第638話 魔の森の野営地

 俺の名前はヤーグ、ヴォルザード生まれの二十二歳で、仲間二人と居酒屋を開いている。

 場所は……魔の森のど真ん中だ。


 こんな話を二年前にしたら、寝言ほざいてるんじゃねぇ……って言われるのがオチだっただろうが、正真正銘、俺達の店は魔の森のど真ん中にある。

 といっても、周囲は頑丈な城壁に囲まれていて、魔物はコボルトをたまに見かけるだけだ。


 そのコボルトも、理由無しに人を襲ったりしない。

 それどころか、他の危険な魔物や常識はずれのならず者を懲らしめてくれる。


 そう、俺がいる場所は、ランズヘルト共和国とリーゼンブルグ王国を結ぶ街道の中央につくられた野営地の中だ。

 信じられない話だが、ここはたった一人の冒険者が作り上げた場所で、街道を行き交う人々が安全に野営を行えるように開放されている。


 ここを使うには、いくつかのルールを守る必要がある。

 一つ、互いに譲り合い、場所を占有しないこと。


 俺達の店と言ったが、実情は幌馬車を改造した店だ。

 場所の占有が禁じられているので、普通の店を建てることは禁じられている。


 ちなみに、守らないとコボルト達に壊される。

 建て始めた時点で注意され、それでも従わずに建てていると……完成したところで壊される。


 しかも、建築資材はどこへともなく消え去ってしまうのだ。

 俺達の店も、雨でもないのに二日続けて同じ場所で営業していると注意される。


 翌日は、大人しく場所を変えて営業しているので、いまのところ店を壊されたことは無い。

 ちなみに、身の程知らずの連中が、誰に断って店出してんだ、払うもの払いやがれ……なんて絡んでくることがあるが、俺が金を用意する間も無く、コボルト達が片付けてしまう。


 身の丈ほどもある大剣を抜き放った屈強な男が、棒きれ一本持っただけのコボルトにボコボコにされて、野営地の外に捨てられたこともあった。

 とにかく、めっちゃくちゃに強いし、速いし、影の中から飛び出してくるから手に負えない。


 ボコボコにされた連中は、ズボンとパンツを脱がされて、股間をリボンで飾られた状態で捨てられるそうだ。

 次やったら切り落とすという警告を書いた紙きれが置かれているらしい。


 飼い主に仕込まれているのだと思うが、警告を破ってまで繰り返すような猛者はまだいないようだ。

 この他にも、トイレは綺麗に使えとか、夜間に門で焚く薪を提供しろといったルールがあり、殆どの者が守っている。


 守らなければ痛い目をみるし、守ればみんなが快適に過ごせるからだ。

 正直、この中で過ごしていると、ここが魔の森の中だなんて忘れてしまうほど平和だ。


 俺達が売っているのは、豚肉の串焼きと煮込み、それに酒だけだ。

 メニューは乏しいけれど、面白いように売れる。


 野営をする連中は、少しでも楽をしたいものらしく、多少高くとも手間を省ける方法を選択するらしい。

 もともとは、ヴォルザードの歓楽街にある酒場で働いていたのだが、いつまで経っても自分の店は持てそうもないし、何か稼げる方法は無いかと思っていた時に、この野営地の話を耳にしたのだ。


 曰く、ヴォルザード並みの城壁に囲まれている。

 曰く、魔物使いケント・コクブが作ったらしい。


 滞在するのにも金は掛からず、街道に現れる魔物の数も激減している。

 ヴォルザードとラストックの間を行き来する人が、日に日に増えていっている状態だと聞いた時、この商売を思いついた。


 冒険者をやっている友達に声を掛けて準備を進め、始めてから一ヶ月で元手を回収できた。

 今は、この商売で稼げるだけ稼いで、いずれはヴォルザードに自分の店を持ちたいと思っている。


 魔の森の真ん中で店を始めると言ったら、親父やお袋に猛反対されたが、今では一定の理解をしてくれているようだ。

 それでも、さっさと稼いで街に戻れとは言われているし、俺もそのつもりでいる。


 夜中まで営業を続けて、ざっと片付けて馬車の片隅で眠り、朝起きたら場所を移動して仕込みを始める。

 殆どの馬車は夕方前に到着して、翌朝早くには出発してしまうから、次の場所を確保するのは難しくない。


 俺と同じように馬車を使って商売をしている連中も増えてきたが、そこは互いに譲り合いの精神で場所を融通しあっている。

 場所取りで口論を始めようものなら、影の中からコボルトがひょっこり現れて、小首を傾げながら揉めてるのかと聞いてくるのだ。


 たとえ殴り合う寸前になっていても、満面の笑みを浮かべて揉めてなんかいない、ちょっと相談が白熱しただけだと答えなければならない。

 コボルトに食って掛かった奴は、馬車ごと野営地の外に放り出されて出入り禁止を食らっていた。


 場所を移動して仕込みの作業を続けていると、仲間のワズディンが戻ってきた。


「ヤーグ、材料を仕入れて来たぞ」

「おぅ、魔物に襲われなかったか?」

「全く問題ないな、ゴブリン一匹見掛けなかったぞ」

「そんな話を聞いてると、ますます魔の森って感じがしなくなるな」

「まぁな、ところで、あっちの城壁気付いてるか?」

「城壁って、どこの?」

「街道を挟んだ向かい側だよ」


 ワズディンは仕入れ担当で、この野営地とヴォルザードを行き来しているが、俺は殆どここから出ていない。

 野営地の外の様子はたまに覗きに行くが、それでも一週間ぐらいは出ていないだろうか。


「街道を挟んだ向かい側って、草地の向こうは森じゃないのか?」

「あぁ、昨日の朝、俺がここを発った時には森だったんだが、今日帰ってきたら城壁が出来上がってた」

「はぁ? 二日で城壁が出来る訳ねぇだろう」

「だったら見て来いよ」


 ワズディンに言われるままに野営地の出入口へ向かうと、その途中で既にみんな口々に城壁について話をしていた。

 そして、野営地の出入口に着くと、道を挟んだ向かい側に城壁が立っているのが見えた。


 城壁だけではなく街道からの道も、城壁を囲む堀まで出来ているようだ。

 しかも、こちらに見えている部分だけかと思ったら、確かめに行った奴が、こちらと同等の広さの敷地をグルっと囲む城壁が出来上がっていると話している。


「マジかよ……たった二日で作れるものなのかよ」


 周りにいる連中も、驚きを隠せないでいるのと同時に、向こうは何時から使えるようになるんだと気の早い話をしてる者までいる。

 確かに、昼間は閑散とする野営地だが、夕方から夜にかけて続々と馬車が入ってきて、最近は混雑する日が続くようになっている。


 新しい野営地が出来れば混雑が緩和されるし、商売のチャンスも広がるかもしれない。


「中はどうなってんだ?」

「てか、入口が無いぞ」


 周りの連中が言う通り、城壁も、堀も、道も出来上がっているが、肝心の出入口が無い。


「まだ中の設備が出来上がっていないんだろう。さすがに二日で全部は出来ねぇよ」

「だけど、こんな城壁をたった二日で作っちまうなんて、魔物使いってのは恐ろしい奴だな」

「そうだぜ、下手にイキがってると、股間をリボンで飾られちまうぞ」

「あれだけは勘弁だ。ヴォルザードでもラストックでも暮らせなくなっちまうよ」


 コボルトにボコられて、股間リボンで晒し者になった連中は、歓楽街から弾き出された連中だったそうだが、その後ヴォルザードでは見かけなくなったらしい。

 あんな姿を晒したら、普通の神経では元の場所では暮らせないだろう。


「なっ、俺の言った通りだっただろう?」


 馬車に戻ると、ワズディンがドヤ顔で話し掛けてきたが、こいつが自慢する理由が思いつかない。


「確かにすげぇな、魔物使いって、俺らよりも年下なんだろう?」

「たしか、十六、七だろう? それでSランクで、あの豪邸の主で、嫁が四人、しかもバルシャニアの皇女様に、ベアトリーチェ様もだろう……かーっ、羨ましいぜ」

「そんな雲の上の話をしてる暇があったら、酒樽の交換するぞ。俺らは地面を這いつくばりながら、ほんのちょっと上を目指すしかねぇんだよ」

「だよなぁ……でもよ、俺も可愛い嫁さんが欲しいぜ」

「だったら、ちっとは貯金しろ」

「失礼な、この仕事を始めてから、ちょびっとだが貯金もしてんだぞ」

「ほぉ……だったら、その貯金が増えれば嫁が来るかもしれねぇぞ」

「そうか、じゃあ給料上げろ」

「ふざけんな! 俺のが手取りは少ないんだからな」

「じゃあ、嫁を貰うのは俺のが先だな」

「はぁ……それでいいから、さっさと酒樽を交換してくれ」

「かしこまりました、店主様」


 ワズディンは、気のいい奴なんだが、ちょっとばかっり軽率な性格が玉に瑕で、ちょいちょい女に騙されている。

 俺からすれば、どこが良いんだと思うような女ばかりなんだが、何度言っても直りそうもない。


 たぶん、嫁を貰うのは俺の方が先だと思う……というかワズディンよりも後は嫌だ。


「ヤーグ、おいヤーグ! 見てみろ、リーゼンブルグの騎士だぜ」


 ワズディンが指差す方へと視線を向けると、甲冑の銅金と兜、騎士服姿の六人が、馬に乗って野営地に入って来たのが見えた。

 騎士達は、物珍しそうに野営地の様子を眺めている。


 ラストックとヴォルザードの間は、馬を飛ばせば一日で辿り着ける距離だ。

 馬車で移動する者は、この野営地で一泊していく方法が当たり前になっているが、騎士ならば泊まる必要は無い気がするのだが……。


 騎士達はそのまま進んで来て、俺達から少し離れた場所で馬から降りた。

 六人の中から腕章を付けた騎士が歩み寄ってきて、俺に話し掛けてきた。


「すまない、少しものを尋ねたいのだが、ここは誰でも使える場所なのか?」

「え、えぇ、いくつか決まり事はありますが、それさえ守れば誰でも使えます」

「そうか、使用料とかは取られないのか?」

「はい、夜間に出入口に焚く篝火用の薪を提供するぐらいですね」

「誰か、指示をする者がいるのか?」

「いいえ、居ませんけど……悪さをするとコボルトに懲らしめられます」

「コボルト! それは、ケント・コクブ様の眷属のコボルトか?」

「そうです、喋るコボルトです」

「そうか……なるほど……」


 俺と騎士が話していると、そのコボルトがひょっこり現れた。


「カミラのところの人?」

「はっ、そうであります!」

「カミラが来る時には、あっちを使えるようにするから大丈夫だよ」

「おぉ、それで向こう側にも城壁があるのですね」

「そうそう、詳しいことはヴォルザードでご主人様が伝えるって」

「かしこまりました。それでは、明日お伺いいたしますとお伝え願いますか」

「うん、分かった。大丈夫だと思うけど、気を付けて来てね」

「はっ!」


 六人の騎士がビシっと敬礼すると、コボルトも普段の緩い感じからは考えられないぐらい、キッチリとした敬礼をしてから影に潜っていった。

 騎士達のコボルトへの態度にも驚かされたが、この後、煮込みと串焼きを買いに来た騎士から、リーゼンブルグの王女様がケント・コクブに嫁入りすると聞かされて、ワズディンと二人で絶句させられてしまった。

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