第567話 脱出作戦の結末

 その日、ジョベラス城では夜が明ける前から人々が動き出していた。

 フェルシアーヌ皇国第三皇子カレグは、難攻不落の堅城であるジョベラス城に立て籠もり、長期

わたって第二皇子モンソが率いる軍勢をあしらうつもりでいた。


 そのための準備は万全に整えていたはずだったが、籠城を支えるはずの食糧が忽然と消え、計画は完全に破綻した。

 もはや籠城は、飢えて死ぬための自殺行為でしかない。


 カレグはジョベラス城で籠城を続ける間に、己に与する貴族が現れると踏んでいたが、現状に不満を持つ貴族が蜂起するだけの時間も稼げなかった。

 それでも、まだカレグは諦めた訳ではない。


 ジョベラス城での籠城が上手くいかなかった場合に備えて、脱出路となるトンネルを秘密裏に準備しており、キューレムからナバホスへと落ち延びる手筈を調えていた。

 カレグの策略に、ジョベラス城を包囲したモンソ率いる軍勢は全く気付いていない。


 戦況が膠着状態に陥り、攻め手側には気の緩みが生じ始めていた。

 特に北東側の尾根道を監視する一団の緩み具合は顕著だ。


 イノシシのごとく突っ込んだガステルム男爵を筆頭に、抜け駆けしてでも手柄を立てて、今より高い爵位や豊かな領地を手に入れようと目論んでいる貴族が集まっていたが、爆剤による攻撃に手も足も出ずに撤退している。

 その後は、モンソから無理な突撃は厳重に戒められ、ただ待つだけの日々に飽きていた。


 長く平和な時代が続いているフェルシアーヌ皇国で、手柄を立てる千載一遇のチャンスとばかりに勇んで参陣したのに、無為に時間を過ごせば滞在費用が嵩むばかりだ。

 かと言って、ここで帰ってしまったのでは、今までの出費が無駄になってしまう。


 焦る気持ちはあれども、多くの者は半分以上諦めの境地になりつつある。

 そもそも、カレグの籠城に対してモンソが行っている作戦は、第一皇子レーブに授けられたもので、着陣して暫くの間は目立った戦果を上げずにおくのは城側を油断させるためなのだが、それが攻め手側の油断を招いているとは何とも皮肉な状況だ。


 一方、脱出の準備を進める城側の士気は高い。

 勝敗の判断を下すなら敗走に近いのだが、この苦しい状況にあっても敵を出し抜く準備を調えていたカレグの深謀を称える者もいて、一度流れがこちらに来れば、形勢は一気に逆転すると考える者が多いからだ。


 実際、この脱出作戦が成功すれば、モンソとカレグの評価は大きく変わるだろう。

 城側の数倍の兵を率いて、たった二ヶ所しかない出口を固めることすらできずに脱出を許してしまったモンソと、鮮やかに脱出してみせたカレグでは、どちらが皇帝に相応しいのか考える貴族も出てくるだろう。


 ただし、ジョベラス城内でのカレグに対する評価が維持されている一因は、腹心であるコバーヌの手の者が噂を広めたからだ。

 黒尽くめではない影巡視が、いわゆるプロパガンダを展開して、城側の人間の思考を誘導している。


「この危機的状況に置かれても、事前に脱出の手筈を整えているとは、カレグ様の深謀は神のごとし……」

「間抜けなモンソが皇帝になれば、フェルシアーヌは周辺諸国の食い物にされてしまう……」


 コバーヌの手の者が広げた言葉は、不安を感じる者達の心の支えとなり深く浸透していった。

 カレグ様についていけば間違いない……他に縋るものの無い人々は、盲目的にカレグを崇拝し始めていた。


 脱出作戦の性質上、気付かれないために大きな声や物音を立てられないが、殆どの者がキビキビと準備を進めている中で、浮かない表情の男が一人いる。

 第一皇子レーブが送り込んだ工作員ネビルだ。


 食糧庫に火を放つ役目を担いジョベラス城に入り込んだが、警備が厳重で忍び込む方法すら見出せずにいたが、ネビルが行動する以前に食糧が奪われていた。

 一体誰が、どうやって、何のために持ち出したのか、何一つ分からないが、結果としてネビルの目的は達成された。


 後は城を出て、報酬の残りを受け取るだけだが、どうやって城を離れるか迷っていた。

 カレグに従ってトンネルを抜け、キューレムまで行ってしまうと組織に戻るのが遅くなってしまう。


 かといってトンネル以外の道は、城側と寄せ手側が直接ぶつかり合う激戦地となるだろう。

 炊事場の下働きがノコノコ出ていって、無事で済むとは思えない。


「やっぱり、川に飛び込むしかないかな……いや、キューレムからナバホスまでの道中の方が安全だろうか……」


 ネビルが潜り込んだ炊事場で働く者達は、隊列の中央に位置している。

 列の前後を兵士で挟まれているので、抜け出す隙が無さそうだ。


「ここで考えすぎるよりも、現場で柔軟に動いた方が良さそうだ……」


 結局ネビルは、周囲の状況を見て、一番生き残る確率が高い方法を選択することにした。

 そして空が白み出すよりも早く、城に立て籠もっていた全員が参加する長い隊列が、麓を目指して北東の尾根道を下り始める。


 その先頭にいるのは、先陣を命じられたガエルダムの部隊だ。

 フルプレートの鎧に身を包み、胸を張って先頭を行くガエルダムの騎馬には、爆剤の樽が四つも括り付けられている。


 ガエルダムの表情は落ち着いているが、後ろに続く者達の表情は堅い。

 作戦は、ガエルダムがあたかも降伏の使者のように堂々とした態度で寄せ手側へと接近し、そこで自爆攻撃を仕掛ける。


 その後は、爆剤を載せた馬を次々に突っ込ませて寄せ手を後退させ、隊列の動きを見ながら橋を落とすタイミングを計るという作戦だ。

 橋さえ落としてしまえば、寄せ手は直接的な攻撃を仕掛けられなくなる一方、他にも脱出路があると勘付かれてトンネルの存在が露見する。


 川の対岸からの攻撃でトンネルが崩れる可能性は低いだろうが、追手が掛かるのを少しでも遅らせるのがガエルダムの部下の仕事だ。

 そして、ガエルダムの隊の後ろには、カレグの直属部隊が陣取っている。


 ただし、第三皇子の直属部隊である事を知らしめる旗などの装飾は行われていない。

 カレグ自身も、皇子のために誂えられた派手な鎧ではなく、一般の騎士が身に着けるのと同じ鎧を着ている。


 橋を通り過ぎてトンネルに入ってしまえば、今回の作戦はカレグの勝ちだ。

 山脈を貫く形のトンネルは、従来のキューレムまでの道程を大幅に短縮させる。


 自分達が通り抜けた後で、トンネルを崩してしまえばモンソの軍勢が追いつくまでに時間が稼げる。

 その間に補給を行う手筈も整えてあるし、次なる籠城先も準備を終えている。


 食糧が奪われたと知った直後こそ取り乱したが、カレグは自分の未来は明るいと確信していた。

 隊列が麓へと近付くと、さすがに寄せ手側にも異変に気付く者が出始めた。


 尾根道を下る人馬の足音や馬車の車輪の音をいくら小さくしようとも、城に立て籠もっていた全員が一斉に行動するのだから、その音が大きく響くのはやむを得ない。

 寄せ手側の軍勢が慌てて橋の袂を目指して集結し、その対岸には先陣を務めるガエルダムの手勢が姿を現す。


 そして、双方の軍勢は橋を挟んで対峙し、共に恐慌に陥った。


「橋が無い!」

「どうなってるんだ! 何の物音も聞こえなかったぞ!」


 昨晩は穏やかな夜で、雨も降らなければ、風も吹かず、満天の星が瞬いていた。

 橋の近くでも川が流れる水音以外には、何一つ異変を感じる物音は聞こえていなかったのに、橋は橋脚ごと消えて無くなっていた。


 橋が消えた川を暫し呆然と眺めていたガエルダムだが、我に返ってカレグに指示を仰ぐため後方へ馬を走らせた。

 あまりに予想外の事態にガエルダムは、自分の乗る馬から爆剤の樽が消えたことにも気付かなかった。


「カレグ殿下! 橋が消えております」

「なんだと! モンソの手下どもの仕業……である訳がないか」


 モンソに協力する貴族は、手柄を立てるのが目的なので、それを阻害するような行動に出るとは考えにくい。

 ましてや、これから脱出作戦を決行する城側の仕業であるはずもない。


「構わん、隧道の開通を急がせよ。橋が落ちたというなら、追手共が渡って来るまでの時間も稼げるだろう」


 土属性の術士を集めた工兵部隊が、カモフラージュのために残しておいた岩盤を崩して隧道の入り口を開ける。

 既に昨晩のうちから作業を始めていたので、指示が下ってから三十分程度で入り口は開いた。


 ここでカレグは隊列を入れ替え、直属部隊を先頭にした。

 つまりは、ほぼ先頭に立って逃げ出そうという訳だ。


「これより、キューレムに向かって進軍する、続けぇ!」


 ズーン……ズドーン……


 カレグが馬上から高らかに号令を下した隊列が進み始めた直後、トンネルの奥から爆発音が連続して響いてきた。

 更に、地鳴りと共にトンネルから濛々と土煙が吹き出して来る。


「お下がりください、殿下!」


 呆然とするカレグが乗った馬を引いて、直属部隊の兵士がトンネルから離れようとするが、後続の隊列が邪魔をして思うように進めない。

 トンネルから吹き出した土煙が視界を遮り、辺りは大混乱に陥った。


「くそっ、どうなってんだ!」

「下がれ、落盤に巻き込まれるぞ!」

「止まるな、進め! 何をしてる!」


 トンネル近くにいた者達は慌てて後退しようと試みるが、橋のあった辺りでは城側の脱出だと悟った寄せ手の一部が魔術や弓矢などで攻撃を仕掛けていた。

 中でも危険なのは、身体強化を使って強弓を引く弓兵だ。


 通常の弓矢では届かない距離からでも、鋼の鏃を付けた矢が飛来する。

 兵士達は金属製の鎧を身に着けているので流れ矢程度は防げるが、悲惨なのは兵士以外の者達だ。


 炊事場に潜り込んだ工作員ネビルも、対岸から飛来する矢の脅威に晒されていた。

 馬車の陰に隠れられた者は良いが、押し出された者は己の目と運に頼るしかない。


 ネビルも馬車の陰から押し出されてしまったが、手には炊事場で使われていた鉄板を持っていた。

 身体強化で視力を強化して、鉄板を使って矢を左右に逸らす。


 矢を逸らした先で、普段偉そうにネビルを扱き使っていたモーグスが悲鳴を上げていたが、意図して狙った訳ではなく偶然だった。

 一本目はあくまでも偶然だったが、ネビルは二本目以降の矢を意図的にモーグスの方へ逸らした。


 攻撃に晒された中央付近の連中は、我先にと前へと進もうとするが、トンネルは崩落して一番前の者達は我先に戻ろうとし、隊列はグシャグシャに乱れていく。


 ズドーン……ズガーン……


「今度は何だ!」

「上だ、尾根道が崩れた!」

「早く下りろ! 落石が来るぞ!」


 混乱が起こり停滞した隊列の最後方の更に後方で突如爆発が起こり、無人となった北東の尾根道を吹き飛ばす。

 馬車が擦れ違えないほど細く、両側が切り立った崖だった尾根道が崩れ落ち、三十メートルほどの断崖となった。


 進む道は無く、戻る道も無し。

 フェルシアーヌ皇国第三皇子カレグが率いる軍勢は、ジョベラス城の北東の麓で進退窮まり孤立した。


 その頃、表の世界からは隔絶された影の空間には、ドーンだ、ドーンだとはしゃぐコボルト達と、一仕事を終えたケントとラインハルト、フレッドの姿があった。


「これだけやれば、さすがのカレグも諦めるでしょ」

『進むに進めず、退くに退けず、食糧どころか休息する場所にも事欠く状況では、戦闘の維持など出来ませんな』

『もう、兵士が諦めてる……』


 時間が進むほどに隊列に状況が伝わり、兵士達の士気は一気に失われていった。

 土煙から脱し、後方の状況を知ったカレグは、天を仰いで意味不明の叫び声を上げた後、降伏を決断した。

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