第640話 リントナーの対応

 屋敷の玄関に到着したリーゼンブルグ王国の先遣隊の面々は、ほーっと息を吐いて額の汗を拭った。

 リントナーが門の方向へ振り返ると、ケントの眷属たちが思い思いの場所へと戻っていくのが見えた。


 結局、集まってきた眷属には指一本触れられなかったが、自分を一呑みにしてしまいそうな巨大な魔物に息が掛かる距離から見詰められて、緊張するなという方が無理な相談だ。


「た、隊長、あれが本気で暴れたら、どうなってしまうんですかね?」


 震える声で訊ねてきた部下に、リントナーは首を横に振ってみせた。


「考えたくもない。ストームキャット一頭だけでも我々では手に負えないのだ。そこにサラマンダーやギガウルフが加わったら、止められる者など存在しないだろう」

「つまり、カミラ様の輿入れは……」

「正しいご判断だということだ」


 リーゼンブルグ王国騎士団の総力を結集しても、あっさりと一蹴されてしまいそうな戦力を保持している個人と事を構えるなど愚の骨頂だ。

 恒久的な和平を結ぶためならば、一国の王女を差し出すのも止むを得ない措置だとリントナー達は考えていた。


 実際には、ケントとカミラが心と体を交わした結果なのだが、セラフィマやベアトリーチェを娶っているという事実が政略結婚であると思わせているようだ。

 屋敷の玄関をくぐってホールに入ったところで、ケントが両手を広げて微笑んだ。


「ようこそ、僕の屋敷へ。アルダロスの王城に比べたら規模は小さいですが、中の造りは悪くないと思っています」


 リントナーが慌てて部下を整列させながら答えた。


「お招きいただきありがとうございます。カミラ様もこちらで暮されるのですか?」

「そうですよ。他のお嫁さんと同様に個室を用意してあります。それぞれ警護と身の回りの世話をする二人の女性がついています。カミラにも、お付きの人は二名にしてほしいと伝えてありますが……」

「はい、うかがっております。既に人選は済んでいると聞いております」

「そうですか、まぁ詳しい話はクラウスさんが来てからにしましょう。とりあえず宿泊する部屋に案内させますので、旅塵を落としてくつろいでください」


 ケントが左手で促した方向を見て、リントナー達はまた目を見開かされた。

 いつの間にか六頭のコボルトが現れていて、その足下にはリントナー達の荷物が置かれていた。


「荷物を確認してください、部屋までは僕の眷属がお運びします」

「あ、ありがとうございます」

「会談の準備が整いましたら知らせます。なにか必要な物があれば、その場で声に出してもらえば対応します」

「その場で……ですか?」

「ええ、皆さんには担当のコボルトをつけておきますから、水を下さいとか、軽い食事が欲しいとか言ってもらえば対応しますし、ボディーガードの役目も果たしますから安心して下さい」

「あ、ありがとうございます」


 何の疑問も持たずに微笑むケントに対して、リントナー達は引き攣った笑みを返した。

 ケントとしては、好意で二十四時間対応のコボルト隊を配置したのだが、リントナー達からすれば四六時中ケントの監視下におかれているような状態だ。


 リントナー達は、宿舎では見学した場所の感想や問題点を指摘し合うつもりでいたが、話がケント側に筒抜けでは気の休まる時間が皆無となってしまう。


「隊長、どうしますか?」

「開き直るしかないだろう。我々は敵情視察に来ている訳ではない。先遣隊としての責務に集中すれば良いだけだ」


 リントナー達は、メイド姿のマルツェラに案内されて宿舎へと移動した。

 屋敷で働く者のための宿舎の使われていない部屋を来客用に改装した部屋だ。


「隊長、こんな豪華な部屋を一人で使っても構わないんですか?」

「魔王様のもてなしを拒む訳にはいかないだろう」


 元が従業員用の宿舎なので、日本風に言うと2LDKの造りになっている。


「全員、荷物を置いて汗を流したら、着替えて私の部屋に集まれ」

「はっ!」

「少し対応を考えよう」


 リントナー達が旅装を解いてシャワーを浴び始めた頃、ケントはギルドの執務室にクラウスを訪ねていた。


「隊長に部下五名……平均的な構成だな」

「はい、僕の屋敷の宿舎に案内してあります」

「馬はどうした?」

「馬は眷属がいるから近付けないので、守備隊の厩舎に預けてあります」

「そうか、顔見知りはいたか?」

「いえ、知らない顔ばかりでしたが、敵対心みたいなものは感じられませんでした」

「そりゃそうだろう。お前とカミラ王女の輿入れの相談に来てるんだ。破談になりかねないトラブルメーカーなんか送って来ねぇよ」

「だとは思いますけど、まだ僕とカミラの結婚に反対する勢力もゼロという訳ではないみたいですからね」

「はぁ? いまだにそんな事をぬかす奴がいるのか?」

「王位継承争いにケリが付いて、今度はいかに王家に擦り寄るかで鎬を削っているみたいです」


 第一王子派、第二王子派に別れて派閥争いをしていたリーゼンブルグの貴族たちは、今度は唯一生き残った第四王子ディートヘルムに娘を嫁がせようと躍起になっている。

 それと同時に、年頃の娘を持たない者は、カミラを我が家の嫁にと画策している。


 そうした者達が、己の利益のために何やかやと屁理屈を捏ねてケントとカミラの結婚に待ったを掛けようとしているのだ。


「どいつもこいつも、あれだけの混乱を引き起こしたってのに、まだ己の利益を優先しようと考えてんのか? 呆れ返るな」

「どちらかと言うと、元第一王子派の方に多いみたいですね。砂漠化の対策は進めているみたいですけど、一度砂に埋もれた土地は元のような耕作地として使えるようになるまでに時間が掛かるみたいです」

「収入が減っている部分を王女を嫁に取ることで補おうってか? 浅はかにも程があるな」

「まぁ、カミラは僕にぞっこんですし、輿入れがなくなることはありませんけどね」

「この野郎……よくも俺やリーチェの前で、そんなふざけたセリフが吐けるな」


 それまでのにこやかな表情を引っ込めてクラウスが凄んでみせるが、ケントがビビった様子は無い。

 ケントは、お茶の用意をした後で横に座っていたベアトリーチェの腰に手を回して引き寄せた。


「そりゃあ、僕はリーチェにぞっこんですから」

「はい、私もケント様にぞっこんですわ」

「へーへー、そうですか……まったく、ヴォルザードに来た頃は俺に怒鳴られてベソかいてたガキが、こんなに太々しくなるとは思ってもみなかったぜ。それで、会談はお前のところでやるのか?」

「はい、食事も用意してますんで、こちらの業務が終わったら……こちらの業務が終わったら、お越しください」

「こいつ……本当に性格悪くなりやがったな」

「そうでしょうか? 僕は尊敬する領主様を見習っているだけなんですけど……」

「あーあー、分かった分かった、こっちの業務が終わったら行ってやるよ」

「はい、ちゃんと美味い酒と肴を用意しておきますから」

「まったく、憎たらしいガキになりやがって……」

「お褒めの言葉と受け取っておきます」

「分かったから、帰れ! 仕事の邪魔だ!」


 クラウスが野良犬でも追い払うように手を振ると、ケントは苦笑いを浮かべながらベアトリーチェを引き寄せた。


「あとでね……」

「はい、ケント様」


 見せつけるように口づけを交わす二人に、クラウスは盛大に舌打ちして顔を顰めた。


 ケントがクラウスと会っている頃、リーゼンブルグの先遣隊もリントナーの部屋に集まっていた。

 少し対応を考えようと部下を集めたものの、リントナー自身が無駄な対応は放棄しようという考えに傾いていた。


「隊長……対応は?」

「いや、特別なことをしようなんて考えるのは止めよう」

「ですね……なんて言うか、王族とか上級貴族になれば、こんな暮らしができるのかな……なんて考えちゃいました」


 リントナーの顔色を窺いながらジンメルが言葉を漏らすと、他の隊員からも同調する言葉が聞こえてきた。


「あの、ボディーソープというのは凄いな」

「おう、汗の脂がスッキリ落ちたぞ」

「シャンプーとコンディショナーもだ」

「俺、貴族の令嬢よりもサラサラの髪になってる気がするよ」


 ケントが日本から取り寄せたものだから、驚くのも当然だろう。


「隊長……それ、開けてみても良いですかね?」


 ジントンが指差したのは、リビングのテーブルに置かれた菓子だ。

 リーゼンブルグでは見たこともない色鮮やかなパッケージが、隊員たちの興味を惹き付けてやまない。


「構わん、開けてみろ」

「はい、じゃあこっちを……」

「どうせ開けるなら、両方開けてしまえ」


 ここにきて開き直ったリントナーに指示されて、隊員たちが菓子の箱を二つとも開ける。

 一つは、きのこを模したチョコレート菓子で、もう一つは、たけのこを模したチョコレート菓子だ。


「うおぉ、なんだ、これは……」

「仄かな苦みと得も言われぬ香りと甘味、それにカリっとした歯ごたえ」

「こちらは、サックリとした歯ざわりで共に溶けていくようだ」

「俺は、この歯ごたえが好きだな」

「いいや、この一体感こそが素晴らしい」


 部下たちが奪い合うようにして食べ、どちらが美味いか言い争う様を見て見て、リントナーは溜息をついた。

 戦力という部分では敵わないと言い聞かされてきたが、実際に見せつけられて度肝を抜かれ、細かな日常生活の部分でも大きな差を見せつけられる。


 リントナーは改めて、カミラがケント・コクブへの輿入れにこだわる理由を思い知らされた気分だった。

 リントナーが先遣隊の隊長に選ばれた理由は、輿入れ推進派でもなく、反対派でもない中立な立場だったからだ。


 実績、戦力を考えれば、輿入れすべきだという考えも理解できたし、一国の王女がたとえSランクの冒険者であっても平民に嫁ぐなど有り得ないという考えも理解していた。

 だが、街道の整備、野営地の整備、出迎えの眷属、宿舎での持て成し……どれを見ても輿入れすべき、敵対は避けるべきだと示している。


 この先遣隊が、反対派にとっては輿入れ取り止めを進言する最後のチャンスだったのだが、既に答えは決した。


「いいか、お前ら、輿入れの条件についてはケント・コクブ様とヴォルザードの意向を全面的に支持する。リーゼンブルグ王国としてどうしても譲れない部分は、俺が交渉するから余計なことを口にするな。俺はサラマンダーに食われるのは御免だからな」

「はっ! 了解しました!」


 隊員たちは姿勢を正して答えた後、きのこたけのこ論争を再開した。

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