第628話 冒険者の日常 前編

※ 今回は居残り組の良心、近藤目線の話です。


「うがぁぁぁ……目が……目がぁぁぁ……」


 新田和樹が呻いているのは、敵に目潰しを食らったからではなく、玉ねぎを刻んでいるからだ。

 ここはリバレー峠の南の麓にある野営地、俺達はオーランド商店の馬車を護衛してマールブルグに向かう途中だ。


 今夜はここで野営して、明朝一番にリバレー峠を越え、夕方にはマールブルグに到着できる見込みでいる。

 いつもなら、日本から取り寄せたレトルトパックで夕食を済ませるところなのだが、今回は持参したと思った食糧をシェアハウスに置き忘れてしまったのだ。


 まったく、冒険者としてあるまじき失態だが、幸い御者を務めるエウリコさんから食糧を融通してもらえたのだが、その代わりとして調理を任されたのだ。


「泣かねぇ……俺は男だから、泣いたりしねぇんだ……」

「和樹、鼻水垂らすんじゃねぇぞ」

「うっせぇぞ、達也。グダグダ言うなら手前がやれ!」

「はっは~、吠えるな負け犬。例え一勝の差だとしても、貴様がジャンケンで負けた事実は動かねぇんだよ」

「クソがぁ! いつも便所に紙があると思うなよ!」


 ぎゃーぎゃー騒ぎながらも玉ねぎのみじん切りを終えた和樹は、デカい鍋に油を引いて炒め始めた。

 焦がさないようにヘラで混ぜながらキツネ色になるまで炒めたら、そこに刻んだ干し肉とトマトを投入した。


「ぐぉぉ……この匂いはヤバい、空腹の胃を直撃だぜ」


 古田達也が言う通り、鍋から立ち上ってくる匂いは、不満を訴え続けている胃を鷲掴みにして揺さぶってくる。

 そこに水を加えて、塩、コショウ、トウガラシ、うま味調味料で味を調える。


「おいおい、新田、化学調味料とか体に悪いから止めようぜ」

「うっせぇぞ、鷹山、化学調味料じゃねぇ、うま味調味料だ。サトウキビから作られた醗酵食品だぞ。そもそも、この世に存在する物は全て化学式で表せるんだよ。天然ものだって化学なんだよ」


 鷹山修一は娘が生まれてからやたらと健康志向で、俺が一生養ってやるから絶対嫁には出さない……そのためにも俺は長生きする……などと危ないことを口走るようになっている。

 でも、その娘には相変わらずギャン泣きされてるんだよなぁ。


 その上、俺があやすとピタリと泣き止むから、色々と面倒臭いことになっている。

 俺はロリコンでもないし、鷹山をパパと呼ぶ気は無いと、ハッキリ言ってるんだがなぁ……。


 ミートソースと呼ぶにはシャバシャバのスープに、新田は直接乾燥パスタを放り込む。

 別の鍋で茹でて、湯切りしてからソースと合わせる……なんて手順は野営ではやってられない。


 スープの中でパスタが食べ頃になったら、エウリコさん達の分を皿に盛ってくばったら、後は俺達が我先にと食らい尽くすだけだ。

 味は……まぁまぁといったところか、空腹というスパイスで誤魔化されている気はする。


 俺達四人が、親の仇を討つような勢いでパスタを殲滅していると、見知らぬ犬獣人の冒険者が声を掛けてきた。

 背丈は小柄な国分ぐらいで、筋力もあるようには見えない。


 大型犬というよりも、ポメラニアンとかチワワみたいな感じで、尻尾を千切れんばかりに振っている。


「お食事中にすみません。もしかして、皆さんはケント・コクブさんのお知り合いですか?」

「だったら何だ?」


 達也がパスタを頬張りながら、ツッケンドンな返事をした。

 相手が女性なら、もっと丁寧な対応をするのだろうが、犬獣人の男性冒険者は怯んだ様子も見せず、更に踏み込んできた。


「あの、ケント・コクブさんがどんな人なのか、話を聞かせてくれませんか?」

「はぁ? てか、誰だよ、お前」

「あっ、すみません。俺はマールブルグの冒険者でポルナーチと言います」

「あっそ……別に話すことなんかねぇよ」


 相手が俺達よりも年下に見える犬獣人だからか、達也は手のひらで扇ぐようにしてポルナーチを追い払おうとした。

 話すのが面倒というよりも、食事を邪魔されるのが腹立たしいようだ。



 だが、ポルナーチはショタっぽい見た目とは裏腹に、結構図太い性格をしているようで、更に食い下がってきた。


「じゃあ、これでどうです? マールブルグでは有名な山ブドウで作った酒なんですけど……一杯やりながら話してくれませんか?」


 ポルナーチが陶器の瓶の蓋を取ると、ふわっと芳醇な香りが漂い、達也は鼻をヒクつかせた後で口許を緩めかけたが、ブルブルっと首を振って表情を引き締めた。


「駄目に決まってんだろう。依頼の最中に酒なんか飲めるか! 酒でなくても、得体の知れない奴から貰った物なんか口にしねぇよ、帰れ!」


 達也が酒に手を出したら怒鳴りつけるつもりでいたが、さすがにわきまえていた。


「す、すみませんでした!」


 血相を変えた達也に声を荒げられ、自分の失敗を悟ったポルナーチは慌てて頭を下げると、肩を落として去っていった。

 話し掛けてきた時には、ブンブン振り回されていた尻尾が、力なく垂れさがっている。


 ポルナーチは、少し離れた場所に止まっている馬車を護衛しているパーティーの一員のようだ。

 仲間のところに戻った後の様子を窺っていると、少し年上で体格の良い男に頭を張り倒されていた。


 面倒な事にならなければ良いと思っていたのだが……体格の良い男がポルナーチの後ろ襟を掴んで吊り下げるようにして歩かせて、こちらへと向かって来た。

 達也が皿に残っていたパスタを掻き込み、カップの水で流し込んで身構えた。


 年上の男は二十代後半ぐらいで、ギリクよりも体格が良いし、動きに隙が無い。

 手強そうな相手だし、依頼の最中に喧嘩など以ての外だ。


「俺はマールブルグギルド所属のパーティー金剛石のリーダー、ベックだ。うちのポチが迷惑掛けて申し訳なかった」


 因縁を付けられるのかと思いきや、ベックは腰を折って頭を下げてみせた。

 達也がチラっと俺の方に視線を向けてきたので、自分で対応しろと目で合図した。


「いや、俺も飯の最中に話し掛けられて、ちょっと雑な対応になっちまっただけで、気にしてねぇ、大丈夫だ」

「そうか、そう言ってもらえると助かる。こいつは、うちに入りたてで護衛の常識を叩き込んだつもりだったんだが……ケント・コクブの話になると夢中になっちまって……後でキッチリ〆ておくから勘弁してくれ」

「いや、国分絡みで色々聞かれるのは諦めてるから、ほどほどにしておいてやってくれ」

「分かった、ほどほどにしとくよ……行くぞ、ポチ」

「は、はい……すみませんでした」


 ベックの凄みのある声からは、とてもほどほどでは済むとは思えないが、ポルナーチには自業自得だと諦めてもらおう。

 自分たちの馬車に戻っていく二人を見送りながら、達也が肩を震わせた。


「くっくっくっ……ポチって、犬じゃねぇんだから……って、犬なのか?」

「ぶふっ、止めろよ達也……ふふふふ……俺だって気付いても言わなかったのによぉ……」


 ここで大笑いすれば、また面倒のタネになりかねないから、四人とも口許を押さえて笑いを噛み殺した。


「しっかし、相変わらず国分人気は留まるところを知らないようだな」

「てか、達也の応対が雑すぎんだよ」

「はぁ? 和樹なんか最初から答える気も無かったじゃねぇか」

「まぁな、あんなのに全部答えてたらキリねぇだろう」

「だよなぁ……可愛い女の子なら話は別だがな」

「八木の野郎のせいで、ヴォルザードでは俺らまで封筒被害を受けてっから、マールブルグで探すしかねぇのか?」

「和樹、お前は天才かよ……」


 それを言うなら風評被害だし、新旧コンビがマールブルグで悪評を広げないか、そっちの方が心配になる。


「お前ら、マールブルグでは自由時間があるけど、あくまで依頼の最中だって忘れんなよ」

「おい、達也。八発様が何かいってるぞ」

「違うぜ、和樹。元、八発様だ」

「お前らなぁ……まぁいい、片付けたら見張りの順番決めるぞ」


 夜間の見張りは日本の時計を使い、夜の九時半から朝の五時半までの八時間を四等分して担当する。

 一番当たりは最初の二時間の担当で、二番目に当たりは最後の二時間担当だ。


 中間の四時間は、ちょっと寝て、ちょっと起きて、また寝るという感じで眠った気がしない。


「よっしゃー! アイ、アム、ウィナァァァ!」


 一番手を手にしたのは達也、その次が俺、三番目が和樹で、最後が鷹山の順番になった。


「順番が決まったし、さっさと寝るか」

「だな、ジョーの言う通りだ」

「あれあれ~ぇ、待って待って、ジョーも和樹も寝るの早すぎない? まだ九時にもなってないし、これじゃあ俺だけ見張りの時間が多くなっちゃわない?」


 見張りの分担時間になるまでは自由時間だし、そこで早く寝てしまうのも自由だ。

 特に中間の四時間を担当する俺と和樹にとっては、貴重な睡眠時間だと勿論達也も理解している。


「あれあれ~ぇ、もう寝ちゃうなんて、お子ちゃまじゃないんだしぃ……」


 理解した上で、クネクネと気持ちの悪い動きをしながら挑発しているのだ。


「達也、ギルドへの報告書……」

「すんませんでした。どうぞ、お休み下さい近藤様」

「はぁ……報告書も出せるようになっておかないと、俺に万が一の事があったら困るのはお前らなんだからな」

「大丈夫、大丈夫、虫の息でも生きてさえいれば国分が何とかしてくれるし」

「馬鹿、頭をやられたら治せないって国分が言ってたの忘れたのか?」

「あぁ、そうだった。じゃあ、首だけになっても俺がジョーの頭を守るよ」

「やめろよ。首だけになったら、さすがの国分でも……いや、あいつなら治しかねないか」

「だろう? 大丈夫、大丈夫」

「てか、俺だけ報告に行ってたら、ギルドの受付嬢と仲良くなれないぞ」

「あぁ、それはいい。もう無理だって諦めたから……なぁ、和樹」

「だな……てか、あいつら冒険者の預金残高まで知ってやがるからな、見た目が良くても腹黒そうでなぁ……」


 俺としては伝家の宝刀を抜いたつもりだったが、胸を揉ませて下さいと土下座したり、娼館通いで貯金が少なかったり、既に新旧コンビがギルドの受付嬢と付き合える可能性はゼロのようだ。

 というか、同年代の冒険者の中では間違いなく腕は立つんだし、娼館通いを止めて、もうちょっと身だしなみに気を配れば良いと思うのだが……まぁ、娼館通いは止められそうもないだろうな。

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