第654話 警報

 影の空間に潜ってゼータに体を預け、星属性の魔術で意識をヴォルザード上空へと飛ばしました。


「あっ、そうか……この状態だと風の強さとかは体感できないのか」


 意識だけの存在となってしまっているので、物体をすり抜けることも可能な代わりに、どのぐらい強い風が吹いているのかも分かりません。

 ただし、空中に留まっていると北西方向から、かなりの速度で雲が流れてきます。


「ということは、低気圧の中心はヴォルザードの南東方向にあるってことかな?」


 高度を上げながら、雲が流れていく方向へと意識を飛ばします。

 いくつかの雲の層を突き抜けると快晴の領域に入り、進行方向を見下ろすと雲の渦が見えました。


「おぉぉ……これは結構ヤバいんじゃない? かなり目がハッキリしているよ」


 大きな雲の渦の中心はポッカリと雲が切れ、いわゆる台風の目が良く分かる状態です。

 気圧のデータが無いので断言は出来ませんが、かなり大型の台風のように見えます。


 台風の東側には大きな雲の塊があって、一部はエーデリッヒ辺りに掛かり始めています。

 このまま北上を続けると、水害を引き起こすような大雨が降るかもしれません。


「台風の位置は分かったけど、風速とか移動する方向や速度も分からないし、気象観測としてはポンコツって言われても仕方ないかな」


 このまま同じ位置に留まって観察を続ければ、大まかな進路は分かるかもしれませんが、日本の天気予報のような詳しい予測は出来そうもありません。


「これじゃあ気象観測衛星なんて名乗れないなぁ……せいぜい気象観察衛星レベルだね」


 台風の進路は分かりませんが、朝からの風の具合を考えると、ヴォルザードの方へ接近している恐れはあります。


「せっかくだから、台風の目に突っ込んでみようかな」


 上空から見たら小さく見えた台風の目ですが、近付いてみるとかなりの半径があります。

 目の真ん中から台風を通り抜けて行くと、海上は大しけの状態でした。


「うっわ、怖っ……」


 海面スレスレまで降りると、波のうねりは高さ十メートルを超えていそうです。

 試しに海面が一番下がった所まで降りて、その場に留まると……。


「うぉがぼがぼぉぉぉ……とはならないけど、海中に引き摺り込まれるみたいで怖ぇぇぇ!」


 波飛沫が来ない高さまで上がり、台風の目から外れてヴォルザードの方向を目指すと、暴風雨と荒れ狂う海の凄まじい光景が広がっていました。

 台風の雲を抜けると雨も止んで日差しが降り注いできましたが、海のうねりは高いままです。


「ヴォルザードからは離れているけど、移動速度によっては明日の昼には上陸するんじゃないかな」


 何の備えもしていなければ、大きな被害が出るかもしれません。

 一旦戻ってクラウスさんに知らせましょう。


 てか、プールサイドから影の空間に潜ったんで、海パン姿のままなんですよね。

 意識を体に戻すと、影の空間ではマルト達が綿貫さんの屋台を片付けていました。


「もう店じまい?」

「わぅ、サチコがパパっと売りきっちゃった」

「おー、さすがだね。みんな、片付けよろしくね」

「わふっ、終わったら撫でてね」

「はいはい、分かってますよ」


 プールの更衣室から服を回収して着替えて、ギルドの執務室に向かう前に一度家に戻りました。

 普段なら、この時間には木陰で長くなっているネロが、屋敷の屋根に座って南東の方角をじっと見詰めています。


「ネロ、嵐は近付いて来てる?」

「にゃ、たぶん明日の昼にはヴォルザードの近くまで来るにゃ」

「それは困ったな……方向を逸らすことは出来る?」

「さすがに嵐を逸らすのは無理にゃ」

「だよねぇ……分かった。暫く様子を見ていて」

「任せるにゃ」


 ストームキャットのネロでも、大型の台風を逸らすのは難しいようです。

 だとすれば、直撃に備えておいた方が良いですよね。


 影の空間経由でギルドの執務室に向かうと、クラウスさんは窓際に立って空を眺めていました。


「健人です、入ります」

「嵐の件か?」

「はい、ストームキャットのネロの予想では、明日の昼ぐらいにはヴォルザードの近くまで来るそうです」

「酷い嵐になりそうか?」

「さっき、雲の上から観察してきましたが、かなり強力な嵐に見えました」

「よし、ドノバンに嵐の警報を出すと伝えてくれ」

「了解です」


 影に潜って一階のドノバンさんの机の横に移動しました。


「ドノバンさん、クラウスさんからの伝言です。嵐の警報を出すそうです」

「ケントか、了解したと伝えてくれ」

「分かりました」

「嵐の警報だ! 街中に知らせを出せ!」


 ドノバンさんの号令と共に、ギルドの職員が一斉に動き始めました。

 警報って、どんな感じで出されるのか興味がありますが、ドノバンさんは忙しそうなのでクラウスさんに聞きましょう。


 執務室に戻り、ドノバンさんが了解したとクラウスさんに告げました。


「警報が出ると、どうなるんですか?」

「商店、市場は全部閉めて、風で飛ばされそうな物を片付ける。後は、窓や扉の補強とかだな」


 まぁ、台風への備えですから、異世界といえども大きな違いは無いようです。

 日本では、台風が接近するとSNSなどで『犬を仕舞え』なんて言葉が拡散しますけど、うちのコボルト隊も仕舞った方が良いのでしょうかね。


「お前の屋敷は大丈夫なのか?」

「えっ、そうだ、忘れてた」

「馬鹿、さっさと帰って戸締りしろ!」

「了解です」


 クラウスさんに言われて、慌てて屋敷に戻ってみたもの、よく考えたら僕の屋敷って頑丈な城壁に囲まれてるんですよね。

 でも、一応点検はしておいた方が良いよね。


「ただいま……って、なんか暗くない?」


 玄関で靴を脱いで階段を上がってリビングに行くと、なんだか部屋の中が暗く感じます。

 隣の部屋にいた唯香が理由を教えてくれました。


「お帰り、健人。風が強くなってきたから、念のために南側は鎧戸を閉めたの」

「他は、まだ開けてあるの?」

「うん、全部閉めると暑いからね」

「だよねぇ……」


 プールを楽しめるほどの気温ですから、閉め切って風が通らなくなると暑くていられません。

 東京みたいにアスファルトで固められた街ではないので、日が落ちてしまえば過ごしやすくなりますが、日が出ている間はやっぱり暑いです。


「うちは、ほぼ石造りみたいなものだから大丈夫だと思うけど、アマンダさんのお店は平気なのかな?」

「うん、これからちょっと見てくるよ」


 階段を降りて玄関で靴を履き、影の空間を通ってアマンダさんの店の裏に移動しました。

 改めて眺めてみると、建物は少々年季が入っています。


 僕が下宿している時には、雨漏りしたことは無かったけど、台風が直撃したら屋根とか飛びそうで心配ですね。


「こんにちは、アマンダさん、何か手伝うことありますか?」

「ケントかい? 特別に手伝ってもらうことは無いねぇ」


 嵐の警報が出たので、もう店は閉めているようで、アマンダさんはのんびりお茶を飲んでいました。

 そして、メイサちゃんは宿題の真っ最中のようです。


「昼の分は売りきっちまったし、この風だから夜の仕込みはしてなかったけど、正解だったね」

「さすがですねぇ、でも売上減っちゃいますね」

「なぁに、丁度良い骨休めさ。一日や二日稼ぎが無かったぐらいじゃ潰れないよ」

「もう鎧戸は全部閉めたんですか?」

「あぁ、後は裏口だけだよ」


 ヴォルザードの建物には、元々魔物の襲来に備えて窓や扉には鎧戸を下ろせるようになっている。

 魔物の襲撃を想定した鎧戸なので、少々の風ではビクともしないはずだ。


「屋根とか大丈夫ですか?」

「そいつは分からないね。建物は年季が入ってるから、あんまり強い風が吹いたら壊れるかもしれないけど、その時は諦めるしかないさ」


 アマンダさんは腹を括っている感じですけど、メイサちゃんは不安そうですね。


「ねぇ、ケント、嵐を吹き飛ばしたり出来ないの?」

「さすがに嵐までは……」

「でも、この前は降ってくる星を止めたんでしょ?」

「まぁ、そうだけど……」

「この辺りは古い家が多いから、大きな嵐が来たら何軒も屋根を飛ばされちゃうかも。住んでる人もお年寄りが多いから、家を直すだけのお金があるかどうか……」


 なるほど、ヴォルザードでも高齢化の問題を抱えた地域もあるんですね。


「わかった、確実に何とか出来るとは断言できないけど、少しでも被害が減らせるように考えてみるよ」

「ホントに? ケント、大好き!」

「うんうん、でも宿題はメイサちゃん一人で何とかしてね」

「きぃぃぃぃ! いいもん、いいもん、何とかするもん!」

「それじゃあ、僕も嵐を何とかしにいこうかな」


 ぷーっとフグみたいに膨れたメイサちゃんの頭をポンポンと叩いてから影の空間に潜りました。

 そうだよね、小惑星を何とか出来たんだから、台風だって何とかしてやろうじゃないですか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る