第619話 看板娘たちの戦略
※ 今回はメイサちゃん目線の話です。
最近、闇の曜日に学校が終わったら、真っ直ぐ家に帰るのが楽しみになっている。
闇の曜日は、うちの食堂の定休日で、店で働いているサチコがケーキの試作をしに来るのだ。
ヴォルザードでケーキと言えば、ナッツやドライフルーツを小麦粉と混ぜ合わせて焼いた固いケーキをリーブル酒とハチミツを合わせたシロップに漬け込んだものだ。
でも、あたしは知ってしまったのだ。
うちに下宿していたケントは違う世界から召喚された男の子で、その故郷ニホンという国で売られているケーキは、フワフワで、とろけるように甘い、ヴォルザードのものとは似ても似つかないものだと。
サチコはケントと同じ世界から来た女の子で、ケーキ屋を開く夢を持っている。
だから、サチコの試作するケーキは、ニホンで食べたフワフワなケーキなのだ。
家の裏口を開ける前から、甘い匂いが漂っている。
ドアを開けると、うちの食堂とは思えない、素敵な香りで満たされていた。
「お母さん、ただいま! サチコ、今日はどんなケーキ!」
「おぉ、帰ってきたな、食いしん坊め。ちゃんと手を洗ってこいよ」
「分かってる」
「メイサ、あんた宿題は?」
「ちゃんと、後でやるから大丈夫!」
階段を駆け上がって部屋に鞄を置き、洗面所で手を洗って階段を駆け下りる。
「サチコのケーキは逃げたりしないから、バタバタするんじゃないよ、まったく……」
「えっ、なにこれ! クリームを巻いてあるの?」
「ふふん、ブラックベリーのロールケーキだ」
スポンジケーキを巻いたロールケーキには、クリームの中にブラックベリーの粒が混ぜ込んである。
「こっちはチーズケーキ?」
「ちょっとレシピを弄ってみたから、この前のと比べてみて」
サチコのチーズケーキは、時々ボソボソだったりするけど、殆どの場合はしっとりフワフワに焼き上がっている。
今日もフワフワに仕上がっているようで、見ているだけでも口の中に唾が溢れてくる。
「まずは、ロールケーキから味見してみて」
「うん、いただきまーす! んー……スポンジとクリームが合わさって幸せ……」
「メイサは、本当に美味しそうに食べてくれるよな」
「だって、サチコのケーキは本当に美味しいもん。これ、ブラックベリーの甘酸っぱさが凄くいい!」
「どれどれ……うん、スポンジの固さはこんなものかな、ちょっと肌理が粗い気がするけど、まぁいいか。ブラックベリーとクリームのバランスは……ちょっと酸味が立っちゃってるかなぁ……どうでしょう、アマンダさん」
「そうだね。好みの問題だろうけど、もうちょっとクリームの甘さを控えても良いかもね」
「えぇぇ……あたしは、このぐらい甘い方が好きだな」
「あとは、見た目かぁ……味は良いけど、ブラックベリーが白いクリームの中で黒すぎる気がする」
「色の薄いナッツを加えると、歯ざわりの変化もついて良いかもしれないよ」
「あぁ、確かに、それはありかなぁ……ちょっと組み合わせをためしてみよう」
サチコは用意していた数種類のナッツを使って、彩りや味、歯ざわりなどを細かくチェックしてはノートに書き留めていく。
黒いペンと赤いペンを使って、細々と書き記している文字は、サチコやケントの故郷の文字だ。
あたしは、ケントにニホンに送ってもらう時に言葉や文字の知識を与えてもらったから読めるけど、ヴォルザードの人には何を書いてあるのか全く読めないはずだ。
レシピは料理人にとって大切なものだから、勝手に使われないためには良い方法だと思う。
サチコが使っているノートは何冊かあって、味付けの他に焼き方、材料などに分けて書き記しているようだ。
メイサならいいよと読ませてもらったけど、すごく綺麗な文字で書かれていて、大事な所には分かりやすいように紙が貼られている。
「よしっ、じゃあ次はチーズケーキな」
「うぅぅ……」
「どうした、メイサ?」
「だって、切ってるのを見ただけでもフワフワだって分かるもん!」
「きししし……メイサはフワフワ好きだからなぁ」
「ねぇ、早く、早く……」
「はいよ、召し上がれ」
「ふぅぅ……これ絶対美味しい、フォークがスーって、スーって……」
「いいから食べな」
「うん……ふわぁぁぁぁ、とろける……口の中でフワトロって……」
「うん、焼き加減は問題なし……味も合格点かな」
「美味しい! これまで食べた中で一番美味しい! ミオの家に行った時に食べたのよりも美味しいよ!」
「おぉ、それは嬉しい評価だねぇ……どうです、アマンダさん」
「うん、これならどこに出したって恥ずかしくないよ。これだけでも店をやっていける。あたしが保証してあげるよ」
「ありがとうございます。でも、やっぱり何種類か並べて売りたいんですよねぇ」
たぶん、サチコが思い描いているのは、ミオの家に遊びに行った時に連れて行ってもらったケーキ屋さんみたいな感じなのだろう。
何種類ものケーキがガラスのケースに並べられていて、どれも美味しそうで、どれを買ったら良いのか目移りしてしまった。
たぶん、サチコのチーズケーキだけでも店の前には行列が出来ると思うが、ニホンのケーキ屋さんみたいになったら、行列の先がリバレー峠を越えてしまうと思う。
きっと魔の森を越えてリーゼンブルグの人達も買いに来るに違いない。
それぐらいサチコのケーキは美味しいと思うのだが、本人は満足していないみたいだ。
「問題は、やっぱり果物だなぁ……ヴォルザードにはイチゴ売ってないからなぁ……」
「イチゴのケーキ食べたい!」
「メイサ、イチゴを探してきてよ」
「無理……あんなに甘くて美味しい果物なんて売ってないよ」
「だよなぁ……このブラックベリーだって美味しいけど、日本のイチゴに比べるとなぁ……てか、国分が買ってきたのは絶対に高いイチゴだしなぁ……」
ちょっと前に、ケントがニホンからイチゴという赤い果物を買って来てくれたんだけど、ほっぺたが落ちるかと思うほど美味しかった。
香り、瑞々しさ、味わい、甘さ……ジブーラこそが最高の果物だと思っていた、あたしの常識を粉々に打ち砕いてしまった。
「ヴォルザードに無いなら、ブライヒベルグから取り寄せるしかないね」
「ブライヒベルグ……あぁ、国分の魔術で遠くの街と繋がってるんでしたっけ」
「あっちは耕作地帯で、果樹園も沢山あるって聞くからね。珍しい果物も入ってくると思うよ」
これまでブライヒベルグまで行くには、馬車で十日ぐらい掛かっていたのだが、途中にあるイロスーン大森林で魔物が大量に発生して往来できなくなり、それをケントが魔術を使って解消したらしい。
遠く離れたブライヒベルグから、一瞬にしてヴォルザードに荷物が届くようになって、珍しい野菜や果物が運ばれてくるようになったそうだ。
「でもアマンダさん、季節じゃないと果物は手に入りませんよね?」
「そらそうだよ、何でも旬というものがあるからね」
「日本では一年中イチゴが手に入るんですよ」
「冬にも実をつけるのかい?」
「いえ、温室で温度を調節して栽培するんです」
サチコやケントが暮していた世界では、色々な野菜や果物が一年中手に入るそうだ。
でもサチコは、ヴォルザードでケーキ屋を始めるならば、ヴォルザードで手に入る材料を使ってケーキを作りたいらしい。
「あぁ、やっぱり国分頼みになっちゃうのかなぁ……それならチョコレートケーキも欲しいなぁ」
「チョコ食べたい!」
「なっ、メイサもチョコ食べたいよな?」
「うん、チョコはヴォルザードでは作れないの?」
「チョコレートの原料となるカカオ豆は、もっと暖かい場所で採れるんだ。たぶん、ヴォルザードの近くには同じような豆は生えていないと思う」
チョコレートもサチコやケントの世界の食べ物で、香りと味と甘さがクセになる食べ物だ。
豆から作られているのは知らなかったが、暖かい土地なら無い訳ではない。
「南の大陸ならあるかも?」
「駄目だろう、魔物がウジャウジャしてるんだろう?」
「でも、ケントなら大丈夫じゃない?」
「まぁ、国分なら平気だろうけど……」
「だったら、ケントに南の大陸で探してもらうとか、栽培してもらえば?」
「いや、国分は忙しいから駄目だろう」
「ケントが忙しいのは、自分の仕事が無いから他人の面倒事を押し付けられてるだけじゃないの?」
「あぁ、確かにそうかも……メイサ鋭いな」
「でしょ、でしょ、ケントがチョコの原料を栽培するって仕事を持っていれば、冒険者として依頼を受けなくても済むと思う。それに、ヴォルザードの人達にもチョコの素晴らしさを知ってもらえるし良いことずくめだよ」
「とか言って、メイサがチョコを食べたいだけじゃないのか?」
「へへぇ……ばれたか」
「でも、それは悪くないアイデアだと思うよ。農業だったら、唯香達もヤキモキしないで済むだろうし」
「この前もケント倒れてたってミオから聞いた」
「まぁ、あれは仕方が無い部分もあったんだけどね」
ケントは、うちに下宿している頃にも何度か倒れている。
他人の心配ばっかりして、自分の心配をしないから、周りにいる人に心配をかけるんだ。
だから、ケントは冒険者なんかよりも、農業をやっていた方がいいに決まっている。
「うん、確かにチョコレートは手に入れたい。チョコレートがあれば、一気に商品の幅が広がるからな」
「チョコだけでも美味しいし、前にケントが買って来たチョコクリームのケーキも美味しかった」
「だよな、チョコとクルミがあれば、練習次第で近い味は再現できると思う」
「チーズケーキとチョコ、あとは季節の果物にすれば?」
「うん、いいな。それなら商品を揃えられそうだ」
「じゃあ、ケントに頼みに行く?」
「そうだな、ついでだから、試作のケーキを持って口説きに行くか?」
「行こう、行こう!」
サチコのケーキを食べさせれば、きっとケントも乗り気になるはずだ。
「メイサ、あんた宿題は?」
「帰って来てから、ちゃんとやる!」
「とか言って……持って行ってミオちゃんに教わった方がいいんじゃないのかい?」
「あっ、その手があったか」
「丸投げするんじゃないよ! ちゃんと教えてもらうんだよ」
「分かってる!」
お母さんの小言を聞きながらも、顔がニヤけてくるのが止められない。
最近ケントは忙しかったらしくて、会えていないのだ。
サチコのケーキは美味しいけれど、ケントと一緒に食べるともっと美味しいはずだ。
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