第625話 素敵なお姉様

※ 今回はケントの後の下宿人ミリエ目線の話です


「おはようございます」

「おはよう、ミリエ」


 ミドリお姉様のシェアハウスを訪ねたら、リビングで迎えてくれたのはサチコさんだった。

 サチコさんは、私が下宿しているアマンダさんの食堂で働いていて、明るくサバサバした性格で男性のお客さんからとても人気がある。


 でも何か事情があるらしく、特定の男性とお付き合いするつもりはないらしい。

 でもでも、お腹には赤ちゃんがいるそうで、その辺りの事情は聞いてみたい気もするが、その何倍も聞くのが怖かったりする。


「今日は、碧と出掛けるの?」

「はい、お姉様にジテンシャの乗り方を教えてもらうんですけど……私じゃ無理ですかね?」


 微妙な表情を浮かべたサチコさんは、一転してニカっと笑ってみせた。


「にししし……顔に出てたか。自転車は乗るのにコツがいるから、たいがいの人は乗れるまでちょっと練習が必要だね」

「やっぱり止めておいた方がいいですかね?」

「なんでさ、何事にも得手不得手はあるだろう。でも自転車は練習してコツさえ掴めば乗れるようになるから心配いらないよ」

「そうでしょうか?」

「そうそう、ミリエだって、まともに木剣振れるようになってきたじゃん」

「えっ、どうしてサチコさんが知ってるんですか?」


 ヴォルザードに来たばかりの頃は、まともに木剣の素振りすらできなかった。

 お姉様の指導もあって、少しずつ鋭く振れるようになってきたけど、サチコさんに見せたことは無いはずだ。


「にししし……なんで知ってるのかって? そりゃあ、あたしがサチコさんだからだよ」

「えっ? ん……?」


 分かったような、分からないような……でも、誰とでも仲良くなってしまうサチコさんなら、色んな情報を知っていてもおかしくない。


「あのぉ……ミドリお姉様は……?」

「あぁ、まだ寝てるかもよ」

「えぇぇ……」

「昨日は貴子と盛り上がってたから、遅くまで起きてたんじゃないかな」

「盛り上がるって……」

「貴子のデザインの話だよ。あとで聞いてみな」

「はい、そうします」

「おぉ、噂をすれば……おはよう、碧」


 二階へ続く階段から、眠そうに目をこすりながらミドリお姉様が降りてきた。

 いつもしなやかで艶々の黒髪に、ちょっとだけ寝癖がついていて気だるい感じの表情は、めったに見られない激レアものだ。


「おはよぅ……あぁ、ごめんミリエ、もう来てたんだ」

「いいえ、今さっき来たばかりです。大丈夫です、平気です!」

「ふふっ、すぐ支度するから待ってて」

「はい!」


 お姉様は、にっこりと微笑むと洗面所へと歩いていった。


「にししし……ミリエは本当に碧が大好きだねぇ」

「はい……大好きです」

「じゃあ、お手伝いに行かなくていいのか?」

「お手伝い……ですか?」

「そりゃあ、お着替えの手伝いに決まってるだろう」

「お、お着替えって……しょんなこと……」


 言われた途端、お姉様が着替える様子を想像してしまった。

 お姉様が寝巻を脱いで、白い素肌が露わになって……。


「ミリエ、今日の碧の下着を選んであげれば?」

「し、下着ぃ……」


 お姉様は、親友のタカコさんが服屋で働いているので、試作品や宣伝用に日頃から色々な服をお召しになっている。

 その一環として、下着も色や形が違うものをたくさんお持ちだ。


 中には、こんなの使う予定無いんだけど……とおっしゃる『見せる下着』なるものもあって、何のために着るのか分からない、大事な部分が見えそうなものもあった。

 あんな下着……こんな下着をお姉様がお召しになったら……。


「うへへへぇ……」

「ミリエ、よだれ出てるよ」

「ひゅぅ……で、出てません」

「にししし……んじゃ、あたしはそろそろ出掛けるから、またね」

「あっ、はい、いってらっしゃい」


 今日は闇の曜日でアマンダさんの食堂は休みだけど、サチコさんはケーキの試作をしに行くそうだ。

 サチコさんが出掛けた後、身支度を終えたお姉様が戻ってきた。


「ミリエ、朝ごはんは?」

「下宿で食べてきました」

「そっか、アマンダさんのところだもんね」

「はい、食堂は休みでもメイサちゃんは学校がありますし」

「ごめん、パパっと食べちゃうから、お茶飲んで待ってて」

「はい、急がなくても大丈夫ですよ、お姉様」


 といっても、これからお姉様が食事を作る訳ではなくて、シェアハウスの管理も担当してくれているフローチェさんが調理してくれるらしい。

 フローチェさんは、お姉様と同じ世界からきたシューイチさんのお嫁さんであるシーリアさんのお母さんだそうだ。


 嘘か本当かわからないけど、フローチェさんは隣国リーゼンブルグ王国の元王妃様で、シーリアさんは元王女様だという。

 いくらお姉様の話でも、あっさり信じられないけど、ここでは何があってもおかしくはない。


 だって、私が住んでいる部屋だって、あのケント・コクブさんが下宿していたのだから。


「お姉様、昨日は遅くまで起きていらしたのですか?」

「うん、ちょっとね。貴子と水着のデザインで盛り上がっちゃって」

「水着……って何ですか?」

「あぁ、ミリエも水着は着たことないのか。じゃあ泳いだこともない?」

「泳ぐって、川とかでですか?」

「うん、そう」

「ないです。男の子は川遊びしてましたけど、女の子は膝までしか入るなって言われてましたから」

「でもさ、暑っぅぅぅぅい日には冷たい水に浸かりたいって思ったことない?」

「あります! 水風呂に浸かるのは気持ちいいですよね」

「私たちの世界にはプールっていうものがあって、言ってみれば人工の池なんだけど、夏はそこで泳ぐ習慣があるの」

「えっ……女性もですか?」

「そうだよ」

「しょんな……見えちゃいます」

「だから、泳ぐため専用の服があるの」

「あっ……それが水着ですか?」

「そういうこと」


 服を着ているなら大丈夫だと思ったけど、朝食を終えた後でお姉様が見せてくれた水着は……。


「こ、こ、こんなの下着じゃないですか」

「下着じゃないよ。ちゃんと水に濡れても透けないように作ってあるんだよ」

「そ、そうだとしても、形が……」

「まぁ、これは大人っぽいビキニだから露出多めだけど……そもそも、普通の服を着て泳ごうとしても、濡れると体に張り付いて動きづらくなって、溺れる原因になるからね」


 確かに、急な雨でずぶ濡れになったりすると、服が体の動きの邪魔になる。

 それは分かるけど……それにしたって肌が見え過ぎだと思う。


「まさか、お姉様がこれを着て男性に見せるんじゃないですよね?」

「うん、これはまだ私には早いけど、こっちのセパレーツなら……」

「駄目です! お姉様の柔肌を汚らわしい男共に見せるなんて、絶対に駄目です!」

「いや、だから裏にはちゃんとサポーター機能が持たせてあって……」

「駄目です、こんなの不潔です!」

「はぁ……ミリエは貴子の努力を否定するの?」

「そ、そういうつもりでは……」

「確かに、こちらには水着で泳ぐ習慣が無いから、露出が多すぎるって思うかもしれないけど、私たちの世界では夏の娯楽として普通のことなの」


 お姉様の話では、ヴォルザードでもプールで泳ぐ、遊ぶという娯楽を広めようという企画が進められているそうだ。


「新しい習慣、新しい娯楽が広まれば、関連して色んな商品が売れて経済が潤うようになるの。勿論、いかがわしい商売が流行るのは問題だけど、水泳は体を鍛えるのにも役立つし、夏の暑さを解消するのにもってこいなのよ」

「でも、こんなに肌を見せるのは……」

「別に街中をこの格好で歩く訳じゃないわよ。水着になるのはプールに入る時だけよ。それに、極端な話になるけど、冒険者として活動するなら、魔物と戦っている最中に服が破れることだってあるわ。そんな時に、ミリエは恥ずかしいから戦いを止める? 私は生き残るためならば、裸を晒してでも戦うわよ」

「お姉様……」


 キリっと引き締まったお姉様の表情に、冒険者としての覚悟が見えた。


「それにね、ミリエ。水着は女性にとっては夏の戦闘装備なのよ」

「えぇぇ! まさか、こんな服で戦うんですか?」

「ふふっ、ミリエは水着を着る意味が分かっていないわね」

「それは、水の中でも動きやすいからでは……」

「ちっちっちっ、それだけじゃないわ。水着を着て、肌を晒すということは、普段の節制や鍛練を他人に見せつけるということなのよ」

「節制ですか……ひゃぅ、お姉様、なにを!」


 いきなりお姉様に脇腹を掴まれて、思わず手を払ってしまった。


「ミリエ、太ったわね」

「えっ……」

「まぁ、仕方ないわね。アマンダさんの料理は美味しいからね……」


 ニヤっと笑ったお姉様の言う通り、アマンダさんの料理は絶品だ。

 冒険者は体が資本なんだからシッカリ食べなさいと言われるまでもなく、あんなに美味しい食事ならば喜んで食べてしまう。


 勿論、昼間は色々な見習い仕事をしたり、お姉様の討伐依頼に付いて行ったりもしているが、運動量を上回る量を食べている自覚はある。

 そのおかげで体力が付いて、木剣も振れるようになったが、さっきお姉様に掴まれた脇腹には肉が余り始めている。


「ミリエ、私のお腹、触っていいわよ」

「えぇぇ……そんな、おこがましいです」

「何言ってるの? まぁ、いいわ、見せてあげる」

「ちょ、お姉様……」


 すっと立ち上がると、お姉様はシャツをたくし上げてみせた。

 お姉様のお腹は、薄っすらと筋肉が浮き上がるほど引き締まっている。


 シャツを下ろしたお姉様は、ふっと笑みを浮かべて歩み寄ってきた。


「お腹だけじゃないわよ……二の腕」

「ひゃう!」

「背中!」

「んきゃ!」

「太腿!」

「はうぅぅぅ……」

「ユルユルね……ユルキャラ、ミリエね」

「酷いです、お姉様……」


 お姉様に全身の贅肉を抓まれてしまった。


「いいこと、節制と鍛練が冒険者の体を作るの。そして、普段は服や防具で隠せても、水着姿では隠せないわ。ミリエが恥ずかしいと思うのは、自分の体に自信が無いからよ」

「ふぐぅ……おっしゃる通りです」

「水着は、人として、女性として、冒険者として、アピールするための装備なのよ」

「分かりました……」

「でも大丈夫よ、ミリエ。自転車は膝に負担を掛けずに太腿の贅肉を落とす最強アイテムだから、まだ夏には間に合う……いいえ、間に合わせてあげるわ」

「お姉様……」

「さぁ、いくわよ!」

「はい、お姉様!」


 お姉様と一緒に、最強アイテムを使って太腿の引き締めに挑んだけれど、夕方まで掛かってもジテンシャに乗れなかった。

 そもそも車輪が二つしか無いのだから、倒れるのは当然だと思う。


 それに……。


「ミリエ、ぐっと踏み込んだら、バランスとって、シャーって漕ぐの、止まる時はブレーキをギュっだからね、分かったわね!」


 分からないです、お姉様……。

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