第653話 嵐の予感

 守備隊の敷地に作られたプールのプレオープン初日は、一応無事に終了したようです。

 といっても、お客は僕らだけという感じで、ホントにオープンした時の参考になるのかと少々心配になりました。


 相良さん曰く、プレオープンの二日目は安息の曜日だし、守備隊員の家族も入れるようにするので混雑する予定だそうです。

 更に一週間後の本格オープンの頃には、学校が休みになるので多くの子供達が来ると予想しているそうです。


 でも、泳いだ経験の無い子供が、一気に集まっても大丈夫なのかな。

 守備隊の人が水泳教室とか開くのだろうか。


 大きな事故やトラブルは発生しなかったものの、いくつか問題点が発生したようです。

 その一つは日焼けです。


 一日中、水に入ったり、プールサイドで甲羅干ししたせいで、女性陣の肌が赤くなっていました。

 ただし、日焼けは言ってみれば火傷と同じなので、治癒魔術を掛ければ問題ありません。


 仕方ないなぁ、僕がみんなのお肌を守ってあげましょう……と思ったのですが、私が治療するから大丈夫と唯香に言われてしまいました。

 そうですか、さすがは唯香だよねぇ……。


 まぁ、唯香、マノン、ベアトリーチェ、セラフィマの治療は僕が担当しましたよ。

 それはもう、日焼けの跡も残さないぐらい隅々まで入念に治療させていただきました。


 どこで、どんな格好で治療したのかは秘密です。

 うん、美緒ちゃんやフィーデリアには見せられないよ。


 一夜が明けて、プレオープン二日目。

 本日も唯香達はプールに出掛けるそうです。


 相良さんから頼まれたからだそうですが、それならば僕も行くしかないですよね。

 悪い虫が寄って来ないように、邪な視線を向けてくる奴がいないように、シッカリ監視しなければなりません。


 本日も、所々に雲は出ているものの、雲間からは強い日差しが降り注いできます。

 これはまた、夜には日焼けの治療をしないといけませんね。


 家の前で空を見上げていたら、美緒ちゃんが抱き付いて来ました。


「お兄ちゃん、早く行こう!」

「はいはい、プールは逃げないから大丈夫だよ」


 今日は安息の日なので学校は休みだから、美緒ちゃんもフィーデリアもプールへ行く支度を整えています。


「どうした、ルジェク。体調が悪いの?」

「い、いいえ、大丈夫です」


 美緒ちゃんは今にも走り出しそうですが、ルジェクはドヨーンと落ち込んでいるように見えます。


「あぁ、ルジェクは泳ぐのは初めてなの?」

「はい、ずっと体も弱かったですし、里の近くには泳げる場所も無かったので……」


 ルジェクは生まれつき体が弱く、その治療のために姉のマルツェラは道を踏み外してしまいました。

 今は、僕が治療をしたから体調については問題無いはずですが、体力的にはまだ美緒ちゃんよりも劣っていそうです。


「それは、美緒ちゃんに教えてもらわないと駄目じゃないの? ねぇ、美緒ちゃん」

「まっかせなさい! ビシビシ鍛えちゃいますよ!」

「よ、よろしくお願いします、美緒様……あっ」

「まったく、いつになっても直らないんだから……」


 てか、美緒ちゃんがチューチューしちゃってるから直らないんじゃないの。

 まったく、朝からイチャイチャしてるとマルトたちにドーンされちゃうぞ。


 家の前にいると、コボルト隊やゼータ達がワラワラと集まってきます。

 レビンとトレノも大きな顔を擦り付けにきますが、ネロは……珍しく起き上って空を見詰めていますね。


 そういえば、猫って時々何も無い空中をじっと眺めていたりしますけど、まさか幽霊……だったら死霊術士でもある僕なら見えるはずですけど、何も見えませんね。

 二十秒ほど空を眺めていたネロは、ぐぐーっと伸びをしてから日陰に寝そべりました。


 うん、今の時間はあそこが一番涼しいんでしょうね。


「ケント様、ネロは何を見ていたのでしょう?」

「さぁ、僕にも分からないよ。フィーデリアは何だと思った?」

「私も何も見えなかったので……」


 もしかすると、フィーデリアは家族の霊がいるのではと思ったのでしょうかね。

 でも、フィーデリアの家族は、ちゃんと僕が弔って成仏したはずですから、そこにはいないと思います。


 唯香達が来たので、みんなで一緒にプールに向かいました。

 着替えを終えてプールサイドに出ると、ここにも空を見上げている人がいました。


「おはよう、綿貫さん。どうしたの?」

「おはよう、いや、風向きが昨日とは違うからさ、どうしようかと思って」


 綿貫さん曰く、焼きそばの匂いがプールに漂うように、昨日は屋台をセッティングしたそうなのですが、昨日は西風で、今日は北寄りの風が吹いているそうです。


「じゃあ、向こうにセッティングする?」

「いや、プレオープンだからここでいいよ。まだ本格的に出店するか決めてないし」

「そうなの? あの味だったら十分売り物になると思うけど」

「まぁ、物珍しいのも手伝っているんだろうけど、売れ行き自体は良かったよ。ただ、麺とかソースとか日本からの取り寄せだし、これ以上の量を作るとなると、ちょっと大変かなぁ」

「そっか……でも、焼きそばとか普通に屋台とか店先で売っても商売になると思うけどね」

「かもね。でも、あたしは焼きそば屋になりたい訳じゃないからね」

「それもそうか」


 綿貫さんは、ヴォルザードでケーキ屋を開くのを目標にしています。

 焼きそばは商売になるかもしれないけど、綿貫さんの夢ではないものね。


「相良さん、どうするのかな」

「さぁ? ただ、材料さえ揃えれば、焼きそばの調理自体はそんなに難しくないからね。八木の嫁とかに頼むのも手じゃないかな」

「ふむ、なるほど。まぁ、そこは相良さんに任せよう」

「国分のところのコボルトちゃんが売れば、バカ売れすると思うぞ」

「駄目駄目、焼きそばの匂いが染み付いちゃうよ」

「あぁ、それは確かに……昨日帰ったら体中が焼きそば臭かったもん」


 そういえば、八木家の家計ってどうなってんでしょうね。

 例のインタビュー記事も無料のサイトに掲載しちゃったみたいですし、レンタサイクル事業も軌道に乗ったという話も聞いていませんし、大丈夫なんですかね。


 異世界に召喚されたので、レンタサイクル事業を起こしてみる……みたいなエッセイでも書けば……売れないか。

 まぁ、マリーデの実家に余りにも負担が掛かるようならば、何か対策を考えないといけませんかね。


 プレオープン二日目ですが、プールにいる顔ぶれは昨日とあまり変わっていません。

 美緒ちゃんとルジェクがバカップルぶりを発揮しているのと、フィーデリアが加わったぐらいでしょうか。


 新旧コンビは、相変わらずフラヴィアさんをマークしてますが、たぶん君らじゃ望みは無いと思うぞ。

 そのフラヴィアさんですが、さすがに昨日の水着は過激すぎたのか、本日は普通のビキニ姿ですが、ボリューム感が凄いので過激さは相変わらずという感じです。


 それと、クラウスさん、マリアンヌさん、アンジェお姉ちゃんの姿は本日はありません。

 たぶん、クラウスさんがストップを掛けたんじゃないんですかね。


 そういえば、リカルダと近藤の姿が見えないと思ったら、もう一つのプールで水飛沫を上げながらザバザバ泳いでいるようです。

 なんか、全然色気を感じない風景ですけど、本人たちが良いなら外野がとやかく言うことじゃないですね。


 それよりも、僕ら以外のお客が入らないのは不味いんじゃないのかな……と思っていたら、家族連れといった感じの人が現れました。

 三十代半ばぐらいの男性と、美緒ちゃん達よりも少し年下に見える男の子、それに奥さんらしき女性と美緒ちゃんぐらいの女の子の姿もあります。


 監視員をしている守備隊の人と何やら親しげに話をしている所をみると、守備隊員の一家のようです。

 一家揃って準備運動をしながら、何やらこちらを向いて話をしているようです。


 奥さんらしき女性が一緒ですから、うちのお嫁さんに色目を使っている訳じゃないでしょうし、単純にプールで遊んでいる姿を見て参考にしようと思っているんでしょうかね。

 といっても、マノンとベアトリーチェに泳ぎを教えたり、水の中で鬼ごっこしたり、参考になるような事はしてませんけどね。


 準備運動を終えた一家は、お父さん以外はおっかなびっくりといった様子でプールへと入りました。

 男の子は、胸のあたりまで水が来るので、かなりビビっちゃってますね。


 女の子はと言えば、手を振りながら美緒ちゃんたちの方へと近付いて行きます。

 なんだかルジェクが日焼けした訳でも無いのに赤くなってる気がします。 


 ルジェク、視線を向ける方向には気を付けるんだよ。

 間違っても美緒ちゃん以外の女の子に鼻の下を伸ばすんじゃないぞ。


 こんな事なら、プールに入る前にアドバイスしておけば良かったけど、僕は遠くから見守っているからね。

 引っ掻かれてたり、抓られる程度はご褒美だと思って味わいたまえ。


 この後も、守備隊員の家族が次々に姿を見せて、お父さんが子供に泳ぎを教える光景が見られました。

 プールは娯楽の一環として、若者の出会いの場として出生率アップに役立てる……なんて話も聞いていますけど、今のところは家族のための慰安施設という感じです。


 でも、この子供たちが大人になる頃には、出会いの場として機能するようになるんじゃないですかね。

 この日のお昼は、美緒ちゃん、フィーデリア、ルジェクの三人は綿貫さん特製の焼きそば、僕らは家からマルトに運んで来てもらったサンドイッチをプールサイドで食べました。


「健人、なんだか風が強くなってきたね」

「うん、雲の流れ方も速くなってる」


 唯香の言うとおり、時折北から強い風が吹くようになってきて、雲が速く流れていきます。

 雲の流れを見上げていたら、足下からムルトがひょっこり顔を出しました。


「わぅ、ネロが嵐が来るって言ってるよ」

「えっ、ホントに?」

「夜には雨が降り出して、明日は嵐だって」


 出掛けてくる時に、ネロが空を見上げていたのは、嵐の接近に気付いていたからでしょう。


「マルト、綿貫さんが焼きそばを売り切ったら、屋台の片付けを手伝ってあげて。あそこに並んでるものは、全部影の空間に預かっちゃってもいいからね」

「わぅ、分かった。みんなで片付ける」

「うん、よろしくね」


 マルトをグリグリと撫でて送り出しました。

 さて、僕もちょっと偵察に行ってきましょうかね。


「唯香、ちょっと空から嵐のようすを偵察してくる。大きな台風とかだったら、早めに備えておいた方が良いからね」

「うん、分かった。私たちも、もう少ししたら家に戻るよ」

「うん、美緒ちゃん達をよろしくね」


 唯香、マノン、ベアトリーチェ、セラフィマを順番にギュってして、チュってしてから影の空間へと潜りました。

 さて、星属性の魔術を使って気象観測衛星になりますかね。

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