第576話 縁の切れ目
「噂を撒いたのは、貴様か! ユースケ!」
僕の顔を見た途端アガンソ・タルラゴスは、喉から血が出るんじゃないのかと思うほどの勢いで叫びました。
顔面は真っ赤になるというよりも赤黒く見えて、体のどこかに変調をきたしているように感じます。
噂というのは、アガンソが捨て値でタバコや葉巻を売り払って私腹を肥やしている……とか、オロスコを裏切って自分だけ取引をしている……といったものでしょう。
拡散させたのはタルラゴス領やオロスコ領に入り込んでいるダムスク公の密偵ですが、噂の大元は僕で間違いないです。
まぁ今はまだ、馬鹿正直に白状する気は無いですけどね。
「そんな事をして、僕に何のメリットがあると言うんですか?」
「だったら、なんでウルターゴと取り引きしなかった!」
「影を通って移動できるのは僕だけですよ。オロスコ領にまで手は回りませんよ。実際、これから稼がせてもらおうかと思っていたのに、まさか寝返るとは……」
「くっそぉ……ウルターゴの野郎め!」
アガンソは酒を一息に飲み干すと、カップを壁に叩き付けました。
ウルターゴ・オロスコは自領の南に位置するディヘスと交渉を行い、タルラゴス領との関係を断つことを条件に街道の封鎖を解除、往来を再開させています。
これに伴い、今まで往来が行われていたタルラゴス、オロスコ間の往来が停止され、タルラゴス領は完全に孤立した状態となっています。
更には、革命騒動の後にタルラゴス領に組み込まれていた旧王家直轄領やツイーデ川の西岸地域でも反アガンソの動きが出始めています。
マダリアーガの王城を手に入れた時には、シャルターン王国の支配者にでもなったつもりだったのでしょうが、今や四面楚歌で足下も揺らいでいる状態です。
そりゃあ、酒の量も増えるでしょうし、ストレスも溜まるでしょう。
「それで、貴様は何をしに来た? 俺を笑いに来たのか?」
「笑う? とんでもない。冒険者が他人を笑えると思いますか?」
「ふん、散々俺からタバコを買い叩いて、ボロ儲けして内心大笑いしてるんだろう?」
「確かにボロ儲けさせてもらいました。その儲け先が無くなるかもしれない状況が笑えると思いますか?」
「それでは何だ? 何をしに来た?」
「偵察……というか、確認ですかね」
「確認だと?」
「はい、アガンソ・タルラゴスという人物が、今後どう動くかの確認です」
「今後……」
アガンソはボソっと呟いた後、動きを止めて考え込みました。
背中を丸め、虚ろな視線を俯けている姿は、初めて接触した時よりも十歳ぐらい老けて見えます。
相当酔っているはずですが、興奮が去った顔色は青黒く見えるほど不健康そうです。
暫くの間、微動だにせずに考え込んでいたアガンソが、ゆらりと顔を上げて僕に濁った瞳を向けました。
「いくら払ったらウルターゴを殺してくれる?」
「それで事態が好転すると思いますか? それに、殺すなら自分の手でやらないと気が収まらないのでは?」
「そうだな……確かに殺すなら、俺の手でやらないと気が済まないな」
小刻みに震える両手を見つめるアガンソの瞳には、狂気が宿り始めているように見えます。
「ウルターゴを殺すには、どうすればいい?」
「領主が隣の領主を殺すなんて話は、冒険者に聞くものじゃないですよ。誰か軍師はいないんですか?」
「軍師……そうだ、全てはあいつのせいだ!」
軍師という言葉を聞くと、アガンソのこめかみに血管が浮き上がりました。
「あいつ……とは、どなたの事です?」
「ルシアーノだ」
「どこの領主様です?」
「領主などではない、革命騒ぎを扇動した男だ」
そこからアガンソは、僕に問われるがままにルシアーノと知り合ってから今に至るまでの経緯を語り始めました。
酒に酔っている上に、僕をただの冒険者と思い込んでくれているおかげで、革命騒ぎを起こすための資金提供をした事まで、ペラペラと全部話してくれました。
そうです、今夜アガンソ・タルラゴスを訪ねて来たのは、この話を聞き出すためです。
話の内容は、バステンに頼んで影の空間から撮影してもらっています。
アガンソが敗走するのは決定的な状況となっていますが、その後に責任を問う時に必要となる証言です。
ウルターゴからも証言が引き出せれば完璧ですが、今のアガンソの姿を見れば話の信憑性を疑う人はいないでしょう。
「そのルシアーノという人は、どこに行ったか分からないんですか?」
「知らん! 我々に王城を囲むタイミングを指示する書面を送って来て以後は、全く連絡が無いし行方も分からん」
ルシアーノがアガンソと直接接触したのも数えるほどの回数だそうで、最後の書面も使いの者が持参したそうです。
「くそっ、あの野郎の口車に乗らなければ……」
今更悔いたところで、欲に釣られて金まで出したんですから自業自得でしょう。
「僕は冒険者ですから国や領地の運営なんて分かりませんが、身軽になってやり直すしかないんじゃないですか?」
「身軽になる……手に入れた領地を手放せというのか」
「冒険者は大きな仕事をするために他の冒険者とパーティーを組んだりします。人数が増えれば、その分だけ大きな仕事が出来るようになりますが、人が増えれば揉め事も増えて、その解決に手間や時間を取られて肝心な仕事が進まない……なんて事も起きたりします」
「領地が増えれば、揉め事が増えるのも当然だと言うつもりか?」
「実際、今のタルラゴス領はそんな状況ですよね?」
「むぅ……」
本日の目的その二は、アガンソに新たに手に入れた領地を手放す決心を促す事です。
欲の皮が突っ張っているアガンソは、手にした領地に固執しているみたいなので、背中を押してやろうと思ったのです……紐無しバンジーの。
「冒険者って稼業は一人が基本です。最後まで生き残ろうと思うなら、一時的に仲間になった奴でも切り捨てて、己の身を守るのに専念しなければ命を落とす事もあります。それを非情だと言うのなら、仲間を守って死ぬしかないですね。アガンソ様は、どうされます?」
「俺は……ふん、生き残るに決まってるだろう」
「そうです。切り捨てた仲間は、僕を守るための囮になってくれたりしますからね。文句ばかりで自分達で復興を進める気も無い連中を押し付ければ、押し付けられた方は、立て直しに時間を食われるでしょう」
「なるほど……立て直しが終わったところで、改めて手に入れれば良いのか……」
アガンソは、ニタニタと気色の悪い笑みを浮かべながら、何度も頷いてみせました。
あのダムスク公を相手にして、そんな事が出来ると思っているならば、おめでたいにも程がありますね。
それでも、今後の方針が決まったから、少し精神状態が落ちついたように見えます。
アガンソは、腹心のキーラスに新しい酒とツマミを持ってくるように命じました。
「ユースケ、貴様はなかなか役に立つ。それに、状況が悪くなった後でも顔を出す律儀さも良い。ウルターゴの奴には貴様の足裏でも舐めさせて見習わせてやりたいぞ」
「それは買いかぶりですよ。アガンソ様は人が良すぎます」
「何だと、貴様も裏切るつもりか?」
「アガンソ様、今さっき話した事をお忘れになりましたか? 自分が生き残るには……」
「おぉ、そうだったな。貴様は、我に価値があると思えば手を組み、価値が無いと思えば去る……つまり、貴様がここに居るという事は、我には価値があるという事だな?」
返事の代わりに勧められた酒のカップを掲げると、アガンソもニヤリと笑ってカップを掲げました。
「ふぅ……このところ酒の不味い日が続いていたが、今夜はまともな味がするな」
「それは何よりです」
「貴様の話を聞いて迷いも消えた。使えない奴、信用の置けない奴は切り捨てて、身軽になってやり直しだ。新たに手に入れた領地さえ手放してしまえば、他の奴らに文句を言われる筋合いも無いからな」
オロスコの領主ウルターゴも、ディヘスと交渉した際には領地を占領していたのは、あくまでも治安回復の目的だったと言い張ったそうです。
自分は国の秩序を回復させる事に貢献しただけで、文句を言われる筋合いは無いと主張しているそうですから、おそらくアガンソも同じ論理で抵抗するつもりなのでしょう。
「元王都直轄領とツイーデ川西部のタバコを集め、貴様に売り払った程度しか儲けが無いのは気に入らぬが、戦後の交渉ではシッカリと領地獲得の交渉をしてやる」
どうやらアガンソは、元のタルラゴス領へと戻った後、革命騒ぎを鎮める事に貢献したと主張して、改めて領地の分割譲渡を要求するつもりでいるようです。
残念ながら、ルシアーノと手を組み、オロスコと共謀して騒動を扇動したという証言は撮影済みですし、ダムスク公に報告しますから弁明の機会は与えられないでしょう。
「ユースケ、貴様にもまた美味い汁を吸わせてやる」
「それは楽しみですが、アガンソ様は暫くは不用品の整理にお忙しいでしょうから、お暇になった頃に顔を出しましょう」
「ふん、何をぬかすか、貴様にとって都合の良い取り引きが出来るようになったら……だろう?」
「おっしゃる通りです。つぎは、タルラゴス領の館にお邪魔いたしますよ」
「いいや、一時的に退くだけだ。いずれ、この地は我の手の物としてみせる。ダムスクなどの好きにはさせぬ」
まるで自分が王都の正当な主であるかのような言い方ですが、血筋から考えたらダムスク公の方が遥かに正当な後継者なんですけどね。
この後、数杯酒を飲むと、ストレスから若干でも解放されたからか、アガンソは酔い潰れて眠り込んでしまいました。
目的も果たせましたし、帰ろうと思っていたら、アガンソの腹心であるキーラスに深々と頭を下げられました。
「ありがとうございました」
「別にお礼を言われるような事はしていませんよ」
「この所、後ろ足で砂を掛けるような輩が立て続けに現れて、アガンソ様の心労が募っていたところに貴方が現れた。金にしか興味の無い方だと誤解しておりました。お許しを……」
「とんでもない、僕は金にしか興味無い男ですよ。まだアガンソ様には金蔓としての魅力がある……それだけの話です」
「そうですか……では、そういう事にしておきましょう」
一礼してから影に潜った僕に、キーラスは再び深々と頭を下げていた。
ごめんなさい、もうアガンソには金蔓としての魅力はゼロです。
いや、僕がタバコの代金として支払った金があるのか。
面倒だから、影の空間経由で金庫から回収して、スパっと引導を渡してやりましょうかね。
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