第571話 嘘と本当

 リーゼンブルグの冒険者ユースケ……嘘

 タバコの取り引きがしたい……本当


 シャルターン産の葉巻はリーゼンブルグでも愛用されている……本当

 一部の商人にシャルターンが不穏という噂がある……嘘


 リーゼンブルグでバルシャニアブームが起きている……本当

 シャルターン産の葉巻の代わりにバルシャニア産を増やそうとしている……嘘


 魔の森が安全になって往来が増えている……本当

 リーゼンブルグの動きがランズヘルトに波及する……嘘


 他人に嘘を信じ込ませる時には、真実に混ぜて話すと良いというのは本当のようです。

 悪徳商人ユースケの話を信用したアガンソ・タルラゴスは、一気に酔いも醒めて顔面蒼白になっています。


「ば、馬鹿な……そんな事は……」

「起こらないとお思いですか? タルラゴス領、オロスコ領、王家直轄領、更にはツイーデ川西岸の土地……そこで作られるタバコ、葉巻の量は、シャルターン産のタバコの五割近い量になります。この流通が止まれば、一時的には値上がりするかもしれませんが、他に良質の品物があれば取って代わられるのは必定でしょう」


 タバコは嗜好品なので、どうしてもシャルターン産でなければ駄目だという人もいるでしょうが、反面、毎日嗜むものが急激に値上がりして、同等の品質で割安な品物が存在していれば、そちらに乗り換えるというのは当然の行動です。


「くそっ、なぜだ! なぜこうも上手くいかぬのだ! バルシャニアに市場を奪われれば、困るのは我らだけではないだろう。国の危機だというのに、セビジャラの石頭めが!」


 セビジャラというのはタルラゴスの西に位置する領地で、領主のルシオ・セビジャラは元々アガンソとは馬が合わなかったそうで、革命騒ぎのどさくさに紛れてアガンソが王城を占拠すると、周辺の領主と連絡を取り合って現在の封鎖体制を築いたそうです。


「ユースケといったな。貴様と手を組めば、リーゼンブルグと交易が出来るのだな?」

「いいえ……」

「なんだと! だったら貴様は何をしに来たというのだ!」

「落ち着いて下さい、アガンソ様。交易の相手はリーゼンブルグに限りません。お望みとあらばランズヘルトでも、バルシャニアでも可能です」


 影移動を応用すれば、過去に行った事のある場所ならば自由に運べると説明すると、アガンソの顔には赤みが戻り、口許にはだらしのない笑みが浮かびました。


「ほほぅ、それは素晴らしい。良かろう、我の手元にあるタバコや葉巻を売ってやろう。リーゼンブルグに持ち帰り、シャルターン産のタバコの素晴らしさを広めるが良い」

「そうですね……それは、値段次第ですね」

「ふん、我を相手に値切るつもりか?」

「はい、そのつもりです」

「ふん、否定もせぬとは生意気な。ここで我に恩を売っておけば、将来シャルターン産タバコを貴様の独占販売にしても構わぬのだぞ」


 そんな保証も無いどころか、実現する可能性が低い空手形を切られたところで、はいそうですかと頷いたりしませんよ。


「アガンソ様は勘違いをしておいでですね」

「なにっ……勘違いだと?」

「はい、私は冒険者であって商人ではありません。ハッキリ申し上げるなら、将来の金には興味はございません。私にとって重要なのは、手っ取り早く、どれだけ多く稼げるかです。」

「貴様……我の足元を見て買い叩くつもりか!」

「失礼ながら、アガンソ様は冒険者というものを良く分かっておられないようですね」

「なんだと、どういう意味だ?」

「我々冒険者は、下手を踏めば命を落とす稼業です。だからこそ、一つの仕事、一つの依頼、一つの勝負で最大の利益を手に入れようとする生き物なのです。今回の取り引きは、いわばアガンソ様と私の勝負です。手を抜くつもりなどありませんよ」


 顎の下で両手を組んで、じっとアガンソの両目を覗き込みました。

 一瞬、激高しかけましたが、思い直したようにアガンソも僕の視線を正面から受け止め、やがてニヤリと笑みを浮かべて見せました。


「面白い、交渉にも応じぬセビジャラの腰抜けよりも百倍は面白いぞ。良いだろう、もう少し詳しい話をしようではないか。キーラス、酒と料理を追加だ。それと最上級の葉巻も忘れるな」

「かしこまりました」


 この後、酒、料理、それに葉巻の饗応を受けながら、もう少し詳しい話をしました。

 アガンソからは闇属性魔術について色々と聞かれましたが、一度に運べる距離と重量には制限があると話して、倉庫を一つ借り受けることになりました。


 どこを中継地としているのか、リーゼンブルグまで何日掛かるのか、などの質問も受けましたが冒険者としての秘密だと煙に巻いておきました。

 アガンソは酒の強さに自信があったようで、僕を酔い潰れさせようと盛んに酒を勧めてきましたが、逆に酔い潰れたので引き上げる事にしました。


 ふらつく素振りも見せずに席を立った僕を見て、キーラスが呆れたような表情を見せました。


「その歳で……化け物ですな」

「御馳走様でしたと、アガンソ様にお伝え下さい」

「かしこまりました。今後ともよろしくお願いいたします。ただし……アガンソ様を裏切った時には覚悟しておいて下さい」

「裏切る? 意味が分かりませんね。冒険者とは敵にもなれば、味方にもなるものです。僕を味方にし続けたいのであれば、味方でいる利を示して下さい」

「なるほど……今の言葉をアガンソ様にお伝えしても?」

「構いませんよ。また、明日お邪魔いたします」


 キーラスと目礼を交わしあってから、影の空間に潜りました。

 うん、ちょっとユースケが格好良すぎですね。


『さすケン……貫禄の交渉振り……』

「今回は、悪徳商人風冒険者になりきったのが良かったのかな」

『いやいや、なかなか堂に入ったものでしたぞ、ケント様』

「まだ顔見せしただけだからね、明日からの交渉の本番でも、ラインハルトとフレッドには影の空間からサポートをお願いするね」

『お任せ下され』

『りょ……』


 葉巻の現物を確認しながらの取り引きは、明日以降アガンソも立ち会いの上で行う予定です。

 一応の顔見せは終わりましたから自宅に戻ろうと思うのですが、体に葉巻の匂いが染みついているので、お風呂場に直行しますかね。


 歯も磨いておかないと、また唯香に怒られちゃいますからね。

 と思って風呂場を覗いてみたら、美緒ちゃんとフィーデリアがキャイキャイと賑やかに入浴中でした。


「うん、ここに入ったら唯香に殺されそうだな……」

『ケント様、でしたらば他の風呂場をご利用なさればよろしいのでは?』

「うん、そうしようかなぁ……」


 向かった先は、リーゼンブルグ王国の王都アルダロスです。

 シャルターン王国のマダリアーガで、アガンソと遅くまで飲んでいましたから、アルダロスでもとっぷりと日が暮れています。


「こんばんは、カミラ」

「ケント様……」


 声を掛けながら闇の盾を出ると、カミラは読みかけの本を閉じて歩み寄って来ました。

 互いの体温を確かめ合うように抱き合い、唇を重ねます。


「ケント様、タバコを嗜まれるようになられたのですか?」

「そういう訳じゃないんだけどね……」


 葉巻の匂いに絡んで、シャルターン王国でやり始めた事や、日本のタバコ事情などをカミラに語って聞かせました。


「なるほど、ニホンではタバコは害のあるものだと、快く思われていないのですね」

「うん、そもそも僕の年齢では吸うこと自体が禁止されているから、服とか髪、口に匂いが残っていると、また唯香に怒られるから……」

「ふふっ……ケント様はお優しいですね。リーゼンブルグでは、家長の言葉や振る舞いが絶対で、奥方を始めとして家族は従うものですよ」

「そうなんだ、リーゼンブルグでは亭主関白が……あれっ? マルトリッツ領のアルベールさんは恐妻家だったような……」

「中にはそのような家もございますが、殆どの家は主が権力を握っているものです。勿論、私もケント様に従います」


 ソファーに場所を移して隣に腰を下ろしたカミラは、僕の左腕を抱えながら肩に頭を預けてきます。

 うん、ラストックの収容所にいた頃は、カミラの目が吊り上がっていて唯香が甘々だったのに、状況が逆転しちゃってますね。


 まぁ、唯香の目が吊り上がりがちなのは、僕が色々とやらかしているからなんですけどね。


「という訳で、家に戻る前に葉巻の匂いを落としておきたくて、お風呂を借りてもいいかな?」

「勿論です、すぐに支度をさせますので、少々お待ちください」


 カミラが目で合図をすると、部屋付きのメイドさんが心得ていますとばかりに頭を下げて、湯殿の準備に向かいました。

 てか、お城の浴場って、いつでも入れるようになってなかったっけ。


 暫くして戻って来たメイドさんは、グラスを載せたトレイを携えていました。


「汗をかかれますので、ご入浴の前にお召し上がり下さい」

「ありがとう」


 グラスに注がれていたのは、ただの水ではなくて柑橘系の果汁がブレンドされていて、とても爽やかな味わいでした。


「じゃあ、ちょっと借りるね……」

「はい、ごゆっくり……」


 本音を言うと、一緒に入らないかと聞きたいところなんだけど、メイドさんの前だとまだ気恥ずかしさが勝っちゃうんですよね。

 それに、唯香達にも詳しい話をしないで出て来ているので、帰ってから色々話すつもりなんですよ。


 フィーデリアには、伝えた方が良いのでしょうかね。

 あんまり、ドロドロした政治の話とかは、まだ伝えたくない気持ちもあるんですよね。


 案内された脱衣所でメイドさん達の手伝いを断って服を脱ぎ、風呂場に足を踏み入れると、ふわっと花の香がしました。

 たぶん、お湯に香水が混ぜてあるのでしょう。


 とりあえず、本来の目的である葉巻の匂いを落とそうと頭を洗い始めたのですが、なんだか心臓がドキドキして体が熱くなってきます。

 あれっ、この感覚はもしかして媚薬……入浴前に飲んだ果実水でしょうか、それとも浴室に漂う香りなんでしょうかね。


 少し回転の鈍くなりつつある頭で考えていたら、浴場の戸が開く気配がしました。

 誰かは振り返って確認するまでもないですし、さっさと頭の泡を落としてしまいましょう。


「ケント様……」

「カミラ……」


 うん、自己治癒なんか使いませんでしたよ。

 おかげで、なんだかすっごかったです。

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