第570話 アガンソ・タルラゴス

「フレッド、こっちはどんな様子?」

『かなりイラついている……思い通りに進んでいない……』


 悪徳商人としてタバコの取引の準備を進めている間に、フレッドにはアガンソ・タルラゴスの周辺を調べてもらっていました。

 革命騒ぎのドサクサに紛れて主のいなくなった王城を取り戻し、我が物顔で居座っていますが、状況はアガンソの思惑とは違う方向へと進んでいるようです。


「やっぱり、周辺の領地が往来を止めてしまっている影響が大きいんだろうね」

『その影響は大きい……加えて、王城の書類が無くなっているのが大きい……』

「あぁ、やっぱり持ち出しといて良かったね」

『それと……やっぱり、革命勢力の軍師と繋がってたらしい……』


 フレッドの調べたところによると、王城の書庫が荒らされずに残されていたのは、革命勢力の軍師であったルシアーノという男と、アガンソの密約があったからだそうです。


『アガンソが主導したのではなく、ルシアーノの企てに乗せられたみたい……』


 細かいやり取りまでは分かっていませんが、先に話を持ち掛けたのはルシアーノのようです。

 革命騒ぎの最初の一歩となる資金をアガンソから引き出し、それを元手に住民を扇動して遂には王城を陥落させたのですから、ルシアーノは相当な人物なのでしょう。


「でも、それほどの能力がある人ならば、自分で王国を統治しようと思わなかったのかなぁ……」

『真実かは分からないけど、王家に恨みがあると言ってたらしい……』


 ルシアーノは、アガンソから資金を引き出す時に、自分はシャルターン王家に恨みを抱くもので、王家が滅べばそれで良い。

 国とか領地を治めるなんて面倒な事はやる気がないので、手に入れた領地は自由にして構わないとアガンソに言ったそうです。


「あぁ、だから書類を残しておくって約束だったのかな?」

『そうみたい……』


 マダリアーガの王城が陥落した時に、フレッドが書庫から持ち出した書類は国の運営に関わる殆どの事項が記されていて、先日ダムスク公へ渡してあります。


『何にいくらの金が使われていたのか、どこからどれだけの税金が納められていたのか、アガンソは全く知る術が無い……』

「それって、もしかして最初から調べ直さないといけない……ってこと?」

『その通り……たぶん、膨大な手間暇がかかる……』


 フレッドが書類を持ち出した状況を現代日本風に例えるならば、パソコンのデータがそっくり消えてしまったようなものです。

 紙とインクの書類ですから、当然バックアップなんてものは存在していません。


 税金を取り立てるにしても、農地の所有者、広さ、作っている作物、収穫量などを把握する必要がありますが、現状では誰が、何処から何処までを所有しているのかも分かっておらず、記録が無ければ課税することすらできません。


「ほうほう、なるほど、確かにだいぶ弱ってそうだね」


 マダリアーガの王城を覗いてみると、城を占拠した当時は相撲取りのような体型をしていたアガンソは、見た目にもだいぶ絞れた……というかやつれた感じがします。

 夕暮れ時とは言っても、まだ明るさが残る時間なのですが、既にアガンソは酒に酔っているようです。


『ここは、元は王族専用の区画……』

「自分が王族になりかわったつもりなんだね?」


 アガンソは一人ではなく、部屋には執事風の人物が控えています


『アガンソの腹心……キーラス……』

「カレグの腹心のコバーヌみたいな感じ?」

『あれほど積極的ではないみたい……』

「指示が無いと自分からは動かない……みたいな?」

『そう……』


 フェルシアーヌ皇国第三皇子カレグの腹心コバーヌは、影巡視などと呼ばれる組織を指揮して、自主的に動いていましたが、キーラスはもっと受け身のようです。

 ちょっと冴えない中年のオッサンって感じがしますね。


「キーラス、オロスコに送った連中はまだ戻らないのか?」

「はい、戻っておりません」

「くそっ……ウルターゴの野郎、まさか本当に裏切るんじゃないだろうな?」

「それは探りに行った者達が戻りませんと何とも……」


 なんだか、アガンソは同盟関係にあるウルターゴ・オロスコに疑いの目を向けているようですね。


「オロスコが裏切りそうなの?」

『そちらまでは調べに行けていない……でも、アガンソは相当疑っているみたい……』


 ウルターゴも、アガンソと同様に領地を封鎖されていて、タバコの輸出が出来ず、穀物や塩の輸入が出来ない状態です。

 状況を打開するために、寝返るのでしょうか。


「可能性としては、どうだろう?」

『十分あり得る……オロスコは王城までは手にしていない。新たに手に入れた領地の一部を南側を封鎖しているディヘスに分割すれば、恐らく封鎖は解ける……』

「その場合、オロスコを通してタルラゴスの封鎖も解かれるのかな?」

『そこは微妙……』


 封鎖に協力している、セビジャラ、ロンゴリア、ディヘスの三家にとって、一番の目標は王都からタルラゴスを排除することのようです。

 アガンソごときが国王のように振る舞い、自分達の頭の上に立つのは許せないのでしょう。


『たぶん、オロスコの封鎖を解除する条件は、タルラゴスも新たに手に入れた領地を放棄することだと思う……』

「放棄した領地の扱いはどうなるんだろう?」

『これから話し合って決めるのかと……』

「ダムスク公が手に入れた領地についても話し合いが行われるのかな?」

『たぶん、それはないと思う……周辺の領主もダムスク公の実力は認めているみたい……』


 確かに、革命騒ぎが収まった後の復興の度合いをみても、ダムスク公とアガンソでは手腕に雲泥の差があります。

 これは、僕が手出ししなくても、遠からず白旗を上げそうですね。


『駄目……それでは儲からない……』

「そうだった、悪徳商人ならば利益を追求しなきゃだね」


 それでは、アガンソが泥酔して話が通じなくなる前に、ご挨拶とまいりましょうかね。


「くそっ! ルシアーノの野郎、調子の良いことばかりぬかしやがって!」


 アガンソが、酒を飲み干したカップをテーブルに叩き付けるように置いたところに、影の空間から姿を見せずに声を掛けました。


「だいぶ、お困りのようですね……」

「誰だ! どこにいる、出て来い!」


 勢い良くソファーから立ち上がったものの、酔いで足下をふらつかせるアガンソを支えながら、キーラスはいつの間にか抜き放った短剣を構えています。

 冴えないオッサン執事にしか見えませんでしたが、これはなかなかの使い手のようですね。


「これから姿を見せますが、こちらから危害を加えるつもりはございません」


 断りを入れてから、キーラスからはテーブルが邪魔をして真っすぐに踏み込んで来られない場所に闇の盾を出して表に踏み出しました。


「お初にお目に掛かります、アガンソ・タルラゴス様。私は、リーゼンブルグの冒険者でユースケと申します」


 うん、やっぱり悪徳商人だから、小悪党っぽい名前の方が良いよね。


「リーゼンブルグだと……海の向こう、ランズヘルトの更に向こうか……そんな所の冒険者が何の用だ?」


 警戒を緩めないキーラスに下がるように手振りで伝えながら、アガンソはドッカリとソファーに座り直しました。


「アガンソ様、私がどうやってここまで辿り着いたか興味はございませんか?」

「なんだ……と……」


 酔っぱらったアガンソの頭でも、影移動の有用性に気付いたようですね。


「貴様、何処を抜けて来た? セビジャラか? それともロンゴリアやディヘスを抜け、オロスコを通って来たのか?」

「まぁ、方角としては西から来ましたが、いずれの領地にも踏み入っておりません」

「なんだと? どういう意味だ?」

「我々、闇属性の術士は影に潜り、影を通り抜け、いずこへとも入り込めます。当然、出て行くのも自由です」

「ほぅ、それは荷を運ぶことも可能ということか?」

「勿論、可能です」

「何が目的だ?」

「ずばり、タバコの取り引きが出来ればと……お邪魔いたしました」

「ほほぅ、詳しい話を聞こうじゃないか」


 アガンソはキーラスに下がるように伝え、僕に向かいの席に座るように促しました。

 小振りのカップが差し出され、酒を勧められたのですが、口許に近付けただけでアルコールの匂いが強く感じられます。


 そういえば、テキーラのような酒も特産品でしたっけね。

 酒の匂いを嗅いで、一瞬戸惑った僕の表情を見て、アガンソはニヤリと口許を緩めます。


 あぁ、これは酒に弱いと侮られるパターンですね。

 まぁ、僕はいくら飲んでも回復出来ちゃいますからね、治癒魔術を使えば底なしですよ。


 ぐいっと一息に酒を飲み干すと、食道から胃袋まで火が着いたかと思うほどカーッと熱くなりました。

 これ、火を近付ければ燃えるほどの、ほぼほぼアルコールの酒ですね。


「ほほぅ、なかなか良い飲みっぷりだ。シャルターンでは酒の飲めない奴は信用されないからな。さぁ、もう一杯……」

「いただきます」


 速攻で自己治癒を掛けましたけど、それでも少しクラクラするぐらいです。


「それで、タバコの取り引きがしたいと言ったな?」

「はい、シャルターン王国産の葉巻は、リーゼンブルグでも有名で多くの者が愛用しておりますが、近頃一部の商人の間で不穏な噂話が広がっております」

「ほぅ、どんな噂だ?」

「シャルターンで何かが起こって、葉巻が入って来なくなるのでは……と」

「リーゼンブルグにまで封鎖の話が届いているのか?」

「確かな話ではなく、シャルターン王国内に不穏な動きがあるといった程度の噂にすぎませんし、知っているのはランズヘルトとの交易を行っている、極々一部の者に限られますが……商人というものは、そうした噂には敏感なものです」


 勿論、これは全部嘘で、おそらくリーゼンブルグでシャルターンの内戦について知っているのはカミラやディートヘルム、その周辺の者に限られているはずです。


「ほほぅ、だとすればシャルターン産の品物が値上がりしているのではないのか?」


 自分の置かれている立場も忘れて、高く売ってやろうぐらいの事を言い出しそうな雰囲気なので、グサッと釘を刺してやりましょうかね。


「いいえ、残念ながら違います。リーゼンブルグでは、長年に渡って敵対を続けて来た隣国バルシャニアとの関係が修復して、空前のバルシャニアブームが起こっております。シャルターン産の葉巻が入って来ないなら、バルシャニア産の輸入を増やすべきだ……といった話が出ておりますし、この動きは加速していくかと……」

「それではシャルターン産の葉巻は……」

「今後、大きく需要を減らす恐れがございます」

「な……んだと……」

「最近、リーゼンブルグとランズヘルトを隔てていた魔の森の魔物が減り、交易が盛んになっています。おそらく、リーゼンブルグの動きは隣国ランズヘルトまで波及するかと……」


 酒瓶を持ち上げたまま絶句したアガンソの顔からは、一気に酔いが醒めたようです。

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