第631話 ジャーナリストへの険しい道

※ 今回は八木目線の話です。


「こ、国分に会いたい。書き上がった原稿をチェックしてもらう必要がある」

「お約束は?」

「してねぇよ。てか、いつどこにいるのか分からねぇじゃんか」

「どうぞ、お通りください」

「お、おぅ……」


 国分の家は、建物に入るまでが緊張するのだが、中でも門番のリザードマンが苦手だ。

 爬虫類特有の縦に割れた虹彩の瞳、表情筋が乏しくて何を考えているのか全く読めない顔。


 国分の眷属だから危害を加えられる可能性は無いはずなのだが、人間とは明確に違う生き物が持つ雰囲気に気圧されるのだ。

 実際、このリザードマンがその気になれば、俺なんか瞬殺されてしまうはずだ。


 史上最年少のSランク冒険者で、荒稼ぎしていると知れ渡っている国分の屋敷なのに、門の周囲に人だかりができたりしないのは、この強面な門番のおかげだろう。


 日本から取り寄せたものだという頑丈そうな鉄製の門を潜り、屋敷の玄関に向かって歩を進める。

 この玄関までの道程が、緊張する二つ目のポイントでもある。


 門から玄関に続く道を歩いていると、ひょこっ、ひょこっと眷属の連中が影から顔を覗かせる。

 殆どがコボルトだが、時折ギガウルフが鼻面を突き出してくる。


「ヤギだね」

「うん、ヤギだ」


 いや、確認に来なくていいからな。

 それとイントネーション違うから、俺は八木だが山羊じゃねぇ。


 何も無いところから、いきなり顔を覗かせてくるから、その度にドキリとさせられてしまう。

 ドキリとするものの、極力驚いた素振りは見せず、歩調を変えないように気を配りながら歩く。


 下手に大きなリアクションなんてしようものなら、コボルト共が面白がって、ひょこひょことモグラ叩きのように出たり引っ込んだりするようになるのだ。

 それに、バタバタと動き回られると、昼寝中の奴らが目を覚ます可能性があるのだ。


 国分がサンダー・キャットと呼んでいる二頭の眷属で、山吹色の毛並みをした巨大な猫の魔物だ。

 レビンとトレノと名付けられた二頭は、俺様がネズミサイズに見えるほど大きい。


 無論、この二頭も国分の眷属だから、危害を加えようという意図は持っていない。

 危害を加える意図は持っていないと思うのだが、俺をオモチャにしようという意図がバリバリに感じられるのだ。


 事の始まりは、魔の森の訓練場での特別講習だ。

 持久走で他の連中のペースについていけない俺の尻を叩くために、国分が呼び出したのがこいつらだった。


 それこそ、猫がネズミをいたぶるように、ちょいっ、ちょいっと後から猫パンチを食らわせてきやがった。

 しかも電撃がプラスされたやつだ。


 俺が列から遅れるのを待ち構えていて、ぐぐっと姿勢を低くして、ぶるぶるっと尻を振って飛び掛かってきやがった。

 普通サイズの猫が猫じゃらしで遊んでいる姿は可愛げがあるが、人間を丸呑みできそうなサイズの猫が、爛々と瞳を輝かせて俺様に狙いを定めている様子は恐怖でしかない。


 実際、訓練後しばらくの間は夢に見てうなされる程トラウマになった。


「ヤギだ、ヤギ、ヤギ!」

「ヤギ──────ッ!」

「だから、俺は山羊じゃなくて、八木だ! って、ほら気付かれちまったじゃねぇかよ!  お前ら、嬉しそうにケツ振ってんじゃねぇぇぇぇ!」


 結局、身体強化魔術まで使った死に物狂いのダッシュで建物の玄関に逃げ込んだが、あいつら絶対に楽しんでいやがる。

 てか、性悪な飼い主そっくりだ。


「いらっしゃいませ、ヤギ様。こちらのお部屋でお待ち下さい」

「ど、どうも……」


 息を切らして玄関に駆け込むと、メイドさんが出迎えてくれた。

 こっちの世界では珍しい黒髪だが、隣りの隣の更に隣の国の僻地の出身だという話だ。


 例によって国分のやつが、特殊な事情から救い出してきたらしい。

 ていうか、玄関の中で出迎えてくれるぐらいなら、外で出迎えてくれてもいいんじゃね?


 てか、良く考えたら国分の眷属は、みんな影に潜って移動できるんだから玄関に逃げ込んだところで追ってこれるはずなんだよな。

 つまり……遊ばれてるってことだ。


「えっと……国分はいるの?」

「はい、今日は御在宅の予定です」


 まぁ、出掛けていたら門番のリザードマンが教えてくれるはずだから、ここまで通されたのだからいるのだろう。

 だが、いるなら俺様がオモチャになる前に、さっさと出て来やがれ。


 国分を待っている間も、コボルト達が現れる。


「ホントだ、ヤギだ」

「ヤギだよ、ヤギ」

「何しに来たんだろう?」


 ヒョコヒョコと俺を観察に来ていたコボルト達が、ふっといなくなったと思ったら、国分が姿を現した。


「何しに来たの?」

「お前らなぁ……ホントに失礼な連中だな」

「いや、それほどでもぉ……」

「褒めてねぇよ!」


 まったく、国分と一緒にコボルト達まで頭を掻いてるのを見ると、呆れて突っ込むのも馬鹿らしくなる。


「てか、原稿できたらチェックさせろって言ったのは、お前だろうが」

「あぁ、そうだった。てか書きあがったの? また途中で投げ出すかと思ってたけど」

「お前はホントに失礼だな……いや、褒めてねぇぞ。てか、データ送るから、タブレットを出しやがれ」

「ふむ、珍しくマジみたいだね」

「いいから、さっさとタブレットを出せ」

「はいはい、分かったよ」


 国分が差し出したタブレットに、持参したUSBメモリーから原稿データを移した。


「ほら、さっさとチェックしろ」

「へぇ、手書きじゃないんだ」

「当り前だろ、これをベースにして売り込むんだからな」

「ベース? ここから変更されるんじゃチェックする意味ないんじゃない?」

「あのなぁ、個人のブログで発表する文章じゃないんだから、誤字、脱字、言葉の誤用なんかが無いかチェックされんだよ」

「あぁ、なるほど、八木の場合は多そうだもんね」

「うるせぇ、いいから読め」

「はいはい……」


 国分が原稿を読んでいる間、メイドさんが淹れてくれたお茶を飲む。

 こっちの世界には清涼飲料水とか無いから、俺も普段からお茶を飲むようになったが、国分の家で出されるお茶は間違いなく高級品だ。


 普段飲んでるお茶が不味いわけではないが、香りも味も別次元という感じだ。

 国分が当り前のような顔をして飲んでやがるのが、ちょっとムカつく。


 馬鹿デカい屋敷とかは比べるのが馬鹿らしくなるほどで、格差を感じる気にもならないが、こうした高級品をさり気なく使われると差をつけられていると思わされてしまう。

 勿論、やっかみでしかないし、国分が俺なんかよりも苦労しているのは分かっている。


 分かっているけど、日本にいた頃には俺の方が上にいたはずなのに、格差を見せつけられているようで腹が立つのだ。

 まぁ、腹を立てたところで、嫌がらせをしてやろうとかは思わないのだが、いつか一泡吹かせてやりたいとは思っている。


 暫く原稿を黙読していた国分が、視線を上げて口を開いた。


「うん、八木は文章だけは上手いよね」

「お前なぁ、俺様が他に取り柄が無いみたいな言い方をするな!」

「えっ、他に取り柄なんてあったっけ?」

「お前はホント失礼だよな……で、どうなんだよ」

「うん、今回の原稿に関しては、変な脚色もされていないし、イラストとかも使われていてプロっぽいって思った」

「だろだろう、じゃあ、これで売り込み掛けていいよな?」

「うーん……たださぁ、何でこんなにほのぼのムードなの?」


 国分が指差しているのは、イラストを使った図解のページだ。


「そ、それは、著作権フリーの素材を使ったからで、実際に発表される時には差し替えてもらうから大丈夫だ。てか、国分のポヤポヤした感じは、むしろピッタリだろう」

「失礼な、地球を大惨事から救ったヒーローなんだよ、こんな緩い感じじゃ駄目でしょう」

「いやいや、嘘は駄目だろう」

「なんでさ、僕はこんなゆるキャラじゃ無いからね。もっとシュっとした……」

「国分……嘘は、駄目だ」

「むきぃぃぃ……八木のクセに、ムカつくぅ……」


 実際、プンスコ怒っている国分は、フリー素材のキャラそっくりだ。


「はっはっはっ、真実を報道する使命に目覚めた俺様は、忖度なんてしないからな」

「うわぁ、マジでムカつく、帰りはレビンとトレノに見送りさせるよ」

「馬鹿、あいつらマジで洒落にならねぇんだからな……って、お前、俺様が玄関に駆け込んだのを見てやがったな」

「うひゃひゃひゃ……さて、何のことだか分からないなぁ……」

「こいつ……ホントいい性格してやがるな」

「いやぁ、それほどでも……」

「だから、褒めてねぇ!」


 もう突っ込むのも面倒だから、雑なボケは止めてくれ。


「それで、この原稿はどこに売り込むつもりなの?」

「Y新聞だ」

「おぅ、最大手じゃん。勝算はあるの?」

「さぁな、Y新聞が駄目ならA新聞、A新聞が駄目ならM新聞、それでも駄目なら海外の新聞社に持ちかけるつもりだ」

「おぉぉ……てか、ネットで受付けてるの?」

「今どきは、大手マスコミがSNSからネタを拾ってくる時代だぞ、どこの新聞社でもネット経由で情報提供を呼び掛けてる」

「そうなんだ……」


 国分は生返事をした後で、腕組みをして考え込んだ。


「何だよ、何か問題でもあるってのか?」

「SNSからネタ探しが行われる時代……なんだよね?」

「そうだぜ、素人が発信したものを大手マスコミが焼き直しして報道する時代だ」

「てことは、誰でも情報提供できる時代ってことだよね?」

「だから、そう言ってんだろう。何が気に入らないんだよ」

「いやぁ、そんな時代でも芽が出ない八木って……」

「うっせぇよ! 大きなお世話だ!」

「うひゃひゃひゃ……」


 こいつは、マジで殴ってやろうかと思うが、マジで殴ろうなんてすれば何倍返しにされるか分かったものではない。

 いつの間にか国分の傍に出て来た、女形のリザードマンがヤバい目付きでククリナイフの柄に手を添えてやがるからな。


「それで、この記事はいくらぐらいになりそうなの?」

「そんなの分からねぇよ。原稿一枚いくらとか聞いたことがあるけど、書く人間やネタによってピンキリらしいぞ。ネットの記事は、一文字いくらとかいう話も聞くな」

「へぇ、そんじゃあ記事のページ数とか文字数を増やした方が良いんだ」

「ばーか、お前はホントに馬鹿だな。無駄に増やせば中身の薄い冗長な記事になっちまうし、新聞や雑誌に掲載される場合にはスペースが限られるから、ダラダラ書いたところで没を食らうだけだ」

「今までの八木の原稿みたいに?」

「そうそう、俺の原稿は脚色だらけで無駄に長いから……って、そんな訳ねぇだろう!」

「うひゃひゃひゃ……自覚はあったんだ」

「うっせぇ、お前のボケに付き合ってやっただけだ! てか、これで問題無いな、あっても無いって言え」

「まぁ、日本政府の内部の決定とか、僕の推測はバッサリ切って、僕がやったことだけに絞ってるみたいだから良いんじゃない」

「よし、そんじゃあ用事は済んだから帰るぞ、門まで送っていけ」

「えっ……僕が一緒だと、みんなが寄って来ちゃうけど……」

「前言撤回、お前はここで大人しくしてろ。いや、ここに眷属を集めとけ」

「はいはい、上手くいくといいね」

「どっちがだ?」

「うん、どっちも……」

「ふん、俺様の実力って奴を思い知らせてやんよ」


 国分に俺が門を出るまで椅子から動かないように釘を刺し、応接間を出て玄関に向かう。

 身体強化の詠唱を済ませてから玄関の扉を開けた。


「ふぅー……あいつら、グッスリ寝てやがるな。ならば一気に……」

「ヤギ、帰るの?」

「ヤギ、帰っちゃうんだって」

「ヤギ、遊ばないの?」

「お前ら、寄ってくんな。ほら、目ぇ覚ました……クソがぁ!」


 屋敷の門を目指して渾身のダッシュをかます。

 距離は50メートル以上あるけど、身体強化を使えば5秒も掛からないはずだから逃げ切れ……って、お前ら速すぎだろぅ。


「マジでデータが飛ぶから止めぇ……あばばばば……」


 電撃を食らって崩れ落ちた俺を集まって来たコボルトが頭上へと担ぎ上げた。


「せいや、せいや、せいや、せいや……」


 俺は神輿じゃねぇぇ……。

 てか、門の外に捨てるんじゃねぇ……。


 幸い原稿のデータはバックアップを取っておいたから良いものを……主人も眷属も鬼畜な屋敷なんか、二度と来ねぇからな。

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