第626話 初めてのプレゼン

※ 今回はフラヴィアさんの服屋で働く相良貴子目線の話です。


 いっけない、寝過ごしてアポの時間ギリギリになってしまった。

 昨日の晩、碧と水着のデザインとか企画について盛り上がりすぎて寝るのが遅くなり、すっかり寝過ごした。


 幸い、プレゼン用の資料は全部作り終えてあるし、水着のサンプルも用意してある。

 ただ、起きてからもう一度プレゼンのリハをしておくつもりだった。


「こうなったら、ぶっつけ本番でやるっきゃないでしょ! 気合い入れろ、貴子!」


 パンパンっと自分の頬を叩いて気合いを入れ直してからギルドのドアを潜る。

 これから私は、ヴォルザードの領主クラウス・ヴォルザードに直談判をするのだ。


 話は少し前に遡る。

 私はリーゼンブルグに召喚された後、実戦訓練の最中に国分君に助けられ、ヴォルザードで暮らすようになった。


 日本に帰れなかった時に備えて、自立するために仕事を始めたのだが、最初に選んだ見習い仕事が今働いているフラヴィアさんの服屋だった。

 元々、将来は服飾関係の仕事がしたいと思っていたし、地球のデザインに感動したフラヴィアさんに勧誘されたこともあって、その日から本格的に店員として働き始めた。


 フラヴィアさんの店では、女性用の下着も取り扱っているのだが、先日ふと水着は売らないのかと私が口にしたのが事の発端だ。

 聞けばヴォルザードには水泳の習慣が無く、当然水着も存在していない。


 水着とは、プールとは、マリンレジャーとは……話を進めるほどにフラヴィアさんが食いついて来て、是非ヴォルザードでも水着を売るべきだという話になった。

 だが、水着を売り出したところで、水泳の習慣がなければ買ってもらえるはずがない。


 そもそも、水着を着ていく海も、川も、プールも無いのだ。

 私だったら諦めてしまうところだが、フラヴィアさんは軽く言ってのけた。


「無いなら作ればいいじゃない」


 そんな簡単にはいかないでしょう……プールを作るのにどれだけお金が掛かるのか……と思ったのだが、ここは日本ではなくヴォルザード、剣と魔術の世界なのだ。

 水が洩れない池を作るだけなら、土属性の魔術を使えば一週間も掛からない。


 水を貯めるなら、水属性の魔術を使える人に頼めば良い。

 調達が必要だとすれば、浄化のための魔道具ぐらいのものらしい。


 なんだ、それなら大した事は無い……なんて気を抜いたのは大間違いだった。


「じゃあ貴子、クラウス様と交渉してきて」

「へっ……交渉ですか?」

「プールを作るのは難しくないけど、場所の確保は問題ね。人が来ない場所に作っても意味無いでしょ? それと、これだけ女性が肌を露出するとなると、安全策も講じておかないといけないわよね?」

「はい、そうですね……」

「だからね、私は守備隊の敷地に作ればいいと思うのよ」

「えっ、守備隊の敷地にですか?」

「だって水泳は体を鍛えるのにも役に立つんでしょ?」

「そう、ですけど……」

「それに、守備隊の敷地内だったら女性にけしからん事をしようとする輩も排除できるんじゃない?」

「確かに……」

「という訳で、貴子お願いね」

「いやいやいや、ちょっと待って下さい。どうして私が領主様と交渉しなきゃいけないんですか?」

「経験を積むために決まってるじゃないの。貴方、いずれは自分の店を持ちたいと思ってるでしょ?」

「それは、いつかはと思ってますけど……」

「だったら、こういう交渉事にも慣れておかないと。それに、クラウス様は分かりやすい方だから、交渉の相手としてはやり易いわよ」

「分かりやすい方なんですか?」

「そう、クラウス様の判断基準は明快、街が潤うか否かよ」

「それは、ギルドとか守備隊にも儲けさせろって事ですか?」

「違う、違う、そうじゃないわ。潤すの」

「潤す……?」

「プールを作れば、守備隊の隊員は涼しく訓練できるでしょ?」

「あっ、なるほど……お金だけじゃないんですね?」

「勿論、お金が儲かるのが一番だけど、新しい娯楽ができれば街の人の生活に潤いができるし、そうすると普段の生活にも張り合いが出て、仕事の効率も上がる」

「良い循環を作る……って事ですね?」

「その通り、そのポイントさえ抑えておけば、決して難しい相手ではないわ。出来るわね?」

「はい、やってみます!」


 といった感じで、すっかりフラヴィアさんの口車に乗せられてしまったのだ。

 事前に今日の面談を申し込んでおいたので、受付に申し出るとすぐに二階の執務室に案内された。


「面談を申し込まれていたタカコさんを案内いたしました」

「入れ!」


 ドアの向こうから聞こえてきた領主様の声は、少し不機嫌そうに聞こえた。


「失礼いたします」


 執務室には領主様の他に女性が二人、そのうちの一人は国分君のお嫁さんで領主様の娘ベアトリーチェさんだ。

 もう一人の女性は初めて会うが、私よりも少し年上で、なぜだか足下に国分君の眷属であるコボルトを従えていた。


「新しい事業についての相談があるそうだな?」

「は、はい、本日はお忙しいところを……」

「あぁ、そういう堅苦しいの無しでいい、こっちに座って話を聞かせてくれ」


 応接ソファーへと誘うクラウス様は、領主というよりもベテランの冒険者みたいな服装をしている。

 そのクラウス様とテーブルを挟んで向かい合うと、蛇に睨まれた蛙になった気分だ。


 そこへ、お茶を淹れてくれたベアトリーチェさんが話し掛けてきた。


「緊張しなくても大丈夫ですよ。書類仕事をサボれて喜んでいるのを顔に出さないように凄んでるだけですから」

「余計な事は言わなくていい。フラヴィアの店を大繁盛させた立役者が持ってきた話だ、さぞや面白いんだろう? 遠慮せずに話せ……といっても、ケントみたいに図々しいのは駄目だがな」


 クラウス様は何度か奥様やベアトリーチェさんと一緒にお店に来たのを見掛けている。

 対応はフラヴィアさんがしていたので直接話したのは挨拶程度だが、私の事も知っているようだ。


 そもそも、救出された時の私達は、国分君がクラウス様に交渉してくれたから、ヴォルザードに受け入れられたのだ。

 何のコネも無く、ゼロから領主様と交渉した時の国分君はどれほど大変だったのだろう。


 それに比べたら、彼のおかげで存在を知ってもらえている私は遥かに恵まれている。

 国分君に救ってもらった者として、恥ずかしい姿を見せる訳にはいかない。


「今日伺ったのは、プールの設営についてのお願いです」

「なんだ、そのプール……てのは?」

「ご説明させていただきます。プールとは……」


 まず最初に、体を鍛えるための施設としてのプールを説明した。

 泳ぐ能力を身に付けると同時に、全身運動によって体を鍛える。


 夏の暑い時期であっても効率的な訓練が出来る……などのメリットを紹介した。


「なるほど……確かに炎天下での訓練は体力の消耗が激しくて効率が悪い。水の中ならば涼しく訓練が出来るって訳だな。だが、それを何でフラヴィアの店の者が提案するんだ?」

「はい、日本ではプールは訓練施設として使われる他に、レジャー施設としても用いられています……」


 訓練施設としてのプールのメリットを理解してもらったところで、いよいよ本筋の娯楽としてのプールと水着についてのプレゼンを行った。

 ただ、男性相手のプレゼンだからと、タブレットを使ってグラドルの水着姿なども見せたのだが、クラウス様は殊更に眉間に皺を寄せて眺めていたから逆効果だったかもしれない。


「ニホンにおける娯楽としてのプールの役割は分かった。フラヴィアの意図も大体理解できたが……問題はヴォルザードに馴染むかだ」

「やっぱり肌の露出が多すぎますか?」

「そうだな、若い野郎どもは大歓迎するだろうが、若い女が水着ってのを着たがるかだ」


 確かに、ヴォルザードの一般的な女性は、日本の同年代の女性に比べて露出は控え目だ。

 フラヴィアさんの店で売っている服が人気になって、それまでよりはスカート丈とかも短くはなったが、それでもミニスカートやノースリーブなどを見掛ける事は少ない。


「ですが、パーティ―のドレスなどは胸元が大きく開いていたりしますし、プール限定となれば着てもらえるのではありませんか?」

「どうだろうなぁ……惚れた男に見せる分には構わないだろうが、プールには他の野郎共もいるんだろう? その状況で見せても構わないと思わせられるか……だな」


 確かにクラウス様の言う通り、露出の許容イコール貞操観念といっても過言ではない。

 恋人になら見せられても、他人には……見方を変えて男性の立場なら、自分以外の男には見せたくないと思うかもしれない。


「訓練施設としてのプールは、メリットが大きいから設営は進めてやる。だが、若い女性に水着を着たい、その姿を見せても構わないと思わせられないと、娯楽としてのプールは成立しないと思うぞ」

「そうですね……」


 勢い任せで交渉に臨んだが、やはり習慣の壁は高いと思わされてしまった。

 地球で昔使われていた、七分袖七分丈のモサい水着なら受け入れてもらえるかもしれないが、それは私たちの望みとは違う。


 どうせ売るなら、水着は可愛くなければいけない、セクシーでなければならないのだ。

 だけど、可愛くセクシーな水着は簡単には受け入れられない……プレゼンの最中だというのに、黙ったまま考え込んでしまった。


「知らない男の目に肌を晒すのがデメリットなら、メリットを増やしてやればいいんじゃないか?」

「メリットを増やす……?」

「そうだな……例えば、プールってのは魔物使いの国の習慣で、男女の出会いの場にもなっている。プールができれば魔物使いが利用するだろうし、あわよくば愛人の一人になれるかも……」

「お父様、冗談が過ぎるのではありませんか?」


 国分君をダシに使うという話が出た途端、ベアトリーチェさんが凄みのある声で待ったを掛けた。


「何をこの程度で苛ついてるんだ、かも……だ、かも!」

「それでは詐欺じゃないですか!」

「分かってねぇな、いいかリーチェ、目的は若い女性に水着を着せてプールを利用させることだ。水に入って泳ぐのは気持ちいいんだよな、タカコ」

「は、はい……暑い日には最高です」

「だとしたら、その気持ちよさを味わわせてしまえばいいし、そのためのちょっとした詐術なら許される。それに、例え本当にケントが現れなくても、こんな格好をしている女性を男どもが放っておくと思うのか?」

「だとしたら、女性を無理やり……」

「そんな状況にさせないために、守備隊の敷地にプールを作ろうって魂胆なんだろう?」

「そ、その通りです」


 驚いた。男女の出会いとか、それに関わるトラブル防止とかは、全く話していないのにお見通しだった。


「タカコ、安息の曜日に城壁に上ったことはあるか?」

「いえ、話には聞いていますけど……」

「じゃあ、一回行ってみるんだな。人目もはばからず、ベタベタ、チューチュー……守備隊の連中が見回り当番になると悲惨だってボヤいてるぜ」

「そうなんですか」

「あぁ、そいつは見方を変えると、他に遊びに行くような場所が無い証拠でもある」

「では、プールを作って解放したら、城壁に行ってた人達が集まってきますか?」

「可能性はある。他の男には見せたくないって思う奴と、他の男に見せつけたいって奴もいるだろうからな。それに、そもそも水着ってのは見せるためのものなんだろう?」

「はい、おっしゃる通りです」

「若い連中に出会いの場を提供するのも領主の仕事だ。なんでだか分かるか、タカコ」

「娯楽によって、生活に張り合いを……」

「そうじゃねぇ、出会って、やることやって、子供を増やすためだ」

「えぇぇ……」

「ニホンから来た連中には想像できないだろうが、赤ん坊ってのは簡単に死んじまうものだ。ユイカがヴォルザードに来て、赤ん坊の死ぬ割合は下がったが、それでもニホンに比べれば遥かに死亡率は高いそうだ。新しい命が生まれなければ街は衰退する一方だ。逆に人が増えれば街は栄える。せいぜい、プールと水着で若い連中をやる気にさせてくれ」

「はぁ……」


 まさか、領主様からストップを掛けられるどころか背中を押されるとは思わなかった。

 しかも、出会いどころか、その先までを見据えているとは……。


 プールの設営、運営については守備隊主体でやってくれる事になった。

 ただし、設営場所やプールのイメージについて守備隊の担当者との打合せをするように言われた。


 更衣室やロッカー、貴重品の預かり所なども必要になるし、水遊びには事故が付きものだから、監視員の配置などもお願いしないといけないだろう。

 プールサイドの屋台の話になると、クラウス様は身を乗り出して興味を示した。


「なるほど、今年やって上手くいったら、来年は別の場所にも作らせるか……いや、作るところからやらせるか……」


 捕らぬ狸の皮算用ではないが、クラウス様の頭の中では来年の夏のことまで想像が及んでいるらしい。

 とりあえず、領主様を抱き込むことには成功したらしいので、これから忙しくなりそうだ。

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