第572話 価格交渉
国分健人の朝は早い。
なぜなら、色々と取り繕わないといけないからだ。
葉巻の匂いを家に持ち帰らないために、風呂を借りるつもりだったのだが、結果としては違う香りが体に染み付いてしまいました。
言うまでも無く、カミラのつけている香水の香りです。
お嫁さんたちには平等に接するという決まりなので、カミラとそうした行為に及ぶ事自体は問題無いのだが、事前通告無しの朝帰りで……というのがマズいのです。
では、どうするかと言えば……カミラを起こさないように、そーっとベッドを抜け出して、夜明け前の自宅の風呂場に直行して証拠隠滅工作を行っています。
ぶっちゃけ、メチャクチャ眠たいし、出来れば朝の一時をカミラとイチャイチャ過ごしてから帰宅したかったけど、そんな事をすれば正座案件になってしまいます。
まぁ、そうでなくても正座させられそうだけどね。
『ケント様、ユイカ殿と過ごす時間が足りないのではありませんか?』
「まぁ、ラインハルトの言う通りなんだけど、美緒ちゃんがいるからねぇ……」
『でしたらば、二人の時間を過ごすための別荘などを用意されたらいかがですかな』
「それだ! うん、それなら美緒ちゃんとかフィーデリアに気を使わずにイチャイチャできるよね。うんうん、そうすれば唯香も以前の柔らかな感じに……って、もしかして欲求不満だったとか? いやいや、あんまり調子に乗ると大変な事になりそうだから自重しよう」
それで、結局どうなったのかと言えば、まぁ普通に正座でお説教ですよね。
お酒と葉巻の件も、カミラの所に泊まった件も、あっさり白状しておきました。
コボルト隊がついてるし、カミラと唯香は連絡取り合ってるみたいだし、後でバレる方がお説教の時間が長くなるだけだからね。
はぁ……早く別荘建てよう。
自宅でみんな揃っての朝食を済ませたら、再びシャルターン王国のマダリアーガへと向かいました。
特に時間は約束していませんでしたし、時差の関係でヴォルザードよりも遅い時間なのですが、アガンソ・タルラゴスは生あくびを連発していました。
昨夜は酔い潰れるほど飲んでましたからね、耳元で大きな声で朝の挨拶をしてあげましょうか。
「おはようございます!」
「むぅ……ユースケか、あまり大きな声を出すな」
「これはこれは、失礼いたしました」
「というか、貴様は二日酔いにもなっていないのか?」
「えぇ、あの程度の酒では呑まれたりしませんよ」
ホントは自己治癒バリバリに使ったからなんですけど、まぁそれは秘密です。
「まったく……キーラスも呆れておったぞ」
「早速ですが、取り引きの話に入っても構いませんか?」
「せっかちな男だな、茶の一杯ぐらい飲んでからにしろ」
「これはこれは、失礼いたしました」
アガンソからは、なんでそんなに酒に強いんだと色々と聞かれましたが、体質ですから説明のしようがありませんと答えておきました。
貴様に飲ませても酒が無駄になるだけだな……とか言われちゃいましたが、それでも警戒の度合いは更に一段下がっている気がします。
熱いお茶をゆっくりと飲んだことで、アガンソの二日酔いも幾分緩和されたようです。
かつて王族が使用していたエリアから、タバコなどの産物が集められている倉庫へと移動すると恰幅の良い熊獣人の男性が待っていました。
年齢は四十歳ぐらいで、恰幅が良いと言ってもアガンソの様にだらしなく太っている訳ではなく、筋肉の上に更に脂肪が乗ってる感じです。
身長も百八十センチぐらいあって、厳めしい顔つきをしているので威圧感がありますね。
「ユースケ、うちでタバコ関連の取り引きを管理しているオンドールだ」
「ユースケです、よろしくお願いします」
頭を下げて挨拶をしたのですが、オンドールはギロリと視線を向けたまま一言も発しません。
そのまま視線を移して、アガンソに問い掛けました。
「アガンソさん、こんな得体の知れないガキが信用できるのですか?」
うん、まぁ当然の反応だろうね。
「信用できるかだと? そんなもの、出来ないに決まってる」
「はぁ? 信用出来ないガキに俺らが丹精込めた葉巻やタバコを売るって言うんですか?」
「まぁ、そう熱くならずに聞け」
アガンソは食いつかんばかりに詰め寄ったオンドールを両手で制し、僕と取り引きをする理由を話し始めました。
「お前も知っての通り、タルラゴスとオロスコは周辺の領地に街道を封鎖されてタバコや酒の輸出が出来ない状態だ」
「だからって、こんなガキに……」
「まぁ、最後まで聞け!」
「はぁ……」
アガンソがオンドールに語って聞かせたのは、昨晩僕が吹き込んだ与太話です。
話が進むうちに、怒りに満ちていたオンドールの表情には不安の色が混じるようになりました。
「では、リーゼンブルグだけでなくランズヘルトでもバルシャニア産のタバコに市場を奪われるかもしれないのですか?」
「そうだ。これまでリーゼンブルグとバルシャニアは長年に渡って対立を続けていた。それ故に、取り引きされるタバコの量も限られていたらしいが……」
「それが一気に増えていると……」
「それに加えて、我々シャルターン産のタバコが出回らなくなれば……」
話を聞いたオンドールは、渋々といった感じですが僕との取引を認めましたが、運搬の方法について注文を入れてきました。
「一度に運べないから倉庫に一時保管するだと? 駄目だ、駄目だ! お前みたいな素人に保管を任せられるか。遠距離を短時間に運べるならば、ここから往復しろ!」
オンドールが言うには、タバコの葉、特に高級品の葉巻については温度や湿度を厳格に管理しているそうです。
それはそれで凄いとは思うけど、これまでだって海を越えてランズヘルト共和国まで運ぶ間には管理出来ていなかったと思うんですよね。
まぁ、それを言っちゃうと面倒そうなので言いませんでしたけど。
「いいか、バルシャニア産なんかに負けないように、最高の状態で運べ! でなきゃ首を圧し折ってやるぞ!」
「はぁ……まぁ、売り物を良い状態で届けられるのは、僕としても有難いので気をつけましょう」
「ホントに分かってんのか? これでシャルターン産のタバコの評判が落ちたら、ぶっ殺すからそのつもりでいろよ」
「はいはい……」
僕が得体の知れないガキなのは確かですし、自分たちのタバコに誇りを持っているのはわかるけど、そんなに凄んでも反発を招くだけじゃないですかね。
「さて、ユースケよ、この葉巻とタバコをいくらで買う?」
「まずは、アガンソ様の希望の価格を聞かせて下さい」
タバコの見分け方についてはレクチャーしてもらっていますので、基本的な手順に沿って品質を確かめてみましたが、正直良く分かりません。
虫食いや乾燥の度合いなどの簡単な違いぐらいは分かりますが、根本的な品質については素人目じゃ分かりませんよね。
パッと見た感じでは、平均的な品物よりも二段ぐらい良い品物じゃないかなぁ……ぐらいの感じです。
実際、アガンソから提示された金額は、平均的な価格として教わったレートよりも三割ほど高い値段でした。
「ふむふむ、なるほど……正直、僕はタバコの目利きに関してはまだまだだと自覚していますが、それでもこれが良い品物だというのは分かります」
「だろう……では、この価格……」
「その価格の三割の値段で買い取りましょう」
「はぁぁ? 三割だと……」
「ふざけるな、このクソガキが!」
掴み掛かってきたオンドールを闇の盾で囲って拘束しました。
「暴力に任せて価格を押し付けるというのなら、この話は無かったことにさせていただきます」
「このクソガキ……」
「黙っていろ、オンドール! だが、ユースケ、貴様も貴様だ。三割なんて値段で売れるはずがないだろう。まともに交渉するつもりがあるなら、少しは常識的な値段を提示しろ」
「お言葉を返すようですが、アガンソ様が儲ける目など最初からありませんよ」
「なんだと……」
「これは将来への投資です」
「投資だと……?」
「もし、僕との取引が破談となった場合、ここにあるタバコがどうなるのか、シャルターン産のタバコがどうなるのかは、もうお分かりいただけてますよね」
「貴様、どこまでも足下を見おって」
「この価格交渉は、アガンソ様にとっては損失をどの程度までで抑えられるか……それを探る交渉です」
「貴様……」
オンドールを制したアガンソですが、今や顔を真っ赤にして頭の血管が切れてもおかしくないほど歯を食いしばっています。
「アガンソさん、こんなクソガキ、相手にする必要なんか……」
「黙れ! 俺は黙っていろと言っただろうが!」
アガンソはオンドールを怒鳴りつけた後で、ギロリとこちらに視線を向けました。
「ユースケ、貴様と取引すればシャルターン産のタバコは市場に出回るのだな?」
「ええ、リーゼンブルグでも、ランズヘルトでも、なんならバルシャニアでも……」
「そうか、だが三割は安すぎる。せめて半額はよこせ」
「三割五分なら考えましょう」
「ガメツイ奴め……四割だ、四割で納得しろ」
「うーん……まぁ、いいでしょう」
僕とアガンソの間で交渉が成立しましたが、オンドールが納得していません。
「冗談じゃない! アガンソさん、そんな捨て値で売られたら、シャルターン産のタバコの価値が下がっちまう!」
「そんな事は分かってる! だからこれから条件を付けるんだろうが、黙ってろ!」
「条件ですか? これ以上の金額の上積みはお断りしますよ」
「そんな条件ではない、貴様がこのタバコを売りさばく値段についてだ」
「ほぅ……と、おっしゃいますと?」
「俺が最初に提示した値段よりも過度に安く売るな。どんなに値切られても二割引きまでで留めろ」
他に方法が無いから僕には安く売る、その代わりに市場価値は維持させる……という苦肉の策という訳です。
「まいりましたねぇ……それじゃあ僕は丸儲けですよ」
「何をぬかしおる、最初からそのつもりだったのだろうが」
「まぁ、否定はしませんよ。そして、僕が儲かる話ですから喜んで協力させていただきましょう」
「ちっ、食えない奴め……」
僕が満面の笑みをうかべて手を差し出すと、アガンソは舌打ちしつつも握手に応じました。
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