第587話 騎士達の視察

 クラウスさんと一緒に臨んだ会談の翌朝、僕は迎賓館を訪れました。

 ゲルト達がヴォルザードの街を視察したいと申し出たので、カルツさんと共に街を案内する事になったのです。


 カルツさんに丸投げしちゃおうかとも思ったのですが、僕でないと説明できない所もあるので同行を頼まれたのです。


「おはようございます!」

「おはようございます、魔王様」


 今日はゲルト達も鎧を脱いで、平服姿で街を回る予定です。

 既に出発の準備は出来ているようですが、五人とも少々元気が無さそうに見えます。


「魔王様、昨夜はかなり召し上がられていらしたように見えましたが、少しも酒は残っていらっしゃらないみたいですね」

「まぁ、一晩眠れば問題無いです」


 というか、光属性の魔術を使えば、酔いは一瞬で醒ませるんですけどね。

 ゲルト達は、少々二日酔いのように見えます。


「結構酔っていらしたようですが、さすがですねぇ……」

「いやぁ、ぐでんぐでんで帰ったので、今朝は小言を貰ってきましたよ」

「えっ、魔王様がですか?」

「はい、家では王様でもなんでもありませんから」


 話を聞いていた四人の若い騎士は、ほぉっと少し感心したような声を洩らしました。

 まぁ、実際は唯香、マノン、それにセラフィマからもお説教でしたけど……。


 カルツさんが到着した所で、迎賓館を出て街の中心部を目指します。

 街を視察する目的なので、既に多くの商店が店を開けている時間です。


 最初に向かったのは、食品を扱う店が集まっている市場で、活気の良い売り声が響いていました。

 肉、野菜、穀物、香辛料……僕が足を運ぶ機会は少ないのですが、それでも以前に比べたら商品の量も、種類も増えているように感じます。


 若い四人の騎士は、キョロキョロと眺めているだけのように見えますが、ゲルトは店ごとの商品を丹念にチェックしているようです。

 真剣度というか真面目さには大きな差がありますが、ブライヒベルグに行った時のクラウスさんの姿を連想します。


 扱っている商品の種類や値段を王都やラストックなどと比べているのでしょう。

 やはりこの人は、最初の印象通りの切れ者ですね。


 いっそリーゼンブルグから引き抜いたらどうか……なんて考えていたら、出会いたくない人間と遭遇してしまいました。


「おぉ、これは楽ちんだーっ! 荷物は積めるし、早いし、便利すぎるぜ! はっはっはっ……」


 棒読みのセリフとわざとらしい笑いを残して、人々から冷たい視線を浴びせられながら通り過ぎて行ったのは、ママチャリに乗った八木でした。


「魔王様、今のは……」

「あぁ、全然知らない人です」

「ですが、黒髪に黒目だったような……それに奇妙な乗り物に乗っていましたが……」

「はぁぁ……そうです、僕と一緒に召喚されて、日本に戻らずにヴォルザードに残った一人です」


 八木が企画したレンタサイクルの事業は、あまり……いや、全然上手くいってないみたいです。

 自転車を持ち込めば、あっという間に大人気になって、盗難騒ぎになるのでは……なんて見込みは甘すぎました。


 原因は、ヴォルザードに暮らしている人は、僕の同級生を除けば、誰一人として自転車を知らないからです。

 自転車を知らないから、乗れないし、興味を持ってもらえないんですよ。


 自転車が当り前に存在している世界で育った僕らは、どういった物で、どうやって乗るのか経験は無くとも見て知っています。

 ペダルを漕いで、ハンドルを操作して進み、ブレーキで止まる。


 車輪が二つしかなくても、バランスを取っていれば倒れることなく進めると、乗る前から知識として知っているからこそ、乗れるようになれると疑いません。

 ですが、ヴォルザードに暮らす人たちは、自転車を見るのも初めてなので、なぜ倒れずに進むのか……とか、どう便利なのか……というふうに知る事から始めている状態です。


 傍から見たら、ちょっと危ない人みたいな八木の行動は、精一杯のデモンストレーションなのです。

 あれで、どれだけの人が興味を持ってくれるか不安ですが、自転車が便利なのは事実です。


 自転車を知ってもらい、更には乗り方を教えて……普及していくのはそれからでしょう。


「慣れれば便利なんですよ。歩くよりも遥かに早く、遠くまで、楽に行けます」

「あれは、魔王様の世界から持ち込んだ物だと思いますが、同じものをリーゼンブルグでも作れるでしょうか?」

「うーん……全く同じ物を作るのは難しいと思います。ただ、僕はリーゼンブルグの技術水準を完全に把握している訳でもありませんから、全く同じではなくても同程度の品物であれば作れる可能性はあると思います」


 チェーンとか、ワイヤーとか、タイヤやチューブは作るのが難しそうですが、こっちの世界には僕の知らない素材とかもありそうですし、僕が思っているよりも細かい加工技術があるかもしれません。

 そうした物を組み合わせれば、自転車みたいな物は作れそうな気がします。


 ゲルトには、基本的な原理だけ本当にザックリと話しましたが、案外こうした人達の方が八木よりも早く普及させちゃうかもしれませんね。

 市場の視察を終えた所で、ゲルトはカルツさんに質問を投げ掛けました。


「こちらに来る前にラストックの街でも感じていたのですが、これまでには目にしたことのない野菜が増えている気がします。あれは、ヴォルザードで栽培されたものなのですか?」

「いいや、そうした品物の殆どはブライヒベルグから運ばれてきたものだ」

「ブライヒベルグですか? 確か峠を越え、森を抜け、更に先に進んだ所だと記憶していますが」

「その通りだ。だが荷物に関しては一瞬で到着できる」

「それは、魔王様のお力によるものですね?」

「その通りだ。ケント、説明を頼んでも構わないか?」


 カルツさんから引き継いで、イロスーン大森林で魔物が増えて街道の通行が困難になった状況から、闇の盾を使った輸送システムまでを説明しました。

 まぁ、実際に物を見てもらった方が早いので、ギルドの裏手にある輸送拠点に案内すると、ゲルト達は闇の盾から次々に出てくる荷物に驚いていました。


 てか、以前に比べると送られていく物の量も、こちらから送り込む物の量も更に増えているように感じます。


「これは……壮観ですね」

「ご存じかと思いますが、ヴォルザードの周辺は魔物が多いので農耕に適していません。これまでも穀物は他の領地に頼る部分が多かったのですが、野菜などの鮮度を保つのが難しい品物は届きませんでした。この輸送システムを使えば、ブライヒベルグからは一瞬で届くので、これまで運べなかった野菜や果実も届くようになりました」

「なるほど、ヴォルザードからラストックまでは馬車なら二日、リーゼンブルグも恩恵にあずかっている訳ですね」

「その通りです」

「魔王様。例えば、これと同じ仕組みをアルダロスとの間に設置する事は可能ですか?」

「出来ますよ。ただ、これを設置してしまうと、冒険者や輸送を担う業者の仕事を奪ってしまいます。仕事を奪われれば、当然反感を持たれ、対立の原因になりかねません」

「なるほど、確かに護衛の仕事を奪われれば冒険者にとっては死活問題ですね」

「それに、この仕組みは僕がいなくなったら成立しないものです。あまり頼りにされてしまうと、僕の死後、大変な事になりますよ」

「そうですね、将来の事も考えておかねばなりませんね」


 輸送の速度を上げるならば、馬車以外の輸送方法を確立する必要がありますが、化石燃料に頼るトラック輸送では、温暖化の問題を引き起こしそうです。

 なまじ環境問題の知識があるから、色々と考えてしまいますが、ランズヘルト共和国内の各領地を結ぶ鉄道網は整備した方が良いのかもしれません。


 でも、鉄道の敷設となると専門的な知識が必要でしょうから、今までの削って、均して、固めて……みたいな土木作業では駄目そうです。

 魔王様なんて呼ばれたりしてますが、世の中全体の文明レベルを一気に押し上げるような事は難しいです。


 街の様子を視察しながら、迎賓館から南西の門まで歩き、次は守備隊の施設や訓練の様子を見る事になったのですが、ここでカルツさんから提案がありました。


「ついでに、ケントの家を見せておいた方が良いんじゃないか?」

「あぁ、そうですね。じゃあ、案内しますね」

「いや、先に上から眺めてもらったらどうだ?」

「なるほど、ではこちらから……」


 自宅の敷地に繋がる門へと案内しようと思ったのですが、先に城壁の上から見てもらう事にしました。


「ま、魔王様、あれは……?」

「あそこの日陰で長くなってるのが、ストームキャットのネロとサンダーキャットのレビンとトレノで、あっちで甲羅干ししてるのがサラマンダーのフラムです」

「全部、魔王様の配下ですか……?」

「配下というか、僕にとっては家族ですね」


 時々忘れがちなんですが、ストームキャットもサラマンダーも滅多に出会うことのない魔物ですし、普通の人にとっては天災に近い存在なんですよね。

 ゲルトはまだ落ち着いている方ですが、若い四人の騎士は呆然と庭を見下ろしています。


 その中の一人が、僕に質問してきました。


「あの、ここでカミラ様も暮らされるのですか?」

「そうですよ。向こうが僕らが暮らす家で、こちらは屋敷の仕事をしてくれている人達の宿舎です。じゃあ、敷地の中も案内しますね」

「い、いえ、こちらから拝見させていただきましたので……」

「確認しないでも大丈夫ですか?」


 僕に訊ねられたゲルトは、小さく首を振り続けている部下を見て苦笑いを浮かべた後で答えました。


「はい、お屋敷の警備は、これ以上無いほどに厳重だと確認いたしましたので結構です」

「そうですか……では、守備隊の方へ移動しますか」


 庭に入らずに済んで、若い騎士はホッと胸を撫で下ろしています。


「あー……でも、みんなに臭いを覚えておいてもらった方が、何かあった時には安心かもしれませんね。いきなりガブっとやられる心配が無くなると思いますよ」

「えっ……?」


 僕の言葉を聞いた騎士達は、ゲルトと小声で相談を重ね、家の庭に立ち寄る事になりました。


「おかえりなさいませ、お客人ですね?」

「うん、カミラに随行して来るリーゼンブルグの騎士の皆さんだから、みんなに覚えておいてもらおうかと思ってね」

「なるほど、どうぞお通り下さい」


 門を警備していたザーエに対しても、騎士達は少し腰が引けている感じです。

 まぁ、今日は鎧も着ていませんし、剣も吊るしていませんから仕方ありませんよね。


 この後、リーゼンブルグの騎士達は、真っ先に駆け寄ってきたゼータ達やコボルト隊、そして何事かと近付いて来たレビン、トレノ、フラムの歓迎を受けてガチガチに固まっていました。

 ちなみにネロは、パタパタと二度ほど尻尾を動かしただけで、自宅警備を続けていましたね。

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