第632話 守備隊の対応

※ 今回はヴォルザードで一番信頼される男、守備隊長カルツさんの話です。


「人工の池ですか?」

「そうよ、これが図面、広さと深さが書いてあるから、この通りに作って」

「かなりの大きさですね」

「これが手始めで、思惑通りに事が運んだ場合には、更に二つほど増やすかもしれないわ」

「そんなに、ですか……?」


 守備隊の総隊長であり領主の奥方でもあるマリアンヌさんから、最初に命令された時には自分の耳を疑った。

 なんのために守備隊の敷地に池を作る必要があるのか。


 もしや、守備隊員の食費を賄うために、魚の養殖を始めるのかと思ったりもしたが、実際の目的は俺の予想を遥かに超えた計画だった。


「我々が泳ぐんですか?」

「そうよ、泳ぐ時には全身の筋力を使うから良いトレーニングになるそうよ。それに、これからの季節、炎天下で訓練をするのと水の中で訓練するのと、どちらが良いかしら?」

「なるほど……涼みつつ、訓練も出来るという訳ですか」

「ええ、ケントさんの世界では一般的に行われているそうよ」


 その人物の名前を聞いて、全ての謎が氷解した気分になった。

 ヴォルザードが誇る史上最年少のSランク冒険者、単独でサラマンダーやギガースを討伐する規格外の少年だが、その正体はリーゼンブルグによって召喚された異世界人だ。


 初めてヴォルザードに来た時には、俺が門の中へと担ぎ入れた。

 商隊の生き残りだと話していたのだが、後になって街を救うほどの活躍をするようになるとは、その時には思いもしなかった。


 俺と最愛の妻メリーヌも、ケントに命の危機を救われたことがある。

 どれほど感謝しても足りないのだが、本人は偉ぶるどころか普通に接してもらうことを心から望んでいるようだ。


 そのケントの世界が絡むとあれば、話は我々だけでは収まらない気がする。


「守備隊員が訓練するだけならば、池は一つあれば十分ではありませんか?」

「言ったでしょ、ケントさんの世界では一般的だと」

「では、ヴォルザードの人々にも広めるおつもりですか?」

「そうよ。これはケントさんの友人のタカコさんから提案されたのだけど……」


 ケントと同じ世界から召喚されたタカコは、元の世界には帰らずにフラヴィアの服屋で働いている少女だ。

 こちらの世界には無かった斬新な形の服を次々に作り、若い女性からは絶大な人気を誇る店へと成長させた原動力だそうだ。


「この池は、ケントさんの世界ではプールと呼ばれていて、訓練だけでなく夏の暑さをしのぐための娯楽になっているそうよ」

「プール……ですか。な、なんですか、この格好は!」

「服を着たままでは泳げないから、このような水着を着用するらしいわ」

「こ、これでは下着と変わりませんよ」


 マリアンヌさんが、タブレットというケントの世界の機械で見せてくれた水着は、男用はともかく、女性用は下着と変わらないか、下着以上の露出度だった。


「こんな格好で人前に出るのですか?」

「人前と言ってもプールで泳ぐ時だけよ。それに、最初は露出度の低い水着から売り出すつもりだと言ってたわね」

「それでは、フラヴィアの店の新しい商売に守備隊が手を貸すようなものではありませんか。特定の店に肩入れするような行為は、民衆の反感を買うのではありませんか?」

「結果としてフラヴィアの店を利することにはなるかもしれないけど、真の目的はそんなに簡単な物ではないわよ」

「真の目的ですか……?」


 若者に娯楽と出会いの場を与え、出生数を増やし、領地を繁栄させる狙いを聞かされて、自分の考えの貧困さを思い知らされることになった。


「男女の出会いの場は作りたいが、女性を傷付ける不届き者が出ないようにするために、守備隊の敷地内に設置するのですね。なるほど……なるほど……」

「単純に露出の多い服装で人前に出るのと、守備隊員が見守る中では、女性の安心感が全く違うでしょ?」

「確かに、おっしゃる通りです」

「そこで、貴方達への命令は、プール完成後二週間以内に泳げるようになること、タカコたちから指導を受けて溺れた人の救助方法を身に着けること、そして……これが一番重要、水着の女性を見ても劣情を催さない平常心を養うこと」


 いきなり無理難題を突き付けられて、思わず頭を抱えてしまった。


「一つ目、二つ目は何とかなると思いますが、三つ目は……若い奴らには無理かと」


 守備隊員は、文字通り街を守る役割を担う子供の憧れる職業である。

 隊員たちは、街を守るために命を懸けて戦う者達で、高潔な魂の持ち主だと思っているが、若くて健康で一般人よりも体力がある分、生理的な欲求を抑えるのは大変だ。


「そこは意志の力で、なんとかなさい」

「いや、女性がこの格好でいたら……」

「プールで遊んでいるうちに溺れたり、体調を崩した者を救助する際には、抱え上げたり、体を密着させる状況も考えられます。その時に、守備隊員が欲情していたら……」

「それは、冗談にもなりませんね」

「でしょ。守備隊の沽券に関わるわ。心で抑えるのが無理なら、道具を使ってでも押さえ込みなさい」

「はぁ……」


 俺は部下達を信じているが、若い情動がそんなに簡単に収まらないことも知っている。

 ましてや、目の前に肌を露わにした女性がいたら……。


「バートに相談するか……」


 俺は自分で言うのも何だが、男女の恋愛の機微には疎い。

 この手の問題は、一人で抱え込むよりもバート辺りに相談した方が解決できそうな気がする。


 守備隊の工兵部隊が総がかりで工事に携わり、プールの工事は急ピッチで進められた。

 プールの工事が進められている間に、今回のプールの仕掛け人であるタカコと面談する機会があったので、バートも同席させた。


「お忙しい中、時間を割いていただき、ありがとうございます」

「いや、こちらとしても分からない事ばかりなので、よろしく頼む」


 タカコは、最初にタブレットという道具を使って、水で泳ぐ競技の様子を見せてくれた。

 世界の国々から選ばれた選手が競う大会の様子だそうで、同じ人間とは思えないような速さで泳いでいた。


 次に、娯楽としてプールや海で遊ぶ人々の様子も見せてもらったのだが、何十人、何百人の人間が水着姿でいるのを見ると、それが普通に見えてくる。


「最初に言っておきたいのだが、我々は水で泳いだ経験は無い。このように泳ぐ場所が無かったからだ」

「では、泳ぎを覚えるところから始めないといけませんね」


 タカコは、泳ぎの練習方法をまとめた冊子を差し出した。

 水に慣れることから始まって、泳ぎが上達するポイントが図を交えて書かれている。


 同じように、溺れた人間の救護方法についてもまとめた冊子をもらったのだが、その内容は衝撃的だった。


「心臓が止まっても助かる場合があるだと?」

「はい、呼吸や心臓の鼓動が途絶えても、短時間であれば助かる可能性があります」


 人工呼吸、心臓マッサージなど、驚くべき内容だった。


「隊長、我々だけで万全な準備を調えるのは難しいんじゃないですか?」

「来年の夏なら間に合うだろうが、これから今年の夏に間に合わせるのは厳しいな」

「そう仰るかと思いまして、水泳、水難救助の訓練は私達がお手伝いいたします」


 我々が泳げるようになるまで、タカコと友人のミドリが実演するなどして泳ぎを教えてくれるそうだ。

 そして、守備隊員用の水着の試作品も手渡された。


 膝上丈の半ズボンで、腰回りは紐で縛るようになっている。

 直接身に着けるらしく、肌着となる部分が裏地として縫い付けてあった。


 水着の生地自体は、水を吸って重たくなるものでは泳ぎにくいので、薄手で水を通しやすい生地が使われているそうだ。

 水を通しやすい生地は、別の見方をすると透けて見えやすいので、濃い目の色が使われている。


「青、緑、黒……一応、赤も用意しましたが、どの色にいたしますか?」

「どうする、バート」

「無難なのは青ですが、守備隊の存在をアピールするなら赤でしょうね」

「よし、赤にしよう」

「てか、隊長も着るんっすよ」

「よし、青……いや、やっぱり赤だ」


 プールの性質を考えれば、守備隊は存在を強く主張する必要がある。

 多少の恥ずかしい思いなど、言っている場合ではない。


「分かりました。では、こちらに黒のストライプを入れて、ここにヴォルザードの紋章を染め抜くというのはいかがでしょう?」

「おぉ、それは良いな。そうしてもらおうか」


 タカコはタブレットを操作すると、赤い水着に黒い線を入れたり、裾にヴォルザードの紋章を入れた図をあっと言う間に描いてみせた。

 我々からは、まるで魔術を使っているかのようだが、タカコにとっては当たり前の作業でしかないらしい。


 タカコからは、水着のサイズ票を手渡され、全隊員分を注文する事になった。

 これだけでも、相当な利益になると思ったのだが、タカコ達は赤字にならない金額しか取らないらしい。


「それでは、忙しい思いをするだけではないのか?」

「いいえ、いずれプールは夏の娯楽として定着するはずです。私たちは一般向けの水着で稼がせていただきますから大丈夫です」

「そうか、分かった」


 自分達の利益ばかりを追及するのではなく、ヴォルザードの発展も考慮した計画だからこそ、クラウスさんやマリアンヌさんも賛同したのだろう。


「隊長、例の問題も相談した方が良いんじゃないんすか?」

「馬鹿、あれは俺達で何とか……」

「何でしょう? ヴォルザードに水泳の習慣が無いのは聞いています。何か問題があるならば、私たちも解決のお手伝いをいたしますが」

「いや、大丈夫だ。これは我々が解決すべき課題だから心配要らない」


 バートが何か言いたそうにしているが、うら若き女性に隊員の股間の問題など相談できるか。

 この件は終わりだと話を切ると、バートがすっと右手を挙げて話し始めた。


「話は変わりますが、先程タカコさんとミドリさんが泳ぎを実演してくれると言ってましたよね?」

「はい、私もミドリも水泳はそこそこ得意なので、参考にしてもらえると思います」

「その時、お二人は水着を着るのですよね?」

「はい、勿論水着ですが……何か?」

「隊長、その時の反応を見て考えましょう」

「うむ、そうだな」

「まぁ、最悪革鎧の職人に頼めばなんとかなるでしょう」

「そうだな」

「革鎧……ですか?」


 何の話か分からないらしく、タカコは首を捻っている。

 いや、俺達だって股間に革鎧を装着するような事態は避けたいのだが……。


「いや、こっちの話だ。では、プールが完成しだい連絡するので、泳ぎの練習の日程などは、また改めて決めさせていただく」

「はい、分かりました。よろしくお願いいたします」

「こちらこそ」


 握手を交わしたタカコの手は、俺が力を籠めたら潰れてしまいそうに繊細だが、自分の考えたプールという規格の実現に向かって邁進する姿は逞しい。

 こうした新しい風をヴォルザードに吹かせてくれるから、クラウスさんはケントやその友人に目を掛けているのだろう。


 俺も微力ながら手助けをするとしよう。

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