第620話 看板娘からの依頼
面倒くさい八木を、しっ、しっ、と追い返して、ほっと一息ついていたら、次なる来客がありました。
「国分、ケーキの試食してよ」
「おっ、綿貫さんが焼いたの?」
「そうそう、アマンダさんとメイサには味見してもらったんだけど、他の人の意見も聞いてみたくってね」
「勿論、喜んで試食させてもらうよ。それで、メイサちゃんが一緒なのは……そうか、今日は闇の曜日でアマンダさんのお店は休みなのか」
「そうそう、だからあたしがケーキの試作をできたんだよ」
「そっか、いらっしゃい、メイサちゃん」
「お、お邪魔します……」
「美緒ちゃんに宿題を丸投げしちゃ駄目だからね」
「むきぃぃぃ! しないもん! ケントのくせに生意気!」
うんうん、なんか妙に大人しいと感じたけど、やっぱりいつものメイサちゃんでしたね。
てか、なんで綿貫さんは頭を抱えてるのかな?
綿貫さんが持ってきてくれたのは、ロールケーキとチーズケーキで、どちらの見た目もプロレベルに感じます。
ケーキをマルツェラに渡して、僕の分は薄ーく切ってくれるように頼みました。
「なんだよ国分、そんなちょっとで味が分かるのか?」
「うん、大丈夫。てか、試食する人が沢山いるんで、僕がドカっと食べちゃうと後が怖いからね」
「あぁ、そうか。残しておかないと、嫁さんに怒られるのか……もっとたくさん作ってくれば良かったな」
「いやいや、大丈夫。あんまり食べると……おっと、これ以上は僕の口からは言えない」
「きししし……じゃあ、あたしが代わりに唯香に伝えておいてあげるよ」
「酷い! 僕は太るなんて一言も言ってないからね。濡れ衣だ、冤罪だ、僕は公正な裁判を要求する!」
「あたしも伝えるって言っただけで、太るなんて一言も言ってないけど……」
「ぐぬぬぬ……何のことだか分からないなぁ……」
「きししし……いいから早く試食してよ」
「はぁ……試食するから言っちゃ駄目だからね。それに、僕はちょっとポッチャリめでも全然オッケーなんだからね」
「いいから、早く食べなよ」
「はいはい、いただきます」
まったく、ケーキの試食をするだけなのに、なんでこんなに心臓に悪いのかねぇ。
「うん、チーズケーキは絶品! これなら行列ができるよ」
「持ち上げても何も出ないぞ」
「いやいや、これは本当に美味しいから、お世辞抜きだよ。ロールケーキは……うん、ベリーが酸っぱい」
「やっぱりか……」
「クリームが甘めだからかな? でも、ベリー自体も酸味が強いよね」
「そうそう、ヴォルザードの人だと普通なんだろうけど、どうしても日本の果物と比べちゃうとね」
「あぁ、それはあるね。僕が仕入れてこようか?」
「駄目駄目、国分の仕入れじゃ足が出ちゃうよ」
「でも、日本で安く売られているイチゴとかメロンでも、こっちならかなり甘いと思われるんじゃない?」
「そうだけどさ、日本から持ってくるのは何か違うかなぁ……って思うんだよね」
「地産地消……みたいな感じ?」
「まぁね。将来的に国分が関わらなくても日本とヴォルザードを行き来できるようになったら日本の食材を使っても良いと思うけどね」
「なるほど、その辺はこだわりなんだね」
綿貫さんはヴォルザードでケーキ屋を開く夢を持っています。
そこで売るケーキだから、ヴォルザードで安定的に手に入る材料を求めているのでしょう。
「素人の意見だけど、チーズケーキは問題無し、ロールケーキはもう一工夫欲しいね」
「うん、思った通りか……」
「何か困ってるの?」
「うん、やっぱり果物の入手方法かなぁ……今の時期なら問題無いんだけど、冬場とかは殆ど無くなっちゃうみたいだしね」
「あぁ、その辺は日本とは違うもんね。やっぱりケーキに使うにはドライフルーツだけじゃ駄目だよね?」
「うん、フレッシュなフルーツは欲しいけど、無理ならば別のものを使いたいね」
「別のもの?」
「やっぱり、ケーキ屋には色んなケーキが並んでないとね」
「あぁ、確かに……でも、果物が使えないとすると、シュークリームとか?」
「その手もあるけど、チョコレートが欲しい」
「あぁ、なるほど……でも、こっちにチョコレートなんか無いんじゃない?」
「だからさ……国分、作ってよ」
「はぁぁ? 僕がチョコレートを作るの?」
てっきりフルーツの入手方法の相談なのかと思っていたら、とんでもない方向に話がすっ飛んでいきました。
「チョコレートの原料って、知ってるよね?」
「えっと……カカオ豆だっけ?」
「そうそう、こっちの世界にも無いかな?」
「えーっ……カカオって、どこで採れるんだっけ?」
「たぶん、暑い国」
「またアバウトだねぇ。てか、暑い国なんて、この辺には無いと思うけど」
「だよね。だから……」
「だから?」
「南の大陸ならあるかも……って、メイサが言ってた」
「にゃ、にゃんで、あたし?」
いきなり話を振られて、メイサちゃんが目を白黒してますね。
「なんだよ、魔物がうじゃうじゃいても国分なら大丈夫だって、メイサが言ったんじゃないか」
「そ、そうだけど……」
「国分が南の大陸から採って来るか、栽培すれば良いって、メイサのアイデアだろう?」
「そうだけど……」
何だかメイサちゃんの様子がいつもと違っていたのは、この話があったせいですかね。
「国分が周りの人から、あれこれ仕事を押し付けられるのは、しっかりした本業を持っていないからで、カカオ豆の栽培で稼げば冒険者の仕事もしなくて済むし、ヴォルザードの人達にもチョコレートの素晴らしさを知ってもらえるんだろう?」
「本業かぁ……確かに僕には本業といえる仕事はないんだよねぇ……」
Sランクだから、冒険者を本業といっても問題は無いんだけど、ギルドに行って掲示板から依頼を選んで受注する……なんて久しくやってないんだよねぇ。
そうなると、冒険者が本業とは言えないような気がする。
「そ、そうでしょ。ケントは冒険者なんてやらないで農家になった方がいいよ。だって、農家なら倒れたりしないでしょ。ケントはお金持ちになったんだから、危ないことしなくていいの!」
「いやぁ、そんなに危ないこともやってないんだけど……」
「嘘っ、この前も倒れたんだって、ミオが言ってた。動けなくなって、ユイカさんやマノンさんに世話してもらってたって。そんなの……そんなの危なくない訳ないよ……」
「メイサちゃん?」
俯いたメイサちゃんは、声を震わせたかと思ったら、ポロポロと涙をこぼしました。
「危なくない……心配ない……なんて言って、もしもケントが死んじゃったら……うぅぅぅ……」
メイサちゃんに歩み寄って、そっと抱きしめてあげようかと思ったら、ロケットみたいな勢いで突っ込まれました。
「うぶふっ……心配かけてゴメンね、メイサちゃん」
変な声が出ちゃったからって、綿貫さんはニヤニヤしなくてもいいんじゃないのかなぁ。
「ケントは……危ないことしちゃ駄目なんだからね」
「はいはい、気を付けます」
「うー……駄目ったら、駄目なんだからね」
「分かりました」
ぎゅーっとしがみ付いてくるメイサちゃんの頭をポンポンと優しく撫でると、僕の胸元にグリグリっと顔を擦り付けた後で、ニヘラっといつもの笑みを浮かべてみせた。
てか、メイサちゃん、僕の服で鼻水とか拭いたんじゃないの。
「でも、チョコレートか……確かに商品化できればヴォルザードの特産品になると思うけど、仮にカカオ豆が見つかったとして、簡単にチョコレートになるものなの?」
「まぁ、簡単って訳にはいかないな」
綿貫さんの話によれば、カカオからチョコレートになるまでには、醗酵、焙煎、粉砕などの工程を経て、ひたすら細かく滑らかにするための作業が必要になるようです。
「個人でできるものなの?」
「あぁ、カカオ豆からチョコレートを作るキットがあって、日本にいるころに作ってみたことがあるよ」
「へぇ、普通の家でも作れるんだ」
「まぁ、チョコレートと呼べるものならね」
「てことは、美味しくないの?」
「豆を擂り潰さないといけないんだけど、家のすり鉢で潰しただけだと粒子が荒すぎてジャリジャリして、口当たりが最悪だった」
「へぇ……もしかして、バレンタインのチョコレートだった?」
「そのつもりだったんだけど、結局市販のチョコレートを買ってきて作り直した」
カカオ豆からチョコレートなんて、お菓子メーカーの大きな工場じゃないと作れないのかと思ったら、意外に家庭の調理器具でもそれらしいものは作れるみたいです。
「じゃあ、もっと細かく擂り潰せる石臼みたいなものがあれば、もっと本格的なチョコレートが作れるのかな?」
「まぁ、試行錯誤してみてだろうけどね」
「なるほど……チョコレートか」
綿貫さんが試作を重ねて、日本のチョコレートに近い品質のものが作れるようになれば、間違いなくヴォルザードの特産品になるでしょう。
「分かった、とりあえず、カカオ豆が存在しているかどうか、南の大陸を探してみるよ。もし見つかったら、カカオの実の状態で綿貫さんに渡せばいいの?」
「そうだなぁ、とりあえずそうして。醗酵とか、焙煎とか、私にも分からないことばかりだけど、カカオの実が見つからないことには話にならないからね」
「というか、カカオがどんな所に自生しているのか、ネットで調べてみないとだね」
カカオの木が、どんな環境を好んで生えているのか、とにかく情報を知らないことには探しようが無い。
タブレットでカカオ豆について検索してみると、意外な画像が見つかった。
「何これ、木の幹に実がなってるよ」
「そうそう、カカオって幹から花が咲いて実がなったりするんだってさ」
「へぇ、面白いね」
ネットで調べてみると、カカオは高温多湿な地域で、しかも日陰を好んで生育するらしい。
「種から育てて、収穫できるようになるまで五年も掛かるんだって。これは野生の木を見つけないとだね」
「とりあえず……引き受けてくれるんだよね?」
「うん、カカオ探しなら唯香達からも文句は出ないと思うし、ヴォルザードの新たな産業になるならクラウスさんからの出資も期待できるかもね」
「そっか……じゃあ、任せた!」
「そんな、投げやりな……まぁ、期待しないで待ってて」
僕が引き受けると言うと、綿貫さんとメイサちゃんは手を取り合って喜びました。
てか、メイサちゃんはチョコレートが食べたいだけじゃないの?
まぁ、可愛い妹分のためにも、一肌脱ぎますかねぇ。
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