第596話 出来る事
梶川さんとの話を終えてヴォルザードに戻り、夕食を済ませた後でもう一度ネットのニュースを眺めていたら、アメリカ政府から一つの発表が行われていました。
内容は、来たるべき火星有人探査のための基礎実験を行うというものです。
火星まで有人飛行を行うとすると、片道二百五十日程度は掛かるそうです。
その間、宇宙船という限られた空間の中で過ごす精神的なストレスは、相当なものになると予想されます。
当然、宇宙飛行士はストレスに耐えるための訓練を行うのでしょうが、今回の実験は、その訓練のための基礎実験だそうです。
事前に訓練を受けていない者を集め、与えられる空間の広さや、行動を共にする人数、性別、年齢などを様々に変化させ、どのようなストレスを感じ、どのように解消するかを観察するという話です。
実験は、外部との接触を完全に断つために、地中深くの施設で行われるそうです。
更に、自主的なメンタルトレーニングを行う余裕を与えないために、人選は一両日中に行われ実験参加の打診が行われるようです。
「これって、小惑星の衝突に備えた避難計画だよなぁ……」
僕はアメリカの宇宙計画については詳しくありませんが、宇宙空間での長期滞在ならば国際宇宙ステーションでも行われていますし、今更な気がします。
何よりも、衝突の可能性が高い小惑星が接近しているという情報と照らし合わせてみれば、避難のために有望な人材を集める措置にしか思えません。
それでも、小惑星の接近を隠すには良い方法なのでしょう。
ニュースサイトのコメント欄には、意外と早く火星の有人探査が行われるんじゃないか……とか、もしかすると火星への移住計画があるのでは……なんて意見が並んでいます。
アメリカのニュースを見たついでに、核シェルターについて検索してみました。
すると、国民全員が避難できるほどの核シェルターが用意されている国もあるようです。
それに対して日本はといえば、ほぼゼロに近い状況のようです。
もしかすると、政府要人のためのシェルターは準備されているのかもしれませんが、国民全員が避難するには全く足りない状況です。
「健人、何を見てるの?」
「うん、アメリカでこんな発表があったんだ」
アメリカのニュースを見せると、唯香も小惑星関連の避難だと思ったようです。
「なんかさぁ、日本以外の国って、戦争とかを想定して備えてるよね?」
「軍隊の制度とか銃の規制とかも日本とは違うし、仕方ない部分もあるんじゃない?」
「そっか……でも、今度の小惑星の衝突で、凄い津波が来るって予測が出たら、日本はどうするんだろう?」
「とりあえず、高い場所に逃げるしかないんじゃない?」
「高い場所って?」
「それは……津波の規模にもよるだろうけど、東京だったら奥多摩とか秩父とか山の方?」
普通の高さの津波ならば、高台に避難すれば良いのでしょうが、巨大津波となるともっと標高の高い場所に避難するしかありません。
そんな避難について考えた事も無いので、どこに逃げれば良いのか、咄嗟に思い付きません。
「落下地点の予測って、いつぐらいに出るんだろう?」
「さぁ? 細かい予測は直前にならないと分からないんじゃない?」
「日本に帰ったみんなは大丈夫かな?」
「それは、何とも言えないなぁ」
「一緒に召喚された同級生は、召喚術じゃないとヴォルザードに送れないんだよね?」
「うん、たぶんね。魔力が完全に消えて属性も消えているなら、僕の魔力を付与して影の空間経由で移動できるけど、どうなんだろう……やってみないと分からないよ」
「そっか……そうだよね……」
「唯香……どうかしたの?」
いつもは優等生の委員長という雰囲気の唯香ですが、今夜はなんだか落ち着かない様子です。
「怖いよ……健人」
「唯香」
抱き付いてきた唯香は、昼間の美緒ちゃんのように震えていました。
「映画とかドラマの見過ぎなのかもしれないけど、もし日本に落ちたら……日本の近くに落ちて凄い津波が来たら……なんて考えたら怖くなっちゃって」
「そうだよね……でもごめん、今回は大丈夫って言えないや」
「健人でも無理なの?」
「闇の盾は、頑張っても五百メートル四方ぐらいが限界だし、凄い速度で近付いて来るみたいだから、影の空間に取り込むのは難しいんだ」
「魔法で津波を止める……のも無理だよね」
「うん、規模が大きすぎて、どうやったら止められるかも分からないよ」
こちらの世界に来てから、たいがいの事は魔法を使って何とか出来ました。
ゴブリンの極大発生も、グリフォンも、ギガースも、クラーケンも、ヒュドラも、僕と眷属でやっつけてきました。
アーブル・カルヴァインのクーデター計画も、バルシャニアの出兵計画も、シュレンドル王国の王位継承争いも、自分の望むように解決してきました。
でも、今回ばかりは打つ手がありません。
このところ好き放題やって調子に乗っていたので、久々に味わう無力感です。
「健人、光が丘の友達に話しちゃ駄目……だよね?」
「うん、それは止めてほしいって言われてる」
「なんかさ、うちだけ家族全員が確実に助かるのが……ズルしてるみたいで……」
「あぁ、そっか……でも、唯生さんと美香さんは僕が勝手に連れて来たんだから、唯香が罪悪感を覚えなくてもいいんだよ」
「そうはいかないよ。だって健人は私の旦那様なんだから……」
「うっ、そうでした。僕らは家族だもんね。じゃあ、その罪悪感は二人で半分こしよう」
「健人……」
唯香がギューって抱き付いてきて、今夜はいつになくデレモードです。
唯生さんと美香さんに早く孫の顔を見せられるように頑張っちゃおうかなぁ……なんて言ってる場合じゃないんですよね。
「唯香、僕は僕に出来る事をする。たぶん、助けられない人もいると思うけど、助けられる人は全力で助けるよ。それしか僕には出来そうもないからね」
「私も治療でなら役に立てるかも!」
「そうだね。でも、日本で治癒魔術を使うと、すぐに魔力切れを起こす可能性があるから、一旦こちらに送らないと駄目かも」
「そっか、日本は魔素が無いんだもんね」
「唯香の協力については、梶川さんに相談してみるよ」
「うん、というか日本に被害が出ないのが一番なんだけどね」
「そうだね。さすがに海外だと、色々と説明するのが面倒そうだし、信用してもらえるか分からないもんね」
こちらの世界に来てから、ほぼ毎日のように治療を続けてきたので、唯香の治癒魔術の腕は更に上がっています。
こちらで治療をするならば、相当な重症でも治療出来ますし、軽症者ならば相当な人数を治療できるはずです。
カルヴァイン領の雪崩の被害とか、シュレンドル王国での内戦の被害者なども治療した経験がありますから、災害現場でも的確な治療が出来るはずです。
ただし、唯香が万全の状態で治療を行うには、こちらの世界に患者を送る必要があります。
日本ならば唯香の存在も知られているでしょうから、説明すれば患者の移送を許可してくれるかもしれませんが、海外ではその説明だけでも相当手間取りそうです。
「僕は影の空間から手だけ出して治療も出来るから、患者の搬送をしながら、重症者の治療もしようかな」
「でも、無理しちゃ駄目だよ。健人は夢中になると、自分が倒れるまで頑張っちゃうから心配だよ」
「そこは気を付けるよ。治療の手伝いをするならば、たぶん長丁場になるだろうしね」
今回は、小惑星の衝突の阻止は難しそうですが、その後の被害を少しでも減らすために出来る事は他にもありそうです。
「梶川さんに、どこか比較的安全な場所を確保してもらおうかなぁ……」
「比較的安全って?」
「巨大な津波が来ても浸水しそうもなくて、火山からも離れていそうな場所かな」
「そこで健人は何をするの?」
「例えば、その安全な場所に目印を設置しておけば、津波に飲まれそうな人とかを送還術で送れるんじゃないかと思ってね」
「なるほど、送還術を使って人命救助をするのね」
「そうそう、でも気を付けないと、しなくても良い怪我をさせちゃう心配もあるかな」
日本からヴォルザードまで送還するのは大量の魔力を消費しますが、日本国内で転移させるなら魔力の消費は抑えられるはずです。
「でも、安全な場所をあらかじめ確保しておくよりも、その時に安全な場所を探して、そこに送った方が良くない?」
「なるほど、コボルト隊がいれば、目印になるし、送還させた人を受け止められるね」
「でも、コボルト隊は日本の空気の中には居たがらないんじゃない?」
僕の眷属のコボルト達は、魔素が存在していない日本では、影の空間から表に出たがりません。
だとしたら、現地で協力者を調達するしかなさそうです。
「目印用のゴーレムを多めに作っておこうかな……」
「私も、魔力の回復を助ける薬を用意しておこう」
小惑星が最接近するまでには、あと二週間の猶予がありますから、それまでに準備を整えておきましょう。
「健人、そろそろ寝た方が良いんじゃない? また夜中に起こされるかもしれないよ」
「あっ、そっか。まぁ、昨日の今日で無いとは思うけど、休める時に休んでおいた方が良いね」
「ねぇ、健人……一緒に寝てもいい?」
「勿論、僕も今夜は一人じゃない方がいいや」
僕も唯香も前向きな話をしてはいるけど、やっぱり心の片隅に不安な気持ちが渦巻いていて、一人では上手く寝付けそうもありませんでした。
幸い、この夜は日本からの緊急の呼び出しも無く、朝までぐっすりと眠れました。
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