第569話 悪徳商人になろう

「ねぇ、ラインハルト」

『何ですかな、ケント様』

「悪徳商人になろうと思うんだ」

『なっ……今、何と?』


 ラインハルトの下顎がカクンっと落ちて、だいぶ驚いているようですね。


「うん、だからね、悪徳商人になろうと思ってるんだ」

『悪徳商人とは……何をお考えなのですかな?』


 あぁ、僕との魔力的なリンクによって、ちょっと考えが伝わっちゃいましたかね。


「今回、フェルシアーヌ皇国の皇位継承争いに首を突っ込んで、結果的には盗賊同様な活動をしたよね」

『そうですな、ジョベラス城から盗み出した食糧をシャルターン王国のダムスク公に売却……まさに盗賊そのものですな』

「だよね。でも、結果としては悪くなかったとも思うんだ」


 あくまでも僕の立場からすればになりますが、フェルシアーヌ皇国の内乱も拡大せずに済みましたし、シャルターン王国での飢饉も防げました。

 おまけに僕も高額の収入を手に出来たのですから、ウィン・ウィン・ウィンって感じですよね。


『カレグからすれば迷惑千万だったと思いますが、人的な被害を最小限に抑えるという観点からすれば良い結果だったと言えるでしょうな』

「だよね。でも、さすがに盗み出したものを販売して利益を得る……というのは少々気が引けるんだよ」

『なるほど、それで悪徳商人という訳ですな』

「そうそう、ちゃんと対価を支払って商売をするなら文句を言われ……ることもあるかなぁ……」

『ぶはははは、して、何処と取引するおつもりですか?』

「シャルターン王国のアガンソ・タルラゴス」

『ほほう、それはまた面白そうな相手ですな。詳しい話をお聞かせ願います』

「うん、相談に乗って」


 アガンソ・タルラゴスは、現在シャルターン王国の王都マダリアーガにある王城に居座っている人物です。

 タルラゴス領の南に位置するオロスコ領を治めるウルターゴ・オロスコと手を組んで、革命騒ぎに乗じて元の王家直轄領や他家の領地を分割統治しています。


 ただし、周辺の領地から往来を遮断されて、これまでの上り調子から一転して窮地に立たされているようです。

 ダムスク公が革命騒ぎを平定した土地で復興作業を強力に推し進めているのに対して、アガンソは住民に丸投げして顰蹙を買っています。


 それもこれも、周辺の領地との往来を封鎖されているのが一番の要因です。

 日本の東京などに比べれば、食糧の自給率も高いでしょうし、地産地消である程度の経済は回せるでしょうが、シャルターン王国の最大の産物はタバコです。


 生産されたタバコの葉を乾燥、加工した葉巻は高品質で、海を越えてランズヘルト共和国やリーゼンブルグ王国にも輸出されているそうです。

 そのタバコの貿易が全面的にストップ、穀物や塩なども供給が停止しているようです。


「そこで、影移動を使って封鎖を飛び越えられる僕が、アガンソ達と取引してあげようかと思ってるんだ」

『なるほど、ですがケント様が取引をしてしまうと、周辺の領主が協力して封鎖を行っている意味が薄れてしまうのではありませんか?』

「うん、そこで悪徳商人なんだよ」

『ほほう、ではダムスク公と裏で手を組んで、更にタルラゴスの弱体化を計るおつもりですな?』

「うん、ついでにガッチリ儲けさせていただこうかと思ってね」

『ぶはははは、それは面白そうですな』

「でしょ、でしょ。ダムスク公の密偵であるホアン達が暗躍して、いずれアガンソ達は失脚するとは思うけど、それまでの期間を短縮できればと思ってるんだ」


 シャルターン王国は、言うまでもなくフィーデリアの故郷です。

 いくらヴォルザードに馴染んできたとは言っても、故郷で内紛が続いているようでは安心出来ないでしょう。


 フィーデリアが落ち着いて家族たちが眠るマダリアーガの湖に祈りを捧げられるように、タルラゴス達を追い詰めてやろうと思っています。


『ケント様、いっそシャルターンの王家直轄領は、ケント様が治めればよろしいのではありませぬか?』

「いやいや、僕には領主とか国王とか無理だからね。そういう偉い立場よりも、唯香やマノン、リーチェ、セラ……それにカミラとノンビリ過ごせれば十分だからね」

『さようですか……ケント様のような方が王となられた方が、住民は幸せに暮らせますぞ』

「いやいや、無理無理、僕は自分の家を守るのが精一杯だから」


 でも、あの仕事嫌いのクラウスさんでも領主が務まるのだから……いやいや、止めておきましょう。

 という訳で、フェルシアーヌ皇国の内紛が片付いたので、今度はシャルターン王国での諜報体制を強化します。


 まずは、ダムスク公に悪徳商人デビューをする挨拶に出向きましょう。

 執務を行っている建物を訪ねて面会を申し込むと、十五分ほど待たされた後に応接室に現れたダムスク公は上機嫌でした。


「良く来たな、ケント・コクブ。フィーデリアは息災か?」

「はい、手紙を届けた事とダムスク公とバルタサール様の本当の関係を伝えると、安心していました」

「そうか、それは何よりだ。あとはフィーデリアが安心してマダリアーガに帰れるようにするだけだな」

「はい、今日はそれに絡んだ相談がございまして……」

「ほぅ、また何やら考えておるようだな」

「えぇ、悪徳商人になろうかと思っています?」

「なんだと……?」


 ダムスク公は怪訝な表情を浮かべていましたが、僕が悪徳商人の意味を語るとニヤリと口許を緩めてみせました。


「まったく人が悪いな……まるで真綿で首を絞めるようだぞ」

「いえいえ、シャルターン王国の特産品であるタバコが品薄になれば、他国の品物に市場を奪われかねませんよ」

「タルラゴス、オロスコだけでもシャルターン王国の三割程度の生産量だったはずだが、今はそこに王家の直轄領とツイーデ川西岸地域の分も加わっている。確かに、このままタバコの出荷が止まったままでは、シャルターンの市場を他国に奪われる懸念があるな」

「そこで、影移動が使える僕が取引を持ち掛けてみようかと考えています」


 実際、ちょっと調べただけでも、アガンソ・タルラゴスも、ウルターゴ・オロスコも封鎖には頭を悩ませているのが分かりました。


「なるほどな、ワシが裏で糸を引き、そなたが何食わぬ顔でアガンソ達と取引を行うか……面白いな」

「アガンソ達からは思い切り買い叩いて、市場には適正な価格で流すだけで僕には大きな利益が入ってきます」

「しかも、アガンゾ達は金を手に入れても、食糧などは手に入れられない……うむ、面白い。是非やってもらおう」

「はい、つきましては、タバコの葉に関する知識を分けていただけませんか? 取引に行きました、ズブズブの素人ですでは怪しまれるでしょう」

「なるほど、では目利きの出来る人物を紹介してやろう」

「ありがとうございます」


 ダムスク公からタバコの取引を統括している人物を紹介してもらい、タバコの葉や葉巻として加工された状態での目利きについてレクチャーを受けました。

 ビックリしたのですが、一番高級な葉巻になると一本の値段がランズヘルトでは七百ヘルトを超えるそうです。


 城壁の現場や見習い仕事の日給が三百五十ヘルトですから、二日分以上になります。

 まぁ、紙巻のタバコと違って乾燥させるだけでなく熟成させないといけないそうですし、それだけの手間暇が掛かっているようです。


「吸ってみるかい?」

「いやいや、僕の国では、僕の年齢では吸っちゃいけないことになってるんです」

「ほぉ……だが、ここはシャルターン王国だし、吸ったこともない人間が取引をするのもおかしな話じゃないかい?」

「うっ、確かに……」


 日本の法律には違反しちゃうけど、そこは悪徳商人ということで……吸い方を教えてもらいながら、一本だけ吸ってみることにしました。

 まず専用のハサミで吸い口を切るのですが、この切り方でも味わいが変わるそうです。


「これは一番良い葉巻だから、中まで一枚の葉を使って巻いているが、価格の安いものは刻んだ葉を巻いた物もある。そうした物は、大きくカットしてしまうと中から葉が零れてしまったりする」

「なるほど……」

「何よりも、切れ味のよいカッターを使うことだ」


 目利きを教えてくれているマッカーニさんはが使うハサミは、僕の親指よりも太い葉巻を刃と刃の間に挟み、クルっと回した後でスパっとカットしました。


「カットしたら、まずは火を着けずに吸ってみるんだ。巻きがキツ過ぎたりムラがあるものは息の通りが悪い。そうした葉巻は当然味わいも悪くなるし、何より吸っていて気分が良くないからな」

「なるほど……」


 さっきから、なるほどばかりですけど、全く分からないので頷くことしか出来ません。

 カットしてもらった葉巻は、変な抵抗は感じられず、口の中にタバコの葉の香りが漂いました。


「では火を着けよう。深く吸い込まず、口の中で煙の風味を楽しむんだ」

「なるほど……」


 ネットか何かで、紙巻タバコは肺まで深く吸い込むから健康に悪いが、葉巻は燻らすだけだから健康への影響は少ない……なんて記事を読んだ記憶がありますけど、本当かどうかは分かりません。

 恐る恐る魔道具で点された火に葉巻を近づけ、二度、三度と吸い込むと煙が口の中に入ってきました。


「ゴホッ……ゴホッ……」

「深く吸い込みすぎだ。頬の内側に留めて、鼻から抜ける香りを楽しむんだよ」

「な、なるほど……あれっ、甘い?」

「だろう……」


 煙とはイガらっぽいだけのものかと思っていましたが、刺々しさよりも甘味すら感じる良い香りがします。


「なんだろう、ナッツみたいな……不思議な香り」

「まぁ、慌てず、ゆっくりと味わいなさい。吸い始め、中頃、吸い終わりと、どんどん風味が変わっていくぞ」

「なるほどぉ……」


 太い葉巻を指に挟んで、ゆったりと煙をくゆらせていると、まるでマフィアのボスにでもなった気分です。

 うーん……ここに年代物のリーブル酒なんかがあれば最高ですね。


「あぁ、やたらと灰を落とさない方が良い。灰は落ちるに任せるものだ」


 格好つけて、灰皿に葉巻をトントンしていたら注意されてしまいました。

 葉巻の中程まで吸うと、確かに味わいが変わりました。


 甘味が増し、香りの輪郭がハッキリして味わいが鮮明に……。

 更に終盤では、ピリっとした辛みが加わり、また味わいが変わります。


「こんなに変わるものなんですね」

「そうだろう、これがシャルターン自慢の逸品だ」


 僕らの世代だと、喫煙イコール害悪みたいなイメージがありましたけど、ちょっと見方が変わりました。

 でもヴォルザードに戻った後、葉巻を吸ったのを忘れて唯香とキスしたら、めっちゃめちゃ怒られましたけどね。

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