第622話 現状確認

 翌日、薬屋のコーリーさんからもらった情報をもとに、カカオならぬベルロカの実の捜索を開始しました。

 リバレー峠の東側、イロスーン大森林へと続く斜面となると、殆ど人が立ち入らない地域です。


 殆どと言ったのは、立ち入る人も存在していて、一部の山賊の隠れ家になっていたりするそうです。

 街道が走っているのはリバレー峠の西側の斜面で、峠の頂上付近に出没する山賊の中には、斜面を登り切って反対側に潜んでいることが多いようです。


 ただし、山賊全体の中では、そうした者たちの割合は少ないそうです。

 理由は、斜面を越えた隠れ家だと、強奪した品物を持ち帰るのが大変なのと、魔物が出没する割合が高くなるかららしいです。


 まぁ僕らの場合は、山賊に遭遇したところで、捕まえて懸賞金にするだけですけどね。

 コーリーさんの情報で、場所が特定できたおかげで、その日のうちにベルロカの木は発見できました。


 実が熟すのは秋だそうですが、すでに木には小振りの実がなっています。

 これから更に成長して、熟すのでしょう。


「うん、確かに見た目はカカオだけど……なんだか少し感じが違うような……」


 実の形はカカオに似ていますし、コーリーさんの話によれば実の中も似ているそうですが、生育環境がネットの情報とは異なっています。

 まず、高温多湿ではありません。


 場所的には、ヴォルザードよりも少し北で、更に少し標高が高いので、比較すると気温は低いはずです。

 ヴォルザードの気温は、冬は東京よりも少し暖かく、夏は周囲が森なので少し涼しいので、ベルロカの木が生えている場所も高温になるとは思えません。


 それと、カカオは直射日光を嫌うとネットの情報には出ていましたが、ベルロカの木は東向きの斜面で思いっ切り日を浴びています。

 木の性質が、カカオとはだいぶ違っているように感じます。


「まぁ、それでも味が同じなら問題無いと思うけど……まだ実が熟していないから検証のしようもないか」


 ベルロカの実は、秋の味覚として金持ちの物好きが食べるものらしく、今の時期には全く手に入りません。

 地球のように冷凍保存の技術もありませんし、大人しく実が熟すのを待つしかなさそうです。


「秋まで待って、また採りに来るか……」

『ケント様、勝手に収穫すると後々トラブルになるかもしれませんぞ』

「そうか、イロスーン大森林って勝手に立ち入ったらいけないんだっけ?」

『さぁ? ワシらの頃とは法も変わっていると思うので、クラウス殿に確認された方がよろしいですぞ』

「そうだね、そうしよう」


 ベルロカの木が自生しているのは、リバレー峠の東斜面の南寄りの地域です。

 イロスーン大森林を横断する街道からは遠く離れていますし、バッケンハイムは大森林の向こう側になります。


 マールブルグとヴォルザードで比べても、直線距離ならヴォルザードの方が近いです。


「てか、ここは何処の領地になるんだろう?」

『悩むよりは、聞いた方が早いですな』

「だねぇ……」


 ヴォルザードに戻る前に、まだ青く小さいベルロカの実を一つもいでおきました。

 ギルドの執務室を覗くと、まだ昼前だというのに、やる気の欠片も感じられないクラウスさんの姿がありました。


 左腕で頬杖を突いて、ダルそうに書類を眺めては署名しています。

 まぁ、こんな調子でも街は問題無く動いているのだから、ある意味優秀な領主様なのかもしれませんね。


 闇の盾を出し、一声掛けてから執務室に足を踏み入れます。


「ケントです、失礼します!」


 アンジェお姉ちゃんの足下で、だらしなく腹天していたヴォルルトがマッハの勢いで起き上がったのは見なかったことにしてあげましょう。


「どうした、また日本の厄介事か?」

「いえ、リバレー峠の東斜面について教えてもらいたいのですが……」

「リバレー峠の東斜面だと? 木が生えてるだけで殆ど手つかずだが、どうかしたのか?」

「これをご存じですか?」

「おぅ、まだ実になったばかりのベルロカだろう」

「はい、そのベルロカについて、ちょっとご相談が……」

「金になる話か?」

「上手くいけば……」

「詳しく聞かせてもらおうか」


 ニヤリと笑ったクラウスさんは、手にしていた書類を机に投げ出すと、応接ソファーへと場所を移しました。


「それで、ベルロカがどう金になるってんだ?」

「まずは、これを味見してみて下さい」

「なんだこりゃ、甘い匂いがするな」

「日本で売られているチョコレートという菓子です」

「どれ……うん、うん……何とも言えない香りだが、悪くない。いや、これは女子供が喜ぶ味だな」

「はい、こうして単体で食べたり、他の菓子を包んだり、飲み物にも使われています」

「これが、ベルロカから出来てるのか?」

「地球で採れるカカオというベルロカに良く似た実の種を加工して作られています」

「なるほど、こいつで一儲けしようって魂胆か?」

「僕が儲けるというより、綿貫さん……えっと、アマンダさんの店で働いているサチコがケーキ屋を開く時に使いたいと言ってるんです」


 クラウスさんに、綿貫さんの目標とケーキ作りにおけるチョコレートの重要度を説明しました。


「なるほどな……サチコの話は俺も耳にしている。それで、ベルロカは使い物になるのか?」

「さぁ、まだ実がこの大きさなんで検証のしようが無いんですが、その前に勝手に収穫しても構わないものなのか確認しに来ました」


 ベルロカの木が生えている場所が、どこの領地になるのか、大規模に収穫して後で問題にならないのか……などを訊ねました。


「そうだな……十個や二十個程度を採ってくる分には何の問題も無いな」

「イロスーン大森林に勝手に立ち入っても大丈夫なんですか?」

「立ち入りは許可されている……といっても、魔物の数が増えた時に立ち入り禁止になって、その後解除されたのかは確認してないな」

「あの立ち入り禁止は、魔物が急激に増えたことに対する措置ですよね?」

「そうだ、一時的な立ち入り禁止であって、法律で永続的に立ち入りを禁じた訳じゃない」

「では、勝手に入ってベルロカを収穫しても問題は無いんですね?」

「いや、問題が無い訳じゃない」

「何が問題なんですか?」

「いろいろと曖昧なまま放置されてるんだよ」


 クラウスさんの話では、イロスーン大森林の所有権はずっと以前から明確に決められていないそうだ。

 マールブルグとバッケンハイムの間では、イロスーン大森林を抜ける街道の中間点が領地境ということになっているが、街道での検問は行われているものの、境を示す柵とか壁が設置されている訳ではないそうだ。


「でも、今回はリバレー峠の東斜面ですから、領地とすればマールブルグかヴォルザードですよね?」

「まぁ、そうなんだが、利権が絡むと一筋縄ではいかなくなる」


 つまりは、ただの森ならば別に誰のものでも構わないが、巨額の利益を生み出すとなれば黙っていないということなのだろう。


「ケント、ベルロカが思い通りのものだったとして、すぐに利益に結び付くか?」

「いいえ、種を加工するには様々な工程が必要ですし、簡単に売り物にはならないと思います」


 醗酵や焙煎については試行錯誤が必要でしょうし、カカオがあれば準備が全て整うわけではありません。

 クラウスさんにチョコレートが出来るまでの工程をタブレットを使いながら説明しました。


「ベルロカの実が手に入れば、使えるかどうかは判断できるんだな?」

「確認は可能なはずです」


 売り物になるまでには時間が掛かると思いますが、チョコレートの原料として使えるかどうかは判断できるでしょう。


「だが原料から製品になるまでをサチコ一人でやるのは不可能だろう、人手はどうすんだ?」

「そこなんですが、綿貫さんとしてはケーキの材料として、高品質なものを確保できれば良いらしくて、全部自分でやらなくても構わないそうなんです」

「それじゃあ、ケントがやるのか?」

「僕は、原料を確保する部分に携わろうかと思ってます」

「じゃあ、製品化は?」

「ヴォルザードの産業にできませんかね? 地球にはチョコレートで有名な街があるんですよ。何社かで、チョコレート作りを競わせれば、ダンジョンと魔の森以外でヴォルザードの名物になるかと思ったんですけど……」

「それだ! 良く思いついたな、さすがはリーチェが選んだ男だ!」


 マールブルグは鉱石、バッケンハイムは学問、ブライヒベルグは商業の中心、フェアリンゲンは繊維、リーベンシュタインは農業、エーデリッヒは海上交易。

 ヴォルザード以外の領地には、それぞれ特徴がある。


 ヴォルザードにもダンジョンと魔の森という特徴はあるが、他の領地に比べると商業価値で見劣りがする。

 チョコレートという特産品ができれば、ランズヘルト共和国内に留まらず、リーゼンブルグ王国にも輸出の道が開けるはずだ。


「確かに、このチョコレートってやつは、他では口にしたことのない味わいだ。量産できれば特産になり、金になる」

「でも、まだベルロカで作れるとは限りませんよ」

「おっと、そうだったな、だが期待するだけの価値はあるぜ」

「僕としては、まずベルロカでチョコレートが作れるか確認して、可能であればヴォルザードの近くに農園を作りたいと思ってます」

「魔の森を切り開くのか?」

「魔の森でなくても、ヴォルザードからダンジョンに行く途中とか、リバレー峠へ向かう途中とか、何ヶ所かの森で栽培できるか試して、ゆくゆくは大規模農園とか作って雇用を生み出せれば……なんて考えてます」

「おぅ、いいじゃねぇか、冒険者以外の職も増やさないと、領地として先細っちまうから、新しい事業を起こすのは歓迎だ」


 ひょんな事から話が始まりましたが、ヴォルザードの近くでベルロカが栽培できれば夢が広がります。

 異世界でチート能力を使って大規模農場主なんていうのも悪くないですよね。


「とはいえ、全ては秋になってベルロカが熟さないと話にならねぇが、一応マールブルグやバッケンハイムに横槍入れられないように準備は進めておいてやる。焦らずに、地固めするようにしろ」

「分かりました」


 さてさて、ヴォルザードでのチョコレート作りは、どう転がっていくんでしょうかね。

 ベルギーみたいに、チョコレートといえばヴォルザードと言われるようになるのでしょうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る