第579話 アガンソ暗殺計画

『ケント様……アガンソが殺されそう……』

「はぃぃ? なんで?」

『手下の裏切り……』


 人間は落ちぶれ始めると坂道を転げ落ちるように落ちぶれたりするものですが、どうやらアガンソ・タルラゴスの転落はまだ続いているようです。


「手下って、タルラゴス家の騎士?」

『あんなものは、騎士と呼ばない……』

「お、おぅ……」


 珍しくフレッドが怒りを露わにするあたり、相当品の無い連中なのでしょう。


「でも、フレッドが慌てていないって事は、今すぐって話じゃないんだね?」

『そう、船でタルラゴス領に戻る途中でアガンソを殺害……金を奪って逃げるつもり……』

「あぁ、金目当てなんだ……」

『忠誠心の欠片も無い……大義の欠片も無い……』


 これまで仕えてきた主に対して刃を向けるとしても、それが国民や領民のためならばフレッドもここまで腹を立てないのでしょうが、その目的が金では許せないのでしょう。


「金を盗み出そうかやめようか迷っていたけど、また新たな要素が加わったってことか」

『アガンソが懐に入れるのも許しがたいけど……あいつらは論外……』

「その手下共は、アガンソから奪った金を領民に還元するとかではなくて、自分達のものにしようと考えてるんだね?」

『その通り……遊んで暮らすとかぬかしている……』

「さて、どうしたものかねぇ……」


 そんなゴロツキ連中に金を奪われるぐらいならば、盗み出してダムスク公に託してしまった方が良いに決まっています。

 金を渡さないのは決定だとして、問題はアガンソの処遇です。


 アガンソが直接手を下した訳ではありませんが、ルシアーノという男に資金を提供したことで革命騒ぎが大きくなり、結果としてフィーデリアの家族が殺されました。

 そう考えると、クーデターのような形で自分の部下に裏切られ、殺されるのは自業自得のような気もします。


 ですが、お前は私利私欲のために王族を死に追いやる切っ掛けを作ったのだ、自分も部下に裏切られて惨めに死んでしまえ……と言う気にはなれないんですよねぇ……。

 あんな欲の皮が突っ張ったオッサンだけど、酒なんて酌み交わしちゃったから情が移ったんでしょうかね。


「アガンソは、いつタルラゴス領に戻るんだろう?」

『たぶん明日……』

「じゃあ、その計画も明日実行されるってことだね?」

『そう、岸を離れて湖の中央に出たところで決行……』

「船には、何人ぐらいが乗る予定なの?」

『アガンソと腹心のキーラス、兵士が五十人、船の漕ぎ手が六十人、操舵士などが十人程度……』

「えっ、家族とか料理人とかメイドさんみたいな人とかは?」

『家族はマダリアーガに呼び寄せていない……使用人などは、別の船で戻るらしい……』


 どうやらアガンソは、虎の子の金だけ持って、一足先に安全地帯である地元に戻るつもりでいるようです。


「同じ船に乗っている人のうち、アガンソの味方は?」

『確実なのは、キーラスだけ……』

「うぇぇ……兵士は全員がグルなの?」

『たぶん、操舵士とかも……』

「駄目じゃん、どう考えてもアガンソ助からないじゃん」

『キーラスがそこそこ戦えると思うから、何人かは道連れに出来ると思うけど、逃げ場が無い……』


 襲撃が計画されているのは湖の中央付近なので、周囲は一面の水ですから逃げ場も無ければ援軍が来る可能性もありません。


「でも、水に飛び込んで潜ったまま船から離れれば、助かるチャンスはあるんじゃない?」

『アガンソが、金を置いて飛び込むと思う……?』

「いや、それは無いか」

『無い、無い……』


 欲の皮が突っ張ったアガンソが、金を置いて湖に飛び込む……なんて情景は想像も出来ません。

 となると、キーラスが孤軍奮闘して何人かを道連れにした後に倒れれば、アガンソも殺されてしまうでしょう。


「仮に、仮にアガンソが殺されたら、タルラゴス領はどうなっちゃうんだろう?」

『情報が不足していて、予測出来ない……』

「アガンソには子供はいないの?」

『いるらしい……けど、まだ成人はしていないみたい……』

「アガンソの兄弟とか、叔父とかは?」

『タルラゴス領までは探れていないので分からない……』

「最悪、領主不在……なんて状況になりかねない訳か」

『その可能性はある……』


 アガンソが無事に戻ったとしても、革命騒ぎの後始末に関する交渉は長引きそうなのに、アガンソが殺されて領主不在なんて状況になれば、更に交渉は長引くでしょう。

 次の領主が比較的スムーズに決まったとしても、革命騒ぎの責任はアガンソにあり、自分は関知しない……などと交渉を断られたら厄介です。


「んー……でも、資金提供について自白した映像がある分だけ、アガンソを生かしておいた方が良いのかな」

『たぶん、ダムスク公ならばタルラゴス領の内情も把握しているはず……』

「そういえば、ダムスク公は船と一緒に沈めてしまえ……みたいな事を話してたっけ。だとすると、金だけ回収すれば良いのかな?」

『迷うなら、ダムスク公に聞いた方が早い……』

「そうだね、ちょっと相談してこよう」


 ダムスク公を訪ねて、フレッドが探ってきた状況を伝えて、アガンソの扱いについて相談しました。

 結論から言うと、今となってはアガンソが生きていようが、死んでしまおうが、どちらでも構わないそうです。


「流した噂話が、思った以上の効果を上げていて、アガンソは急速に影響力を失っている」

「それは、タルラゴス領でも……ですか?」

「我の所に情報が集まるまで時間が掛かるが、領民からも見放されつつあるようだ」

「うわぁ……それじゃあ、今後アガンソが生き残ったとしても、交渉の相手にならない可能性もあるんですか?」

「そうなるな」


 アガンソの株は、僕が思っている以上に大暴落しているようです。

 というか、もしかして僕がタバコを買い叩いたせいでしょうか。


「では、アガンソの処遇はどうしますか?」

「ケントの好きにして良いぞ。そもそも、我には手出しの出来ない状況だ。アガンソを救おうとしても、我には危機を知らせる手立てすら無いのだからな」


 確かに、僕が知らせなければ、ダムスク公はアガンソの危機を知る事も出来ず、僕から知った後でも対処する術がありません。


「不服そうな顔をしておるが、遥か遠くの出来事まで瞬時に知って対処出来るのは、そなただけだぞ。我らは、あらゆる可能性を考慮し、可能な限りの備えをするだけだ」

「そうですよね……」


 タルラゴス領では、アガンソの叔父一家や姉の嫁ぎ先の家などが力を持っているらしく、例えアガンソが生き残ったとしても、そうした家からの突き上げが激しくなると思われているようです。


「お手間を取らせました。一晩どうするか考えて、アガンソがどうなったのかは報告に来ます」

「そうか、分かった」


 ダムスク公との会談を終えてヴォルザードに戻った後、フィーデリアにも意見を聞こうかと思いましたが、今回は止めておきました。

 そんな事は無いと思いたいですが、アガンソを見殺しにして下さいと頼まれたら、断る自信が無かったからです。


『ケント様……どうするの……?』

「うん、悪徳商人に徹しようかと思ってる」

『ほぅ、それは楽しみ……』

「アガンソの船が出航するタイミングで呼んでくれるかな」

『りょ……』


 翌日、マダリアーガの港には、兵士に護衛されながら船に乗り込む不機嫌そうなアガンソの姿がありました。

 せっかく手に入れた王都から、タルラゴス領へと帰るのですから、さぞや無念でしょう。


 でもまさか、周囲を囲んでいる兵士たちが、自分の命を狙っているとは思ってもいないでしょうね。

 アガンソと一緒に、台車に載せられた大きな金庫も運ばれていきます。


 船に積み込むのは二十人掛かりで、船が大きく傾くほどの重さです。

 アガンソは気付いていないみたいですけど、金庫を見詰める兵士たちの目が尋常じゃないですね。


 正当な手続きを経ていなかったですが、一時的でもこの地を支配していた人間の船出だというのに、桟橋から見送る人の影は疎らです。

 好意的に手を振る人はおらず、逆に殆どの人が苦々し気な表情で船を見詰めていました。


 ドン、ドン、ドンっと、オールを漕ぐ速度を調整するための太鼓が鳴り、船は滑るように湖面を進み始めました。

 ではでは、僕らも乗船しますかね。


 アガンソの姿は、船室ではなく金庫と同じ船倉にありました。

 金庫の横に大きな椅子を置かせて、そこに腰を落ち着けたアガンソはキーラスに酒を出すように命じました。


 先日話した時よりも、更に顔色が悪く見えますし、なんだか顔がむくんでいるようにも見えます。

 これは、今日殺されなかったとしても、あまり長くはなさそうな気がしますね。


 桟橋から離れる時には、小刻みに叩かれていた太鼓は、船足が上がるとゆっくりとした間隔で叩かれ始めました。

 オールの数は左右十五対、合計三十で、漕ぎ手は倍の六十人が乗っているそうです。


 二人一組になり、交代しながら目的地を目指すそうです。

 アガンソが酒を飲み始めた頃、甲板では悪企みが始まっていました。


『ケント様、中央の金属鎧を着た男がボグス……企みの主犯……』


 ボグスは騎士の部隊長だそうで、焦げ茶色の髪の細マッチョです。

 ボグスは船の舳先に陣取って、湖面を睨みながら部下からの報告を聞いています。


 アガンソが酒を飲み始めたと聞くと、軽蔑するように鼻で笑うと、監視を続けるように命じていました。

 一見すると生真面目そうですが、部下からの報告に浮かべた薄笑いが腹黒さを物語っている気がします。


 船は湖の中央を目指して進み、一時間ほど経ったところでボグスが停船の指示を出し、船倉へと下りていきました。

 部下を引き連れて、船倉へ下りてきたボグスを見て、アガンソは眉をしかめてみせました。


「何の用だ、ボグス」

「アガンソ・タルラゴス、領民に成り代わって貴様を討つ!」

「貴様! 裏切ったのか! ここまで引き立ててやった恩を忘れたのか!」

「問答無用!」


 抜剣した兵士達とアガンソの間に、キーラスが立ち塞がりました。


「この恩知らず共が……」

「キーラス、こっちに付け。もうアガンソは終わりだ」

「黙れ、痴れ者が!」


 キーラスが左手に提げていた剣を抜くと、一気に空気が張り詰めました。

 それでは、そろそろ僕の出番のようですね……。


「だいぶお困りのようですね……アガンソ様」

「ユ、ユースケか!」


 キーラスの後ろ、兵士達から斬り掛かられない所に闇の盾を出して踏み出すと、アガンソは先日とは打って変わって満面の笑みで出迎えました。


「アガンソ様、この金庫、私がお預かりしましょう」

「貴様、金を持ち逃げする気か!」

「とんでもない。タルラゴス領の城までお運びするだけです。そこで、アガンソ様が無事に出迎えて下さるなら、金庫をお返しする……どうですか?」

「ふははは……そうか、俺を殺したら金は手に入らないのか! いいぞ、ユースケ、貴様に預ける」

「承知いたしました」


 金庫の下に闇の盾を開いて、フレッドとラインハルトに受け止めてもらいました。


「なっ……貴様! 何をした!」


 激高したボグスが斬り掛かってこようとしましたが、僕を庇うようにキーラスが立ち塞がりました。


「何って、見ての通り金庫を預かっただけですよ。僕が取引した相手はアガンソ様ですから、アガンソ様がお亡くなりになった場合には、金庫はお返しできません。勿論、私を殺しても金庫は戻って来なくなりますよ」

「このガキ……こんな事をしてタダで済むと思ってるのか?」

「えぇぇ……金庫を預かるのが、一体どんな罪に問われるって言うんですか?」


 船倉に下りて来た時には、薄笑いすら浮かべていたボグスですが、今はこめかみに青筋が浮かぶくらい歯を食いしばっています。

 逆にアガンソは、すっかり余裕を取り戻した様子です。


「さてどうする、ボグス。領民に成り代わって……なんて言っても、結局は金目当てなんだろう?」

「ユースケと言ったな、俺と組まないか? 金庫の金は山分けにしてやる」

「あぁ、一つ言い忘れていました。アガンソ様、金庫の保管料として中身の二割をいただきます」

「なんだと!」

「それと、タルラゴス領までの運送費として、中身の三割をいただきます」

「ふざけるな!」


 取り戻した余裕がぶっ飛んで、アガンソもこめかみに青筋を浮かべています。

 ですが、みんな金目当てだから、僕を殺す訳にはいかないんですよねぇ。


「ふざけてなんかいませんよ。料金がご不満でしたら、この場で金庫をお返ししますけど……いかがいたしますか?」

「こいつ……足下を見やがって」

「とんでもない! これは、アガンソ様の命の値段ですよ。安い訳がないでしょう」

「くそっ、分かった。払ってやるから、タルラゴスの城まで持って来い!」

「かしこまりました。では、アガンソ様、どうか御無事で……」


 船倉に集まった人々に、恭しく一礼してから影の空間へと潜りました。

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