第646話 フィーデリアの想い

※ 今回はフィーデリア目線の話です。


 楽しい、楽しい、楽しい。

 ミオさんの持って来た水着には戸惑ったけど、メイサさんも一緒にお風呂場ではしゃぐのはとても楽しかった。


 最初はメイサさんが泳ぐ練習をするはずだったのに、お湯に顔をつけて目を開ける練習をしたぐらいで、あとはお湯を掛け合って遊んでいただけでした。

 ヴォルザードのケント様のお屋敷に来るまで、こんなにお風呂ではしゃいだり、暴れたりしたことは一度もありませんでした。


 入浴は、何人もの侍女たちに見守られ、髪を洗うのも体を洗うのも侍女任せで、今になって考えてみると人形のようでした。

 水遊びをしてはしゃいだ記憶は、城の内部に湖から水を引き入れた王族専用の水場で兄弟姉妹と遊んだぐらいでしょう。


 だから、思い出してしまったのです。

 楽しかった家族との時間を……。


「もう、酷いですミオさんも、メイサさんも、髪までビショビショです」

「大丈夫、フィーデリアはびしょ濡れでも可愛いから……ね、ミオ」

「うん、うん、メイサちゃんの言う通り……そして育ちすぎだ!」

「ちょ……ミオさん、何を……はぅん」


 突然ミオさんに胸を揉まれて、変な声が出ちゃいました。

 育ち過ぎと言われても、毎日ミオさんと一緒に同じ食事をしているだけですよ。


 というか、自分でも少し戸惑っているのに……。


「ひゃう! ビックリした。やったな、マルト!」

「わふぅ、メイサちゃんが泳ぎの練習しないで遊んでたってご主人様に言ってくる」

「駄目、駄目、ケントに言ったら駄目なんだからね」


 ミオさんとメイサさんだけでも賑やかなのに、三頭のコボルトが加わって更に賑やかになりました。

 お湯から上がったコボルトが、ブルブルっと体を震わせると、物凄い勢いで水飛沫が飛んできます。


 楽しい、凄く楽しいけど、ちょっと寂しい。

 家族との時間を思い出して涙がこぼれてしまったけれど、頭からズブ濡れだからミオさんとメイサさんには気付かれずに済みそうです。


 結局、最後まで泳ぎの練習はせず、遊び終えた後は水着を脱いで、体と髪を洗ってから上がりました。

 これならば、水着を着る必要は無かったようにも思えますが、きっと気分を盛り上げるのには必要だったのでしょう。


 お風呂から上がった後は、私が水属性魔法でみんなの水気を集めて落とし、メイサさんが風属性の魔法でシッカリと髪を乾かしてくれました。

 髪が乾くと、ミオさんがブラッシングして髪を編んでくれます。


 オーソドックスな三つ編みから、生え際を縁取るような複雑な編み込みまで、ミオさんは器用に私の髪を整えてくれます。

 そう言えば、昔一度だけ二つ上の姉が髪を編んでくれたことを思い出しました。


 泣きそうになるのをグッと堪えていると、ミオが誤解してくれました。


「フィー、眠くなっちゃった? ちょっとはしゃぎ過ぎて疲れちゃった?」

「そうですね、でもまだ宿題が終わっていませんよ」

「あー……それは思い出させないでほしかった」


 ミオさんへの返事は、メイサさんにダメージを与えたようです。

 夕食までは元気いっぱいだったメイサさんですが、宿題を始めた途端、眠気に襲われたようです。


 特に算術が苦手のようで、頭がカクっ、カクっと、前後左右に揺れていました。

 なんとか、最後の問題を解いたところで限界が来たようで、ベッドに倒れ込んだらすぐに寝息を立てていました。


「メイサちゃんは、毎日お店の手伝いしてるから、疲れてるんだと思う」

「そうですね。私も何度か手伝わせていただきましたが、とても疲れました」


 メイサさんの家は食堂を営んでいて、何度か無理を言って働かせてもらったのですが、本職のアマンダさんは勿論、サチコさんやメイサさんのように上手くできませんでした。

 王族だった頃は、やってもらうのが当り前で、自分で料理を配ったり、食べ終えた皿を下げたりするなんて思ってもみませんでした。


 そして、実際にやってみると大変さが身に染みて分かりました。


「ふわぁぁぁ……あたしも眠たくなっちゃった。先に寝てもいい?」

「はい、私もお手洗いに行ってから休みます」

「じゃあ、おやすみ、フィー」

「おやすみなさい、ミオさん」


 近頃、ミオさんが私のことをフィーと呼ぶようになりました。

 親しみを込めて呼んでくれていると分かっているし、全然嫌ではないのだけれど、やっぱり家族と過ごした時間を思い出してしまう。


 家族はみんな、私をフィーと呼んでいたのです。

 お手洗いに寄った後、ふっと思いついて階段を上ってリビングへ行ってみました。


 宿題を終わらせるのに少し時間が掛かったようで、リビングは灯りが消え、窓の外から差し込む月明りに照らされていました。

 月の光に誘われるように広いベランダへと出ると、先客がいました。


 とても大きなネロのお腹に寄り掛かって、ケント様は月を見上げていました。


「眠れないの?」

「はい、少し……」


 ケント様は、自分の隣をポンポンっと叩いて誘ってくれました。

 でも、私はケント様の両足の間に腰を下ろして、背中を預けるように寄り掛かりました。


「今夜は甘えん坊さんなんだね」

「はい……昔、まだ私が幼かったころ、こうして父に抱かれて月を見上げたことがあるんです」


 話しながら、私の瞳からは涙が零れて落ちましたが、拭うこともせず、お風呂場でミオさんとメイサさんと遊んだこと、家族を思い出したことを話しました。

 ケント様は、私をそっと抱え込み、話を遮ることなく、うん、うん、と頷きながら聞いてくれました。


「ケント様、国は……シャルターンはどうなりましたか?」

「ごめん、アガンソ・タルラゴスが死んだのを確認した後は、様子を確かめていないんだ。確かめれば手を貸してしまうと思うし、あまり手を貸し過ぎると僕の影響力が強くなりすぎると思ってね」

「そうですか……叔父上は、もう王都を取り戻しておられるでしょうね」

「たぶんね、ダムスク公は堅実な人だけど、アガンソがいなくなった王都を放置しておくとは思えないね」

「そうですね……」


 叔父上が王都を取り戻してくれたなら、私たち家族が幸せだった頃の王都に戻っているのでしょうか。

 もし、そうだとしたら……。


「帰りたい……」


 昼間、ミオさんとメイサさんと一緒に遊んでいた時から、大きくなっていた胸の中の思いが口をついて零れ出ました。


「ダムスク公の下で暮したい?」

「いいえ、許していただけるならば、私はずっとここで暮したいと思っています。でも、その前に故郷に別れを告げたいと思っています」


 このまま、なし崩しにヴォルザードの民となるのではなく、一度王都マダリアーガへと戻り、国に、街に、人に、そして湖に眠る家族に別れを告げたい。

 フィーデリア・カレム・シャルターンではなく、ただのフィーデリアとして生きていく決意を告げたい。


「分かった。それじゃあ、マダリアーガがどうなっているのか見て来てあげる」

「申し訳ございません、ワガママを言って……」

「この家に暮らしている人は、みんな僕の家族だと思っているから、このくらいは当然だよ。それに、フィーデリアはもっとワガママ言ってもいいんだよ」

「でも、私は命を助けていただいて、住む場所も、食べる物もお世話になっているのですから……」

「いいの、いいの、僕が勝手にやってることなんだから、負い目を感じることなんて無いんだよ。もし、僕に恩返しをしたいと思っているならば、フィーデリアがやりたいことや、こんな風に生きてみたいという目標を見つけて、そこに向かって進んでいって」

「目標……」

「うん、生きる意味とか、生き甲斐みたいなものかな」

「生きる意味……」


 ケント様は、Sランク冒険者として多くの人から頼りにされています。

 ユイカ様も、治癒士として腕を振るっていらっしゃいます。


 マノン様は、治癒院の管理で頼りにされていらっしゃるそうです。

 ベアトリーチェ様は、領主であるクラウス様の手伝いをしながら、ケント様の業務管理や報酬の交渉を行っているそうです。


 セラフィマ様は、お屋敷の管理全般を行っています。

 メイサさんは、実家の食堂を継ぐのが夢だとおっしゃっています。


 それに比べて私は、王族として与えられた道を歩いてきただけで、自分から何かをしたいと考えたことがありませんでした。

 こんな状態で別れを告げに行っても、亡くなった家族は心配するだけでしょう。


「ケント様、やっぱりマダリアーガに行くのは、もう少し先にしてもらっても良いですか?」

「勿論、フィーデリアの行きたい時で構わないよ。なんなら、今すぐだって行って来られるよ。ただ、時差があるからマダリアーガは真夜中だと思うけどね」

「私の心が定まってからにしようと思っています」

「そっか……でも、王都の情勢は調べて来るつもりだよ。海を挟んでいるとはいえ、シャルターン王国は隣国だから、情報収集は必要だからね」

「それでは、マダリアーガに行かれましたら、城や町の様子を見てきていただけますか?」

「そうだね、ちょっと撮影してくるよ」

「はい、お願いいたします」


 ケント様の暮らしていた世界は、シャルターン王国よりもヴォルザードよりも遥かに文明が進んでいて、見たままの景色を写し取る技術があります。

 ミオさんに何度も見せてもらっていますが、まったく違う場所をその場にいるように見られるのは驚きです。


 あの技術を使えば、マダリアーガの今の様子も見られるでしょう。


「フィーデリア、寒くない?」

「はい、大丈夫です……」


 昼間は汗ばむ陽気になりましたが、森に近いヴォルザードは日が落ちると空気がヒンヤリとしてきます。

 でも、大丈夫と答えたと同時に、寝巻一枚の姿で殿方と、ケント様と触れ合っていると気付いたら、急にドキドキしてきました。


「私は……ヴォルザードに来て、たくさんの方に優しくしていただいて、本当に幸せです」

「僕もそうだよ。ヴォルザードに来てから、本当に幸せな日が続いているんだ。僕は、この幸せを守っていきたい。勿論、その幸せの中にはフィーデリアも含まれているからね」

「はい、ありがとうございます」


 この場所は、ケント様の奥方であるユイカさん達やメイサさんの場所なのでしょうが、今夜だけ、今だけは私に独り占めさせてください。

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