第591話 第一報

 それは、一本の電話から始まりました。


『ケント様、起きてくだされ。ケント様!』

「んぁ……なぁにぃ……?」


 その晩も、ネロのお腹に寄りかかってグッスリと寝入っていたのですが、夜中にラインハルトに起こされました。


「ご主人様、梶川から電話だよ」

「ん? 梶川さん……?」


 シルトが持っているスマホが、ブーン……ブーン……っとバイブレーションで着信を知らせています。

 いつの間に、マナーモードへの切り替えなんて覚えたんでしょう。


 いや、今はそんな事よりも電話に出ないと駄目ですね。


「もしもし……」

「やぁ、国分君、夜中にすまないね」

「はい……いえ……何でしょう?」

「申し訳ないんだが、出来るだけ早く練馬まで来てもらいたいんだ。ちょっと緊急でね」

「緊急……ですか?」

「うん、詳しい話は直接させてもらいたい」

「えっと……今から?」

「出来れば……」

「行っても頭が働かないかもしれませんよ」

「それでも、お願いしたい」

「ん……分かりました。なるべく早く行きます」

「すまないね。とっておきのコーヒーをごちそうするよ」


 通話を切って、出掛ける支度を始めました。

 時計の針を見ると、まだ真夜中を過ぎたばかりです。


 梶川さんにもヴォルザードと日本の時差は伝えてあるので、こちらが真夜中だと分かっていて連絡してきた事になります。


「緊急かぁ……またフィギュアスケート選手の治療とか言うんじゃないだろうな」


 少し小綺麗な服に着替えて、リビングに出掛けて来ると書置きを残して、そーっと階段を下りました。

 玄関で靴を履いたら、闇の盾を出して影の空間へと潜って日本に向かいます。


『梶川殿にしては、少々強引でしたな』

「うん、声の調子は焦っている……って程ではなかったけど、確かに緊張感のある話し方をしていた気がするよ」

『何が起こったのでしょう?』

「まぁ、行ってみれば分るよ」


 自衛隊、練馬駐屯地へと移動すると、梶川さんだけでなく塩田外務副大臣の姿がありました。


「おはようございます……で、合ってます?」

「おはよう、国分君、急に呼び立てて悪かったね」

「お久しぶりです、塩田さん。緊急と聞いて急いで来たんですが、正直ちょっと頭が回ってません」


 ちょうど寝入ったばかりだったと説明すると、塩田副大臣はもう一度頭を下げました。


「いや、すまない。だが、それだけの緊急事態なんだ」

「また、海外の要人が怪我をなさったんですか?」

「いや、そうではない。今回は、地球滅亡の危機だ」

「えっ……地球、滅亡?」


 何を馬鹿な話を……と言いかけて、塩田副大臣の表情が固いのに気付きました。

 冗談などを言っている雰囲気ではなく、表情は真剣そのものです。


「これから伝える情報は、絶対に外に漏らさないでもらいたい。伝える相手は、決して口外しないと信頼できる相手に限定してもらいたい。いいかな?」

「はい……分かりました」


 塩田副大臣から伝わってくる空気が、本当にただならぬ事態が起こっていると伝えてきて眠気が吹き飛びました。

 ラインハルトにも念話を飛ばして、眷属に対しても緘口令を出しました。


「今から一時間ほど前に、アメリカからホットラインで連絡が入った。内容は、地球に衝突する可能性が極めて高い小惑星が発見されたというものだった」

「小惑星……って、どの程度の大きさなんですか?」

「長辺が約八千メートル、短辺が五千メートルぐらいの楕円形の天体だ」

「八千メートルって……山じゃないですか」

「その通りだ」

「それが衝突したら、どうなるんですか?」

「恐竜が絶滅した時のような状況が起こる可能性がある」


 海に落ちれば巨大津波、陸に落ちれば膨大な塵が舞い上がり、太陽を遮って氷河期が訪れる可能性があるようです。

 衝突場所によって被害の大きさは異なるようですが、最悪の場合には寒冷化が数年に渡って継続し、農作物が収穫不能となり、深刻な食糧危機が起こる可能性があるそうです。


「衝突する確率は、どの程度なんですか?」

「現時点では七割程度だが、この数字は小惑星の接近と共に上がってきている。アメリカ政府は衝突はまぬがれないと判断した上で、日本政府に対して協力を要請してきた」

「残された時間は?」

「十六日だ」

「えっ、二週間程度しか無いんですか?」

「私も詳しくは知らないが、こうした小惑星の監視は常時続けられているそうだが、衝突の数日前まで分からない場合もあるらしい。今回のケースは、太陽の方向から接近している間に何らかの理由で軌道が変わり、発見が遅れたという話だ。それに、いくら嘆いたところで時間は止まってくれない」


 ここで、梶川さんがコーヒーを持って来てくれました。

 塩田副大臣が手振りで勧めてくれたので、ブラックのままで味わいました。


 芳醇な香り、苦みと酸味のバランス、インスタントコーヒーが泥水に感じるほどの素晴らしい味わいだったが、今は現実を突き付けてくる悪魔の飲み物に思えます。


「それで、どのような対策が行われるのですか?」

「現在、アメリカによる核ミサイル攻撃なども検討されている。だが、仮に小惑星を砕けたとしても、砕けた破片の殆どが地球に降り注ぐだろう。どの程度の大きさに出来るのか、どの程度の範囲に分散出来るのか、全く予想がつかない。いずれにしても、膨大な質量が地球を直撃するのだから、甚大な被害は免れないだろう」


 小惑星の地球への衝突は、度々映画の題材にされているし、天文学者の間ではずっと以前から研究が行われているそうです。

 実際に、小惑星を破壊したり、軌道を変えるための基礎実験なども行われているそうですが、実際の大きさの天体に対する実験は行われていないようです。


「恐竜が絶滅した原因を作ったとされる隕石は、直径が十キロ程度だったそうだ。それと比較すると今回の小惑星は若干小さいし、恐竜と我々人類とでは災害に対する備えも違う。直接的には、人類が絶滅するまでの災害とはならないだろう。だが、落下場所がヨーロッパやアメリカなどの主要都市だった場合、その被害は甚大なものとなるだろう」


 今回の小惑星がそのまま衝突した場合、クレーターの大きさは直径百キロを超えるそうです。

 僕がヒュドラの討伐の時に作ったクレーターなんて可愛いものですよ。


「それで、僕は何をすれば良いのですか?」

「避難民の受け入れを打診してもらいたい」

「ヴォルザードへ……ですか?」

「その通りだ。地球が危機的状況に陥っても、異世界までは影響は及ばないとアメリカは考えて、我々日本政府に打診してきた」

「どの程度の人数になるのでしょう?」

「逆に、どの程度の人数ならば受け入れられるかね?」

「急に聞かれても、ハッキリとは答えられませんが、同級生たちと同じく二百人規模ならば問題は無いと思います」

「二百人かぁ……」


 塩田副大臣は、渋い表情を浮かべて少し考え込みました。


「避難民のための食糧、資材、金品などを用意した場合ならどうだろう」

「受け入れるだけならば大丈夫だとは思いますが、ヴォルザードに移動させるためには、僕の魔力を譲渡して影の空間を通り抜ける必要があります。どの程度のペースで、どのくらいの人数を送れるかは、実際にやってみないと何とも言えないです」

「そうか、確かにそうだな」


 日本からヴォルザードに人を送る場合、二つの方法が考えられます。

 一つは、送還術を使って送ってしまう方法だが、一度に送れる人数には限りがあるし、大量の魔力を消費するので回数にも限りがあります。


 もう一つの方法は、僕の魔力を分け与えて影の空間を通り抜けていく方法です。

 こちらの方が消費する魔力は少なくて済むので、多くの人を送るならば、こちらの方法の方が適しています。


 既に、塩田副大臣をヴォルザードに送った時にも行っている方法ですから、安全性についても問題は無いはずです。

 ただし、この方法だと僕と一緒に召喚された同級生たちは送れません。


 送れるのは、魔力の属性を持たない地球人に限られるからです。


「アメリカは、何人程度の受け入れを想定しているのですか?」

「千人以上、可能ならばもっと多くの人を受け入れてもらいたいらしい」

「日本政府は、どうなんですか?」

「我々としては、状況次第だが、国連に加盟している全ての国からの受け入れを検討している」


 世界各国が同じような被害に陥った場合に、自国や同盟国であるアメリカのみを優遇したと受け取られ、後で抗議を受けるのを避けるためでしょう。


「えっと……」

「百九十六か国、それぞれから十人の避難民を受け入れたとして約二千人。これが現在考えている最低ラインだ」

「それは、一時的な避難で済むのでしょうか、それとも数年、あるいはもっと長期間に渡る避難になるのでしょうか?」

「分からない。被害の状況によっては短期で済む可能性もあるし、深刻な食糧危機が起こるようならば長期化するだろうし、受け入れを希望する人数も増えるかもしれない」


 実際に、どの程度の国が受け入れを希望するのかも分からないし、どの程度の人数を希望するのかも分からないようです。

 現状では分からない事だらけですが、最悪の場合には数万人規模の受け入れ希望が来るかもしれません。


「我々、日本政府としては、地球を代表して避難民の受け入れを検討してもらいたいと考えている」

「分かりました。とりあえず、持ち帰って領主のクラウスさんと相談してみます。場合によっては他の領地やリーゼンブルグ、バルシャニアなどにも受け入れを打診してみます」

「よろしく頼むよ。なにしろ、我々としても初めてのケースで対応に苦慮している。最悪の状況を想定しておかないと、起きてから対策していたら間に合わないからね」


 まぁ、今回も起きてから対策しているのと大差無いような気もするけど、二週間程度とは言えども準備期間があります。

 ただし、避難民を送り込む作業を考えれば、ノンビリしている暇は無さそうです。


「あの……個人的な事で申し訳ないんですが、身内を先に避難させても構いませんかね?」

「そうだねぇ……詳しい状況を話さないで避難してもらえるならば構わないよ」

「あくまでも、小惑星の衝突については極秘という事ですか?」

「おそらく、今後どこからか情報がリークされると思うが、直前までは衝突の可能性は低い……という発表になると思う」

「そうですか……では、もし僕の周辺から情報が流れても、デマ扱いして下さい。十分に気をつけますが……」

「国分君、あまり神経質にならなくていいよ。情報統制に関しては、こちらの仕事だから、君は避難民の受け入れ体制の構築に専念してもらいたい」

「分かりました。話が決まり次第、逐次連絡します」


 塩田副大臣との話を終えて、ヴォルザードへと戻るべく影の空間へ潜りました。

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