんの店で鍛えられたのかもね」

「そっか、うちのお客は殆ど女性だからなぁ……」

「でも、貴子だって普通に話せてるじゃん」

「いや、新田とか近藤は、もう付き合い長いから大丈夫だけど、やっぱり初対面の男性とかは苦手かなぁ……」

「それは誰だって一緒じゃないの? あたしだって、一応は初対面の人には気を使ってるよ」

「いや、全然そうとは思えねぇぞ」


 私が口を開く前に新田がツッコミを入れた。


「馬鹿だねぇ、気を使っているけど、使っていないように見せるのが客商売なんだよ」

「えー……まぁ、そういう事にしておくか」

「そうそう、細かいことに拘る男は嫌われるぞ」

「えっ、マジで? てか、どういう男がモテるんだよ」


 それまでテーブルに頬杖をついて、ぐてーっとしていた新田は身を乗り出すように早智子に詰め寄った。


「あー……新田も素材は悪くないんだけど、清潔感が足りない」

「ぐふぅ」


 確かに早智子の言う通り、寝巻代わりのTシャツ短パン姿で頭はボッサボサ。

 顔も洗っていないのか目ヤニまでついている。


「い、いいだろう、別に誰かに会う訳じゃないんだから」

「いやいや、そういうところだぞ新田、ねぇ貴子」

「そうね、顔を洗って髪を整えて着替えるだけだから大した手間じゃないわよね。そういう部分で手を抜く人って普段の生活にも出るから、女の目線だとだらしなく見えるわね」

「ちっ、着替えりゃいんだろ、着替えりゃ……」


 新田は渋々といった感じで席を立ったが、嫌々やってるようではモテるようになるには時間が掛かりそうだ。

 部屋に戻る新田と入れ替わるように古田が起きてきた。


「ふぁぁぁ……どうした和樹、部屋に戻るのか?」

「おぅ、着替えにいく」

「うぇ、なんで? 台風だから出掛けられねぇんじゃねぇの?」

「いいんだよ」

「ふーん……うぃーす!」


 半分眠っているような目で、私と早智子に挨拶らしき言葉を発した古田は、新田に輪をかけたようにグダグダだった。

 うつ伏せで寝ていたのか、顔の半分には枕カバーの皺が跡になっているし、口の端には涎の痕跡も残っている。


 寝巻代わりのTシャツは襟が伸び放題だし、弛み始めている腹をボリボリ掻いている姿は中年のおっさんみたいだ。


「フローチェさん、朝飯お願いしまーす」

「はいはい、ずいぶんゆっくりだったわね」

「えぇ、今日はどうせ出掛けられないって思ってたもんで」

「持って行ってあげるから、座って待ってて」

「あざーす……」


 リビングに戻ってきて、ぐてーっとテーブルに突っ伏した古田を見て早智子も苦笑いを浮かべている。

 そこへ水浴びを終えた近藤がもどってきた。


 自前の風属性の魔術を使ったのか髪も乾いているし、さっき着ていたシャツや短パンの洗濯まで終えたようだが、さすがにそちらは乾いていないらしい。


「駄目だ……風をあてても湿気で乾きやしない。こりゃ、明日洗い直しだな」

「まったく、ジョーは真面目だねぇ。それに比べて……」


 私達三人の視線が集まったのに気付いて、古田が体を起こした。


「あー……はいはい、どうせ俺は不真面目ですよ。てか、休みの日ぐらいいいじゃんか」

「にししし……さっき新田も同じようなことを言ってたよ」

「だろう……あれっ、じゃあなんで和樹は着替えに行ったんだ?」


 古田が首を傾げたところに、着替えを終えた新田が戻ってきた。


「どうよ、これなら……」


 Tシャツとハーフパンツという先程と変わらない格好だが、シャツもパンツもよれていないし、顔も洗って髪も整えている。

 満点とはいかないまでも、まぁ合格点をあげても良いだろう。


「いいじゃん、見られるようになったよ」

「まぁな、俺は素材は悪くないからな」

「にししし……良く言うよ」

「いや、お前が言ったんだろう」

「新田、世の中には社交辞令ってものがあってだね」

「そんじゃあ、素材が悪いってか!」

「いやぁ……悪くはないけど、良くもない? 磨き方次第だよ」

「くっそぉ、甘くねぇってか」


 新田と早智子のやり取りを眺めていた古田は、今いち事情を呑み込めていないようだ。


「なぁ相良、何の話なんだ?」

「えっ、どうしたらモテるようになるか……って話」

「何だよそれ! 和樹、手前ぇ抜け駆けしようってか!」

「ふっ……今の俺とお前を比べれば、一目呆然だろう」


 それを言うなら一目瞭然だと思うけど、確かに古田は呆然としている。

 そこへ朝食を載せたトレイをもって、フローチェさんが顔を出した。


「はい、タツヤ君、お待たせ」

「あ、ありがとうございます。いただきます!」


 スープとパン、ベーコンエッグの簡単な食事だが、自分で用意しなくて良いのは本当にありがたい。

 古田はフローチェさんからトレイを受け取ると、猛然と食べ始めた。


「待ってろ……俺だって……食い終わったら……」


 ガツガツと食事を進める古田を全員が生暖かい視線で見詰めている。

 新田はキッチンに向かうと、冷たいお茶を持って戻ってきた。


 古田の斜め向かいの席に腰を下ろすと、わざとらしく髪を掻き上げてみせた。


「まっ、日頃の行いってやつだよ、達也」

「和樹、手前ぇ……うぐぅ……」


 慌てて飲み込んだパンを喉に詰まらせて、古田はドンドンと胸を叩いてからお茶で流し込んだ。


「手前ぇにばっかり、いい思いはさせねぇからな! 待ってろ、この野郎!」

「いやいや、手遅れだよ、達也」

「くそぉ……ご馳走さまでした!」


 慌ただしく食事を終えた古田は、トレイをキッチンに戻すと、小走りで自分の部屋へと戻っていった。

 ここで浮かんだ疑問を口にしてみた。


「というか、誰かいい思いをしてるの?」

「あははは……でも、あたしは退屈しのぎをさせてもらってるな」

「うははは……達也のやろう、まだ寝てたんじゃねぇの」


 まあ半分寝惚けているところに、モテるモテないなんて話になったから、古田は何か勘違いをしたようだ。

 この直後、古田はよそいきバリバリの格好で現れて、全員で腹を抱えて大笑いした。


 プールは心配だけど、今はどうにも出来そうもないから笑っておこう。

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