第603話 最後の準備

 物理科学が当り前の世の中で育った者にとって、魔法や魔術は出鱈目としか言いようがないでしょう。

 闇属性魔術の影移動を使えば、術者が目視で捉えた場所ならば自由に影を通って移動できるという特性と、フレッド達の人間離れした身体強化能力が合わさって、今回の作戦は成立しました。


「うん、間違いないね。これが地球に向かっている小惑星だ」

『目玉が痛くなるほど大変だった……』

「そうなんだ、ありがとう……って、フレッド目玉無いじゃん!」

『スケルトンジョーク……』


 フレッドが膨大な星の中から探し出し、取り憑いてくれた小惑星へ影移動して、そこから星属性の魔術で意識を飛ばして小惑星の形を確認しました。

 タブレットを通して梶川さんに送ってもらった画像と見比べて、たしかに地球に向かっている小惑星だと確認できました。


「えっと、地球の方向は……あっちか」


 本格的に作業を始める前に、実際に闇の盾を使って浮遊させた破片の進行方向を変えて、小惑星本体に打ち込めるかテストを繰り返しました。

 その結果、当初は小惑星の後方に人工の隕石を形成して、それを闇の盾による運動方向の変換でぶつける予定でしたが、人工隕石は太陽が当たっている側面に作った方がやりやすいと分かりました。


 僕は星属性魔術で意識しか飛ばしていないけど、太陽の光が当たっているところって宇宙空間でも摂氏百度以上になるそうです。

 宇宙線の影響も受けずに長時間作業できちゃう僕って、宇宙開発でもチートですよね。


『ケント様、そろそろ休まれた方がよろしいのではありませんか?』

『えっ? あぁ、結構時間経ってるのか……』


 基礎的な実験を繰り返していたら、時間の経過を忘れていました。

 本格的に作業に入る前に、揃えておかないといけない物がありますので、今日のところは作業を中断して戻りましょう。


 地球に向かう方向とか、確認用の目印とか、小惑星の表面に色々印を付けたけど、地球からは見えないよね。

 影の空間に残した体に意識を戻し、影移動でヴォルザードの自宅に戻ると、もう真夜中でした。


 明日の昼からは、本格的な作業に入りますし、今夜はゆっくりお風呂に浸かってから寝ることにしましょう。

 我が家自慢の露天風呂から空を見上げると、地球よりもはるかに大きな月が空に浮かんでいました。


「そうそう、こっちに召喚された夜も、この月明かりに照らされながら森を目指して歩いたんだなぁ……まさか、そこが魔の森だったなんて思ってもいなかったし」


 僕が湯舟に浸かっていると、当然だろうとマルト、ミルト、ムルトが影の空間から出て来ました。

 手の空いているコボルト隊やサヘル、ゼータ達も顔を出すから、あっという間に風呂場は混雑します。


「おかえり、健人」


 目を閉じてお湯を堪能していたので、唯香が近くに来るまで気付きませんでした。


「健人、疲れてるんじゃない?」

「大丈夫、唯香を見たら元気になった……」

「もぅ、馬鹿……」


 ちょっと頬を赤らめて、頬を膨らませてみせる唯香は可愛いですね。

 もう、ギューって、ギューってしちゃいましたよ。


「ちょっと、健人。明日からも忙しいのに……あん、駄目だよぉ……」

「唯香……」

「健人ぉ……」


 普段はちょっとおっかない唯香ですけど、あの時にはとっても可愛いんですよ。

 ここ数日のストレスや、これから始まる作戦への不安も忘れて、唯香と一つになりました。


「もぅ、健人を労おうと思って来たのに……馬鹿」

「だって、唯香が可愛かったんだもん、しょうがないじゃん」

「もう、お風呂から上がったら、すぐに寝るのよ」

「うん、分かってる」


 肉体的な疲労は、自己治癒魔術を使えばカバーできるから心配していません。


「ねぇ、唯香」

「なぁに?」

「明日の午後からブースターを使って作業する」

「えっ? ブースターって……」

「小惑星の軌道を変えるのに、ぶっ通しで魔術を使わないといけなくなるし、衝突の危険性が無くなったと確認出来るまで倒れられないから、一本だけでなく何本か続けて飲むかもしれない」

「そんな……駄目だよ、そんなの危ないよ」


 おぉぅ……駄目だよ唯香、そんなに押し付けられたら、また元気になっちゃうよ。


「前回は、意識が戻った後も丸二日ぐらい動けなかったけど、今回はもっと長期間動けなくなると思う」

「なんで? どうして健人がそんな危ないこと……」

「他に方法が無いんだ。こうしている間にも、小惑星は地球に接近しているし、新旧コンビや八木には話さなかったけど、核爆弾を使った作戦も実行できそうにないんだ」


 アメリカ、ロシア、中国などの状況を伝えると、唯香の顔から血の気が引きました。


「今のままだと、人類が滅亡しちゃうの?」

「最悪の場合、そうなる可能性も否定できない。仮にアメリカやヨーロッパの主要都市近くに落ちれば、とんでもない被害が出る」

「健人の方法ならば、衝突を回避できるの?」

「確実ではないけど、可能性はある。それに一回で駄目だったら、軌道が変わるまで、地球に衝突してしまうギリギリまで挑戦を続けるつもりだよ」

「だからって、ブースターを何本も飲んで大丈夫なの?」

「分からない。でも、今回は倒れる前に自己治癒を目一杯使ってみるつもりだから、案外前回よりも軽く済むかもしれないよ」


 まぁ、これに関しては、そうあってほしいという僕の希望的観測なんですけどね。

 前回は、意識はあれども体が全く動かなくて、運動神経がどこかで切れてるんじゃないかと思ってしまったほどです。


 動けないということは、喉が渇いても自分で水は飲めず、お腹が空いても一人では食べられず、下の世話まで……。

 あぁ、もしかして、数日断食してから倒れれば良いんですかね。


「分かった。健人が地球を守るために戦うんだから、それが終わった後の健人の世話は私が責任もってやるわ」

「ありがとう、面倒を掛けるけど、よろしく頼むね」

「でも、あんまり無茶しちゃ駄目だからね」

「分かってる」


 この夜は、お風呂を出た後で唯香を抱き枕にして大人しく眠りました。

 やだなぁ……本当に大人しく寝ましたよ。


 ネロもマルト達も、ワチャワチャ一緒でしたからね。

 翌朝、梶川さんに電話を入れて、小惑星の捕捉に成功したので、本格的に軌道を変える準備に入ると伝えました。


 日本政府には、改めてアメリカからヴォルザードへの避難の打診があったそうですが、軌道を変えられる可能性があると言って保留にしてあるそうです。

 同様に、日本からの避難についても準備は進めるが、実行は保留という形で動くようです。


 梶川さんとの電話を終えてから、向かった先はコーリーさんの薬屋です。

 なんだか、顔を出すのは久々ですね。


「おはようございます」

「おや、Sランクの坊やじゃないかい、まだこの店を覚えていたんだねぇ」


 おとぎ話に出て来る魔法使いのお婆さんのようなコーリーさんは、今日も古びた店の一部のようにカウンター椅子に座っていました。


「ご無沙汰しちゃってすみません」

「ようやく嫁を説得して、ミューエルを貰う気になったかい?」

「いやぁ、リーゼンブルグの王女様を娶るので、残念ですけど今は無理ですねぇ……」

「ひっひっひっ、王女様と来たかい。それじゃあ、ミューエルでも敵わないねぇ。ところで、今日は何を買いに来たんだい? また眠り薬かい?」

「今日は……ブースターを十本ほどお願いします」


 それまで上機嫌に話していたコーリーさんは、口許から笑みを消して冷ややかな視線を向けて来ました。


「そんな数のブースターを何に使うつもりだい?」

「僕の故郷、こことは違う世界に降ってくる星を逸らすために使います」

「なんだって? 降ってくる星を逸らす?」


 たぶん、すんなりとは売ってくれないと予想していたので、タブレットも使って地球に迫っている小惑星衝突について説明をしました。

 直径三十キロの小惑星が衝突したら、どれほど大きな被害が出るのか。


 現状小惑星の軌道を変えられる可能性があるのは僕だけで、それには膨大な魔術の行使が必要だと説明しました。


「仮に、同じ規模の小惑星がブライヒベルグに落ちたら、恐らくランズヘルト共和国の殆どが吹き飛んでしまうでしょう」

「そんなものを本気で止められると思ってるのかい?」

「止めるのは無理です。ぶつからないように逸らすだけで精一杯ですね」

「ブースター無しでは無理なのかい?」

「接近すればするほど逸らすのは難しくなります。短時間に集中して強い魔法を使い続ける必要がありますし、一度で駄目なら二度、三度とやるしかありません」

「どうしても、坊やがやらなきゃ駄目なのかい?」


 コーリーさんは眉間の皺を深くして睨み付けてきますが、そんな表情とは裏腹に僕を心配してくれているのが分かります。


「僕以外に、同じことができる人がいるならば、分業も考えるのですが、現状では僕以外にはできない事なので……」

「はぁぁ……まったく損な役回りばっかり背負わされる子だねぇ」

「とんでもない。嫁を五人も貰う人間が、損ばかりしてるなんて嘆いたら、達也や和樹に何を言われるか分かったもんじゃないですよ」

「ひっひっひっ、娼館に通い詰めてる小僧共が、星を守ろうとしてる坊やと同じ舞台に立とうなんざ千年早いよ。ちょっと待っておいで……」


 カウンター裏の部屋へと入っていったコーリーさんは、小箱を持って戻ってきました。


「十五本入っている。そんなに必要無い……って言うだろうが、念のために全部持っておゆき」

「ありがとうございます。おいくらですか?」

「お代は今は要らないよ。その代わり、余った分を持って、使った分のお代を払いにおいで。いいね、必ず坊や自身が払いに来るんだよ」

「はい、約束します」

「それから、ブースターを連続使用すると、暫く魔術を安定して使えなくなる。必ず安全な場所で、信用できる人間のそばで倒れるようにするんだよ」

「はい、準備は整えてから倒れるつもりです」

「まったく……子供のくせして達観した表情をするんじゃないよ。もっとタツヤやカズキやギリクみたいに年相応にワガママ言いな」

「この一件が片付いたら、暫くワガママさせてもらいますよ」

「そうするんだね……ほれ、忙しいんだろう。さっさとお行き」

「はい、行ってきます」


 ツンデレなコーリーさんに、しっ、しっ、と追い払われて薬屋を後にしました。

 さーて、いっちょう小惑星の軌道を変えちゃいますかね。

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