第599話 ネット世論の動き
政治家の身内が避難を始めたことで情報が漏洩するだろうと梶川さんは予測していましたが、小惑星の話題は別の所から流れ始めました。
噂の出所は、海外の天文マニアです。
噂は、小惑星が地球に異常接近する可能性があるという至って普通の内容でしたが、僕の聞いている大きさではありません。
小惑星の直径は約三十キロメートルで、恐竜を絶滅させたと言われている物の倍の大きさだとされています。
直径が倍になると、体積は単純計算で八倍になります。
衝撃力は物体の重さに比例するので、ユカタン半島に落ちた物の八倍の被害をもたらす可能性がある……つまり、人類は滅亡するという話になっています。
恐竜を絶滅させたとされるチュクシュルーブの隕石については諸説あるようですが、大きさに加えて、落ちた場所や角度が悪かったとされています。
ユカタン半島の地層には炭化水素や硫黄が多く含まれていて、これらの物質が塵となり、大気中を漂ったせいで日光が遮られ、更には酸性雨が降り注いで生物にダメージを与えたそうです。
こうした地層は陸地の全面積の十三パーセントにすぎず、他の場所に落ちていれば急激な地球温度の低下を招かずに済んだとも言われています。
もう一つ、ユカタン半島の隕石は地表に対して六十度ぐらいの角度で落ちたとされていて、この角度がもっと浅かったら被害の程度も少なかったようです。
ですが、今回流れている噂は、そうした地層や衝突角度などの話よりも、大きさに目が向けられています。
恐竜絶滅の八倍の大きさの小惑星……となれば、そのインパクトは絶大です。
地球に衝突すれば人類は滅亡を免れない……生き残るのは、国際宇宙ステーションの乗組員だけだが、地球に帰還することも出来ずに、地球の最期を見守るだけだ……なんて話がネット上を飛び交っています。
こうしたネット上の動きをテレビなどのマスメディアが取り上げ、更に噂は加速し始めます。
アメリカの主要メディアが噂を取り上げ、遂にはNASAが会見を開く羽目になりました。
噂になっている小惑星については、NASAも存在を把握していて、地球と衝突する可能性は低い。
また、大きさは長辺が約八千メートル、短辺が五千メートル程の楕円形の天体で、ユカタン半島に落下したとされるものよりも小さいと発表しました。
これで幕引きとなれば良かったのでしょうが、ネット上ではNASAの発表はフェイクだという意見が多数派となってしまいました。
原因は、アメリカ政府が発表した火星有人探査のための基礎実験です。
突然発表され、外部との接触を断った地下深くの施設で行われる実験は、有能な人間を生き残らせるための避難措置だと、ネット上で騒がれ始めたのです。
実際、その実験は避難計画そのものですし、選抜された一部の人には参加打診の通知が届いているようです。
自分はアメリカ政府から選ばれし人間だ……とか、家族を残して行くべきか迷っている……とか、これは神の裁きだから、自分は選ばれても参加しない……とか、様々な意見が飛び交っていて、実験は避難計画だと認識されてしまったようです。
それでも、NASAが頑なに避難計画であると認めなかったのと、例え避難計画であったとしても、念のための措置であり確実に衝突すると決まった訳ではないという意見も根強いようです。
現状に不満を抱いている人々は終末論に傾倒し、現状を維持したいと思っている人々が希望論を支えているのでしょう。
幸い、まだ暴動騒ぎまでは起こっていないようですが、食料品などを買い込む人が現れ始めているようです。
アメリカだけでなく、日本でもカップ麺やレトルト食品、それにトイレットペーパーを買い溜めする人が出始めているようです。
これで衝突が免れないと確定した場合、どんな騒ぎになるのか心配です。
ネットの動向を観察していたら、梶川さんから電話が来ました。
「はい、国分です」
「梶川です、国分君、申し訳ないんだけれど、練馬まで来られるかな?」
「大丈夫ですよ、すぐ伺います」
「悪いね、コーヒーを淹れて待っているよ」
自宅のリビングにいたセラフィマに出掛けてくると言いおいて、練馬駐屯地へと向かいました。
先日訪れた時には、一旦落ち着いたように見えていましたが、今日はまた慌ただしい雰囲気に包まれています。
「梶川さん、何かありましたか?」
「うん、ちょっと悪いニュース」
「ネット上で小惑星の接近が話題になっていますね」
「うん、まぁあれは想定の範囲内なんだけどね」
「その口振りだと、想定外の事態が起こったんですか?」
梶川さんは、一つ頷いた後で、コーヒーを注いだカップをトレイに載せ、僕を応接セットへと誘いました。
「国分君、海外の天文マニアが流した噂は知ってる?」
「はい、小惑星の直径が三十キロとかいうやつですよね?」
「そうそう、それなんだけど……」
「えっ、まさかNASAの計測が間違っていたなんて言わないですよね?」
「そのまさかなんだよ」
「えぇぇ! 大きい方でも八キロじゃなかったんですか?」
梶川さんは、無言で頷いてみせた。
「軌道の計算も間違っていて、実は衝突しないとか……」
「いや、残念ながら軌道の計算には誤りは無いようで、このままだと衝突する可能性が高い」
「三十キロって、なんでそんな違いが出るんですか?」
「小惑星が、太陽の方向から近付いて来ているって話したよね?」
「はい、だから発見が遅れたって……」
「僕も詳しい話は分からないんだけど、太陽が邪魔をして正確な計測が難しかったらしい」
「じゃあ、本当に直径は三十キロもあるんですか?」
「それ以上の可能性もあるそうだよ」
梶川さんの話によると、日本政府も被害想定をこれまでの十倍以上に引き上げているそうです。
「表沙汰には出来ないけれど、アメリカ、ロシア、中国が小惑星の軌道を変更させるための核ミサイルの打ち上げ準備を進めている」
「それが成功すれば、衝突を回避できるんですか?」
「成功すればだけど、直径三十キロの岩の塊が、秒速二十キロ以上で接近してくるんだから、その運動エネルギーは凄まじいものがある。最高のタイミングで核爆発を起こせれば、軌道をズラせる可能性はあるそうだ」
「成功する可能性って、どの程度なんですか?」
「分からない。分からないけど……あまり高くはないようだ」
梶川さんは、普段から飄々とした感じの人ですが、今日ばかりは少々諦め気味にも見えます。
「そのミサイルというか、ロケットの打ち上げは公表しないんですか?」
「まぁ、情報としては洩れてしまうだろうけど、失敗した時の影響を考えて公表はしないそうだよ」
「軌道の変更が失敗して、衝突が免れないとなれば、暴動とかが起こる可能性があるからですか?」
「その通り。本当に衝突するとなっても、どこの政府もギリギリまで認めないはずだ。日本はまだしも、海外は過激だからね」
アメリカなどでは、人種差別の問題で暴動が起こったり、十万人以上の規模のデモが行われたりしています。
日本ではデモが起こるとしても限定的で、機動隊と衝突するような過激なデモは殆ど見かけません。
「日本でも、暴動が起こったりするんですかね?」
「分からない。起こってほしくはないけれど、人類滅亡の危機となると、本当に何が起こるか予想もつかないよ」
「海外の対策は分かりましたが、日本はどうするんですか?」
「その軌道変更の成否にもよるんだけれど、皇族のヴォルザードへの避難が検討されている」
「さすがに、ヴォルザードに御所は無いですよ」
「勿論、分かっているよ。皇族の他に、伝統工芸士の選抜も行われている」
「もし日本が無くなるような事態になっても、文化は継承しようって考えですか?」
「その通り。これまでは、被災後の復興に重きを置いて対策が検討されてきたけれど、今は日本が滅亡した場合も想定して動いている」
「あの……伝統工芸士って、何人ぐらいいるんですか?」
「約四千五百人ぐらいだね」
「さすがに全員は……いや、高い技術を持っている人ならば受け入れてもらえるかも」
「だとしても、職種によっては機械工具が無いと仕事にならない人もいるし、加工する材料が手に入らないと作業を行えない人もいるからね」
例えば、塩田外務副大臣がヴォルザードを訪れた際に贈られた文箱は、彫漆の細工が施された物ですが、色漆が手に入らなければ彫漆は再現出来ません。
染物なども、染料が手に入らなければ仕事にならないでしょう。
「小惑星の衝突を表沙汰に出来ない状況で、仕事に関わる物を全部運び出す事に、どれだけの職人さんが同意してくれるのかも、今の時点では全く分からない」
「やっぱり、小惑星の軌道を変えるか、破壊する方法を模索した方が良いのかなぁ……」
「国分君の魔術で、何とか出来ないのかい?」
「八キロでも大きかったのに、三十キロ以上だと不可能に近い状況ですけど、いくつか問題を解決出来れば僅かですけど希望はあるかと」
「その問題っていうのは?」
「小惑星の位置です。なんとか小惑星に取り付ければ……梶川さん、どの方向から近付いて来るとか分かりますかね? 出来れば、天文知識とか全く無い者でも見つける方法とかが知りたいです。あと、小惑星の鮮明な画像とかもあれば有難いです」
「小惑星を見つけるための方角と画像だね。用意するよ」
梶川さんが本庁舎に連絡して暫くすると、最新の小惑星に関するデータが送られてきました。
「国分君のタブレットに送るよ」
「はい、お願いします」
「残念ながら、今の時点では、小惑星は歪な楕円形の点にしか見えないそうだ」
「えっ、ジャガイモみたいな形に見えたりしないんですか?」
「あぁ、イトカワとかリュウグウみたいな写真は探査衛星から撮影しないと無理だよ。良く考えてみて、月よりも遥かに遠い位置にあって、百分の一以下の大きさしかないんだよ」
画像は二枚あって、一枚は太陽を中心として見える方向を示し、もう一枚は拡大して周囲の星との位置関係を示していた。
「小惑星は遠くにある恒星とは違って、移動しているように見えるそうだ。見える方向については、日にちが過ぎていくと見える位置が変わっていくそうだ。最新のデータは、定期的に更新してくれるそうだ。どうかね、捉えられそうかな?」
「まだ探してもいないのに分かりませんよ」
「これは失礼、それもそうだね」
このデータを基にして、ラインハルト達に小惑星探しを頼んでみるつもりです。
たぶん、地上からでは太陽の光が邪魔をして見えないでしょう。
そこで、ラインハルト達には、月面からの探査に挑んでもらいます。
運良く見つけられれば、軌道変更への糸口も見つけられるかもしれません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます