第562話 ある工作員の一日

※ 今回はフェルシアーヌ皇国第一皇子レーブが送り込んだ工作員から見た城内の様子です。


「気を付けて運べよ。すっ転んで粉をぶち撒けたりしたら、その貧相な首を叩き斬るから、そのつもりで運べ!」

「へい、分かってやす……」


 ジョベラス城の炊事場で働くネビルは、見張りの兵士の小言を聞き流し、小麦粉を載せた台車を押して食糧庫を出た。

 小言をぶつけてきた兵士の他にも、複数の兵士がネビルの動きを注視している。


 ここにある食糧が、ジョベラス城に立て籠もっている全ての者の胃袋を支えるのだから、警戒が厳重になるのは当然だ。

 当然なのだが、この厳しさのレベルはネビルにとっては予想外だった。


 ネビルは、第一皇子レーブが送り込んだ工作要員で、少々焦りを感じていた。

 予定では、そろそろ食糧庫に火を放たなければならないのだが、まったく隙らしい隙が見当たらない。


 ジョベラス城の食糧庫は、頑丈な石造りで窓すら無い。

 入口は二重扉になっていて、食料を出し入れする者は、外側の扉が開いたら前へと進み、外側の扉が閉ったら内側の扉が開けられる。


 しかも扉は外壁に沿った通路に設けられていて、内部に入るには二枚目の扉を抜けた後で通路を直角に曲がって進まなければならない。

 外部から火矢を射掛けても、内部の食糧には決して届かないのだ。


 更には、食糧庫の内部に入れる者は、風属性と土属性の者に限られている。

 火属性は火災の火種となり得るし、水属性は備蓄してある食料を濡らして駄目にする可能性があるからだろう。


 食糧庫に入る前には、厳重な身体検査を受けさせられるので、火種を持ち込むことはほぼ不可能だ。

 食糧庫は、籠城する者達の命を支える命綱といえる存在だから、警備が厳重であると予想はしていたが、第三皇子カレグの敷いた警備体制はネビルの予想を遥かに超えていた。


「どうやって火を着けろっていうんだよ……」


 例え、何らかの火種を持ち込めたとしても、監視の目が幾つも光っていて、穀物の袋や箱に火を着けられたとしても、すぐに消されてしまうだろう。

 噂によれば、食糧庫の警備を担当する兵士は、全員が水属性の持ち主らしい。


 ネビルに下された指令書によれば、他にもジョベラス城に潜り込んだレーブの手の者がいるらしい。

 ただし、誰なのか分からないし、連絡のしようも無い。


 もし捕らえられて尋問された時に、芋蔓式に見つからないための措置らしいのだが、これでは連携のしようが無い。


「まったく、頭が切れるのか馬鹿なのか分からねぇな……」


 指令の内容を思い出してボヤきながら、ネビルは台車を押して炊事場へ向かう。

 万が一、炊事場から火災が起こっても延焼しないように、食糧庫は離れた場所に設置されている。


 下働きとして、あれを持って来い、あれが足りないと、日に何度も食糧庫に足を運ばされる事もあるが、その度に警備の厳重さを思い知らされて来た。

 いっそ爆剤が保管されている倉庫を……なんて考えた事もあるが、食料庫よりも警備が手薄なはずが無い。


 それに爆剤を保管している倉庫の周辺には、特定の兵士以外は近付けない。

 ネビルが行ける場所からでは、倉庫の姿すら見られないのだ。


「こりゃ、お手上げだな。俺がやらなくても、他の誰かが頑張ってくれんだろう……」


 ネビルは、八割がた食糧庫への放火を諦めている。

 今は、この籠城戦がいつまで続くのか、どういった結末になるのかに関心は移っていた。


 一応、レーブの手の者であると証明するための札を持ってはいる。

 だが、第二皇子の手勢が攻め込んで来るような事態になれば、城内は大混乱に陥るだろうし、そんな状況で自分は味方だとアピールしても聞き届けてもらえる保証は無い。


 前金として半額、騒動が終了してからもう半額の報酬を受け取る予定だが、それも命があればの話だ。


「いざとなったら、札だけ持って素っ裸で投降してやるか……」


 身を守るために武器なんか持っていたら、それこそ攻撃される恐れがある。

 素っ裸のモロ出しで投降を申し出れば、さすがに抵抗する気は無いと思ってもらえるだろうが、それはネビルとしても最後の選択だ。


 それに、味方だと名乗るタイミングも難しい。

 下手なタイミングで名乗り出れば、今度は城の連中から裏切り者だと攻撃されるだろう。


「ちっ、影巡視か……」


 台車を押すネビルが向かう方向に、黒尽くめの服装の男が佇んでいる。

 第三皇子カレグの腹心で、このジョベラス城の留守居役コバーヌの手の者だ。


 黒い頭巾、黒い服、黒い靴、黒一色の服装で城を巡回して怪しい行動をする者がいないか目を光らせているのだ。

 まるで影のように見えるから影巡視などと呼ばれているが、姿を見せている連中は表の影巡視と呼ばれている。


 黒い服装で目立つ場所に立って、目を光らせている者がいるとアピールする役目で、実はその裏で普通の者と変わらない服装で目立たず行動する裏の影巡視がいるという噂だ。

 ネビルのような者にとっては、表だろうと裏だろうと、目を付けられない方が良い。


「ご苦労様です……」


 前を横切る時にネビルが挨拶したが、黒尽くめの男は表情一つ変えず、チラリと目線を送ってきただけだった。


「気味の悪い連中め……」


 ネビルは声には出さずに悪態をつき、振り向かず、歩調を変えずに炊事場へ向かった。


「戻りました。どこに下ろしますか?」

「やっと戻ってきやがったか、このウスノロめ。そこに小麦粉を下ろしたら、塩を取りに行って来い!」

「えっ、今行ってきたばかりですよ」

「なんだと……なんか文句があんのか?」

「いえ、なんでも……」


 偉そうに指示を出しているモーグスはネビルよりも五つ以上年下で、以前は一番下っ端としてコキ使われていたらしい。

 ネビルが入った事で一番下ではなくなり、これまでイビられてきた反動で粋がっているのだ。


「あの、伝票は?」

「ほら、これだ……さっさと行って来い! モタモタしてんなよ!」

「へい……」


 ネビルは小麦粉を台車から下ろし、モーグスから伝票を受け取り、再び食糧庫へと向かう。


「くそガキが……落城する時に、どさくさ紛れに殺してやるか……」


 工作員として武器の扱いなどの訓練を受けているし、これまでにこなした任務の中でネビルは片手に余る人の命を奪っている。

 モーグスを人知れず殺す程度は訳ないのだが、今は周囲から疑いの目を向けられるような事は慎まなければならない。


 ただし、落城が決定的になり、第二皇子の軍勢が雪崩れ込んで来るような状況になれば……。

 ネビルが暗い想像を巡らせながら台車を押していると、突然柱の陰から出て来た男に行く手を塞がれた。


「おい、どこに行く?」


 ギクリとして立ち止まったネビルの前に立ち塞がったのは、さっきの影巡視の男だ。


「ど、どこって、食糧庫ですけど……」

「お前、さっきも食糧庫に行ってなかったか?」

「えぇ、行きましたよ。もう何度も何度も……面倒だから一度で済ませてほしいっすよ。これ、伝票っす」


 ネビルが愚痴をこぼしながら炊事場の伝票を見せると、影巡視の男は急に興味を失ったようだ。


「そうか、行っていいぞ……」

「へい……」


 ネビルは道を開けた男に軽く会釈をして、再び振り向かず、歩調を変えずに食糧庫へと向かった。

 背中に視線を感じていたが、通路を曲がる時も振り向かなかった。


「まったく、どいつもこいつも……」


 ネビルは頭の中に、落城時には殺す相手のリストとして、モーグスと影巡視の男を記憶した。

 食糧庫に着くと、先程もいた警備の兵士が驚いた顔をみせた。


「なんだい、また来させられたのかい?」

「えぇ、今度は塩を持って来いって……」

「そんなもの、一度で済ませりゃいいものを……お前さんも大変だな」

「一番新入りだから仕方ないっすよ……」

「通っていいぞ、こっちの扉が閉ったら、奥の扉が開くから待っていな」

「へい……」


 ネビルは気さくに話し掛けてくれた兵士の顔を記憶し、こちらは落城時に助けるのリストに加えておく。

 リストと言っても、実際に殺したり助けたりできる訳ではないが、ネビルの気を紛らわすのには役に立っているようだ。


 入口の兵士が同情してくれたのとは対照的に、内部の兵士は露骨に迷惑そうな顔をしてみせた。


「何度も何度も手を煩わせやがって、今度はなんだ?」

「へい……塩を持って来いと言われました」

「ちっ……ついて来い」


 食糧庫からの物品の持ち出しには、伝票と兵士の立会いが必要になる。

 嫌味な兵士の後に続いて、塩が積まれている場所へと向かった。


「ほれ、貴重な塩だからな、無駄にすんじゃねぇぞ!」

「へい……えぇぇ!」


 塩を台車に積み込もうとしたネビルは、意外なものを目にして驚きの声を上げた。

 積み上げられた袋の影から顔を出したコボルトと目が合ったのだ。


 コボルトもネビルと目が合って驚いたのか、慌てた様子で顔を引っ込めた。


「なんだ、どうした?」

「い、今、そこにコボルトが……」

「はぁぁ? コボルトなんている訳ねぇだろう。何を寝言ぬかしてやがる」

「いや、確かにそこの影からヒョッコリ顔を出して……」

「馬鹿なことをぬかすな! ここにはジョベラス城にいる全ての者の胃袋を支える小麦、干し肉、干し果実、塩などが、向こう側の壁までギッシリと積まれてるんだ。コボルトなんか入り込む隙間なんか無ぇんだよ!」


 兵士が怒鳴りながら積み上げられた塩の袋を叩いた途端、ネビルの背丈の倍以上の高さに積まれた塩の袋山がグラリと揺れ、直後に雪崩のごとく倒れ込んでいった。

 塩の袋の崩壊が引き金となり、隣の小麦や干し肉、干し果実の袋の山も崩れていく。


 ギッシリと積まれているように見えたのは表面だけで、一部を残した向こう側には何も残っていなかった。


「な、なんじゃこりゃぁぁぁぁ……」


 兵士の絶叫が、空っぽになっていた食糧庫に虚しく響き渡る。

 そういえば、この数日やけに食糧庫の中の話し声が響くようになっていたのをネビルは思い出した。


 一体誰が、どうやって、何のために食料を奪ったのか、ネビルには皆目見当もつかなかったが、自分が放火する手間が省けた事だけは理解出来た。

 後は無事に城から脱出する算段を整えれば良いだけだ。


 ネビルは内心の笑みを隠しつつ、兵士と同様に驚愕しているかのような演技を続けた。

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