第584話 使者ゲルト

 この日、リーゼンブルグ王国の王都アルダロスから五人の騎士がラストックの街を訪れた。

 四人の部下を率いているのは、近衛騎士のゲルト・シュタールだ。


「ここに来るのも久しぶりだな……」

「隊長は、以前こちらに駐留されてたのですよね?」

「そうだ、カミラ様が最初にいらした時に同行してきたのだが……その当時は、こんなに綺麗な街じゃなかったぞ」

「そうなんですか」

「あぁ、ここは開拓村だったからな」


 かつてゲルトは、カミラの近衛騎士として、この地に駐留していた。

 ラストックは、リーゼンブルグ西部で砂漠化によって土地を失った者達のために行われた大規模な開拓事業の中心地として作られた街だった。


 土地を切り開いて農地とし、農業用の水路を築く所まではリーゼンブルグ王家主導で行われ、その後は開拓民が中心となって街づくりが進められていた。

 ラストックは王家の直轄地とされたが、王都から離れていたために王家による統制が緩くなり、自警団を名乗るゴロツキ集団が実質的に支配していた。


 そんな状況を憂い、正すために立ち上がったのが、ゲルトが仕えていたカミラだった。

 民を守る騎士の誇りを説き、自らが先頭に立って実践してみせるカミラに、ゲルトを含めた近衛騎士達は心酔した。


 カミラは司令官として駐屯地に暮らし、ラストック周辺の開発に力を注いだ。

 他の王族が派閥争いに現を抜かす中で、たった一人で民のために力を尽くすカミラこそが真の王族だと、ラストックに駐屯する騎士全員が思っていた。


 それと同時に、カミラは次の国王とはなり得ない、埋めることの出来ない第一王子や第二王子との戦力差に歯がゆい思いを抱いていた。

 カミラが自由に動かせる戦力は、百数名の近衛騎士だけだった。


 多数の貴族を派閥として率いる第一王子や第二王子とは、戦力の上では比較にならない。

 数万の軍勢を動かせる相手に対して、百数名で立ち向かうなど出来るはずがなかった。


「隊長、魔王様が召喚されたのは、どの辺りなんですか?」


 ラストックの街に入り、駐屯地に向かってゆっくりと馬を歩ませていると、部下の一人がゲルトに訊ねてきた。


「こちら側じゃない。川を越えて、魔の森に入る手前だ」

「森は……見えませんね」

「ダラダラと坂を上った先だからな……」


 カミラ王女が、戦力不足を補うためにとった手段は、王家の秘術である召喚術を用いて、異世界から少年少女を呼び寄せる事だった。

 実際に、何も無い荒れ地に見た事もない建物が現れた時には、立ち会ったゲルト達は腰を抜かしそうになるほど驚いた。


 呼び出された少年少女は、全部で二百名。

 そこに巻き込まれた教師が加わっていた。


 その日から、ゲルト達は呼び出した少年少女と教師の訓練を担当する事になった。

 カミラ王女の言葉通り、呼び出した者達は同年代の者よりも高い魔力を有していた。


 中には、騎士とも遜色の無い魔力を持つ者や、聖女と呼ぶにふさわしい程の光属性の治癒魔術を使える者もいた。

 それでもゲルトは、次期国王の座を望むには微々たる戦力の増強にすぎないと思っていた。


 カミラ王女は、出来る限り早く戦力として使えるように鍛えろと要求してきた。

 訓練は苛烈なものとなったが、それでも自分達の置かれた状況を考えると、手を抜こうなどとは考えられなかった。


 ラストックは、リーゼンブルグの東の端の街だ。

 ゲルト達が訪れた頃には、開拓できる土地は殆どが開拓済みだった。


 北側の森は、第二王子派の重鎮であるグライスナー侯爵の領土で、勝手に開拓を行えば第一王子の指金だと思われて、討伐される恐れがあった。

 南側の土地は酷く痩せていて、保水力も無く耕作には適さなかった。


 街の東側を流れる川を渡った先には肥沃な土地と広大な森が広がっていたが、入植地として適さない理由があった。

 川の対岸の森は『魔の森』と呼ばれていて、尋常ではない数の魔物が生息していたのだ。


 ゲルトも、一度使者として魔の森を通り抜けて隣国ランズヘルト共和国まで行った事があるが、引っ切り無しに魔物が襲ってきて、まさに命懸けの道中だった。

 ところが今は、ゲルトが命からがら戻って来た街道を馬車が連なるように進んでくる。

 ゲルト達が駐留していた時には考えられなかった光景だ。


「隊長、本当に危険な森なんですか? そんな風には見えませんけど……」

「そうだな。明日、実際に行ってみれば分かるだろう」


 今回ゲルトがラストックを訪れた目的は、カミラの輿入れに際しての道中の状況確認とヴォルザード領主への挨拶だ。

 ラストックに駐屯し、ヴォルザードにも出向いた経験がある事を買われて指名されたのだ。


 カミラが王都に戻って以後、ラストックには足を運んでいなかったが、その変貌ぶりにゲルトは驚いた。

 一目で見て、街の活気が違うのが分かる。


 道行く人の数が明らかに増えているし、その表情も明るい。

 そして、店先には見慣れない商品が多く並べられていた。


 ラストックに駐留していた頃、カミラから街に出た時には人の表情や商品の種類、値段を良く観察するように言われていた。

 騎士に向けられる視線こそが、自分達の政策や行動が誤っていないか如実に表す鏡で、売られている物の豊富さ、値段が住民の生活の豊かさを表しているのだと諭された。


 今のラストックの住民は、以前と同様に親しみのこもった視線を向けて来る。

 王家の直轄地からグライスナー家の所領となったが、横暴な振る舞いをする騎士はいないのだろう。


 商品の値段は、安価なものもあれば、少し高価な品物もあった。

 物が豊富で、高価な品物も売れるぐらい経済的に潤っているのだろう。


 駐屯地に入り、グライスナー家の騎士から話を聞くと、ゲルトが予想した通りの答えが返ってきた。


「凄いですね、隊長。そんな所まで見ていらしたんですか」

「俺が凄いんじゃない。全部カミラ様の受け売りだ」

「えぇぇ、そうなんですか? はぁ……王族の方が、そんな所にまで目を向けられていたのか……」

「そうだぞ、だからこそ俺達は全力でお仕えしていたんだ」

「隊長は、魔王様に会われた事があるんですよね?」

「あぁ、初めてお会いした時から、我々とは次元が違うと思い知らされた」


 ゲルトは、ラストックがミノタウロスの群れに襲われた翌日、カミラの執務室でケントに対面した時の様子を語って聞かせた。


「それじゃあ、魔物の大量発生に備える対策も、資材も、人員も、全部魔王様が手配したんですか?」

「そうだ。第一王子派も、第二王子派も、材木どころか釘の一本も送って来なかったのに、我々と敵対していた魔王様が用意して下さったのだ」

「それは……カミラ様が惚れるのも当然ですね」

「まぁ、その後もこの国は、何度も魔王様に救われているからな」


 王族が、どこの馬の骨とも分からない平民に嫁ぐなど、普通では考えられない事だが、今のリーゼンブルグ王国でケントとカミラの婚姻に異を唱える者は極少数だ。

 どこから漏れ伝わったのかは分からないが、ケントとカミラの関係は、物語として吟遊詩人によって語られ、本として出版され、劇として上演されている。


 そのどれもが、国を思うカミラの姿に心打たれた魔王が手を差し伸べ、共に手を取り合って国の危機を乗り越えるという話になっている。

 それでも二人の婚姻を苦々しく思っている者達は、アーブル・カルヴァインを信奉していた者達や、ケントによって不正を摘発される事になった者達だろう。


 ゲルト達はラストックの駐屯地に一泊した後、ヴォルザードを目指した。


「隊長、これって普通の街の朝の風景と変わらないですよ」

「そうだな……」


 その日のうちにヴォルザードまで辿り着いてしまおうと、朝一番にラストックを発とうしたゲルト達が目にしたのは、開門を待つ馬車の列だった。

 ゲルトが駐留していた頃でも、魔の森を超えて行こうとする商隊は存在していたが、数日に一組程度だった。


 ところが今は、普通の街と同様に馬車が列を作っている。

 ただ、普通の街と違って、徒歩で次の街へ向かう者はいない。


 さすがに、魔の森の中で野営をするだけの度胸は無いのだろう。

 川に架かる橋を渡り、馬を走らせ始めた直後に、ゲルトは街道の変化に気付いた。


 道幅が、かつての倍ぐらいに広げられ、綺麗に整地されている。

 更に街道脇は灌木が切り払われ、ゴブリンが隠れる場所すら無くなっていた。


「隊長、ここは本当に魔の森なんて呼ばれてたんですか?」

「俺が通った時には、引っ切り無しに魔物に襲われ続けたぞ。まぁ、ゴブリンの大量発生の直後だったがな」


 前回ゲルトがヴォルザードに向かった理由は、召喚した百五十人と教師が脱走したからだ。

 ヴォルザードの領主クラウスからは、その連中がヴォルザードを目指していたなら、魔物の極大発生に巻き込まれ、生きていないと言われたが、実際には匿われていたのだ。


 ゲルトの立場からすれば騙されたことになるが、ケントの能力を知ってしまえば、ヴォルザードが味方したのは当然の判断だったと認めるしかない。

 それに、ケントと敵対していたのは過去の話で、現在は友好関係にあるのだからクラウスを責めるのはお門違いだろう。


「隊長、あれは……?」

「砦のように見えるが……あんなものは俺達が来た時には無かったぞ」


 そろそろ昼の休息を取ろうとゲルトが考え始めていた時に、それは森の中から忽然と姿を現した。

 ラストックとヴォルザードのほぼ中間地点、川のほとりに城壁が築かれていた。


 中を覗くと、荷馬車を店代わりにして商売を行っている者達がいたのでゲルトは声を掛けて事情を聞いた。


「ここは、いったい何なんだ?」

「ここですかい? ケント・コクブが作った野営地ですよ」

「ヴォルザードから出稼ぎに来ているのか?」

「いいえ、あっしはラストックからですぜ」

「リーゼンブルグの商人も受け入れているのか?」

「ここは、リーゼンブルグでもランズヘルトでもありませんからねぇ……強いて言うなら魔王様の土地みたいなもんです」

「では、税は魔王様にお支払いしているのか?」

「今のところは無税ですね。その代わり、移動の出来ない建物を建てるのは禁止。こうした馬車を使った店も、同じ場所で商売出来るのは一週間と決まってやす」

「それを、みんな守っているのか?」

「勿論! 揉めてると、魔王様の眷属に目を付けられて、放り出されて、出入り禁止になりますからね。譲り合って使う、旅人の利益になる商売をするってのが暗黙のルールなんです」


 魔の森は、リーゼンブルグ王国とランズヘルト共和国の国境でもある。

 その上、危険な魔物が闊歩する場所だったために、こんな場所に施設を作ろうなどと考える者はいなかった。


 夕方からの営業に備えて仕込みに忙しい業者達を眺め、ゲルトは改めて魔王ケント・コクブの存在の大きさを再認識した。

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