第592話 先行避難

『ケント様、ヴォルザードに戻られないのですか?』

「うん、やっぱり先に動く。何だか嫌な予感がするんだ」


 小惑星が、どこに落ちるのかは分かりません。

 広い地球から見れば、日本に落ちる確率は僅かですが、直撃されたら壊滅的な被害を受けるでしょう。


 日本近海に落ちた場合でも、津波によって大きな被害が出るかもしれません。

 だとしたら、出来る事を出来るうちに進めておくべきでしょう。


 向かった先は、光が丘の浅川家です。

 時刻は朝の7時前ですが、唯生さんと美香さんは、朝食の最中でした。


 玄関に直接出て、靴を脱ぎながら声を掛けました。


「おはようございます」

「おっ、健人君か、どうしたんだね、こんな朝早く」

「唯香か美緒に何かあったの?」

「いえいえ、二人とも元気にしていますよ。今朝は、お二人に用があってお邪魔しました」

「我々にかい?」

「何かしら?」


 二人とも、僕の突然の訪問に戸惑っているみたいですけど、構わず話を進めさせていただきます。


「えーっと、これから僕とヴォルザードに避難してください」


 二人に向かって頭を下げて頼み込みました。

 この先、日本政府に協力を求められれば、二人を避難させている時間が無くなってしまうかもしれません。


 そうなる前に、僕が自由に動けるうちに、ヴォルザードに避難してもらおうと考えたのです。

 顔を上げると、唯生さんは厳しい表情をしていました。


「健人君、今、避難と言ったかい?」

「はい、言いました」

「それは、何か危険が迫っているという意味だよね?」

「はい、詳しくは申し上げられません」

「避難は、どのくらいの期間になるのかな?」

「分かりません。隠している訳ではなく、今の時点ではどうなるのか予測がつきません」

「この家にいても危険なのかい?」

「場合によっては……」

「その件に関して、健人君は日本政府に協力するんだね?」

「はい、そうなると思います」

「それは、世界規模の災害だったりするのかい?」

「場合によっては……」

「ふむ……」


 唯生さんは、美香さんと顔を見合わせた後、少し考えてから口を開きました。


「今日でなければ駄目なのかい?」

「出来れば、今すぐにでも支度をしてもらいたいです。もし、急遽ヴォルザードに行く事で、唯生さんが職を失うような事になったら、僕が責任を取ります」

「いや、そこまでしてもらわなくても構わないよ。分かった、ヴォルザードに行くよ。ただ、一時間ほど待ってもらえるかな?」

「はい、それは構いません。それと、向こうに運ぶ物を教えて下さい。僕の眷属に運ばせますので……」

「えっ、まさか家財道具一式って事かい?」

「はい、念のために……」

「分かったよ。では急ぐとしよう」


 唯生さんと美香さんは、途中だった朝食を急いで済ませて、ヴォルザードに行く支度を始めました。

 ヴォルザードの家の客間からベッドやソファーを片付け、そこに浅川家の家財道具一式を詰め込んで、二人には別の客間に滞在してもらう予定です。


 唯生さん達が出掛ける支度をしている間に、一度家に戻り、客間に明かりを灯しました。

 ヴォルザードはまだ夜中で、夜明けまでは三時間以上あります。


 二人には、人差し指の先を少し傷付けて、僕の傷口を合わせて魔力を送り、影の空間経由でヴォルザードまで移動してもらいました。


「あら、こっちはまだ夜なのね」

「はい、時差がありますので……」

「では、健人君は真夜中に呼び出されたんだね?」

「はい、そうです」

「こちらに来たけど、それでも詳しい話は聞かせてもらえないのかな?」

「そうですね、もう少しだけ待って……いや、荷物を運び入れたら話しましょう。夜が明けたら、クラウスさんとも話さないといけないので、出来たら唯生さんに同席していただけると有難いです」

「つまり、多くの避難民を受け入れてもらわないといけなくなるって事だね」

「はい、まだどうなるか分かりませんが……」


 3LDKの浅川家の家財の搬入は、コボルト隊の活躍によって一時間ほどで終了しました。

 闇の盾を使って、右から左に動かす感じなんで早い早い、あっという間です。


 荷物の搬入が終わる頃、ようやく空が白み始めました。

 唯生さんと美香さんには、リビングに移動してもらって、詳しい話をしました。


「長さ八キロの小惑星……それは確かに只事ではないね」

「衝突は免れないのかしら?」

「その辺りは分からないのですが、時間の経過と共に確率が上がっているそうなので、たぶん……」


 小惑星の軌道とか、落下地点はどこになるのか等の質問をされましたが、まだ詳しい内容までは聞かされていないので、分からないとしか答えようがありませんでした。


「アメリカは、より多くの人を避難させたいみたいですが、日本政府としては世界中の国に声を掛けるみたいです。ただ、その呼び掛けに応じる国がどの程度の数になるのか分かりません」

「なるほど……確かに、早めに連れて来てもらって良かったのかもしれないね」

「どうでしょう。これで日本に殆ど被害が出なかったら、無駄足になるかもしれません」

「構わないさ。天災に対する備えは、最悪の状況を想定して行うべきだからね。それよりも、健人君のお父さんには知らせたのかい?」

「えっと……まだです」

「知らせないのかい?」

「ちょっと迷っています」


 唯香の両親は、無理を言ってでも連れて来たいと思ったのに、実の父親に対しては迷うなんておかしな話ですが決断出来ないでいます。


「連絡は取り合っているのかい?」

「はい、たまにメールでは……」

「直接会って話したりはしないのかい?」

「はい……最後に会ったのは、こちらに召喚される前です」

「えっ、日本に戻れるようになった後も会っていないのかい?」

「はい……何て言うか、ちょっと苦手なんです」


 正直、これほどの危機が迫っている状況でも、会いに行くのを躊躇するとは思っていませんでした。

 唯生さん達に対しては、最悪の場合には甚大な被害が出るかもしれないから……と思い、父さんに対しては、直撃しなければ大丈夫だろう……みたいに考えてしまっています。


「うん……健人君には健人君の考えがあるのだろうから、私から無理強いをするつもりは無いけど、最悪の事態が起こったとしても後悔しないようにしなさい」

「やっぱり、こちらに避難させた方が良いのですかね。だとしたら、父さんの新しい奥さんとか子供も避難させるべきなんでしょうね」


 父さんの新しい奥さんは、むしろ他界した母さんに誠意を尽くすべきだと諭していたと聞いています。

 他界した母さんが荒んだ生活を送るようになった原因は父さんにあると分かっていても、心のどこかにわだかまりが残っているのです。


 まだ会ったこともない妹に対しても、美緒ちゃんとの関係のように、素直に向き合える自信がありません。

 自分が与えてもらえなかった父さんからの愛情を当たり前のように貰っている……それは当然の事だし、妬むなんて間違っていると分かっているけど、なにか釈然としないのです。


「駄目ですね。話していて、自分の器の小ささが嫌になってきました」

「健人君、まだ時間はあるんだよね?」

「衝突までは十六日と聞いています」

「だったら、これから健人君が日本政府に協力して行動していく中で、お父さんとの関係を考えてみたらどうだい。日本の人を三人避難させるだけなら、大した時間は掛からないんだろう?」

「そうですね……そうしてみます」


 確かに、父さんと家族二人をヴォルザードに移送するだけなら、一分と掛かりません。

 居場所さえ分かっていれば、衝突の直前にだって避難させられるはずです。


 ちょっとしたアイデアを思い付いて、影の空間からスマホを取り出して梶川さんに電話を掛けました。


「やあ、国分君、先程はどうも」

「梶川さん、事後連絡になってしまって申し訳ないのですが、浅川唯生さん、美香さんご夫妻にはヴォルザードに避難してもらいました」

「えっ、もう避難してもらったのかい?」

「はい、本人と家財道具一式も運び出しました」

「随分と早いね」


 唯生さん達の避難を終えたと伝えると、梶川さんは驚いたようだ。


「今後、日本政府に協力するとなると、自由に動ける時間は限られるかと思いまして」

「なるほど、確かにヴォルザードへの避難計画は、国分君抜きには成立しないからね」

「それで、一つお願いがあるのですが……」

「浅川氏の関係から情報が洩れる可能性かな?」

「それもあるのでしょうが、その……父の家族についてなんですが」

「国分武人氏と奥さん、お嬢さんだね?」

「はい、こちらに避難するかどうか、梶川さんの方から打診していただけませんか?」

「国分君からじゃなく、こちらからかい?」


 唯生さん達との対応の違いに、梶川さんの声からも疑問を抱いている感じが伝わってきた。


「今すぐ僕から伝えても、避難する気にならないと思うので、世間の動きというか情勢を見ながら伝えてもらえれば、避難を考えてもらえるかと思って……」

「なるほどねぇ……」

「所在さえ分かっていれば、ギリギリのタイミングでも避難させられるので……」

「分かったよ。日本政府としても、衝突が避けられないと分かった場合には、避難を呼び掛けることになると思うから、そのタイミングで声を掛けてみるよ。武人氏と家族の所在については、こちらで把握しているから大丈夫だよ」

「お手数かけて申し訳ありませんが、よろしくお願いします」

「協力してもらうのはこちらの方だから、なるべく国分君の希望に沿えるようにするよ」

「ありがとうございます」


 梶川さんにお礼を言って、通話を終了した。


「なるほど、日本政府が避難を促すタイミングで連絡を取ってもらうのか……良いんじゃないかな」

「ちょっとズルい気もしますが、この方が父も気兼ねしないで済むんじゃないですかね」

「そうかもしれないね」


 梶川さんとの電話を終えた頃、ようやくお嫁さん達が起き出してきました。

 最初に起きてきたのはマノンで、唯生さん達に気付くと驚いていましたが、それでも普通に挨拶をしていました。


 マノンの次に起きてきたのは唯香で、眠そうに眼をこすりながらリビングに入ってきた所で一瞬フリーズしていました。


「えっ……なんで?」

「しばらくお世話になるよ」

「唯香、あなたは、もっとシャンとしなさい!」

「えっ、嘘っ、聞いてないよ」


 普段、僕には厳しい唯香がオロオロする姿を見るのはちょっと楽しいですねぇ。

 まぁ、ニヤニヤしてると、また後で怒られそうですし、色々説明しないと駄目でしょうけどね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る