第577話 奪う条件

『ケント様、アガンソの金庫から金を奪うおつもりですか?』

「うーん……どうしようか考えてる」


 アガンソ・タルラゴスとの会談を終えて影の空間へ潜ると、ラインハルトが質問してきました。


『アガンソが所有している金は、その多くがケント様との取引によって稼いだ金です。ケント様の立場からすれば、タバコの代金として支払ったお金です。それを盗み出すというのは、まさに盗賊の所業ですぞ』

「だよねぇ……」

『先日も、フェルシアーヌ皇国のジョベラス城から食糧や物資を盗み出し、ダムスク公に売却いたしましたな』

「そう、あれも儲かったね」


 フェルシアーヌ皇国で次期皇帝の座を巡る内紛で、第三皇子カレグが難攻不落の城に立て籠もったので、事態の早期収拾のために備蓄されていた食糧を盗み出しました。

 手に入れた食糧や物資は、シャルターン王国で水害と革命騒動からの復興に取り組むダムスク公へ譲渡しました。


 僕としては無償で提供しても良かったのですが、ダムスク公との話し合いで市価よりも安い値段で売却しています。

 今回、アガンソから盗み出そうか検討中のお金は、その時にダムスク公から受け取り、タバコの取引で僕が支払ったお金です。


『ケント様、盗みを働く事に慣れて、罪悪感が薄れておりませぬか?』

「うっ……そう言われれば、確かにそうかも」

『ワシらはケント様の眷属として、ご命令があれば骨惜しみするつもりはございませんが、ケント様が薄汚れた盗人になるのを手伝うつもりはありませんぞ』

「だよねぇ……僕もちょっと気が引けてたんだ」


 いつになく厳しいラインハルトの口調に、背筋が伸びる思いです。


『ですがケント様、世の中には義賊という言葉が御座いまして……』

「えぇぇ……このタイミングで義賊はズルくない?」

『ぶははは! 敵を追い込むならば徹底的にやるべきですし、盗みを働くに値する大義が存在するのであれば、ためらう必要などありませんぞ』

「いやいや、ちょっとはためらおうよ」

『ぶははは! ですがケント様、これまでにも我々は多くの物を盗みだしておりますぞ』

「まぁ、そうだね……」


 思い返してみれば、ラストックの駐屯地に偵察に出向いた時に、食堂から食事をいただいたのに始まり、クラスメイトの救出に必要な天幕などの物資や馬車までいただきました。

 クラスメイト達を救出した後も、ラストックの守りを固めるための物資をアルダロスから盗み出して来たり、歓楽街のボスの裏帳簿を盗み出してコピーした事もありましたね。


「なるほど、僕がアガンソから金を盗むのをためらったのは、商人としてあるまじき行為であると同時に、大義名分がハッキリしていなかったからか」

『いかにも、金を稼ぐのが目的だとしたら、ケント様は盗みなど働く必要などございませんし、盗みに慣れてしまうと、闇属性の術士としての信用を失いかねませんぞ』

「なるほど、影に潜って自由に移動が出来てしまうから、普通の人よりも高い倫理観を持って行動しないと、新コボルト隊の配属を拒否されたリーベンシュタインのように反発を受ける可能性があるってことだね」

『その通りです。我々は自由に移動が出来るからこそ、絶対に盗みなどは働かないと思われる必要があるのですぞ』


 いつ盗みを働くか分からない、しかも阻止する手立てが無いような相手と友好的な関係になりたいと思う人はいないでしょう。

 

『さて、ケント様。アガンソ・タルラゴスから金を奪いますか?』

「うーん……今は保留にしておく」

『保留と申されますと……?』

「アガンソの金の使い道が分からないのと、奪った金をどう役立てるのかを決めていないから保留にする。ただし、アガンソにとっては虎の子の金だから、いつでも奪い取れるようにはしておきたい」

『了解ですぞ』


 所在さえ分かっていれば、送還術を使って一瞬で盗み出せます。

 問題は、それによってどのような影響が及ぶかでしょう。


 アガンソは王都からの撤退を決めたようですし、どのような日程、手順でタルラゴス領に戻るのか、戻った後はどのような行動に出るのか見張っておきましょう。

 ラインハルトと今後の方針を決めた後、ヴォルザードの自宅に戻りました。


 アガンソが、まだ明るいうちから飲んでいたのと、時差の関係で夕食に間に合いました。

 家族や家で働いている人達が一緒に囲む食卓に、もうフィーデリアの姿もすっかり馴染んでいます。


「フィーデリア、夕食の後で少し話があるから時間を作ってくれるかな?」

「はい、かしこまりました」


 セラフィマが心配そうな顔をしていたので、悪い話ではないから大丈夫だと言っておきました。

 唯香やマノン、ベアトリーチェもフィーデリアを可愛がっていますが、特にセラフィマがお姉ちゃんしている感じなんですよね。


 親馬鹿、兄馬鹿に囲まれて育ったからかもしれませんね。

 夕食後、二人で話すためにバルコニーに出ると、さあ寄り掛かれとばかりにネロが現れました。


 できれば冬の方が良いのだけれど、ネロのふわっふわな触り心地は暑い時期でも抗いがたい感触なんですよね。


「ふわぁぁぁ……」

「気持ちいい?」

「はい、とっても……」


 フィーデリアは、コボルト隊とは仲良くなっているみたいですけど、気ままな自宅警備員のネロとは、あまり接触する機会が無いようです。

 ネロの極上の手触りに、顔が蕩けちゃってますね。


「フィーデリア、アガンソ・タルラゴスがマダリアーガから撤収すると決めたよ」

「本当ですか?」

「うん、周りからジワジワと追い詰められて、かなり苦しい状況に追い込まれたからね」

「それは、ケント様が追い込んで下さったのではありませんか?」

「うん、そうなるようには仕向けたけれど、これはアガンソの人徳の無さが招いた結果だと思う」


 フィーデリアに、アガンソとウルターゴが革命勢力で軍師を務めたルシアーノという男に金を出した所から、撤収を決めるまでの経緯をかいつまんで話しました。

 僕が話をしている間、フィーデリアは口を挟むことなく聞き入っていました。


「……という訳で、アガンソはタルラゴスへ戻る決断を下したんだ」

「では、革命騒ぎはタルラゴスとオロスコが仕掛けたものなんですね?」

「アガンソの口ぶりでは、確実に革命が成功するとは思っていなかったみたいだね。金は出したけど、失敗したら失敗した時だ……ぐらいの感じで、なにがなんでも投資した分は回収してやろう……みたいな感じではなかったようだよ」

「そうですか……」

「アガンソに仕返ししたい?」

「分かりません……アガンソが資金を出したのは確かでしょうが、父や母、私の家族を奪ったのは王都の住民です」


 血を吐くように苦しげな表情で告げたフィーデリアの祈るように組まれた両手は小刻みに震えています。

 慕われていると思い込んでいた住民たちによって殺されかけたのだから、簡単には言葉に出来ない感情が胸の中で渦巻いているのでしょう。


「王都に……マダリアーガに帰りたい?」


 僕の問い掛けに、フィーデリアは首を横に振りました。


「まだ……まだ帰るのは恐ろしいです」

「そっか、無理しなくていいからね。ここはもうフィーデリアの家だから」

「はい、ありがとうございます。でも……ケント様が家族を弔って下さった湖には行きたいです」

「フィーデリアの家族は、みんな天に還っていったから、あくまでも湖には遺骨を撒いただけ、それでも良いの?」

「はい、今すぐには無理ですが、いつか家族を失ったことを受け入れられた時には、連れて行って下さい」

「いいよ、月の綺麗な夜に、誰もいない湖に船を浮かべようか」

「素敵です……月夜の晩に、城から眺める湖は、それはそれは綺麗なんですよ」

「それは、船を出すのが楽しみだね」

「はい」


 王都マダリアーガでの家族との思いで話を語って聞かせるフィーデリアは、とても楽しげで、それでいてもの悲しさを感じる表情を浮かべていました。

 やがて、話し疲れたフィーデリアは、ネロのお腹に体を預けて、すーすーと寝息を立て始めました。


 フィーデリアが眠ると、部屋の中からセラフィマが声を掛けてきました。


「ケント様、後は私が……」

「部屋までは僕が運んでいくよ。ネロも、ありがとうね」

「お安い御用にゃ……」


 フィーデリアをソーっと抱えて部屋まで運びました。

 身体強化魔術なんて、ちょーっとしか使ってませんからね。


「ケント様、シャルターン王国の状況はどうなりましたか?」

「うん、もう一押しって感じかな。フィーデリアのためにも領地の境界とか、誰が統治するのかとか、ビシっと決めちゃいたいね」

「ふふっ……ケント様、それは皇帝とか国王が国を思って口にするセリフですよ」

「いや、実際には僕が決める訳じゃないけどね」

「それを一人の女の子のために言えてしまえるなんて、ケント様ぐらいのものですよ」


 すすっと体を寄せて来たセラフィマからは、ちょっと甘い香りがしました。

 フィーデリアをベッドまで運んだら、次はセラフィマをベッドまで運んじゃいましょうかね。


 でも、よく見るとフィーデリアとセラフィマって、あんまり体格的な差は……。


「ケント様……?」

「な、何でもないよ……」


 うん、セラフィマは合法ですからね……。

 この後、セラフィマをベッドまで運んで、ちょっといけない気分でいたしてしまいました。

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