第597話 意外なアイデア
一晩ぐっすり眠ったら、唯香の不安も和らいだようですが、完全に解消された訳ではないのでしょう。
何よりも、僕自身の胸の中がモヤモヤとし続けたままです。
何かしなければいけないという焦りがある一方で、何をすれば良いのか決めかねている。
そしてもう一つ、危機感が微妙に薄れてきています。
理由は、夜中に叩き起こされて日本に呼び出されたものの、肝心の衝突する恐れがあるという小惑星の姿を全く見ていないからです。
小惑星や隕石の落下を題材とした映画やテレビ番組を何度も見ましたが、そうしたものでは宇宙空間を移動する姿を映像として映し出し、危機感を演出しています。
でも現状では、そうした映像はありません。
というか、観測用の衛星でも無い限りは、宇宙空間を移動する小惑星は電波望遠鏡などで捉えるしかありません。
映画やテレビ番組のような映像は、NASAとかでも手に入らないでしょう。
天文学の専門家ならば、データだけでも危機を感じるのでしょうが、僕らのような一般人は映像が無いと実感がともないません。
例えば、地震の被害であっても、建物や橋や道路などが壊れている写真とか、津波が押し寄せて来る映像を見れば怖いと感じますが、言葉だけでは今一つ実感が湧きません。
こんな状態では、実際の危機に備えられないのでは……とは思うものの、一方で本当に小惑星が落下したりするのだろうかという疑問が拭えないのです。
家で朝食を済ませた後も、日本から何の連絡も入らないので、こちらから梶川さんを訪ねてみました。
昨日訪れた時には、慌ただしくなりそうな雰囲気でしたが、また練馬の駐屯地には落ち着いた空気が漂い始めています。
「梶川さん、おはようございます」
「やぁ、国分君。何かあった?」
「いえ、何も連絡が無いので……」
「あぁ、気を使わせてしまって申し訳ないね。まだ具体的な話が決まらなくてね」
梶川さんに誘われて、コーヒーを御馳走になりながら現状の話を聞かせてもらいました。
「まず日本の状況なんだけど、人選に手間取っているのと、そもそもヴォルザードに避難するのはどうなんだ……っていう話が出て来てしまってね」
「えっ、ヴォルザードへの避難に反対している人がいるんですか?」
「正確には、ヴォルザードへと言うよりも、異世界への避難に難色を示している人がいるんだ」
リーゼンブルグの第三王女カミラによる異世界召喚に絡んで、数多くの悲劇が起こりました。
まずは召喚が行われた事で中学校の校舎が崩壊して、数多くの死傷者が出ています。
続いて、船山を始めとして、自ら命を絶ってしまった関口さん、生配信中にオークの投石で死亡した田山、グリフォンに攫われた三田、原宿で事件をおこした藤井。
そう言えば、船山の父親も死亡しています。
日本が被った損害については、リーゼンブルグからディートヘルムが来日して、謝罪と賠償という形で一応のケリは付いていますが、それでも全ての反感を払拭出来た訳ではありません。
「それで、また異世界に避難なんてすれば、環境や文化の違いによって良からぬ事が起こるのではないかと危惧する人がいるんだよ」
「でも、ヴォルザードならば小惑星の影響はゼロですよ」
「そうなんだけどね。実際に小惑星が落下しても、日本を直撃する可能性は低いよね?」
「はい、昨日もそんな話をしてましたけど、地球の表面積と日本の面積を比較すると千三百分の一以下だと……」
「そうなんだよね。そうなると、危惧するのは津波による被害だけだろうって話になって、津波の被害を考えるならば標高の高い地域に逃げる方が確実じゃないか……てね」
具体的な被害想定をしていくと、ヴォルザードへの避難は絶対安全ではあるものの、人数が限られる上に反発も予想されて、実行すべきか迷いが出て来ているようです。
「でも、巨大津波が来る……なんて話になったら、世の中はパニックになるのでは?」
「まぁ、なるだろうね。ただ、それはヴォルザードへの避難を行ったとしても同じだね」
「あの、小惑星の落下地点の予測って、具体的には何日前ぐらいに出るものなんですか?」
「僕も専門家ではないので、ハッキリした事は言えないけれど、早くても数日前、具体的な地域を絞り込むのは一日前ぐらいがやっとだと思うよ」
地球を周回している人工衛星の落下地点などは、予め軌道の計算によってある程度の緯度の範囲に絞り込めるし、最終的な落下地点も比較的容易だそうですが、小惑星の場合だと緯度も経度も絞り込みが困難だそうです。
「それじゃあ、避難なんて出来ませんよね?」
「まぁ、そうだね。なので、政府はいつ情報を解禁するのかも検討しているところなんだ」
「津波の高さって、どの程度を想定しているんですか?」
「どこに落ちるかにもよるけど、日本の近海に落ちた場合には高さ百メートル以上の津波も想定している」
「どこまで避難しなきゃいけないんですか?」
「場所にもよるけれど、関東ならば平地の殆ど、名古屋や大阪、福岡などの大都市も避難を余儀なくされるが、それだけの人を受け入れられるかが問題なんだよ」
東京、埼玉、神奈川、千葉などの首都圏の人口を全て受け入れる場所なんて無いでしょう。
名古屋や大阪なども、周辺には山があるとは言っても、住民全てを受け入れるだけの宿泊施設は無いはずです。
「ど、どうするんですか?」
「まだ具体策は決まっていない。避難が間に合うように、情報を公開する予定ではいるらしいけどね」
大都市圏の住民を巨大津波から守る策を講じる事の方が、ヴォルザードへの避難よりも優先されているのも当然でしょう。
練馬駐屯地の様子が落ち着いているのも、ここよりも別の場所に力が注がれる事になりそうだからかもしれません。
「国分君、これは僕個人の考えなんだけど、たぶん一両日中には情報が洩れると思う」
「えぇぇ……もしかして、僕のせいですか?」
「いや、そうじゃない。一部の政治家が身内の避難を進めているらしいんだ」
「避難って、どこにですか?」
「軽井沢とか長野だね」
「標高が高いところですか?」
「そう、長野市辺りだと標高五百メートル、軽井沢だと九百メートルを超えている。それに観光地だから普通の旅行だと言っても怪しまれないけど……そうした所から情報は洩れていく」
「じゃあ、意外と早くパニックになるんじゃ」
「可能性はあるけど、まだ確実な情報ではないと火消しは可能だろうけど、実際に政府が避難計画を進めているし、群集心理がどう働くかまでは読み切れないからね」
巨大津波が太平洋沿岸を直撃した場合の被害は、計り知れないものとなりそうです。
仮に避難が間に合って人的被害を最小限に食い止められたとしても、都市のインフラには壊滅的な被害が及ぶでしょう。
危機感が薄れていくなんて呑気な事は言っていられません。
かと言って、現状で僕に何が出来るのかと考えても答えが出ません。
「梶川さん、昨晩ちょっと考えたんですけど、送還術を人命救助に使えないかと思っているんですよ」
津波に巻き込まれた人などを、送還術を使って安全な所に転移させてしまう方法を話すと、梶川さんは興味を示しました。
「なるほどね、それは面白いと思うけど、安全な場所の確保が課題だね」
「そうですね、あまり遠くまで転移させてしまうのも問題でしょうし、まだ思い付きの段階です」
「国分君は、どの程度の大きさまで転移させられるのかな?」
「試してみないと分かりませんけど、一辺十メートルの立方体ぐらいなら転移させられると思います」
「それって、物体の一部を切り出して飛ばしたり出来るんだよね?」
「まぁ、出来ますけど……」
何やら梶川さんは、転移魔法を使った対策を考えているようです。
「距離は、どの程度まで飛ばせる?」
「それこそ異世界にでも飛ばせるかと……」
「四十万キロとかは?」
「四十万キロですか? 一日一回ならいけると思いますが、小惑星の前に障害物でも設置するってことですか?」
「いや、ちょっと思い付いた事があってね。もしかするとちょっと危険なお願いをするかもしれない」
「危険なって命の危険があるってことですか?」
「そうだけど、まだ分からない。最悪の場合にはお願いする事になるかもしれない」
「それ、今聞かせてもらう訳にはいきませんか?」
「うーん……まだ可能性の段階だからね。まぁ、聞いてもらった方がいいかな」
梶川さんは、少し迷った後で思い付いたアイデアを話してくれました。
「国分君、東日本大震災で津波による一番深刻な被害って何だと思う?」
「それは勿論、多くの人の命が犠牲になったことじゃないですか?」
「そうだね。人的な被害はお金には代えられないものね。では、物的な被害だと何を思い浮かべる?」
「家とか、街とか、鉄道、空港……原発ですか?」
「そう、福島第一原子力発電所の放射線漏れで避難を余儀なくされた人、漁業や農業などが出来なくなった人がたくさんいたよね」
「もしかして、事故を起こした原発を宇宙に放棄しようってことですか?」
「宇宙というか、月の表面だね。下手な場所に送り出して、地球の重力に引かれて落ちてきたら大災害になるからね」
現在、日本国内にある原子力発電所は全て停止していますが、停止しているからと言って事故が起こらない訳ではありません。
停止した原子炉や使用済み核燃料も冷却の継続が不可欠だそうです。
「津波によって、福島第一原発が更なる被害に見舞われたり、他の原発に被害が出る可能性もある。先日話した通り、既に特別復旧チームの編成が進められているけれど、津波がどの程度の期間続くのかも分からないし、どの程度の数の原発が被害を被るかも分からない。場合によっては復旧作業が間に合わない可能性も考慮しなければならない」
「でも、月に投棄なんてしちゃって大丈夫なんですか?」
「地球の大気中に放出されるよりはマシじゃないのかな。福島の事故当時の世界での扱いを考えれば、賛同は得られると思うよ」
「月か……さすがに考えていませんでした」
格納容器全体を転移させるとなれば、一辺十メートルでは足りないだろうし、月までの距離を飛ばせるかも分かりません。
梶川さんは、政府の対策室へと打診してみるそうで、僕にも実際に可能か検証して欲しいと言ってきました。
星属性の力を使えば、大気圏外へ飛び出すのも可能でしょうから、ちょっと月まで行ってみましょうかね。
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