第623話 再開要請

 日本政府からの連絡がありません。

 ISSの乗組員を練馬駐屯地から送り届けるのに二百四十億円の報酬を提示されてから、パッタリと音沙汰が無くなりました。


 うん、梶川さんの胃に穴が開いてないといいなぁ……。

 たぶん、日本政府の算出した金額と、梶川さんが考える金額が天と地……いや、宇宙空間とマントルぐらいの差があるんでしょうね。


 あるいは、このまま無かったことにしようなんて考えているんでしょうかね。

 それならそれで構いませんけど、こちらの世界の資源について日本政府は一切の権利を失うと考えてもらわないといけませんね。


 本当は、小惑星の衝突絡みの問題は、全部綺麗に片付けてしまいたかったのですが、日本政府の回答を待っていると何時まで経っても話が進みそうもありません。

 なので、待ってもらっているカミラの輿入れを進めさせてもらいましょう。


 リーゼンブルグの王都アルダロスの城にある居室を訪ねると、カミラは窓辺の椅子に座って刺繍をしていました。

 服装も王女様らしいドレス姿ですし、ラストックにいた頃の騎士服姿とは大違いです。


 大違いといえば、カミラの表情もあの頃とは違っています。

 ラストックにいた頃は、追い詰められて余裕も無く張り詰めていましたが、今は別人のように柔和な表情をしています。


「カミラ……」

「ケント様」


 闇の盾からでながら声を掛けると、手元から僕の方へと視線を向けたカミラは、まるで花がほころぶような笑顔を浮かべました。

 くぅ……なんですか、この可愛らしい生き物は、けしからん!


 けしからんから、縫いかけの刺繍をテーブルに置いたカミラをギューって、ギュ──って抱きしめて口づけしました。


「待たせて、ゴメンね」

「いいえ、星の滅びは回避できたと聞きました。お疲れ様でした」

「まだ日本政府との報酬の件が片付いていないんだけど、輿入れを進めてもらってもいいかな?」

「勿論です、やっとお側に参れるのですね」

「うん、ヴォルザードでは一緒に暮らせるよ」

「嬉しいです、ケント様……」

「カミラ……」


 真っ昼間から、そんなことをいたしてしまうなんて許されませんよねぇ、愚王とか呼ばれちゃいますよねぇ……ここはギュっとハグするだけで、我慢我慢……。

 カミラは、小惑星関連の情報はコボルト隊経由で、なんとなくは聞いていたらしいのですが、改めて詳細について説明しました。


「ブースターを使われたのですね」

「うん、今回は待った無しの状況だったからね」


 思い返してみると、初めてブースターを使ったのは、カミラが当時の第一王妃に毒を盛られた上で刺された時でした。


「あの時は、カミラは死にそうになっているし、ラストックにニブルラットが押し寄せているし、本当に駄目かと思ったよ」

「私は、もう駄目だと諦めてしまいました。こうして生きていられるのは、全てケント様のおかげです。この命も、体も、心も、全部ケント様のものです」

「僕が助けたくて助けたんだから、負い目を感じる必要なんてないよ。でも、こんな僕を愛してくれるのは嬉しいよ」

「ケント様、お慕いしております」

「うん……」


 輿入れを直前で延期してしまったからでしょうか、今日のカミラはいつにも増して甘々モードで、僕も感情を引っ張られてしまっています。


「ケント様、日本政府と報酬について話がまとまっていないのですか?」

「うん、前代未聞の事態だし、僕がやった事に対して、どの程度の値段を付ければ良いのか困ってるんじゃないかな」

「ですが、ケント様は星を滅亡から救ったのですから、相応の謝礼はすべきではありませんか?」

「そう簡単にはいかないよ。国の予算だって限られているのはカミラにも分かるでしょ」

「それは、確かにそうですね。思い返してみればリーゼンブルグも、私やディートヘルムも、何度も危機を救っていただいたのに、十分な謝礼をしておりません。申し訳ございません」

「別にいいよ。僕が勝手にやったことだし、カミラの国や弟なんだから助けるのは当たり前だよ」


 あれっ、でもその考え方をするなら、地球を救った報酬も無しで構わないことになっちゃうな。

 てか、二百五十億円ももらっているし、あの発言さえなかったら報酬は安くても良かったんだけどね。


「では今回は、徹底的に請求なさるのですか?」

「うーん……どこかで落としどころを探ることにはなると思うけどね。普通にロケットを飛ばす場合と、僕が魔術でやるのとでは状況が全然違うからね。支払われた後の報酬の流れも全く違うから、日本政府も考えちゃってるんじゃないかな」

「支払われた後の報酬の流れ……ですか?」

「そう、普通にロケットを飛ばす場合、沢山の会社や大勢の人が関わって、報酬はその人達に広く支払われて社会を広く潤すけど、僕の場合は僕一人に巨額の報酬が支払われて、そこでお金の流れが止まってしまうんだよね」


 先日の二百五十億円も手つかずのままです。

 この上、更に巨額の報酬が支払われたとしても、また手つかずのままで箪笥預金のようになってしまいそうです。


「それならば、ケント様がお金を使えば良いだけではありませんか?」

「まぁ、そうなんだけど……何に使えば良いものか」


 これが、日本で暮らしていて宝くじの高額当選したのなら、広い家を買ったり、運転手付きの高級車に乗ったり、ブランド品の服や時計を買い漁ったりするのかもしれませんが、暮らしの拠点がヴォルザードだと使い道に困ってしまいます。


「ケント様は、何か欲しいものは無いのですか?」

「うん、特には……家もあるし、家族も出来たし、食事も不満は無いし、服を買うのもヴォルザードだしなぁ……今更だけど、お金は稼いだら使わないといけないんだね」

「そうですね、特定の者が富を独占してしまうと、貧しい者たちは更に貧しくなってしまいます」

「ヤバい、僕が格差問題の原因になっちゃってるのか?」


 日本に居た頃、父さんの稼ぎが良かったのか、母さんが浪費をしていても経済的に困窮しているとは余り感じていませんでした。

 いや、婆ちゃんが年金でカバーしてくれていたのかな。


「突然、巨万の富を手にした者たちは、生活が一変して人柄までもが変わると聞きますが、ケント様は全く変わりませんね」

「うん、生活が変わってないからだと思うけどね」

「では、生活が変わったら、ケント様も変わられてしまうのでしょうか?」

「どうだろうね。というか、そういうカミラはかなり変わったよ」

「えっ、私が……ですか?」

「えぇぇ……僕を真夜中の魔の森に追放したのは何処の誰だか忘れちゃったの?」

「あっ……そうでした。申し訳ございませんでした」


 ピッタリと寄り添っていたカミラが、慌てて体を離して深々と頭を下げた。


「あの件については十分な謝罪を受けているから、もう終わり。でも、変わってるでしょ?」

「はい、ケント様のおかげで私は変われました」


 カミラの腰に手を回して引き寄せる、どうしてこんなに柔らかいんでしょう。

 そういえば、ラストックにいたころには毎朝剣の鍛練を欠かさなかったみたいですけど、今はどうなんでしょうね。


 あの頃はアスリートみたいな体形をしてましたけど、今は肉付きが良くなって、女性らしさが増している気がします。

 けしからん胸元も、更にけしからん状態になっている気がします。


「ケント様、お金を使うのが難しいのであれば、寄付をされたらいかがですか?」

「寄付かぁ……考えたことも無かったけど、よく分からない団体には寄付したくないなぁ……」

「そこは、よく実態を調べられたらよろしいかと……ケント様相手に隠し事などできるはずがありません」

「それもそうか」


 宝くじで高額当選すると、どこからか聞きつけた企業が高額商品の購入を勧めてきたり、ボランティア団体が寄付を求めて来る……なんて話を聞きます。

 勿論、大多数のボランティア団体は真面目な活動をしているのでしょうが、中には怪しげな団体も存在すると聞きます。


 社会に貢献する活動ならば応援しますが、私腹を肥やす活動に手を貸す気はありません。


「とにかく、世の中に広くお金が巡っていくような使い道を考えてみるよ」

「それがよろしいかと存じます」

「でも、その前にカミラの輿入れが先だね」

「はい」

「そうだ、どこかに新婚旅行に行こうかな。日本は夏だし、北海道とか良さそうな気がする」

「ケント様の生まれた国へ行けるのですか?」

「まぁ、日本政府と相談して……だけどね」

「叶うならば、是非行ってみたいですし……私が引き起こした召喚による事故で亡くなられたご遺族に直接謝罪したいです」

「うーん……それは難しいかなぁ……」


 よく考えてみれば、カミラは騒動の中心人物というよりも張本人です。

 一応、リーゼンブルグと日本の間には和解が成立していますが、個人の感情は別問題です。


 一番過激な思想の持ち主だった船山の父親は、事件に巻き込まれて亡くなられましたが、他にも召喚絡みで子供を亡くした人はいます。

 そうした人々は、賠償金を受け取ったとしても完全に納得した訳ではないはずです。


 日本に連れて行くメンバーを完全に秘匿できるならば安全を確保できるでしょうが、もしカミラを連れて行くと事前にバレた場合、一気に危険度は増してしまいます。


「うーん……やっぱり日本に行くのは難しいかな」

「申し訳ございません。私のせいで……」

「もう、そんな顔しないの! 可愛い顔が台無しだよ」

「か、可愛いなんて……とんでもないです」


 いやいや、可愛いと言われただけで狼狽えているカミラはメチャメチャ可愛いですよ。

 本当ならば、日本に連れて行ってヴォルザードから日本に戻った同級生たちにも見せつけてやりたいんですけどね。


「日本が無理なら……グリャーエフに行ってみる?」

「バルシャニアの帝都に私が……はい、是非行ってみたいです」

「グリャーエフなら、コボルト隊も万全の状態で動けるし、警備体制もバッチリ整えられるからね」

「セラフィマはアルダロスを訪れて、民衆に姿を見せました。私もグリャーエフで両国の友好の証として振舞ってみたいです」

「では、皇帝コンスタンに打診してみるよ」

「はい」


 この後、カミラと一夜を共にして、翌朝ヴォルザードに戻りました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る