第657話 水害対応

 接近してきた台風は、ヴォルザードから見て東側に上陸しました。

 再び星属性の魔術を使って上空から観察すると、台風から東に延びる雲によってランズヘルト共和国全体に強い雨が降っているようです。


 中でもブライヒベルグから東側に発達した雲が掛かっているようで、この後台風本体の雨雲が通過する時には、更に雨量が増えることも予想されます。

 ヴォルザードの街にも大量の雨が降り続いていて、懸念された通りに旧市街の西側と南東側で水が溢れ始めているようです。


 現状の水位は大人の脛ぐらいまでで、倉庫の土台を超えるような深さには達していないようですが、予断を許さない状況のようです。

 影の空間に置いた体に意識を戻すと、ザーエが報告に戻ってきたところでした。


「王よ、このままでは水が溢れます」

「ザーエ達だけじゃ無理か」

「下水の本管の排水能力が限界のようで、街全体で水が溢れる恐れがあります」

「分かった。バステン、本管の途中に闇の盾を出して、河口近くへ排水して」

『了解です』


 どうやらヴォルザードでは、一番最初に作られた旧市街の下水管が他に比べると細く、浸水被害の原因になっているようです。

 そのうち、時間を見つけて拡張工事を行った方がよさそうですね。


 現在使われている下水管の下に、もう一本下水管を増設すれば浸水の心配も無くなるでしょう。

 それにしても、ヴォルザードの人達の避難体制は徹底されています。


 台風が最接近している状態なので、風雨ともに強い状態だから当然ですが、街に人影は全くありません。

 全ての家が鎧戸を堅く閉じて、亀のように息を潜めています。


 日本だと、暴風の中を出歩く人の姿をニュースなどで見掛けますが、ヴォルザードでは人も物も綺麗サッパリと消えています。

 たぶん、警報は魔物の大量発生などと同様であると徹底されているのでしょう。


「どうやら、屋根が飛ぶとかの被害も出さずに済みそうかな」

『嵩上げした城壁の効果でしょうな。森では木々が薙ぎ倒されているようですぞ』


 ラインハルトの言う通り、魔の森の中では木々の枝が折れたり、弱っていた幹がボッキリと折れたりして、一部では街道を塞いでいるようです。


「台風が過ぎ去ったら、いろいろと復旧作業が必要そうだね」

『そのようですな。特に魔の森を抜ける街道は入念に整備しなければ、カミラ様の輿入れに影響が出かねません』

「うん、リーゼンブルグでも大きな被害が出ていなければ良いんだけどね」


 ラストックから対岸へと渡る橋も、以前大雨で壊れたことがありました。

 今回の雨は、その時以上かもしれないので心配ですね。


「それにしても、風も雨も一向に収まる気配が無いんだけど……」

『そうですな、どうやら嵐が留まっているようですな』


 台風の進路に高気圧が居座っていたりすると、移動速度が遅くなる場合がありますが、そんな感じなのでしょうか。

 この状況が続くと、同じような場所に雲が掛かり続けて水害の危険性が増していきそうです。


『ケント様、魔の森の野営地が沈みそう……』

「えっ、そうか、あそこ川のそばだった」


 フレッドの知らせを受けて野営地の様子を見に行くと、既に敷地が浸水していました。

 野営地の中には、普段ほどではないものの二十台近い馬車が、強い風を避けるために壁にピッタリと張り付くように停められています。


 野営地のそばには川が流れているのですが、増水して溢れ出し、野営地の門から内部へと浸水が広がっている状態です。

 深さは馬車の車輪の半分が沈んでいるほどで、大人の太腿ぐらいまでありそうです。


 商売をしていた人のものなのか、酒樽がプカプカと浮いているのが見えます。

 これ以上水位が上がれば、馬車まで沈みそうです。


 川の遥か下流に出口用の闇の盾を設置し、野営地に入口を封鎖するように闇の盾を展開し、外からの水の侵入を食い止めました。


「フレッド、闇の盾を使って、野営地内部の水を外に流して」

『りょ……』


 水の流入を止めて排水を始めたので、水位の上昇が止まって徐々に下がり始めました。

 とは言え、川の水位が下がらなければ、ヴォルザードへは向かえないでしょう。


 ラストックの手前の川も増水しているでしょうし、ここにいる人達は暫く足止めを覚悟してもらうしかなさそうです。


『ケント様、この様子ではダンジョンも水没しているかもしれませんな』

「うわぁ、その可能性は高いね」


 空間の歪みが生じたことで、狂暴な大蟻が現れて大きな被害を被ったダンジョンですが、復興目覚ましく多くの冒険者がお宝目当てに潜っているそうです。

 周辺の宿屋も修復作業が進められて、営業を再開し始めていると聞いています。


「ダンジョン近くの宿って、確か地下に作られてるんだよね? 沈んでないかな?」

『雨水などは、ダンジョンの内部へと流れるように作られているそうですが、これだけの雨量ですと溢れているかもしれませんな』

「ちょっと見に行ってみるか……」


 ダンジョンは、ヴォルザードの主要産業でもあります。

 多くの冒険者が溺死……なんてことになったら、ダンジョンから産出されるお宝も減ってしまいます。


 ダンジョン近くの宿は、ダンジョンの入り口から魔物が溢れ出てくるような事態に備えて、地上にあるのは入口だけで、居室は地下に作られています。

 一般的な構造は、地下一階がフロント兼酒場、地下二階から下が客室になっています。


 ダンジョン近くの宿屋の一軒を覗いてみると、宿泊している冒険者達は地下一階の酒場に集まっていました。


「地下三階は完全に沈んだぞ。地下二階の床まで上がって来てる」

「さすがに、ここまでは上がって来ないだろうな」

「この分じゃ、ダンジョンにも当分は入れそうもないし、二階は沈まないでくれよ」


 酒場に集まった冒険者たちの足下には、各々の武器や荷物が置かれている。

 客室が沈む恐れがあるから、荷物を抱えて地下一階まで上がって来たのだろう。


 寝床の心配をしつつも、酒場までは水位が上がらないと踏んでいるのか、殆どの者が酒を酌み交わしている。

 このまま地下二階の客室が沈んだら、ほぼ満席の酒場で雑魚寝するつもりなのだろうか。


 というか、下手したら宿全体が沈んで溺れ死ぬかもしれないのに、呑気に酒飲んでいて大丈夫なのかね。


『ケント様、ようやく雨が弱まってきたようですぞ』

「どれどれ……」


 ダンジョンに挑む冒険者の図太さというか、無神経ぶりに呆れているうちに、やっと台風の雲から抜け出たようです。

 西の空も明るくなってきたので、風雨のピークは越えたようです。


「それじゃあ、コボルト隊は撤収。ザーエ達も浸水が止まったら撤収させて」

『了解ですぞ』


 ダンジョンからヴォルザードの街へ戻り、城壁の上から街並みを見下ろしましたが、幸い屋根が飛ぶような大きな被害を受けた家は無かったようです。

 ギルドに移動して、執務室に詰めているクラウスさんに状況を説明しました。


「それじゃあ、今の所は大きな被害は出ていないんだな?」

「魔の森の野営地が雨で沈みかけていましたが、そちらも対策をしておきました」

「リバレー峠の状態が心配だが……ケント、ちょっとブライヒベルグの様子を見に行ってきてくれ」

「ブライヒベルグ……ですか?」

「そうだ、ただし見に行くのは、街並みじゃなく農地だ」


 クラウスさんの話によれば、ブライヒベルグの麦の刈り取りは殆ど終わっている時期だそうです。

 刈り取りは終わっているものの、酷い水害が起これば次の作付けに影響が出てしまうかもしれません。


「ヴォルザードが輸入する穀物の殆どはブライヒベルグから来ている。農地に被害が広がれば、穀物の買い付け価格が高騰する恐れがある」

「分かりました、ヴォルザードの食を支えるためですね」

「そうだ、ブライヒベルグの対策が終わったら、リーベンシュタインも頼む」

「えーっ……リーベンシュタインもですかぁ?」

「そんなに嫌そうな面すんじゃねぇよ。連絡用のコボルトを拒絶されて、お前がリーベンシュタインを良く思っていないのは分かっている。それでも、ランズヘルトの穀物の半分を生産するリーベンシュタインで大規模な水害が続けば国が揺らぐ。それこそ、旗を振る奴が現れれば、シャルターンの二の舞になりかねないぞ」

「げぇ、それはマズいですね」


 シャルターン王国での革命騒ぎは、国の東側にある肥沃な耕作地で発生した暴動に端を発しています。

 リーベンシュタインでは、シャルターン王国よりもまともな対策を行うはずだから、反乱騒ぎには発展しないでしょうが、食糧事情は悪化しそうです。


「しょうがないですね。革命騒ぎとかウンザリなんで、リーベンシュタインで水害が起こっていたら、なんとかしてきますよ」

「おぅ、頼むぞ、報酬は俺がリーベンシュタインからふんだくってやるから心配するな」


 ニヤリと笑ったクラウスさんは、席を立って窓へと歩み寄り鎧戸を開けました。


「雨は上がったみたいだな。風も街中は大したことなかったし、一安心だ」

「あとはリバレー峠がどうなっているか……」

「まぁ崖崩れの数か所ぐらいは覚悟しておかないとだな、まぁ基本的にはマールブルグの仕事だからな」


 とは言っても、マールブルグと取引している商会はいくつもありますし、輸送が止まれば護衛の仕事が無くなって冒険者の生活が苦しくなりかねません。


「クラウスさん、リバレー峠の状況も見てきますから、マールブルグに復旧工事の売り込みして下さいよ」

「おぅ、そりゃいいな、金はノルベルトの爺さんに出させりゃいいか。ケントも儲かる、峠が早く通れるようになれば俺も助かる、良い事尽くめだな」

「とりあえず、暗くなる前にブライヒベルグの様子を見てきます」

「おぅ、頼んだぞ」


 一旦、影の空間に潜ってブライヒベルグへと移動、そこから星属性の魔術を使って上空から被害状況の確認を始めました。

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