第588話 新たな出会い

※ 今回は綿貫早智子目線の話です。


「でね、国分君が案内していた人達がそうじゃないかって……」

「あー……そうなんだ。ところで貴子は、今日はどうするの? 私はミリエとギルドの訓練場にでも行こうと思ってるんだけど……」


 あたしが共用のリビングに入ると、シェアハウスの住民である本宮碧が相良貴子との話題を強引に切り替えた。


「おはよー、そんなに気を使わなくても大丈夫だよ。リーゼンブルグの騎士でしょ?」

「おはよう、早智子。そうなんだけどさぁ……あのカミラがって思うと納得できなくて」

「なぁに? 碧も国分狙いなの?」

「違う違う、そうじゃないけど……」

「あたしの件なら気にしないでいいわよ。国分はハッキリ言わないけど、ラストックであたしを襲った連中は、これ……だったみたいだから」


 あたしが手刀で首を斬るフリをしてみせると、碧も貴子もギョっとした表情を浮かべた。


「マジで?」

「多分ね……私が聞いて余計にショックを受けないか気を使ってたみたいだったから」

「あー……国分君、そういう所分かりやすいからねぇ」

「でしょ? さり気なく気を使っているつもりなんだけど、それが上手く隠し切れていない不器用さ……みたいなのが、女性によってはツボに嵌るんだろうね」

「はい、はい、確かに……結構、罪作りよね」


 底抜けにお人好しで、優しくて、ちょっと不器用……国分に対する評価は、あたしも碧も貴子も同じだ。

 このシェアハウスを手に入れられたのも、みんなの努力は勿論だが、国分の助力があったからこそだ。


「早智子は、今日はどうするの?」

「んー……朝ごはん食べたら、ちょっと散歩に行くぐらいかな。のんびりするつもり」

「体調は?」

「良好、良好、すこぶる良好だよ」

「それなら良いけど、転ばないようにね」

「分かってるって、それに見守られてるからね」


 あたしがチラリと足下に視線を向けると、碧と貴子はなるほどという感じで頷いてみせた。

 今日は闇の曜日なので、あたしを含めた三人とも仕事は休みだ。


 あたしはアマンダさんのお店、碧はメリーヌさんの食堂、貴子はフラヴィアさんの服屋でデザイナーとして働いている。

 こうした客商売の店は、安息の曜日は営業して、代わりに闇の曜日に休むことが多い。


 人気店は休みだけど、普段は客の入りが今いちの店は営業する傾向があるそうだ。

 人気の無い店は、人気店が休みの日に少しでも味を知ってもらって常連さんを増やそうと営業努力をしているのだろう。


「碧は、まだ冒険者も続けるんだ?」

「うん、だって東京じゃ出来ない仕事じゃない。折角こっちに残ってるんだから、やりたい事はやっておかないとね」

「まぁ、そうだよね。それじゃなきゃ残った意味ないもんね」

「そうそう、そういう事」


 碧も貴子も、基本的に考え方がポジティブだ。

 元々、剣道部に所属していた二人だけど、貴子の方は冒険者の道は選ばず、デザイナー一本で活躍している。


 地球の知識があるだけ有利だとは思うけど、こちらの世界の人の好みに合わせつつ、その期待の上をいかなければならないのだから楽ではないはずだ。

 時々、夜中に目を覚まして水を飲みに行くと、真夜中なのに貴子の部屋には明かりが点いている事が多い。


 好きこそ物の上手なれ……なんて言うけれど、好きでもなかなか出来るものではないと思う。

 あたしがお世話になっているアマンダさんも、根っからの料理好きだ。


 たぶん、今日も店の営業はしないだろうが、新メニューの試作をやっているはずだ。

 ここヴォルザードは、最果ての街などと呼ばれていて、男性における冒険者や守備隊員の比率が高く、命を落とす確率も高いので、それ故に女性が強いとされている。


 夫を亡くしても女手一つで子供を育てあげるといったケースは少なくないそうだ。

 アマンダさんもそうだし、国分の嫁さんの一人マノンの家もそうだと聞いた。


 シェアハウスで同居している、鷹山の嫁シーリアも、状況は違えども母親であるフローチェさんが一人で育てたようなものだ。

 あたしも、他の人達とは状況は違うけど、一人で子供を育て上げた先輩が近くに居るのは心強い。


 そのフローチェさんは、シェアハウスの寮母さん的存在になっている。

 一見すると、おっとりしているように見えて、実はしっかりと芯が通った女性だ。


 あたし達にとっては、母親と同じ年代なので、色々と相談にも乗ってもらっている。


「フローチェさん、少し散歩してきますね」

「はいはい、暑くなる前に戻ってらっしゃい」

「はーい!」


 フローチェさんも、今のあたしと変わらない歳でシーリアを産んだそうで、まだまだお婆ちゃんなんて呼ぶのははばかるぐらい若々しい。

 いい男が見つかったら、再婚したっておかしくないと思うが、本人にはその気は無いようだ。


 シェアハウスを出ると、空は薄曇りだった。

 そろそろ汗ばむ季節になってきているが、あたしは寒いより暑い方が好きだから、もうちょっとカラっと晴れていてほしい。


「さてと、何処に行きますかねぇ……」


 だいぶお腹が重たくなってきたので、以前のようにシャキシャキは歩けない。

 シェアハウスの周辺は倉庫街なので、馬車とか荷車が行き来しているけど、歩いていると気を配ってもらっているのが良く分かる。


 日本と比べると、女性や妊婦さんに対して街全体が優しい。

 一度、国分の嫁の一人で領主の娘でもあるベアトリーチェに聞いたのだが、こうした荷運びの人が女性や妊婦さんに怪我を負わせると厳しく罰せられるそうだ。


 周辺を魔の森に囲まれた厳しい土地だから、新しい命、これからの街を支えていく存在は大事にされているそうだ。

 医療技術では日本の方が遥かに進んでいるけれど、子供を産んで育てるならばヴォルザードの方が恵まれている気がする。


「ふぅ……やっぱ階段は結構くるねぇ……」


 倉庫街を抜けて、ぶつかった城壁の上へと上がる。

 国分の家を横に見ながら城壁の南側へと出た頃には、雲の切れ間から日が差し始めて気温が上がってきたけれど、城壁の上は森から吹いて来る風が心地良かった。


「んー……気持ち良いねぇ。飛び降りようなんて考えないから大丈夫だよ」


 城壁の上に出来た自分の影に向かって話し掛けると、ひょこっと国分のところのコボルトが顔を出した。


「ホントに?」

「ホント、ホント、今日は凄く気分が良いんだ」

「じゃあ、撫でて、撫でて」


 しゃがみ込んで頭をワシワシと撫でてやると、コボルトはくすぐったそうに目を細めた後で影の中へと戻っていった。

 少し前に、今日と同じようにここまで散歩に来たことがあった。


 その日は、今にも雨が降り出しそうなドンヨリとした空模様で、あたしの気分も落ち込んだ状態だった。

 城壁にもたれて暗い魔の森を眺めていたら、どんどん思考がマイナスに傾いていって、ここで命を絶ったという関口を思い浮かべていた。


 せっかく日本に戻れる道筋が開けていたのに、ヒステリーを起こして命を絶ってしまった関口と自分を重ねていた。

 せっかくラストックから救い出してもらったのに、レイプされた経験を引きずって自暴自棄な行動を繰り返していた。


 その結果として出来たお腹の子供を産んだとして、果たして本当に愛して育てられるのだろうか。

 いっそ、このまま城壁から飛び降りて、お腹の子供共々命を絶ってしまった方が良いのではないか。


 そんな考えに囚われて、城壁の手すりに登ろうとしたら、後ろから抱き止められたのだ。

 周りには人影は無かったはずだと驚いて振り向くと、悲し気な顔をしたコボルトが首を横に振っていた。


「ご主人様は忙しいけど、ちゃんと見てるから……ちゃんと支えるから……」


 どこまでもお人好しな主人そっくりなコボルトの言葉に、涙が溢れて止まらなかった。

 コボルトは、あたしの肩をポフポフと優しく叩いた後で、耳元で囁き掛けた。


「わぅ、元気出して、お腹撫でてもいいから……」


 お腹を見せて寝転んだコボルトを見て、思わず吹き出してしまった。

 あれこれ悩んでいるのが馬鹿らしくなって、笑いながらお腹を撫でていたら、あたしに憑いた死神はどこかに行ってしまった。


 あの時の事を思い出しながら、森からの風を感じながら歩き続けていたら、いつの間にか守備隊の敷地があるエリアを通り過ぎていた。


「結構遠くまで来ちゃったわね」


 どうせなら街を見ながら帰ろうと城壁を下りたら、どこからか美味しそうな匂いがしてきた。

 コボルトではないけど鼻をヒクヒクさせて匂いを辿ると、小さな店が商売をしていた。


 串焼きとナンのようなパンをセットで売る店らしい。

 丁度お昼時だったので、店の前には三人ほど待っている人がいた。


 列の後ろに並ぼうとしたら、体の大きな男性と鉢合わせになり、順番を譲られた。


「あっ! サチコさん……ど、どうぞ、お先に」

「えっ? どうして私の名前を……あぁ、アマンダさんのお店の常連さん」

「はい……仕事場がこっちなもので」


 順番を譲ってくれたのは、最近毎日のようにアマンダさんのお店に来てくれている常連さんだった。

 いつも一人で来店して、ゴツい体を小さく縮めて物静かに食事をして帰っていく人だ。


 今も猫背気味に体を縮めているのは、あたしに威圧感を与えないようにしているのかもしれない。


「そっか、そっか、今日は休みだもの……って、いつもこっちの方から食べに来てくれてるの?」

「はい……」


 この辺りは職人街で、アマンダさんの店からは随分と離れている。

 常連の男性は、いたずらが見つかった子供のように顔を赤らめた。


「あたし、この店は初めてなんだけど、お薦めとかあります?」

「そうですね……」


 店のメニューは鳥と豚の二種類で、その他にソースの辛さを指定できるそうだ。

 売店だけでテーブル席は無く、近くの広場のベンチに座って食べるらしい。


 こんな遠くから毎日のように足を運んでくれる男性に興味が湧いて、一緒に食べないかと誘ってみた。

 多くの人を引き付けるアマンダさんの味の秘密の一端がしれるかもしれないと思ったのだ。


「改めまして、あたしはサチコ、まぁ知ってるよね。お名前聞いてもいいですか?」

「お、俺はリューク、家具職人だ」


 リュークは二十代後半ぐらいで、修業を終えたばかりの家具職人だそうだ。

 この近くに自分の工房を持っているらしい。


「じゃあ、まずは食べましょうか」

「うむ……」


 いつも通り、リュークは黙々と串焼きを挟んだパンを食べていく。

 あたしが近くでチラ見しているからか、少し頬があかい。


 売店で買った串焼きは、まぁまぁの味だったが、アマンダさんの料理と比べると二段ぐらい落ちる。

 全体的に、味に深みが足りない感じがするのだ。


 パンも少しボソついているのが気になる。

 そうした感想を話してみると、リュークも同意見だった。


 アマンダさんの店に毎日通うぐらいだから、なかなか舌が肥えているのだろう。

 続けて本題に入ろうかと思ったら、思わぬ邪魔が入った。


「あれぇ? あの時の姉ちゃんじゃんか……」


 ねとっと纏わり付いてくるような言葉を発したのは、薄汚れた職人風の中年男だった。


「どなたです? 誰かと間違えてません?」

「あんな端金でやらせてくれる女を間違える訳ねぇじゃんか、どうだこれから、可愛がってやろうか?」


 まるで覚えていないけど、自暴自棄になっていた頃に体を重ねたことがあるのだろう。

 封印しておいた当時の記憶が蘇ってきて、血の気が引いていく。


 これはマズい……と思った時だった。


「おいっ、目触りだから消えろ!」


 低く、太く、ハッキリとした言葉を発したのは、さっきまで蚊の鳴くような小さな声で話していたリュークだった。


「なんだと、手前……ぇ……」


 不機嫌そうな声を上げた中年男の前に、リュークが立ち上がった。

 あたしと向き合っていた時の猫背ではなく、グンっと胸を張っている。


 中年男より頭一つ以上も背が高いし、肩幅も腕の太さも段違いだ。


「もう一度だけ言うぞ、目触りだから消えろ」

「ちっ……手前、知ってるのか? その女はなぁ誰彼構わず股をぐぅぅ……」


 リュークに襟元を掴まれ、左手一本で足が浮くほど釣り上げられて、中年男の言葉は強制的に中断させられた。


「いいか、二度とサチコを侮辱するな! 今度貴様がサチコを侮辱しているのを見たら、この首を圧し折ってやるから、そのつもりでいろ。分かったか!」


 ガクガクと頷いた中年男の股間に、汚い染みが広がっていく。

 こんな汚いオッサンに体を開いていたのかと思うと絶望的な気分になってしまった。


「だ、大丈夫ですか、サチコさん」

「えっ……」


 たった今まで、鬼のような形相で中年男を睨み付けていたのと本当に同一人物なのかと思うほど、リュークは心配そうに、でもどうして良いのか分からずにオロオロとしていた。

 その姿は、飼い主に叱られた大型犬みたいで、思わず吹き出してしまった。


「ふふっ、リュークさん、変わり過ぎ……」

「あっ……ご、ごめんなさい。好きな女性が侮辱されて、頭に血が昇ってしまって……」

「えっ? 好きな女性?」

「あぁぁ! いや、その……そういう意味じゃなくて……いや、そういう意味で……」


 リュークの顔は茹蛸みたいに真っ赤になっている。

 店の常連さんというだけで良くは知らないけれど、悪い人には思えない。


 思えないからこそ、その好意には応えられない。


「ごめんなさい。さっきのオッサンが言ってたこと、本当なんだ……あの頃のあたしは本当に馬鹿で……」

「いいです。話さなくても、いいです。そんな辛そうな顔をしないで下さい」

「そう……でも、お腹の子供の父親も分からないぐらいだから……リュークの気持ちには応えられない……」

「何でですか?」

「えっ、だって……」

「人間は失敗するものです。俺にだってサチコさんに言ってない事はあります。俺は、お店で働いているサチコさんしか知らなかったけど、サチコさんも店の客である俺しか知らないはずです」

「それはそうだけど……」

「だから、知り合う機会を下さい。サチコさんを知り、俺を知ってもらうまで、俺の思いを否定しないで欲しい」


 普段のちょっとオドオドした感じではなく、真っ直ぐにあたしの目を見詰めて語りかけてくるリュークの言葉に鼓動が高まり顔を熱くなってくる。

 ヤバい、これじゃアニメに出て来るチョロインじゃない。


「家まで送ります」

「えっ……そんな悪いよ」

「さっきの野郎が絡んで来たら嫌だから……家までが駄目なら、お店まで送らせて下さい」

「でも、リュークの仕事が……」

「いつも食べに行ってるんですから、大丈夫ですよ」


 正直に言えば、さっきのオッサンの待ち伏せは怖い。

 たぶん、一人でいる時だったら国分のコボルトが助けてくれると思うけど、あのオッサンの顔を見ること自体が怖い。


 リュークには面倒を掛けて申し訳なかったけど、アマンダさんの店まで送ってもらう事にした。

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