第578話 金の行方

「その金は、是非とも盗み出してもらいたい」


 アガンソ・タルラゴスから、タバコの代金として支払った金を盗み出す事は止めようと決意した翌日、ダムスク公からは盗み出すように依頼されてしまいました。


「ケントが躊躇するのはもっともだ。取り引きの対価として支払った金を直後に盗み出せば、ただの犯罪であると同時に商売人としての信義にもとる。だが、その金が本来支払われるべき生産者に届かないとしたらどうだ?」

「なるほど……革命騒ぎに乗じて不当に占拠していた、ツイーデ川西岸地域や元王家の直轄領の人々から集めたタバコを売り捌き、その代金を独り占め……ってことですもんね?」

「その通りだ。ケントが支払った金は、本来そうした地域の農民に届けられるものであって、アガンソの私腹を肥やすためのものではない」


 散々買い叩いた僕が言えた義理ではないですが、アガンソの場合は勝手に値段を決めて売り捌き、利益を分配せずに持ち逃げしようとしている訳です。

 アガンソからタバコの代金を取り戻せなければ、タバコの生産者は一年の売り上げの大半を失う事になります。


 葉巻には熟成期間があるそうで、今回取引した分が保管してある全てではないようですが、それでも本来お金を受け取る人間に渡っていない事に変わりはありません。


「でも、運搬途中の金が忽然と消えれば、僕に疑いの目が向けられますよね」

「今更ではないのか? それに、ここにもそなたの姿は映っておるではないか」


 ダムスク公が指差したのは、僕とアガンソの様子を撮影した動画を再生したタブレットです。

 初めてデジタル動画を目にしたダムスク公は、驚きのあまり絶句していましたが、これ以上無い明白な証拠として役立つと知り、将来的な利用を求めてきました。


 僕としても、アガンソを追い詰める事には協力するつもりですし、時期が来れば正体を明かしても構わないと思っています。

 ですが、それは最終的にアガンソを追い詰める時の話で、それまでは怪しい冒険者にして悪徳商人のユースケとして振舞っていたいと考えています。


「そうか、ならば噂を撒いて、帰り道を限定してしまえば良い」

「帰り道を限定するとは……?」

「タルラゴス領と王家の直轄領は隣り合っているのは知っておるな?」

「はい、直轄領の西隣がタルラゴス領ですよね?」

「そうだ。では、マダリアーガからタルラゴスに一番安全に向かう道筋を知っておるか?」

「それは、一番広い街道じゃないんですか?」


 ダムスク公は、分かっておらんな……と言わんばかりに首を横に振りました。


「街道ではないとすると、なにか秘密の道があるのですか?」


 ダムスク公は、再び首を横に振って見せました。


「ケントよ、マダリアーガには何がある?」

「マダリアーガに……? あっ、湖か」

「そうだ、湖の上を軍船で渡るのが一番安全だからな、噂を撒くまでもなく、アガンソは湖を経由して自領に戻るだろう」


 湖に面した領地を治めている者の多くは、領主用の軍船を所有しているそうです。

 両舷に多数のオールを備えた、いわゆるガレー船のような形で、風が無くても航行出来るそうです。


「まさか、船ごと沈めてしまえと?」

「陸地から離れると湖の水深は潜っていけぬほど深くなる。船が沈んでしまえば、積んでいた金がどうなったかなど誰にも分らぬ」


 こちらの世界には、スキューバダイビングのように素潜りでは行けない深度まで潜る道具はありません。

 一方、僕らは影の世界から見守って、船が沈む前に持ち出してしまうか、沈んだ後にでも持ち出しは可能です。


「でも、船を沈めて、アガンソまで浮いて来なかったらどうします?」

「そいつは、願ったり叶ったりだな」


 革命騒ぎに裏で協力していた事が明白になったアガンソが、野望を果たせず意気消沈して領土に帰る途中に船まで沈む。

 そんな風景を思い浮かべているのか、ダムスク公は実に楽し気な笑みを浮かべました。


「少し考えさせてもらえますか、アガンソが実際に船で戻るとも決まっていませんし、最悪金はタルラゴス領からでも盗み出して来られますから」

「分かった、ケントが盗み出して来なくとも、我々としては賠償金を取り立てるつもりでいる。国をこれだけの混乱に陥れた責任を取ってもらわねばならんからな。ただし、アガンソがすんなりと払うとも思えぬ。そうなると、ツイーデ川西岸や元王家直轄領の復興が遅れる可能性がある。我とて無限に金を所有している訳ではないからな」


 ツイーデ川の東側、最も水害が酷かった地域では着々と復興事業が進められています。

 堤防を築き、用水路を整備し、畑の土を起こして新たな作物を植え始めているそうですが、実際の収穫にはまだ時間が掛かるそうです。


 対するツイーデ川の西側は、アガンソとウルターゴが一時的に所有したものの、食糧の支援を行った程度で本格的な復興事業は手つかずに近い状態です。

 オロスコが撤退を始めたので、既にダムスク公の勢力が川を渡って食糧支援などを始めているそうですが、地元の人々は金も、食糧も、物資も、なにもかもが不足している状態だそうです。


「ディヘスからの支援は無いんですか?」

「元々が別の領地だし、ディヘス領内でも水害による被害が出ている。革命騒ぎには巻き込まれずに済んだようだが、他領を支えるほどの余裕は無いのだろう」


 我が身が可愛いという訳ではないのでしょうが、自分の領地に手一杯では仕方ありません。

 だとすれば、なおさら僕がアガンソに支払った金は有用に使われるべきでしょう。


「ダムスク公、取り戻した領地は誰が治めるのですか?」

「復興が終わるまでは我が治めるが、その後は未定だな。元の領主の血筋の者が権利を主張するであろうが、人格に問題がある場合には再び騒ぎが起こりかねん。こちらから代官を派遣して後見させながら実務を教え込み、資質を見極めて領地を継がせるか否かを判断する事になるだろう。それはツイーデ川の東側についても同様だ」

「ダムスク公が直接統治はなさらないのですか?」

「それは、これからの成り行き次第だな」


 てっきり僕はダムスク公が王となる気でいるのだと思っていましたが、そんなに簡単にはいかないようです。

 ダムスク公は、これからのシャルターン王国について語り始めました。


「事態が落ち着いた後で、改めて諸侯に我が王位を継ぐことを承認するか問う事となるだろう。今までは、国王が次の王を決め、諸侯がそれに従うのが当たり前の時代が続いてきた。ところが、今回の革命騒ぎで王がいなくなってしまった。血筋からすれば、我が一番王に近い人物ではあるが、諸侯にも王家の血を引くものはいる。そうした者が王位を望むのか、そして諸侯がこれまで通りに王に従うのか、あるいは一つの国として独立を望むのか……どの領主も戸惑っているはずだ」

「それでも、ダムスク公は現実的に統治能力を示してみせたのではありませんか?」

「別に見せつけるつもりなど無かったし、やらねばならなかったからやったまでだ。それに、我がゴリ押しをして他領の反発を招き、アガンソと同様の孤立状態となれば暮らしが立ち行かなくなる。北の隣国エスラドリャ、東の隣国バスクデーロ、それに加えて他領と対立するなど自殺行為だろう」


 ダムスク公ほどの実力者であっても、他領との関係には神経を割いているのに、王城を手に入れてはしゃいでいたアガンソの小者振りが際立って見えますね。

 とりあえず、ダムスク公にはアガンソの様子を探りながら考えると伝えて影の空間へと潜りました。


『さて、ケント様、いかがいたしますか?』

「うーん……どうしたもんかねぇ?」


 待ち構えていたラインハルトに訊ねられましたが、即答は出来ませんでした。


「こんな事を言うとフィーデリアからは軽蔑されるかもしれないけど、あんまりアガンソを憎めないんだよねぇ……」

『ほぅ、それはどうしてですかな?』

「領地を預かる領主としては、自分の治めている領地を広げて収入を増やそうとするのは、そんなにおかしな事ではないと思うんだ。これまで僕が対峙してきた人物としては、アーブル・カルヴァインがその典型だよね」

『たしかにそうですな。侵略によって領地を広げようと画策するのは珍しい話ではありませぬ。ジョベートの海賊騒ぎもそうでしたな』

「うん、ランズヘルト共和国でも、以前はエーデリッヒとリーベンシュタインで争っていた時期もあったんでしょ?」

『いかにも、その通りです』


 日本でも、群雄割拠の戦国時代がありましたし、地球規模で考えれば、今も戦争が継続している地域があります。


「今回、僕がアガンソ達を追い詰めているのは、フィーデリアという存在を通してシャルターン王国の状況を見ているからで、別の視点から見ると、そんなに極悪非道な行為を働いているようには感じられないんだ。勿論、革命騒ぎに巻き込まれて家族を殺されたりした人からすれば、冗談じゃないって言うと思うけど、そんなに簡単に革命が成立しちゃうのは、何らかの落ち度があったからじゃないのかな?」

『そうですな、国庫が空に近い状態になるまで支援を行ったのに、実際に困窮している人のところには届いていなかったようですから、革命騒ぎで倒された貴族家には問題があったのでしょうな』


 たぶん、貴族の腐敗状況を知っていたからこそ、革命勢力で軍師を務めていたルシアーノという男はアガンソ達に話を持ち掛け、実際に騒ぎを起こせたのでしょう。


『それでは、やはりアガンソからは金を奪わないのですな?』

「いや、タルラゴス領に持ち逃げするつもりなら奪う、奪って本来の所有者である農民に届くようにダムスク公へ託すつもり。でも、船を沈めるとか、アガンソを殺すような真似はしない」

『ですが、ケント様。金を奪うという事は、実質止めを刺すようなものですぞ』

「そうかなぁ……難しいとは思うけど、何の後ろ盾も無くても立ち直ることは出来るだろうし、本来アガンソの物ではないのだから、自力で何とかしてもらうよ」


 結局、アガンソの様子をフレッドに監視してもらい、金をタルラゴス領へと持ち逃げしようと試みたら強奪すると決めました。

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