第559話 密偵ホアン

 ダムスク公から密偵との接触場所や合言葉を教わってから、影に潜って移動を開始したところでラインハルトが話し掛けてきました。


『ケント様、フィーデリア姫の事は伝えなくとも宜しいのですか?』

「うん、ダムスク公とは、密偵との接触後にまた面談する予定だし、まずはフィーデリア本人に確認を取ってからにしようと思うんだ」

『なるほど。ダムスク公は、まさかケント様がフィーデリア姫を救い出しているとは思ってもいないでしょうし、こちらから打ち明けない限りは疑われる理由も無い訳ですな』

「まだ今日会ったばかりだけれど、ダムスク公は一角の人物のようだし、フィーデリアが生きていると聞いても悪いようにはしないと思うけど、それでも本人の意思を尊重したいと思っているんだ」

『そうですか、ケント様がそのようにお考えならば、何も問題ございません』


 フィーデリアは、すっかりヴォルザードでの生活にも慣れて、表情も豊かになっています。

 同じ年頃のメイサちゃんや美緒ちゃん、ルジェクなどの友達が出来たのも良かったのでしょう。


 僕の予想では、シャルターンに帰るよりもヴォルザードでの生活を選ぶと思っているのですが、こればかりは本人に聞いてみなければ分かりません。

 それに、例え本人が帰りたいと望んでも、ダムスク公が何と言うか分かりません。


 いずれにしても、家に帰ってフィーデリアに確かめてみてからですね。

 その前に、ダムスク公の密偵との接触とまいりましょう。


 ダムスク公の密偵は、ホアンという三十代の男性で、領地境となっているツイーデ川から程近い場所で、入植者を装って水害で放置された土地の復旧に取り組んでいるそうです。

 この辺りは、最も水害の被害が大きかった地域で、地主は残っているものの、小作人は土地の復興を放棄して別の土地へと移ってしまっているようです。


 つまり、荒れ果てた土地はあれども耕す人が居ない状態で、殆どの土地が茫々たる雑草で覆われています。

 そうした土地で、荒れ地の復興を手伝うから、その代わりに土地を分けてくれといって住み着き、根を下ろし始めているようです。


 ただでさえ人手不足の状況で、真面目に土地の復興に取り組み、時折川で大きな魚を仕留めて持ってくる。

 自分と同様に、他の小作人にも復興作業に取り組む代わりに、幾ばくかの土地を分けるように地主と交渉したり、今では復興作業の中心的な存在となっているそうです。


 ダムスク公から渡された地図を頼りに、ホアンが暮らしている小屋に向かうと、井戸端で水を浴びている男性がいました。

 日が沈みかけている時間なので、一日の作業を終えて汗を流しているのでしょう。


 他に人影は見当たらないので、この男がホアンなのでしょう。

 身長は百七十センチぐらいで、大男ではありませんが、贅肉の欠片も見当たらない鍛え上げた体型をしています。


『ケント様、この男、かなりの使い手ですぞ』

「だろうね。ダムスク公が密偵として送り込むんだから、相応の人物なのは間違いないんじゃない」


 ラインハルトが指摘した通り、ホアンと思われる人物は、足の運びがしなやかで、背筋にはピンと一本筋が通っているかのようで、まったく隙が感じられません。

 これは、下手な場所から声を掛けると、ばっさりとやられるパターンですね。


 ホアンと思われる男は、手拭いをすすぎ始めたので、先に小屋の中で待たせてもらいましょう。

 小屋の作りは、いわゆる1DKで、入り口の戸を開けると小さなテーブルと椅子が二脚、その奥に竈があります。


 隣は寝室で、ベッドとタンスが一つ置かれているだけです。

 入り口の正面になる椅子に腰を下ろして待っていると、水浴びを終えてサッパリとした表情のホアンが入って来ました。


 ホアンは、僕の姿を認めた瞬間、剃刀のように鋭い表情を見せました。


「何者だ!」

「不死鳥は……」

「えっ……炎より蘇る。使いの者か?」

「まぁ、そんな感じです。食糧を運ぶように仰せつかっています」

「食糧だと……どうやって運び込むつもりだ?」

「僕は闇属性の魔術が使えます。影の空間経由なら、食糧の手持ちさえあれば、いくらでも運び込めますよ」

「手持ちはどのくらいあるんだ?」

「この小屋に入りきらない量がありますよ」

「そんなにか……勿論喉から手が出るほど欲しいが、置いておく場所が無い」

「なんなら、地下に倉庫でも作りましょうか?」

「出来るのか?」

「出来ますよ」

「お前、何者だ?」

「ランズヘルト共和国の冒険者です」


 カンデロと食糧提供に関する交渉を行ったところから、今までの経緯をザックリとホアンに話して聞かせました。


「なるほど……今さらだが、俺がホアンだ」

「ヴォルザードの冒険者ケントです。よろしく」

「こちらこそ、よろしく頼む。早速だが、その食糧を小分けにする事は可能か?」

「配って歩くのに便利なように、小分けにした詰め合わせの形にするって事ですか?」

「そうだ。ここでは小分けにする袋すら手に入らない」

「どの程度の量に分けます?」

「そうだな……大人一人が一週間食える程度に分けてもらいたい」

「それを基本として、あとは必要な人数分を配るつもりですか」

「その通りだ。可能か?」

「まぁ、やって出来ない事はないですけど、とりあえず一つ見本を作ってみますので、それを確認してもらってから同じものを作る……という感じで良いですか?」

「あぁ、それで構わない。出来るだけ早く欲しいのだが、いつぐらいになる?」

「見本は明日には持って来られると思います。量産は作ってみないと何とも言えませんね」

「そうか……なるべく早く頼む」

「そんなに、この辺りの食糧事情は悪いんですか?」

「悪いな……最悪の一歩手前という感じだな」


 ホアンの話によれば、革命騒ぎを起こした連中を武装解除させた辺りまでは、タルラゴスの対応は悪くなかったそうです。

 その頃は、水害で罹災した住民には食糧の配給なども行われていたそうですが、今は途絶えてしまっているそうです。


「自分たちが主導する国を作ろうと立ち上がったのだから、復興に関しても自分たちが主導する気概を示せ……というのがアガンソ・タルラゴスの言い分だが、種も苗もみんな流されてしまっているのに、農地を立て直すなんて出来るはずがない。要するに配るだけの食糧が無いって事だ」

「対岸では、もう作物の栽培が再開されてましたよ」

「当然だ。種や苗はダムスク公が支援しているからな」

「でも、種や苗が足りない状況は、アガンソ達にも予測出来たのでは?」

「ある程度は予測していただろうが、想定外の事態になっているようだからな」

「想定外の事態ですか?」

「王都に我が物顔で居座ったために、周囲の領主達が一斉に反発している。おそらく、アガンソはこれほどの反発が起こるとは想定していなかったのだろう」


 現在、タルラゴス領との往来を認めているのは、オロスコ領だけだそうです。

 そのオロスコ領も周囲の領地からは往来を止められてしまい、タルラゴスと一緒に孤立している状態のようです。


「流通を止められた影響は深刻だ。穀物、種、苗などが入手困難な状況に陥っているし、葉タバコや葉巻などの輸出も出来ない。葉タバコはこれからが収穫の最盛期だが、収穫し、乾燥し、製品となっても領地の中でしか売れないのでは、資金を稼げなくなる」

「何かを買うための金も無くなる……って事ですね?」

「その通りだ。穀物も収穫の時期を迎えるが、元のタルラゴス領を潤す程度の収穫はあるだろうが、水害にあった地域の住人を食わせる程の量は確保出来ないだろう」

「それじゃあ、冬場には飢えて亡くなる方も出るのでは?」

「そうなる前にアガンソ達を追い出すしかないのだが……それよりも塩が持つか……」


 アガンソが実効支配している地域では、食料不足が深刻化しつつあるそうですが、更に深刻なのが塩不足だそうです。

 穀物は十分な量ではないものの、水害に遭わなかった地域でいくらか栽培されていますが、塩に関しては全て他領からの輸入に頼っているようです。


流通を止められて食糧も塩も無い、葉タバコなどの輸出も出来ず金も無い……。

アガンソの支配は、予想よりも早く瓦解するかもしれませんね。


「アガンソ・タルラゴスとウルターゴ・オロスコの連合も、いつまで持つのか怪しいものだ」

「でも、アガンソ達の支配体制が瓦解しても、その後が問題ですよね?」

「ダムスク公が、何も考えていないと思うか?」

「いいえ、色々と策を練っていそうでした」


 いずれ手腕を見せてやる……と言った時のダムスク公の表情には自信が溢れていました。


「でも、ダムスク公ほどの手腕の持ち主がいながら、どうして革命騒ぎがあれほど広まってしまったんですかね」

「ダムスク公は国王ではなかったからな。これは、あくまでも俺の推測だが、国王があれほど無策だとは思っておられなかったのだろう」


 シャルターン王国には、こんな噂話があったそうです。

 国内は安定しているから無能な兄でも治められるが、侵略を企てている北の隣国エスラドリャを抑えるのは有能な弟でなけば無理だから、無能な兄が王となり、有能な弟が大公として最北の地に赴くのだ……というものだそうです。


「それって噂じゃなくて、誰かが前の王様の話を洩らしたのでは?」

「いいや、噂だ、噂」

「僕が聞いた噂では、ダムスク公は中央に戻ることを希望していた……って聞きましたけど、それで兄弟の仲が良くなかったとか……」

「それも噂だろう?」

「そうですけど……まさか本人には聞きづらいですよ」

「ダムスク公は厳しい方だが、情が薄い訳じゃない」

「そうですね。アガンソの支配体制を早期に崩すなら、ここに食糧の供給なんかしませんもんね」

「その通りだ。だからと言って、ダムスク公は悠長に構えている訳ではないぞ。一刻も早く王都を奪還して、亡くなられた兄バルタサール様のご一家を弔いたいと思っていらっしゃる。俺は、少しでもその手助けが出来るように、俺に課せられた使命を全うするだけだ」


 ダムスク公が王都マダリアーガを奪還するのは、まだ少し先の話になるでしょうが、亡くなった王族の葬儀を執り行うのだとしたら、それまでにフィーデリアの安否を伝えるか決めておかなければなりませんね。


 ヴォルザードに戻ったら、フィーデリアに状況を話して、気持ちを確かめましょう。


※ お知らせ

この更新で、小説家になろう掲載分に追いつきました。

今後は火曜日と金曜日の更新となります。

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