第615話 報告巡り

 宇宙飛行士の皆さんをISSに送り届けてヴォルザードに戻ったら、何だか気が抜けてしまいました。

 小惑星の欠片が地球に落下して世界各地で被害が出ていますが、僕の出番は終わりだと思ったら張り詰めていたものがプツンと切れてしまった感じです。


 カミラの輿入れを進めるためにも、リーゼンブルグまで行かなきゃいけないんですけど、その気力も湧いてきません。


『ケント様、もう一つ忘れていることがございますぞ』

「えっ、なんかあったっけ?」


 ラインハルトに忘れていることがあると言われても、すぐに思いつきません。

 なんだか、ただでさえ悪い頭の回転が、更に鈍くなっている気がします。


『コーリー殿に余ったブースターを返却して、使った分の代金を支払わねばなりませんぞ』

「そうだよ、忘れてた!」


 小惑星の軌道変更を始める前、ブースターを仕入れるためにコーリーさんの薬屋を訪ねました。

 ブースターを複数購入したいと言うと、コーリーさんは厳しい表情で理由を訊ねてきたので、タブレットも使って地球の危機について説明しました。


 コーリーさんは、渋々といった感じでしたが、ブースターが十五本入った箱を僕に差し出し、使った分だけ後払いするように必ず帰って来いと言ってくれました。

 結局、使ったブースターは三本だけでしたが、ちゃんとお金を払いに行かなきゃいけませんよね。


『ケント様、クラウス殿への報告もまだですぞ』

「うわぁ、そうだった……クラウスさんなら、もう小惑星がどうなったか知ってると思うけど、やっぱり僕から報告しないと駄目だよね」


 という訳で、リーゼンブルグではなくヴォルザードで仕事を片付けてしまいましょう。

 影に潜って向かった先は、ギルドにあるクラウスさんの執務室です。


 影の空間から覗くと、相変わらずクラウスさんはダラーンと椅子に寄りかかり、実に嫌そうに書類に目を通しています。

 まぁ、小惑星関連が一段落してからダラダラしている僕が言えた義理ではないですけど、最高の反面教師ですね。


 クラウスさんの他にも業務放棄に近い姿勢の者がいます。

 アンジェお姉ちゃんの足元で、実に幸せそうな顔をしたヴォルルトが腹天状態で横たわっています。


 もうね、野生の欠片も感じられない完全骨抜き状態ですよ。

 なんか、コボルト隊で一番駄目キャラになりつつありますね。


 ちょっとアルトに命じて再教育を施すか、配置転換を考えた方が良いかもしれませんね。


「ケントです、入ります」

「おぅ、やっと来たか」


 闇の盾を出して表に出ると、クラウスさんは書類を放り出して応接ソファーを指差し、ベアトリーチェにお茶を淹れるように頼みました。

 仕事をサボる口実に使われてしまうのは本意ではありませんが、ベアトリーチェには後でサービスしておきましょう。


「それで、どうなったんだ?」

「えっと、一応最悪の事態は回避できましたが、小惑星の欠片が世界各地に落下して、すくなからぬ被害が出ました」

「ちゃんと報酬は受け取ったのか?」

「付随する依頼の分の報酬は受け取ったのですが、小惑星の軌道変更を行った分の報酬については、まだ金額も確定していない状態です。すみません、いつも報酬を決めてから仕事を受けろって言われてるのに……」

「相変わらず、安請け合いする癖は直っていないみたいだが、今回の一件については仕方ないだろう」

「えっ、報酬も決めずに仕事しちゃったんですよ」


 てっきり怒られるものだと思っていたので、ちょっと拍子抜けしちゃいました。


「今回の依頼、お前がやらなかったら何千万人、何億人という人間が命を落としていたかもしれないんだろう? お前の他にできる奴はいなかったんだろう?」

「はい、まぁ……そうです」

「だったら、報酬出せとかゴネる前に、目の前に迫っている危機を何とかするのが人として当たり前だろう」

「でも、クラウスさんは報酬を決めてから仕事しろって……」

「それは、お前が緊急でもない仕事を押し付けられて、良いように使われてるからだ。例えば、そうだな……ヴォルザードにまたグリフォンが現れたら、お前は報酬なんて聞く前に動くだろう?」

「そうですね」

「それは、放置すれば誰かの命が失われるからだろう?」

「そうです」

「人の命が懸かっている場面で、自分の命を危険に晒さずに済むなら、手を貸すのが当たり前だ。その結果として、命が助かった奴は助けを求めた相手に謝礼をするのが筋ってもんだ」

「じゃあ、今回の僕のやり方は間違いじゃなかったんですね?」

「そうだ、間違っていない。間違っているのは、ニホンやチキュウの連中だ」


 クラウスさんは、お茶で喉を湿らせてから続きを話し始めました。


「助けて下さい、緊急なんです、命が危ないんです、あとで報酬はお支払いします……そう言って助けてもらった奴は、それこそ自分の命を投げ打ってでも報酬を支払おうとすべきだろう。ましてや、一国の政府が依頼しておいて、正式に契約していませんなんてふざけた話が通用してたまるか」

「ですよね」

「今回の一件でケントがいなかったら、ニホンという国が無くなっていたかもしれないんだろう? だったらニホンという国の全財産を請求したっておかしくねぇんだぞ」

「いや、さすがに日本の全財産なんて……」

「まぁ、全財産ってのは物の例えだが、助けられた側はそのぐらいの感謝を示すのが礼儀ってもんだ。謝礼を受け取るか辞退するかは助けた側が決めることで、助けられた側が決めることじゃねぇからな。いくらで手を打つか、お前が納得いくまで交渉してみろ」

「分かりました。では、あんまり長居すると仕事の邪魔になると思うので、そろそろ失礼します」

「お前……やっぱり説教してもらわないと気が済まないみたいだな」

「とんでもない、説教でしたら、そこで余裕かましている奴にお願いしますよ」

「わふっ?」


 僕が執務室に入った時には、慌てて姿勢を正していたヴォルルトですが、目を離した隙にまた腹天してました。


「あぁ、たしかにそうだな……最近ちょっと目に余るようになっていたところだ」

「そうですか、では改善がみられなければ配置転換も考えましょう」

「くーん……くぅーん……」

「可愛い子ぶっても、駄目! シャンとしてないと、本当に配置転換するからね」 

「ケント、そんなに厳しくしなくても……」

「駄目! アンジェお姉ちゃんも甘やかしすぎ!」

「は~い……気を付けます……」


 なんだよ、唇を尖がらせて、可愛いかよ。

 いやいや、ベアトリーチェさん、邪な気持ちは抱いてないから睨まないで、今夜はいっぱいサービスしちゃうから……ね。


 クラウスさんの執務室から影に潜って、コーリーさんの薬屋まで移動しました。

 店の近くの路地裏で表に出て、店のドアを開けたのですが、カウンターの中にいたのはミューエルさんでした。


「こんにちは、ミューエルさん」

「あら、ケント、久しぶりね」


 桃色の髪に猫耳、さらにナイスバディーなミューエルさんは今日も素敵です。


「コーリーさんは、いらっしゃいますか?」

「今日は知り合いの家に出掛けてるから、帰って来るのは夕方すぎだと思うわ」

「そうですか、どうしようかなぁ……」

「何か薬が必要なの?」

「いえ、先日ブースターを借りまして、余った分を返しにきながら使った分だけお金を払いに来いって言われたんですよ」

「ブースター! そんなもの何に使ったの?」

「えっと、ちょっと故郷の星がヤバかったもので……」

「えぇぇ! 三本も使ったの? ちょっと何してるのよ、ケント!」


 どうやらミューエルさんは、コーリーさんから何も聞いていなかったようで、もの凄い剣幕で怒られちゃいました。


「あのね、ケント。ブースターって薬は本当に危ないの、効いている間は凄い魔法が使えるけど、切れたら身動きできなくなるし、下手したら廃人になっちゃうんだよ!」

「はい……すみません。でも、本当に……」

「でもじゃない! ケントは四人もお嫁さんがいるんでしょ、もしもの事があったらどうするつもりよ。ブースターに頼るなんて、絶対に駄目なんだからね!」

「はい……」


 うひぃ、めっ……どころじゃなくて、本気で怒ったミューエルさん、めちゃくちゃ怖いんですけど。


「それで、何でブースターなんて使ったの?」

「えっと……僕の故郷の星に小惑星……でっかい隕石が降って来るのが分かったんで、ぶつからないように逸らしてたんです」

「えっ? 隕石?」

「はい、あぁ、タブレットで画像を見せた方が早いですね」


 小惑星の接近から、二度の軌道変更、そして欠片が降り注いだ様子を見せると、ミューエルさん目が点になっちゃいました。

 空気が無い宇宙空間とか、秒速ニ十キロ以上で飛んでくる直径三十キロの小惑星とか、色々説明していたら、三十分以上掛かりましたよ。


「ケントが言ってるんだから、冗談じゃないんだよね?」

「はい、本当の話ですよ」

「ごめん、そんな大変な依頼をこなしていたなんて知らなかったから……」

「しょうがないですよ。ヴォルザードでは、こんな依頼は有り得ませんから」

「じゃあ、ケントはブースター三本も飲んで、一人で頑張って、何日も動けなくなってたんだ」

「そうです。もう僕もブースターは使いたくないですよ」

「そっか、ケントはよく頑張ったね」


 ふぉぉぉぉ……久々にミューエルさんのハグですよ。

 この妙なる柔らかさに、ずっと、ずっと埋まっていたい……あれっ?


「はい、おしまい。ケントのお嫁さんに怒られちゃうからね」

「そ、そうですね……」

「ふふっ、流れ星の向きを変えちゃうような凄い冒険者になったのに、ケントは出会った頃とちっとも変わらないね」

「いや、これでもミューエルさんと初めて会った頃に比べれば、逞しくなっている……と思うんですけど」

「大丈夫、大丈夫、ちゃんと逞しくなってるよ」


 うーん、あんまり信用できない言い方ですよねぇ。

 でも、経済力ならバッチリ逞しくなってますからね、何ならミューエルさんだって養えちゃいますよ。


 まぁ、今はカミラの輿入れが先なので、今日のところはブースターの代金を支払って、コーリーさんによろしく伝えてもらうようにお願いして、大人しく帰りましょう。

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