第658話 レスキュー・ケント
ヴォルザードでは台風一過の青空が広がっていましたが、ブライヒベルグはまだ暴風圏の中でした。
叩き付けるような強い雨と暴風で、視界が悪い状態が続いています。
ブライヒベルグを流れる主要な河川は三本、その内の二本は領地境を流れる川で、クラウスさんが重要視していたのは中央を流れる川でした。
この川こそが、ブライヒベルグの農業を支えていると言っても過言ではないそうです。
北方の山脈を水源とする本流に、途中のいくつかの山から支流が流れ込み、ブライヒベルグの平地を流れて海へと注いでいます。
ブライヒベルグの海岸線は切り立った断崖が続いていて、河口も崖の下になっています。
海岸線は石灰岩の大地のようで、農耕には適さず、羊などの放牧が行われているそうです。
まずは、眷属のみんなを河口近くに集めて、闇の盾を繋ぐ場所を確認してもらいました。
この後、堤防が決壊したり越水が始まっている場所に闇の盾を設置し、増水した水をここまで一気にバイパスして流す予定です。
『ケント様、まずは上流から確認して下され』
「分かった、ちょっと行って来る」
星属性の魔術を使い、意識を上空へと飛ばして川に沿って北を目指します。
「うわっ、上流からと思ったけど、もう堤を超えちゃってるよ」
上流から順番にバイパスを作れば、下流の水量はおのずと減りますが、そうも言っていられない状況のようです。
堤防の上では、近くの農民なのでしょうか、泥だらけになりながら必死に土嚢を積んでいますが、水位の上昇の方が早そうです。
一旦、意識を体に戻して、影移動で越水地点まで戻り、少し上流の川の中に、闇の盾を展開しました。
ざっくり見積もって百メートル弱の川幅一杯に、高さ十メートルの闇の盾を展開しました。
「イルト、僕の代わりに盾を維持して」
「わふぅ、分かりました、ご主人様」
越水していた場所に戻ってみると、土嚢を積んでいた農民の皆さんが、急に水位の下がった川をポカーンと眺めていました。
そりゃあ、命懸けで土嚢を積んでいたのに、突然水位が下がればそうなるよね。
「どうなってるんだ、急に水が下がったぞ」
「上流はもう雨が止んだのか?」
「だとしても、こんなにすぐ水位が下がってたまるかよ」
「確かに、こんなに急に水位が下がるなんておかしいけど、今は水が引いたのを喜ぶべきじゃないか」
依然として雨は降り続いていますが、既に濡れねずみだからか、多くの人が水浸しの堤の上にドッカリと腰を下ろしました。
お疲れ様です、ここはもう大丈夫ですよ。
「よし、次行こう!」
再び、星属性の魔術を発動させて、上流を目指します。
川は全域に渡って凄まじい勢いで流れていて、複数個所で越水が始まっていましたが、堤防が決壊している場所はありませんでした。
それだけ治水に力を注いでいるのでしょう。
領主のナシオスさんは、クラウスさんと同じ穴の狢みたいですし、一見緩そうにみえても抑える所はシッカリと抑えているのでしょう。
上流から下流まで、危なそうな五箇所に闇の盾を設置して水量を減らしました。
これで大規模な氾濫は起こらないはずです。
続いてバッケンハイムとの領地境の川でも同様の措置を行いました。
特に、街道に架かる橋が流されないように、流木もまとめて下流に送ってしまいます。
橋の袂で監視をしていた人たちが、目を見開いて固まってますね。
ここは大丈夫ですから、帰ってシャワーでも浴びて下さい……とは、いかないんでしょうね。
続いて、ブライヒベルグの東側の領地境を流れる川へ向かいましたが、こちらではいくつか橋が落ちてしまっていました。
橋げたに流木が引っ掛かり、そこへ水の力が掛かって崩壊したようです。
とりあえず、残っている橋の保全を最優先にしました。
「フレッド、流木を切り刻める?」
『任せて……』
橋の手前に闇の盾を展開するのと同時に、引っ掛かっている流木を切り刻んで橋桁を守ります。
『ケント様、どうやら東の方が被害が大きそうですぞ』
ラインハルトの言う通り、ブライヒベルグよりも東の地域の方が雨の量が多かったようです。
あんまり気乗りしませんけど、リーベンシュタインの様子を見に行きますか。
ブライヒベルグは北東側をフェアリンゲン、南東側をリーベンシュタインと接しています。
リーベンシュタインを流れる川は、フェアリンゲンを源流として流れ、ブライヒベルグと同様に断崖の海岸線へと注いでいます。
領内を流れる大きな河川は二本あり、そのどちらもが農業用水として重要な役割を果たしているそうです。
穀倉地帯であるリーベンシュタインを潤す河川ですが、今回の嵐によって増水し、領民に牙を剥いていました。
「うわぁ、湖みたいになっちゃってるよ……」
星属性で意識を上空へと飛ばして眺めてみたのですが、川から溢れた水によって一面が茶色い湖のようになっています。
恐らく、この下に農業用水などが走っているのでしょうが、水路も畑も道も、何処がどうなっているのか全く分かりません。
耕作地としての効率を上げるために整地されたのか、それとも元々が平らな土地だったのか分かりませんが、点在する丘が浮島のようになっています。
「これは……どこから手を付けて良いのか分からないよ」
排水するにしても、どこが川かすら分からない有様なので、上流から手をつけようかと思ったのですが、点在する家の屋根には逃げ遅れた人の姿がありました。
とりあえず、人命優先でいきますか。
辺りを見回して、浮島のようになっている丘へと移動させます。
「送還!」
送還術で瞬間移動させると、先に避難していた人達が驚いてました。
そりゃあ、突然人が現れたら驚くよね。
てか、飛ばされた本人たちも状況が理解できていないようですが、説明しているのも面倒なので、次々に避難をさせちゃいましょう。
「送還! 送還! 送還!」
屋根に登って途方に暮れている人も、木切れに必死にしがみ付いている人も、片っ端から高台目掛けて送還しました。
送還術を使って人命救助をしつつ上流を目指すと、ようやく川の流れが分かる所に出ました。
「よし、ここに闇の盾を設置しよう」
影の空間に戻って現場に移動、川の護岸に沿って大きめの闇の盾を設置しましたが、流れ込んでくる水量が多いので、なかなか水位は下がりそうもありません。
「シルト、盾の維持をお願い」
「わぅ、任せて、ご主人様!」
対岸の護岸に沿って、同じように闇の盾を設置すると、下流に向かう水位が下がり始めました。
「タルト、こっちの盾をお願い」
「わふっ、分かった」
「ラインハルト、沈んでいる地域から水が引くように、所々に闇の盾を設置して水抜きをして。僕は他の地域も見てくるから」
『了解ですぞ』
再び星属性の魔術を使って上空から状況確認をしていると、ようやく雨が小降りになり始めました。
ただ、おそらく上流のフェアリンゲンにも大量の雨が降っているはずですから、このままだと水位が下がるのは明日になるでしょう。
もしかすると川から溢れた水が引くには、もっと時間が掛かるかもしれません。
途中で、リーベンシュタインの騎士らしき一団を見掛けましたが、自然の猛威の前に為す術が無いようで、ただ溢れた水を眺めているだけでした。
てか、救命用のボートとかも用意してないんですかね。
治水には自信があって、水害は起こらないと高を括っていたのでしょうか。
西側の川の対応を終えて、東側の川に向かうと、リーベンシュタインの領都も水に沈んでいました。
東側の川と街道が交わる交通の要衝ですが、水浸しです。
リーベンシュタイン自慢の穀物倉庫群も水に浸かっていましたが、扉は水密扉になっているようで、内部には水は入っていませんでした。
この辺りはさすがだと思いますが、周囲の商業地区などは二階に届きそうなほど浸水しています。
二階建て以上の建物に住んでいる人たちは、上の階で難を逃れているようですが、平屋建てに住んでいる人の多くは屋根の上で途方に暮れています。
送還術で救助しようかと思いましたが、あまりにも人数が多いですし、そもそも避難させる適当な場所がありません。
「荒川の堤防が決壊したら、高島平とか江戸川の辺りはこんな感じになっちゃうのかな?」
日本だったら自衛隊とか消防が救助活動を行うと思いますが、リーベンシュタインでは領都の周辺でもボートなどでの救助は行われていません。
災害に対する備えは自己責任なんでしょうかね。
てか、これだけ街が水浸しになってしまうと、疫病とかが心配ですね。
あの婆ぁ、ちゃんと対応するのかなぁ……。
領都の周辺に広がる畑も水に沈んでいるので、こちらでも上流に遡って闇の盾を使って流入量の制限と排水の促進を行いました。
リーベンシュタインの東側の川の対応を終える頃には、空は晴れ渡り、真っ赤な夕日が西の地平線へと沈むところでした。
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