第636話 カルツの苦悩

※ 今回は守備隊の隊長カルツさん目線の話です。


 二日前、フラヴィアの店から箱詰めにされた水着が届いた。

 真っ赤な半ズボンには、横に黒い幅広の線が入れられ、左の裾にヴォルザード家の紋章が刺繍されている。


 水着は隊員全員に配られ、本日より水泳の訓練が始められる。

 講師を務めるのは、プールの企画を立案したタカコと友人のミドリの二名だ。


 いきなり水着姿の女性を目にして、隊員達がどのような反応を示すのか不安なので、今日は真面目な性格の隊員を十名選抜してある。

 そこに俺とバートを加えた十二名で先に訓練を受け、泳ぎを覚えた者が他の隊員にも泳ぎを指導する計画だ。


 既に完成したプールには三日前に水が張られ、水漏れが無いか、浄化の魔道具がキチンと作動するかなど細かいチェックも済ませてある。

 汗ばむ気温の中で作業に関わった隊員達は、満々と水を湛えたプールを眺め、早く浸かりたいと異口同音に話していた。


 実際、俺も炎天下で訓練をやるよりは、涼しい水の中で訓練を受けたいと感じている。


「なるほど、この内側の伸縮する布の部分が、包み込んで動かないようにするんすね」


 水着に着替えたバートが、腹回りを広げて内部の収まりを確認している。

 タカコが水の中で動きやすいように作ってあると言っていた通り、外の素材には水を通しやすくて肌に張り付きにくいものを使い、内部には伸縮性のある素材が使われている。


 この伸縮する素材が、男の象徴を包み込んで押さえる訳だ。


「でも、隊長、この厚みというか伸縮性だと、元気になっちまったら押さえられませんよ」

「分かっている。そもそも、タカコ達の世界では水着の女性を目にするのは当り前のことで、そのような欲望に囚われる想定はされていないのだろう」

「そうでしょうね。まぁ、何事もなければこれで十分なんでしょうね」


 バートの言う通り、何事もなければ問題は無いが、ヴォルザードの男性は肌を露わにした女性に対する抵抗力が低い。

 今日の講習は、それを確かめる意味も含まれている。


「まぁ、うちの若い連中は全滅じゃないっすか?」

「今からそんな事を言うな。というか、お前は大丈夫だろうな?」

「どうですかねぇ……てか、隊長は大丈夫なんでしょうね?」

「俺は心配いらん。メリーヌ以外の女性には興味が無い」

「はいはい、そーですね」

「ニヤニヤすんな、そろそろ行くぞ」

「へいへい、了解っす」


 プールサイドに作られた男性用の更衣室を出ると、守備隊員達がはしゃぐ声が聞こえてきた。

 どうやら、もう水に入っているらしい。


「バート、タカコたちを呼んで来てくれ」

「了解」

「全員、水から上がって整列しろ!」


 呆れたことに、集めた十人全員が水に入って遊んでいた。

 守備隊員ですらこれなのだから、一般市民の反応も推して知るべしだろう。


「これから、本日の講師タカコとミドリが来るが、くれぐれも失礼な行動をしないように。二人とも、あの魔物使いケントの友人だ。無礼な態度をとれば高いツケを払うことになると思え!」

「はっ、了解しました!」


 ケントを脅しの道具に使うのは気が引けるが、今日の状況は普通に説教した程度では収まりそうもない気がする。

 たった今、釘をさしたばかりだというのに、殆どの隊員が女性用の更衣室に目を向けて落ち着かずソワソワし始めている。


 更衣室のドアが開き、いよいよ姿を見せたタカコとミドリは、長袖、長ズボン姿だった。

 しかも、頭には白い奇妙な帽子を被っていて髪が見えない。


 その姿を確認した途端、隊員達はあからさまにガックリとしていた。


「シャキっとしろ、馬鹿者どもが!」


 不満そうな表情を隠そうともしない隊員共を一喝してから、タカコとミドリを紹介した。


「本日の講師を務めてくれる、タカコとミドリだ。全員、礼!」

「よろしくお願いします」


 タカコとミドリも隊員達に礼を返した。


「本日、水泳の講師を務めさせていただきますタカコです。こちらは私の友人で冒険者をしているミドリです。よろしくお願いします」

「早速で悪いのだが、講習を始めてくれるか?」

「分かりました。拝見したところ、皆さん既に水に入られたようですが、水泳を行う時には水に入る前に準備運動を行います。皆さん既に経験なさった通り、外の気温よりも水の中の方が温度は低いです。事前に運動をせずに急に冷たい水にはいると、筋肉がけいれんを起こす恐れがあります」


 事前に用意してきたのだろう、タカコは分かりやすく理由を説明し、必要な準備運動の指導を始めた。

 筋肉をほぐし、筋を伸ばし、体を温め終えたら、いよいよ水に入っての訓練の始まりだ。


「それでは、皆さん水に入って下さい。水に入る時は、先に胸に水を浴びせて、水の温度を体感してからゆっくりと入って下さい」


 タカコは、守備隊員たちを浅い方の端へ整列させた。

 プールは、浅い方が隊員の胸の下ぐらい、深い方は頭が潜るほどの深さがある。


 隊員たちが全員水に入ったところで、タカコとミドリは身に着けていた上着とズボンを脱ぎ捨てた。


「おぉぉぉ……」


 上着とズボンの下は女性用と思われる水着で、胸と腹、それに股間は布で覆われているが、脚や腕は剥き出しになっているし、体の線が露わになっている。

 水に浸かっている隊員の何名かは、早くも前屈みになっていた。


「なるほどねぇ……だから隊員達を水に入れてから水着姿になったのか」


 バートの推察した通り、水に浸かった状態ならば、水面が揺らめいて隊員達の股間がどうなっているのか良くは見えないという訳だ。

 タカコとミドリも水に入り、横一列に並んだ隊員達の前に立った。


 小柄な二人だと、水は肩ぐらいまで来ている。


「それでは、最初に水に慣れる訓練から始めます。皆さん、息を止めて水に潜り、水の中で目を開けてください。ちゃんと目を開けられないと、何も見れませんよ」

「おぉぉぉ……」


 隊員達は、一斉に水に潜って……すぐに浮き上がってきた。


「目が……」

「がはっ……鼻に水が……」

「ちゃんと息を止めて、しっかり目を開けてくださいね」


 タカコとミドリも息を止めて水に潜り、こちらはなかなか浮かんで来ないどころか、水の中で手を振っているようだ。


「いや、凄いっすね、あのタカコって娘、自分を餌にして隊員どもを調教してますよ」

「餌とか、調教とか言うな! だが、実際その通りなのが情けない……」


 この後も、プールの中央に立ったタカコとミドリに向かって蹴伸びの練習をさせたり、二人が手を持ってバタ足の練習をさせたり。

 隊員どもが、いいようにあしらわれて訓練させられる様を見せられ、本気で情けなくなってきた。


 それと同時に、自分の企画を実現するために、野獣のごとく目をギラつかせる隊員たちの前で堂々と振舞う二人の姿に感心させられた。

 この訓練の後、優しく、分かりやすく泳ぎの指導をしたタカコは『水の女神』、見事な泳ぎの手本を示したミドリは『人魚姫』と隊員達から呼ばれるようになった。


 休憩を挟みながら続けられた訓練の甲斐があって、午前の訓練が終わる頃にはプールを横方向に泳ぎきれる隊員が数名現れた。

 あとは、息継ぎを滑らかにできるようになって、無駄な力を抜いて泳げるようになれば、上達するらしい。


 昼食と休憩を挟んだ後、午後からは溺れた人の救助方法についてプールサイドで講習をやってもらった。

 タカコとミドリは、朝一番と同様に上着とズボンを身に着けている。


 食堂から戻ってきて、二人の姿を見て不満を口にした隊員には、軽く拳骨を落としておいた。

 ヴォルザードでは、泳ぐという習慣が無いので、溺れる人間は存在しないと思われるかもしれないが、子供が風呂場で溺れる事故は起こっている。


 タカコによる、人間の体、肺、心臓、脳の関係についての講義は、俺にとっても非常に有意義なものだった。


「本当に、心臓が止まった人間が生き返ったりするんですか?」

「はい、心臓が一度止まっても、再び心臓が動き出すケースは少なくありません。ただし、脳への血流が止まり、酸素が送られない状態が長時間続くと蘇生の可能性が低くなっていきます」


 脈拍、呼吸の確認、人工呼吸、心臓マッサージなどの一連の蘇生措置は、我々の知らないことばかりだった。


「プールで溺れる人は必ず現れると思って下さい。皆さんには、プールの安全を監視し、溺れた人の救助を担当していただきます。こうした人を私たちの世界ではライフセーバー、命を救う人と呼び、女性から注目され、とてもモテる仕事です」

「おぉぉぉ……」

「ただし、いざという時に、スムーズな救助活動ができないと幻滅されちゃいますよ」


 プールサイドで鍛えた肉体を誇示し、素早く危機に対応するライフセーバーが、いかにモテるか、そしてモテるためには大きな責任が伴うと説明され、隊員達の目の色が変わった。


「隊長、あの娘は『水の女神』というよりも、『猛獣使い』って呼んだ方が良くないですか?」

「やめろ、バート。だが事実だけに反論のしようもないぞ」

「あとは、股間の対策っすね」

「それだな……」


 昼の休憩に入る前、タカコとミドリが先に水から上がった後、隊員達は暫く上がって来られなかった。

 何人かは精神統一して上がって来たが、何人かは前屈みのままトイレに駆け込んでいった。


 タカコの言っていたライフセーバーや監視員は、プールサイドで溺れている者がいないか目を光らせなければならない。

 プールを一般に開放すれば、そこには水着姿の女性も存在する訳で、前屈みになっていたら救助どころの話ではなくなってしまう。


「それでは、実際に水に入って、溺れた人を助ける手順を確認しましょう」

「あぁ、すまん。タカコ、ちょっと待ってくれ」

「なんでしょう、カルツ隊長」

「いや、ちょっと準備するから、そのまま待っていてくれ」


 タカコに講習を中断してもらい、隊員達を更衣室へと連れ戻した。


「よし、良く聞け。後ろに回して押さえつけるのと、太ももに縛り付けるのと、好きな方を選べ」

「はぁぁ……?」


 俺とバートで防具屋に発注しておいた、特殊装具を更衣室のテーブルの上に並べると、隊員達は顔を引き攣らせた。


「お前ら、午前中の状態でライフガードなんか務まると思うのか? さっさと好きな方を選べ」


 隊員達は、それぞれの選択を行って最後の講習に臨んだが、殆どの者が苦悶の表情を浮かべていた。

 こんな調子でライフセーバーなんて務まるのだろうか……不安だ。

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