第639話 先遣隊
「隊長、時間です」
「そうか、全員を起こせ。静かにな……」
「はっ!」
リントナー・ヒュフナーは既に目覚めていたが、部下の働きを確認するために目を閉じて眠ったふりを続けていた。
警戒を行っていたジンメル以外の部下も起き出したようだが、天幕の外はまだ薄暗い夜明け前だ。
リントナーは、リーゼンブルグの王女、カミラ・リーゼンブルグの輿入れに際し、道中の安全を確認する先遣隊の隊長を務めている。
目的地であるランズヘルト共和国ヴォルザードまでの安全と受け入れ態勢が確認出来次第、輿入れの行列が王都アルダロスを出立する予定だ。
ここはリーゼンブルグ王国とランズヘルト共和国の国境となっている魔の森の中央部分で、これまでは呑気に眠りにつけるような場所ではなかった。
リントナーが手早く身支度を整えて天幕を出ると、そこには多くの馬車が停まっていた。
「隊長、朝食の支度が出来ています」
「ご苦労、いただくとしよう」
リントナーはお茶と携帯食だけの簡単な食事を口にしながら、改めて周囲の様子に目をやる。
ざっと見ただけでも、五十台ぐらいの馬車が停まっていて、中にはリントナー達と同様に出立の準備を始めている者もいる。
馬車が止まっている敷地の周囲は高く頑丈な壁に囲まれていて、出入口は街道へと通じる一ヶ所だけ、そこにも頑丈な門が設けられている。
昨日の夕方に到着してから、何度も何度も確認しているが、とても個人が作ったものとは思えなかった。
「凄いものですよね。たった一人で魔の森のど真ん中に、こんな城壁を築いてしまうなんて」
先程リントナーを起こしたジンメルが、少し呆れたような口調で話し掛けてきた。
「まったくだ。しかも、昨日聞いた話では、街道の向かい側の城壁は二日で造られたというのだから驚くしかないな」
「今日は、その本人にお会い出来るのですよね?」
「予定通りならばな」
「どんな方なんですかね?」
「さて、私も遠めに拝見したことしかないが、外見はどこにでもいそうな少年という感じだったぞ」
「そうなんですか? 自分は筋骨たくましい偉丈夫だと聞いてますが」
リーゼンブルグ王国で『魔王』と呼ばれているケント・コクブについては、様々な噂が流布されている。
闇属性の魔術を極め、ストームキャットやギガウルフなどの魔物を手足のごとく使役するとか……影に潜って神出鬼没に、どこへでも現れるとか……。
その外見は見上げるほどの大男だと言う者もいれば、どこにでもいそうな少年だと言う者もいる。
リントナーは、一度だけ見かけたことがあるのだが、その時には当人だとは気付かず、あとになって知らされて驚いた記憶がある。
見上げるほどの大男ならば、もっと印象に残っていたはずだから、どこにでもいる少年という説に賛同しているだけだ。
それとリントナーは、上司であるゲルト・シュタールからも、平凡な見た目に騙されて失礼な態度をとるなと厳命されている。
朝食を終えたリントナー達は、天幕を畳んで乗って来た馬に分けて積み込み、明るくなるのを待って野営地を出立した。
野営地に泊まっていた者達が、物珍しそうにリントナー達を見送っている。
リーゼンブルグ王国とランズヘルト共和国は戦争状態ではないが、友好関係を結んでいる訳でもない。
民間の往来は許可されているが、国同士の往来は殆ど無いので、騎士がこの場所に居るのは珍しいのだ。
リントナー達は街道を東に向け、ゆっくりと馬を走らせていく。
ヴォルザードまでは、急げば半日も掛からない距離であるし、道中の安全を確認する役目もあるからだ。
「全員、油断せず周囲の様子を確認しろ。何か気付いたら、すぐに知らせろ!」
「はっ!」
部下を引き締めるために命令を下したが、実際のところ危険があるとは思えなかった。
魔の森を抜ける街道は、リントナーが知らされていたものとは全く変わっていた。
路盤は綺麗に整えられ、道幅は大型の馬車が減速せずにすれ違えるほど広い。
さらに道の両側は、道幅と同等以上の広さの草地になっていた。
草地の先の森も、灌木が刈り取られて見通しが利くようになっている。
この状態ならば、木立の間から魔物に不意打ちされる心配はない。
「隊長、オークです!」
二列縦隊で進む左前方に位置した部下が木立の中を指し示す。
確かに、オークらしき影が見える。
「総員戦闘準備!」
隊列にピリッとした空気が漂うが、距離が近づくとオークは背中を向けて森の奥へと姿を消してしまった。
拍子抜けしたように隊列の空気が緩むのをリントナーは見逃さなかった。
「まだ気を抜くな! あいつは偵察で別の連中が待ち構えてるかもしれないぞ!」
「はっ!」
オークやオーガ、それに稀にゴブリンも偵察や待ち伏せを行うことがあるが、その後オークは現れず、リントナーの杞憂に終わった。
リントナー達は途中の小川で馬を止め、水を飲ませて休ませた。
小川の周辺も、見通しが悪くなるような木々は伐採され、草地の周りには鉄の杭まで打ち込まれていた。
魔物の多くは、刃物を連想させる鉄の匂いを嫌う。
気休め程度ではあるが、魔物除けとして設置されているらしい。
「隊長、ここは本当に魔の森なんですかね?」
「言いたいことは分かるぞ、私もこんなに整備されているなんて知らされていなかったからな」
「リーゼンブルグ国内の道よりも安全な気がします」
「そうだな」
ジンメルの言う通り、この街道よりも見通しが悪くて危険だと感じる道は、リーゼンブルグ国内にいくらでもある。
「これもケント・コクブが整備してるんですかね?」
「さぁな、それヴォルザードの領主に会った時に聞いてみるとしよう」
少なくとも、リーゼンブルグ王国が街道を整備したとは聞いていない。
あとすれば、残る選択肢はランズヘルト共和国が行ったか、ケント・コクブの手によるものかのどちらかだ。
リントナーはヴォルザードに到着次第、領主クラウス・ヴォルザードに面会を申し込む予定だ。
その席で確かめれば、誰が街道を整備したか明らかになるはずだ。
リントナー達は二度の休息を挟み、午後の早い時間にヴォルザードに到着した。
途中で隊列を組みなおし、それまで殿にいたリントナーが先頭に立つ。
リントナーは、開門を求める口上を頭の中で繰り返していたのだが、辿り着いたヴォルザードの門は開け放たれていた。
城門の上には見張りの兵士が目を光らせているが、魔物の侵入を防ぐために固く閉ざされているはずの門は大きく開かれている。
その門の中央に、鎧姿の騎士と銀髪の少年が佇んでいるのに気付いたリントナーは、門の手前で隊列に停止を命じた。
「止まれ! 総員下馬!」
「はっ!」
五人の部下は、戸惑いつつも命令に従って馬を降りた。
リントナーは自分の馬の手綱を部下に任せ、銀髪の少年に歩み寄って跪いた。
「ケント・コクブ様でいらっしゃいますね。私はリーゼンブルグ先遣隊の隊長を任されました、リントナー・ヒュフナーと申します」
「ようこそヴォルザードへ、僕がケント・コクブです。どうぞ、楽にしてください。こちらは、ヴォルザード守備隊第三部隊の副長のバートさんです」
「バートです、ようこそヴォルザードへ」
平凡な少年だと聞いてはいたが、本当に平凡な少年の姿にリントナー達は戸惑っていた。
「それでは、皆さんの荷物はここで一旦お預かりいたします。馬は守備隊の厩舎で預かっていただく手筈になってます」
「えっ……ここで、ですか?」
「はい、うちの眷属が運びますから、御心配なく」
「わ、分かりました……」
リントナー達は、半信半疑の面持ちで、それでもケントの言葉に従って鞍から荷物を下ろした。
荷物を下ろした馬は、控えていた守備隊員たちが引いていき、取り残されたリントナー達は顔を見合わせた。
「それでは、ご案内しますね」
「あの、荷物は……えぇぇ!」
道の上に下ろした荷物が、影に沈み込むように消え去るのを見て、さすがにリントナーも驚きの声を上げた。
「ご心配なく、ちゃんとお返ししますよ。さぁ、こちらです」
「はぁ……」
キツネにつままれたような表情のまま、リントナー達はケントの後を追って門を潜った。
そのまま門前の広場を通り抜け、北側へと向かう道に入って少し進んだら、ケントは城壁に作られたトンネルへと足を踏み入れていく。
「ただいま、ザーエ」
「おかえりなさいませ」
「こちらは、リーゼンブルグの先遣隊の皆さんだよ」
「ようこそいらっしゃいました」
「ど、どうも……」
流れるように洗練された動きで敬礼するリザードマンに、リントナー達は圧倒されている。
「ケント様、ここは……」
「僕の家だよ。カミラにも、ここで暮らしてもらうから、見ておいてもらおうと思ってね」
「そうでございます……えぇぇ!」
ケントに続いて門を潜り、敷地内に足を踏み入れたところでリントナー達は棒立ちになった。
サラマンダー、ギガウルフ、コボルト、木陰にはストームキャットの姿まであれば、足を止めるのも当然だろう。
屋敷までは僅かな道程だが、巨大な魔物に品定めされながら歩く時間は、リントナー達とっては何倍にも長く感じられた。
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