第580話 領主の貫禄

『ぶははは、すっかり悪徳商人が板についてきましたな』

『これで金庫の中身の半分は手に入った……さすケン……』


 影の空間に戻ると、上機嫌なラインハルトとフレッドに迎えられましたが、余り笑える気分じゃないんですよね。


『どうされました、ケント様』

「金庫は、このまま僕がいただく事になると思う」


 そう告げると、ラインハルトは笑みを消して頷きました。


『そうでしょうな、公然と反旗を翻しましたから、今更無かった事には出来ないでしょうし、アガンソを無事に届けたところで、金が手に入る訳でもない』

『だったら、アガンソを殺して逃げてしまえと……』

「うん、ボグスを上手く丸め込めれば助かる可能性はあるけど……今のアガンソでは難しいんじゃないかな」


 こうしてラインハルト達と話している間にも、船倉の空気は張り詰めてきています。


「何をしてる、ボグス。さっさと持ち場に戻れ!」


 アガンソが怒鳴り散らしても、ボグスや部下の兵士たちは暗い目をしてキーラスと睨み合っています。


「どうするんですか、ボグスさん」

「黙ってろ! 今考えてんだ!」


 部下に訊ねられたボグスは、苛立たしげに声を荒げました。

 そんなボグスの姿を見て、よせばいいのにアガンソが挑発的な言葉を投げ掛けました。


「分かってるのか、ボグス。俺を殺せば、金貨どころか銅貨一枚だって手に入らないんだぞ」

「ちっ……ふざけやがって。金庫にどれだけの金があったんだ! あんな小僧にまんまと半分持って行かれやがって、この脳無しめ!」

「何だと、この恩知らずが! これまで引き立ててやったことも忘れやがって……貴様などタルラゴスに戻ったら処刑してやる!」

「そうか……やはり、ここで死んでもらうしかないな……」

「馬鹿め、俺を殺せば金は手に入らないぞ!」

「貴様を無事に返せば命が無くなるのに、金がどうとか言ってられるかよ!」


 ボグスが部下に目配せをすると、それまでどう動いて良いのか戸惑っていた兵士達の顔が引き締まりました。

 ジリっとボグスが半歩踏み出したところで、待ったを掛けたのはキーラスでした。


「ちょっと待て、このまま殺されたら腹の虫が収まらない。お前たち、あんな小僧に食い物にされて黙っていられるのか? アガンソ様も少し頭を冷やして下さい。あのユースケに根こそぎ食い物にされたままで死にたいのですか?」


 おっと、この展開は予測していませんでした。

 なるほど、僕を共通の敵としてボグスを丸め込もうという作戦ですね。


「思い返してみて下さい。闇属性の魔法を使って封鎖を超えて来られるのを良いことに、言葉巧みに我々からタバコを捨て値で買い叩き、今度はその代金として支払った金まで取り戻そうとしている。あのユースケに骨までしゃぶられるおつもりですか?」

「そうはさせん! あの金が、たとえ半額でも戻ってくれば、今度の騒ぎは黒字で終わるはずだ。タルラゴスからの遠征に費用は掛かっているが、タバコは王家の直轄領で捕れたものだから元手はタダだ。まだタルラゴス領に利益をもたらす道は残っている」


 そうなんです、僕がどんなに買い叩こうが、そもそもはアガンソにとっては革命騒ぎのどさくさに紛れて手に入れたものです。

 極端な話、マイナスの金額でなければ儲けになるのです。


「だが、たとえ元手がタダで利益が出るとしても、タルラゴスに着いた途端処刑されるなら、この場で貴様を殺すしかないな」

「早まるな、ボグス。アガンソ様、考え直して下さい。殺されてしまったら、ユースケを喜ばせるだけですよ」

「ちっ……仕方ない、追放だけで勘弁してやる」

「ふざけるな! 貴様は私腹を肥やして、俺達は追放だと? それなら貴様をこの世から追放してやる!」

「待て待て、はやまるな! それこそユースケの思う壺だぞ」


 普段は冷静な執事という感じで振舞っているキーラスですが、今日は汗だくでアガンソとボグスを宥めています。

 うん、下手をしていたら、僕があのポジションをやる羽目になっていたかもしれません。


 頑張れ、キーラス……てか、自分の命も懸かってるから必死だよね。


「アガンソ様、ここは譲歩していただけませんか?」

「なぜだ? なぜ俺が譲歩せねばならん!」

「ですが、このままでは……」

「ふん、どいつもこいつも目先の金ばかりに囚われおって。領主が領土の拡大を目指して何が悪い。損害を最小限に留めるために、タダで手に入れた品を処分して何が悪い。稼いだ金を俺個人のものにすると何時言った。領地のために、領民のために使わないと言った事があるか! どうだ、言ってみろ!」


 あれあれ? なんだか僕もアガンソという人間を見誤っていたのでしょうか。

 椅子から立ち上がり、傲然と胸を反らして言い放ったアガンソを見て、ボグスの部下達はたじろいでいます。


「貴様ら、俺から金を奪って、それをどう使うつもりだ! どれだけタルラゴス領に利益を還元させられる! どうせ、楽して遊んで暮らしてやろう……程度の考えしか持っておらんのだろう! そんな連中に金を渡すぐらいなら、ユースケにくれてやった方が、よっぽどタルラゴスのためになるわい!」


 アガンソが言葉を切ると、船倉はシーンと静まり返りました。

 僕が見てきた、欲の皮が突っ張った情けないオッサンとは、アガンソが表には見せない姿だったのでしょうか。


 ギロ……ギロ……っとアガンソに睨まれると、剣を構えていた兵士達は視線を逸らしています。

 そして、改めて正面から睨まれたボグスも、先程までの強気の視線ではなく、額に冷や汗を浮かべながら何とか視線を逸らさずに堪えている感じです。


「俺を殺したければ殺せ。ただし、それで何が起こるのか良く考えるんだな。俺を殺せば、お前らタルラゴスの地を踏めなくなるぞ。親兄弟、嫁、子供、友人、知人……二度と会えなくなるぞ」

「だ、だが、貴様を無事に帰したところで、追放されるならば同じだろう」

「何が同じだ。全然違うわ! 貴様、領主が死ぬという事が、簡単な事だと思ってるのか? 今まで何を見てきた? 革命騒ぎで領主一家や王族が殺された地が、どんな状況になっていたか見て来たんじゃないのか?」

「それは……混乱していた」


 切っ先をアガンソに突き付けるように構えられていたボグスの剣は、今や床に着きそうな程に下げられています。


「ふん……混乱なんて生易しいものではないだろう。一時的とはいえども、この俺が支配していたのだからな。俺が死ねば、タルラゴス領もダムスクやオロスコに占領されてもおかしくないんだぞ。貴様らの家族や知り合いが、タルラゴスを占領した奴らに虐げられるかもしれんのだぞ。それでも構わないと言うんだな!」


 どうやら風向きは完全に変わったようです。

 ボグスを除いて、他の連中は完全に腰が引けてしまっていますね。


「いやぁ、アガンソ、やる時はやるじゃん……」

『まぁ、小悪党が悪党にやり込められているという感じですな』


 それでも、あれほど不利な状況から形勢をひっくり返してみせたのですから、さすがは領主をやっているだけの事はありますね。

 場を掌握したと感じ取ったのか、アガンソはボグスの部下共に命令を下しました。


「ボグスを捕えろ! ボグスを騒動の主犯として捕えるならば、他の者は不問に処す!」

「なっ……」


 ざわっと船倉の空気が乱れたものの、ボグスも部下達も動けずにいます。


「どうした……部下のために犠牲になる気概も無いのか?」

「ぐぅ……」

「これだけの騒ぎを起こして、誰も責任を取らずに済ませられるとでも思っているのか?」


 カタカタと小刻みに震えていたボグスの剣の切っ先が、カタンっと力無く船倉の床に落ちました。


「お、俺が捕えられれば部下は処罰しないんだな?」

「考えてみろ、これだけの人数を追放していられるような状況か?」

「分かった。降伏する……」


 ボグスが剣を投げ捨てると、部下達は俯いて唇を噛み締めていました。


「キーラス、ボグスに縄を打って船室に転がしておけ。ニルベルド、ボグスの代わりに指揮を執れ。さぁ、舟遊びの時間は終わりだ、タルラゴスへ戻るぞ!」

「はっ!」


 止まっていた時間が動き出すように、兵士たちが持ち場へと戻っていくと、程なくして太鼓の音が響いてきました。

 船が動き出したのを確認すると、アガンソは崩れ落ちるように椅子に腰を下ろして、大きく息を吐きました。


 背中を丸め、ぜーぜーと苦し気な呼吸を繰り返している姿は、傲然と胸を反らしていたさっきまでの姿とは別人のように見えます。

 テーブルに置かれた酒を小振りなカップに注いで一息に煽ると、酒が気管にでも入ったのか激しく咳き込みました。


「ごふっ……ごほっ、ごほっ……はぁ……はぁ……」


 アガンソが口許を押さえていた右手を離すと、手の平には鮮血が付着していました。

 肺か、胃か、それとも別の場所か、アガンソが病んでいるのは間違いないでしょう。


『ケント様、治療はなさいますか?』

「いや、やらないよ。正直、アガンソが殺されそうになっていても、助けるつもりは無かったんだ」


 ボグスが勢いのままにアガンソを殺そうとしても、止めないつもりでいました。

 金庫の金を独り占めするためではなく、部下に裏切られて殺されてしまうならば、そこまでの人物だと思ったからです。


 治療に関しても同様で、僕が治療しなければ病死するような人物は、そこまでの人物なのでしょう。

 てか、酒の飲みすぎですよね。


 ボグスを船室に放り込んだキーラスが戻って来ると、アガンソは少し休むと言ってテーブルに足を投げ出し、背もたれに頭を預けて目を閉じました。

 キーラスが薄い夏掛けを用意した頃には、アガンソは往復いびきをかいて眠っていました。


 オールの調子を合わせるための太鼓の音が規則正しく響き、船は滑るように湖面を進んで行きます。

 金庫は僕に預けてしまったのだから、自分は船室でゆっくりすれば良いだろうに、空になった船倉で高いびきをかいているとは、アガンソらしいとも言えますね。


 その後、アガンソを乗せた船は順調に進み、タルラゴス領の桟橋へと近付いていきました。

 じきに到着するという知らせを受けて、キーラスがアガンソを起こしましたが、なんだか様子が変です。


「アガンソ様、もうすぐ到着いたします……アガンソ様……」


 キーラスが耳元で声を掛けても、アガンソは口を半開きにして往復鼾を繰り返していて、起きる気配がありません。


「アガンソ様……アガンソ様!」


 キーラスが肩を叩き、体を揺さぶってもアガンソは目を覚ます素振りも見せません。

 異変を感じたキーラスが、大声で甲板に向かって呼び掛けました。


「アガンソ様の様子がおかしい。すぐに治癒士を呼べ! 早く!」


 アガンソは担架に乗せられて運ばれ、桟橋近くの建物で治癒士の治療を受けましたが、目を覚ますことなく翌日の早朝に息を引き取りました。

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