第564話 脱出計画
人の口に戸は立てられぬというのは、こちらの世界でも同じのようです。
備蓄していた食糧の九割を奪われたという話は、カレグが厳しく口止めしたにもかかわらず、翌日にはジョベラス城全体に広がっていきました。
難攻不落の堅城であっても、食うものが無くなれば人は生きていけません。
城への出入りは南側と北東側の尾根道のみで、攻め入られる心配が無いのと同時に、物資の運び込みも出来ません
ただし、備蓄の九割を奪われたといっても長期の籠城を想定した備蓄量ですので、残りが一割だとしても一日や二日で尽きる訳ではありません。
ですが、籠城が長期に及べば次期皇帝に指名されたモンソの手腕が疑問視され、外部からの同調、呼応が起こるという計画は、もはや実行不可能な状態です。
城のあちこちで、絶望的な前途を嘆く者がいる一方で、楽観的な者も少なくありません。
「もう終わりだ……」
「馬鹿、諦めるな。カレグ様が降伏すれば、俺達は助かるかもしれないだろう」
城の外壁で見張りを務めている末端の兵士二人は、一方が絶望、もう一方が楽観という感じのようです。
断崖の上に建つジョベラス城では、外壁の見張りといってやる事は殆ど無いようで、小声で今後の話をしています。
「そんなに都合良くいくと思うのか? 皇帝陛下に背いたんだぞ」
「だからと言って、籠城している全員を処刑したりしないだろう」
「どういう意味だ?」
「ある程度の責任ある地位にいる奴らが処刑され、俺達下っ端は助かるってことだよ」
「ある程度の責任って?」
「一番偉い奴は、殺すと部下が反発するから、そいつらは生かしておいて、その下の連中を見せしめに殺すんだよ」
「うわっ、マジか……?」
「こういう大きな戦いを終わらせる時は、大抵そうするもんだ」
「てことは、下手に出世した連中は危ないってことか?」
「あぁ、あの小うるさい分隊長とかは危ないんじゃないか?」
「マジか……いい気味だな」
まるで死神にでも憑かれたような顔色をしていた兵士も、話が進むうちに笑みをこぼしました。
でも、そんなに上手くいくものでしょうかね?
「実際、どうなの? ラインハルト」
『ワシらの生きていた頃ですと、降伏の仕方によりますかな』
「降伏の仕方?」
『降伏するにしても、色々と条件を付けての降伏を望む場合と、全面的な降伏とでは扱い方が変わってきます』
「ってことは、カレグ次第ってこと?」
『そうなりますが、そのカレグは降伏を選ばないのではありませぬか?』
「そうだった。まだ諦めていないみたいだったけど……兵士の士気がこんな状態で何とかなるものなの?」
『さて、それはカレグの手腕次第でしょうな』
『ケント様、カレグが隊長たちを集めた……』
ラインハルトと一緒に城のあちこちの様子を窺っていると、フレッドが呼びに来ました。
どうやら作戦会議が始まるようですね。
「案内して」
『りょ……』
フレッドの案内で向かった先は、会議室のような部屋ではなく食堂でした。
しかも、テーブルの上には沢山の料理が並べられています。
城のどこかで飼育していたのか、子豚の丸焼きもあれば、柔らかそうなパンや湯気を立てっているスープ、果実酒の瓶まで並べられていました。
さしずめ、最後の晩餐といった感じなのでしょうか。
「全員集まったか? それではこれより軍議を行う」
集まった隊長は全部で二十名ほどで、その表情はバラバラです。
落ち着き払ったカレグの様子を見て、不敵な笑みを浮かべる者もいれば、眉間に深い皺を寄せている者もいます。
「軍議といっても、既に作戦も配置も出来上がっている。勿論、我は降伏もしなければ、討ち死にするつもりもない。まぁ、料理が冷める前に、食べるとしよう。そして、食べながら
聞け」
カレグが果実酒を注いだカップを掲げると、集まった隊長達もカップを掲げて唱和した。
「勝利のために!」
カップが打ち合わされる音が響いた後、集まった者達は一息に果実酒を飲み干しました。
続いて、カレグが豪快に切り分けられた子豚の丸焼きに食らい付くと、隊長達も一斉に食事を始めました。
「なにこれ? 士気を高めるための決起集会?」
『その意味合いはあるでしょうな。不満そうな顔をしていた者達も、肉を食らい果実酒を飲めば、懸念など忘れて前に進もうとしますからな』
確かにラインハルトの言う通り、眉間に皺を寄せていた者も、次第に目に力が宿り始めたように見えます。
ていうか、見てるだけだと腹が減ってきます。
カレグは、子豚のスペアリブの骨をガッシリと手で掴み、ブチブチと肉を齧り取り、強情そうな顎で咀嚼していました。
皇族らしからぬ食べっぷりですね。
食事が始まる前は、まるでお通夜の会場かと思うほど静まり返っていましたが、時間がすぎるごとに騒々しくなってきました。
カレグはスペアリブを食べ終えると、指に付いたソースを舐め取り、ナプキンで荒々しく口許を拭うとカップに残っていた果実酒を飲み干しました。
そして、おもむろに席を立つと声を張り上げました。
「これより、作戦の概要を説明する。我々は北東側の通路を下り、橋を渡らず川上へと向かう!」
カレグの言葉を聞いて、会場からはどよめきが起こりました。
「川上だと……」
「道も無いのに、どうやって進むのだ」
「まさか、川の中を進めというのか?」
北東の尾根道を下った先は、川沿いの道の先に橋があり、橋を渡らずに進む道は途中で途切れています。
ですが、カレグも腹心のコバーヌも自信に満ちた笑みを浮かべています。
「静まれ! 川上に向かう道は、崖に遮られて行きどまりになっている……と思っているのだろう。確かに今はそう見えるが、既に崖の向こう側へは隧道を用意してある。土属性の術士が壁を崩すだけで、キューレムへと抜ける道が開けるのだ」
「おぉぉぉ……」
キューレムというのが、どんな場所なのかは分かりませんが、隊長達の反応を見れば今の状況を挽回できる可能性を秘めた場所なのでしょう。
「キューレムには、騎馬も食糧も用意してある。我々が通り抜けた後、隧道を爆剤で崩して塞いでしまえば、追手は三日は遠回りを余儀なくされる。その間に我々はナバホスまで進み、迎撃の支度を整える」
カレグの言葉に、隊長達は何度も頷いています。
僕らとは違って地理的な情報をもっている彼らが考えても、カレグの作戦には合理性があるのでしょう。
「ねぇ、なんか凄くない?」
『そうですな、堅城に籠るだけでなく、その後の退路まで確保しているとは、かなりの人物であると評価すべきでしょうな』
『たぶん、日頃から備えていたのだと……』
ラインハルトもフレッドも、カレグの用意周到さには感心しきりといった様子です。
そのカレグは、隊長たちが計画に納得するのを見守った後、続きを話し始めました。
「この作戦を実行する上で重要なことは、我々の力を相手に知らしめておくことだったが、それは日頃から軍備を鼻に掛けていたガステルム男爵を叩きのめし、その後の戦いでもモンソの手下どもを追い払ったことで爆剤の恐怖を植え付けられた。ガエルダム、貴様に先陣の栄誉と爆剤を与える。奴らを橋の向こう側に釘付けにして寄せ付けるな。食糧を奪われた汚名をそそげ!」
「ははっ!」
席を立った男は、悲壮感漂う表情でカレグに敬礼を捧げました。
どうやら、食糧庫の警備を担当していた隊を預かっている者なのでしょう。
ジョベラス城では導火線を使った作戦も行っていますが、皇都エルヴェイユでの戦いでは生きた人間に爆剤を持たせて自爆攻撃を仕掛けていました。
そうした事情と今回の作戦での役割の重要度を考え合わせれば、命懸けで先陣を務めて見せなければならないと考えているのでしょう。
「どうするのかな……部下に自爆を命じたりするのかな?」
『それは状況次第でしょうが、本体が隧道へと抜けるまでは何がなんでも敵の足止めをする必要があります。それを理解させ、自ら判断せよとカレグは命じるでしょうな』
「ハッキリとやれとは言わないけど、分かってるだろうな……って感じ?」
『食糧庫の警備を担当していたのであれば、嫌だとは言えぬでしょう』
その食糧を持ち出したのは僕らなので、少々責任を感じてしまいますね。
カレグは先陣のガエルダムに続いて、隊列を組む順番と役割を指示していきました。
僕らは軍の詳細までは知りませんが、カレグの口振りからは各部隊の気質まで細かく把握しているように感じます。
カレグは、明日一日を休日として、全員に交代での休養を与えました。
作戦は、明後日の朝から出立の準備を進め、三日後の早朝から気配を忍ばせて尾根道を降り、準備が出来た所で一気に川沿いの道を進む予定のようです。
全ての指示を終えたカレグは、再び果実酒を満たしたカップを高く掲げました。
「勝利を!」
「勝利を!」
果実酒をあおったカレグ達は、酒盛りを再開しました。
今や会場に居る者達は、先陣を命じられたガエルダムを除いて勝利を確信しているようです。
『さて、ケント様、いかがいたしますか?』
「どうしようかねぇ……まさか逃走用のトンネルまで用意しているとは思ってなかったよ」
『この作戦が成功すれば、カレグは逃げ延び、争いは更に長期化するでしょうな』
「逃げ道の無いはずの場所から、まんまと逃げられたらモンソの評価はガタ落ちだよね?」
『逆にカレグの評価は上がる……』
「てことは、逃がす訳にはいかない……ってことだね」
バルシャニアに味方する立場としては、早期にフェルシアーヌ皇国を安定させ、交渉相手として都合の良いモンソを皇帝にすべきです。
そのためにも、この脱出作戦は成功させる訳にはいきません。
「でもさ、爆剤を奪っただけでは止まりそうもないよね」
『そうですな、橋は石造りでしたが、土属性の術士を集めれば落とせるでしょう。それまでの時間を稼げば良いのですから、爆剤に頼らなくも可能でしょうな』
「だよね……とりあえず、作戦決行は三日後みたいだから、トンネルを見てから考えよう」
これまで、北東側は橋までしか偵察をしていないので、その先に作られたトンネルを見てから介入方法を決めることにしました。
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