第598話 月面へ

 闇属性の影移動は便利な魔術です。

 過去に行ったことのある場所や、目で見えている場所ならば自由に移動が可能です。


 なので、地球から月だって簡単に移動が出来ちゃうんですよ。

 ただし、月の風景は見られませんでした。


「うわっ、空気が……」

『どうされました、ケント様』

「うん、月には空気が無いから、窓を開けて外の様子を見ようとすると影の空間から空気を吸い出されちゃうんだ」


 ラインハルトに、重力と大気の関係をザックリと話しました。


『なるほど、普通の人では息が出来ずに死んでしまうのですな。それならば、我々ならばどうでしょうな?』

「そうか、ラインハルト達は呼吸をしている訳じゃないから……大丈夫なのか?」

『ならば、試してみましょう』


 ラインハルトは、別の場所へ影移動して行きました。


「えっ……大丈夫なのかな。月の表面にスケルトンがバッタリ倒れていたりしたら、月面探査に来た人が腰抜かすよね」


 ちょっと心配になったので、体をマルト達に頼んで星属性で意識を外へと飛ばしました。


『ぶはははは! ケント様、これは愉快ですぞ』

『はぁぁ……楽しんで飛び跳ねるのは良いけど、月の重力圏を飛び出したら戻れなくなっちゃうからね』


 僕の心配をよそに、ラインハルトは地球よりも遥かに小さい重力を楽しんでいました。

 月面を跳ねまわるスケルトンとか、シュールにも程がありますよ。


『ところで、体は大丈夫なの?』

『そうですな、ここにも魔素が存在しておりませんから、長時間留まるのは難しいですが、ある程度の時間であれば問題なく活動できますな』

『そっか、ならば送還の目印用のゴーレムの設置をしてもらうかもしれないから、この場所は記憶しておいて』

『了解ですぞ』


 月面のラインハルトから目を転じると、昼間の月からは青い地球が良く見えます。


『素晴らしい眺めですな、ケント様』

『うん、リーゼンブルグやランズヘルトも、これと同じように見えるはずだよ』

『なるほど、それは戻ったら試してみないといけませんな』


 この後、ラインハルト、フレッド、バステンの三人の趣味に月面散歩が加わったそうです。


『そうだ、ちょっと送還のテストをしてみるから、そこに居てくれる?』

『了解ですぞ』


 ラインハルトを月面に残して、地球へ向かって意識を飛ばします。

 大気圏突入の光景を楽しみたかったのですが、意識だけしかないので摩擦による発熱などは起こりません。


 それにしても、意識だけとは言え、月から地球までの距離をあっと言う間に移動出来てしまいました。

 四十万キロをこの時間で移動できるという事は、小惑星との相対速度も超えてますよね。


 まだクリアーしないといけない課題はありますが、これなら小惑星を捉えることは出来そうな気がします。

 あとは山ほどの大きさの物体を破壊するだけの威力のある攻撃手段さえあれば、落下を止める事も出来るかもしれません。


「まぁ、小惑星の破壊は後で考えるとして、まずは送還!」


 試してみたのは、太平洋の海水の月面までの送還です。

 ついでに念話も届くか試してみましょう。


『ちゃんと届いてる?』

『届きましたぞ、大量の水が現れて、一瞬で凍り付きましたぞ』

『そうか、月は夜だったもんね』


 月は夜の気温は氷点下百度以下になるそうですから、地球から送った海水も一気に冷やされて凍り付いたのでしょう。

 とりあえず、地球から月への送還も可能であると分かりました。


 これならば、万が一の時に原子炉の炉心を送還する事も可能でしょう。

 月への送還実験は成功したので、次は原子力発電所の場所の確認です。


 梶川さんから話を聞いて調べてみたら、日本には六十基もの商業用原子力発電所があるようです。

 その殆どが、一ヶ所の発電所に複数設置されているので、実際に確認する数はそれよりも少なくなります。


 それでも、北は北海道の泊発電所から、南は九州鹿児島の川内発電所まで、日本のあちこちに点在しています。

 ネットの地図と空属性の魔術による上空からの視認を組み合わせて、一ヶ所ずつ場所を確認します。


「これだけの数が、一度に事故を起こすような事態になったら、僕だけでは対処しきれないんじゃないかな」

『ならば、我々眷属が先乗りして……』

「いや、ラインハルト達は大丈夫かもしれないけど、被爆しちゃうと僕らが近付けなくなっちゃうから却下かな」


 生身で月面に出ても大丈夫なラインハルト達ならば、原子炉災害の現場に出ても大丈夫かもしれませんが、被爆した体で影の空間に戻られると僕まで被爆してしまいそうです。

 

『目に見えない有害な物質とは厄介ですな』

「うん、目で見えないから、一度漏れ出すなどの事故を起こすと、風評被害を払拭するのも大変なんだ」

『風評被害とは?』

「あぁ、大丈夫な状況になっても、あらぬ疑いをかけられ続けることだよ」


 東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故や、その後の風評被害についてラインハルトに説明しました。


『なるほど、目に見えない物だけに、取り除かれているのか判別出来ず、なかなか疑いを拭いされないのですな』

「そういう事なんだ。原子力発電所は、どうしても海沿いに立地されているので、巨大な津波に襲われれば被害を免れない。日本政府も復旧対策チームを編成しているみたいだけど、それが上手く機能するかどうかも分からないからね」


 小惑星の衝突なんて、人間が今の文明を築いてからは初めての事態でしょう。

 過去に日本は、何度か大きな津波の被害を受けていますが、規模とすれば東日本大震災の時が一番大きかったでしょうし、今回はそれを上回る可能性があります。


 複数の原子力発電所で、同時に冷却装置が壊れてしまった場合には、対処が難しくなるでしょう。

 幸いと言って良いのか、震災後に運転を再開している原子炉は限られています。


 運転中の原発は、制御棒を下ろして反応を止めたとしても、急に温度は下げられません。

 福島の原発も事故当時は、地震の揺れによって自動的に制御棒が下ろされて、緊急停止した状態でしたが、温度の上昇は続いており冷却手段を失った事が事故に繋がりました。


 運転を停止してから長期間経っている原子炉では、例え冷却装置が故障したとしても急激な温度上昇は起こらないそうですが、それでも核燃料が入っている格納容器が破損すれば放射能漏れが起こる危険性があります。


 原子力発電所は、頑丈な構造になっているようですが、想定を大幅に超える巨大津波が襲えば破損するかもしれません。


「泊、大間、東通……次は女川か、なんだか空撮で日本を巡るテレビ番組みたいだな」

『ケント様、これが全部、電気を作るための施設なのですか?』


 場所の確認のために影の空間に置いた体に戻ると、ラインハルトが驚いていました。


「うん、そうだよ。まだ半分も回っていないし、原子力の他に水力とか火力でも発電しているからね」

『これほどまでに大掛かりな施設が必要なのですか?』

「まぁ、生活の根幹を支えている物だからね」


 原子力発電所はこの程度の数ですが、火力発電所の数は三十倍、水力発電所は百倍以上の数があるようです。

 火力発電所だって巨大津波を食らえば壊れてしまうでしょうが、放射能漏れを起こす心配はありません。


 ただ、殆どの火力発電所が稼働を停止するような事になったら、社会生活は大混乱に陥るでしょう。

 送電設備の破損ではなく、発電設備そのものの破損ですから影響は長期に及ぶはずです。


「ある日突然、魔術も魔道具も使えなくなってしまうみたいな感じかな」

『それは厄介ですな』


 というか、原子力発電所って、日本だけじゃないよね。

 海を挟んだ韓国や中国にも稼働中の原子力発電所があります。


 太平洋で巨大津波が起こった場合には、日本列島が韓国の防波堤のような役割を果たしますが、中国沿岸には津波が押し寄せるでしょう。

 中国や韓国の原子力発電所で事故が起こった場合、日本への直接的な影響は少ないとしても、現地の人にとっては大問題です。


 場合によっては、僕が対処する必要があるかもしれません。

 でも、他の国までは面倒が見きれないし、今は日本に専念しましょう。


 ていうか、これって僕の仕事なんでしょうかね。

 報酬とか決めてないですし、またただ働きの悪い癖が出ているような気もしますが、そんな事を言っている場合でもないような。


 女川の原子力発電所を確認した後、福島第一原子力発電所を確認したら報酬云々なんて言ってる場合じゃないと思ってしまいました。

 建ち並ぶ貯水タンクの群れ、まだ三十年は掛かると言われている廃炉作業、こんな事故を二度と起こしてはいけません。


 太平洋側、日本海側に点在する原子力発電所を一つずつ回って、最後の川内原子力発電所を確認する頃には日が西に傾いていました。

 発電所の堤防に出ると、今日は風も波も穏やかな海の向こう、西の島陰に夕日が沈んでいきます。


「静かだなぁ……もし、ここに津波が押し寄せるなら、向こうの島の人達とかどうするんだろう。あの山の上ならば大丈夫なのかなぁ……」


 日本には、数多くの小さな島があります。

 そうした島の中には、巨大津波に襲われたら飲み込まれてしまう島もあるでしょう。


「避難とか間に合うのかな、今すぐにでも始めた方が良いんじゃないのかなぁ……」


 とは言っても、どこが危険で、どこが安全なのか誰にも分らない状態では、避難の進めようもないのでしょう。


「やっぱり、小惑星自体を何とかする方法を考えないと駄目なのかなぁ……」


 夕日が沈むのを見届けてから、ヴォルザードへと戻りました。

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