第633話 あと一歩
「えー……リモートの取材ぃ?」
「国分が顔を見せて、レポートの内容に間違いは無いって証言してほしいって……」
八木渾身のレポートは、大手新聞社であるA社の目に止まったようです。
A社の報道雑誌に掲載する条件として、僕にレポートの内容に関する取材をしたいそうです。
「でもさ、それじゃあ八木がレポートを書いた意味が無いんじゃないの?」
「しょうがねぇだろう、俺には何の実績も無いんだから」
「あんまり気乗りしないなぁ……」
「そんな事言わないで。今回だけ、頼む!」
八木はテーブルに両手をついて頭を下げて頼み込んできました。
まぁ、八木が信用されないのは当然でしょうし、今回は一肌脱ぎますかね。
「しょうがないなぁ……それで、どんな感じで取材する訳?」
「それなんだが、ここの建物の庭が見下ろせるバルコニーから、俯瞰で撮る感じで……」
「うん、断る!」
「なんでだよ!」
「プライベートは公開したくない。てか、レポートの内容が正しいか否かの証言をするだけなら、庭を俯瞰で撮影する必要なんて無いよね」
「いや、そこはサービスしてくれよ。日頃から城壁に登る連中には公開してんじゃん」
「それとこれとは話は別だよ。とにかくリモートで取材を受けるとしても場所はこの応接室のみで、外には出ないからね」
「どうしても駄目か?」
「どうしても駄目!」
「はぁ……それでも良いか聞いてみるよ」
八木はスマートフォンを操作して、A新聞社の担当者にメールを送信しました。
いつもの太々しい表情ではなく、不安感が漂っています。
メールを送信し終えた後も、いつになく真面目な表情でスマートフォンの画面を見詰めていました。
着信音が鳴り響くと、八木は急いで画面を操作してメールの中身を確かめ、眉間に皺を寄せました。
「国分、頼む! バルコニーからやらせてくれ。ここがヴォルザードだと信じてもらえないといけないんだ」
「はぁ……仕方ないなぁ、今回だけだよ」
「マジか、恩に着るぜ!」
「それで、いつやるの?」
「これからじゃ駄目か?」
「いいけど、撮影するのはバルコニーから外に向かってだからね。家の中を撮影した画像や映像が流出したら、今後いっさい八木には手を貸さないよ」
「分かってる、室内を撮ってもヴォルザードだと証明できないしな」
八木を連れて三階に上がり、リビング横のバルコニーへ移動しました。
「国分、プールの件は聞いてるのか?」
「あぁ、守備隊のでしょ? 話は聞いてるよ」
「お前は関わってないのか?」
「うん、手出し禁止になってるからね」
守備隊の敷地にプールを作る件は、相良さんがクラウスさんの所にプレゼンしに来た時から聞いています。
ただし、あくまでも相良さん達からの提案なので、僕は手を出すなとクラウスさんから釘を刺されています。
「なんだ、鬼畜健人だから、プールサイドを占拠するかと思ったぜ」
「いや、プールなら、うちにあるから行く必要無いし」
「はぁ? って、あれは池じゃねぇのかよ」
「まぁ、池は池だけど、ザーエ達が水質浄化してるし、深くないから泳げるよ」
「プール付きの豪邸かよ……お前はマジでふざけてるよな」
「はっはっはっ、それほどでもないよ」
池はザーエ達、アンデッド・リザードマンの憩いの場として作ったものだけど、夏には他のみんなも遊べるように作ってあります。
最近は暑くなってきているので、コボルト隊やフラムが遊んでいる姿も見かけます。
「くそっ、夏になったら俺にも使わせろ!」
「えー……八木は守備隊のプールの方が良くない?」
「なんでだよ、ケチケチすんなよ!」
「でも、うちのプールじゃ出会いは無いよ」
「うぉぉ、なんてこった、俺としたことが肝心なことに気付かないなんて」
八木がマリーデ以外の女子と知り合う機会を作れるとは思えないけど、うちに入り浸られるのも鬱陶しいし、うちのお嫁さんの水着姿を拝ませる気もありません。
「それにさぁ、八木がプールに入ったら眷属のみんなが興奮しちゃうかと思って」
「興奮するだと……?」
「うん、プールにビーチボールを投げ込むような感じかな」
「げぇ……この家のプールは絶対に利用しない。でか、毎度毎度、門から建物までの道程だがハードすぎんだよ、この家は!」
「えー……せっかくお持てなししてるのに」
「あんな持てなしの仕方があるか!」
「うひゃひゃひゃひゃ……」
三階のバルコニーに出ると、先客がいました。
今日は曇り空で暑くないからか、ネロがぐてーっと長くなっています。
サッシを開けてリビングからバルコニーに出ると、ネロが片目だけ開けてこちらを確認しました。
「ヤギにゃ……」
「だ、駄目だからな、俺様はこれから国分と大切な仕事をするんだからな」
「にゃにを言ってるにゃ、ネロも仕事中にゃ」
「お、おぅ、そうなのか」
いやいや、どこをどう見ても寝てるだけだからね。
まぁ、睨みをきかせていることにはなるのかな。
「よし、国分、ネロをバックでリモート取材しよう」
「えー……CGだと思われるのがオチだと思うよ」
「それもそうか……そんじゃ、ちょっと待っててくれ」
八木は、再びスマートフォンを操作して、リモート会議用のアプリを起動して、打ち合わせを始めました。
「こんにちは、ヤギです。何んとかバルコニーでやる許可を取り付けました」
『あぁ、ご苦労さん。ちょっと、それらしい風景を見せてくれ』
「はい、では庭の様子を……見えますか?」
八木はバルコニーから見下ろすように、スマホのカメラを庭に向けました。
『庭しか見えないぞ。巨大な魔物がいるんじゃないのか?』
「えっ……あれっ、あいつら何処に行きやがった。呼んでない時には出て来るクセに……」
確かに庭を見下ろすと、フラムもレビンもトレノの姿もありません。
それどころかコボルト隊の姿も見えませんね。
『そこ、本当に異世界なのぉ?』
「ほ、本当です。あっ、そうだ! こいつが国分で……こっちがネロです」
『うぇ……?』
八木がカメラを振って、僕、ネロの順番で写すと、アプリの向こうの人物が絶句しました。
『ちょっ、それは生きてるのか?』
「もちろん、生きて……いや、アンデッドなので厳密には死んでいるはずですが……」
『では、眠っているのか?』
「そんな感じです」
『ちょっと動かしてみてくれ』
「いやいや、そんなの無理です。機嫌を損ねたらお陀仏なんですよ」
『国分君に頼めば大丈夫だろう。ほら、早く……』
八木が僕に助けを求めるような視線を送って来たところで、ネロがふわっと尻尾を振ってみせました。
なんだかんだと言っても、ネロは優しいですねぇ。
「い、今、尻尾が動いたのが見えましたか?」
『そうじゃなくてさぁ、目を覚まして、立って歩いてる……出来れば狩りをするような動きをさせなきゃ』
「そんなぁ……」
『あれぇ? レポート掲載してほしくないの? ジャーナリストとしてデビューしたいんだよねぇ? だったらさぁ、読者が喜ぶものを提供できなきゃ、プロのジャーナリストにはなれないよ』
八木が顔を蒼ざめさせて、僕の方へチラチラと視線を送ってきます。
どうやら、リモートの取材というのは内容の確認だけじゃないみたいですね。
額からダラダラ汗を流した八木が進退窮まった時、ヒョコっとマルト達が姿を見せました。
「ヤギだねぇ……」
「こんな所にまで入り込んでるよ」
「ヤギは一匹見つけると、ニ十匹はいるって言うから……」
「俺はGじゃねぇし、一匹しかいねぇよ!」
『そ、それは何だね、魔物が喋ってるのか?』
「こいつらは、国分の眷属のコボルトです」
「そして、ヤギはご主人様のお荷物です」
「山羊じゃねぇし、お荷物でもねぇ!」
マルトたちは、ワフワフと笑いながら影に潜っていきました。
「八木、やるなら早く終わらせよう」
「お、おぅ分かった。じゃあ、始めてもらっていいですか?」
『あぁ、構わんよ』
八木がスマートフォンの画面をこちらに向けると、四十代後半から五十代ぐらいのバーコード親父が映っていました。
どうやら、このおっさんが八木の担当者のようです。
『それではインタビューを始めさせてもらいます。国分健人さん、貴方は……』
「あぁ、ちょっと待って下さい」
『むぅ、なにかね?』
「貴方は、どこのどなたです?」
『私はA新聞の坂田だ』
バーコード親父は、舌打ちしそうに口許を歪めながら名乗りました。
まぁ、これで終わりにしませんけどね。
「社員証を拝見できますか?」
『はぁ、社員証だと……なんでそんなものが必要なんだ?』
「こちらは、本当にヴォルザードにいるのか確認しておいて、ご自身はA新聞社の人間だと証明なさらないのですか?」
『あのなぁ、ここはA新聞社のリモート取材室だ。ここに繋いでいる時点で、私がA新聞の人間だと分かるだろう』
「どうですかねぇ……最近はなりすましとか増えてるみたいですしねぇ」
『ちっ……』
坂田と名乗ったおっさんは、今度はスマートフォンの回線越しでも分るほど舌打ちしてみせました。
また八木が顔を蒼ざめさせて冷や汗かいてますね。
『あのなぁ、あんまり生意気な口を利いてると、作文レベルのレポートなんか握り潰しちまうぞ』
「どうぞ、ご自由に……」
「国分! 頼む、ここは堪えてくれ! すみません、坂田さん、今言って聞かせますから」
『早くしてくれよぉ……俺は忙しいんだからさぁ』
「はい、すみません。ちょっと、ちょっとだけ時間を下さい」
『三分で済ませろ、分かったな』
「はい!」
八木はスマートフォンを操作して、リモート会議のアプリをミュートにしました。
「頼むから! 頼むから坂田さんの言う通りにしてくれよ!」
「八木、レポートの内容に間違いが無いか証言するだけって言ってたよね?」
「いや、だから……内容についてインタビューするんだと」
「それじゃあ、八木のレポートの意味が無くなっちゃうんじゃないの? 下手したら僕のインタビューだけ流しておしまいにならない?」
「いや、国分の証言が取れれば掲載するって……」
「契約書は?」
「それは掲載が決まってから結ぶって」
「信用できるの?」
「信用できるも何も、Y新聞に断られて後がねぇんだよ!」
八木は精神的に一杯一杯のようで、目がちょっとヤバい感じです。
「八木さぁ、これが八木の目指していたジャーナリストなの?」
「んな訳ねぇだろう! 俺様が目指すジャーナリストは、世界のVIPを相手にユーモアとウィットを交えてスマートかつシャープに斬り込む男だよ」
「だったら……」
「だったらじゃねぇんだよ! お前みたいに何でもホイホイできちゃう奴には分かんねぇよ! 恥も外聞もプライドもかなぐり捨てて、すだれハゲに媚びへつらってでも実績つくらなきゃ相手にされねぇんだよ! 誰が好き好んで、あんなクソ偉そうなムカつくバーコードにペコペコするかよ!」
いつも斜に構えて皮肉な口ぶりの八木が、感情を剥き出しにして叫びました。
「八木……」
「なんだよ」
「ミュート解除しちゃってる」
「えっ……?」
『すだれハゲで悪かったな、この話は無しだ』
「ちょっと待っ……嘘だろぉ……」
八木は参加者一名になったリモート会議アプリの画面を見詰めた後、膝から崩れ落ちて動かなくなりました。
そんな八木を心配したのか、またマルト達がひょっこり現れました。
「ヤギだね」
「やっぱりヤギだね」
「ヤギだからね……」
うわぁ……どうしたもんかねぇ。
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