第554話 イノシシ男爵

『ケント様、活きのいいイノシシが出た……』

『ほほう、それは楽しみだな、参りましょうケント様』

「はっ? イノシシ? えっ、どういうこと……?」


 フェルシアーヌ皇国のジョベラス城の偵察を頼んでいたフレッドが戻って来たかと思うと、話を聞いて笑みを浮かべたラインハルトに急かされて移動する羽目になりました。

 退屈しのぎにイノシシ狩りでも始めるつもりなんでしょうか。


 連れていかれたのは、ジョベラス城に上がるために二本しかない道の北東側の麓でした。

 確か、こちら側には陣は敷かれないという予想でしたが、金属鎧に身を包み、馬を整えて攻撃態勢に入っている一団がいます。


『ガステルム男爵の一団……』

「どういうこと……?」

『抜け駆けして、手柄を上げて、爵位を上げてもらおうと考えている輩ですな』


 ラインハルトが言うには、長く平和な時代が続いている国では、爵位を上げたり、領地を広げるための手柄を立てる機会が乏しいので、ここぞとばかりに抜け駆けを狙う者が現れるそうです。


「それで、ガステルム男爵は、どこにいるの?」

『中央の赤マント……』

「へっ? 貴族本人が突っ込むの? 部下の騎士団にやらせるんじゃなくて?」

『そう、本人……ノリノリ……』

「えーっ……」

『ぶはははは、これは愉快なイノシシですな』

「イノシシって、無謀に突っ込んでいく騎士のことなの?」

『そうですぞ、脇目も振らずに突っ込んでいく騎士をイノシシと呼びます』

「へぇ、こっちの世界でもそうなんだ。日本でも、そうした人を猪武者とか呼ぶし、猪突猛進なんて言葉があるんだよ」

『ほほう、いずこの世界でもイノシシの扱いは同じのようですな』


 ガステルム男爵は、北東側の尾根道の麓で部下達に隊列を組ませ、どうやら自ら先頭に立って戦うつもりのようです。

 従う騎士達は全員が金属鎧に身を包み、その騎馬にも鎧が着せてあります。


 城へと向かう尾根筋の道は、馬車一台が通れる幅しかありません。

 どうやら普段は一方通行のようで、片側が上り専用、もう一方が下り専用となるらしいです。


『どうやら、二列縦隊で突っ込むようですな』

『城に上がるには三つの門がある……』

『果たして、いくつ破れるかな』


 騎馬隊が準備を整えている様子をラインハルトとフレッドは楽し気に見守っています。

 たぶん、二人が生きていた時代には、こうした抜け駆けを良く目にしていたのでしょう。


「全部で何頭いるんだろう?」

『百頭程度に見えますな。これは本気で城を攻略するつもりではなく、示威行動と見て良いでしょう』

「自分の武勇を自慢する……みたいな?」

『敵側の守りの固さを見極める目的で行われる場合もありますな』

「なるほど……」


 僕らが見守る前で隊列を整えたガステルム男爵は、馬上槍を右手に携え、ゆっくりと騎馬を進め始めました。

 いぶし銀の鎧に真っ赤なマントを羽織った男爵は、鎧が上げ底でなければかなりの大男です。


 馬上槍の他に、背中には大剣を背負っています。

 男爵を乗せている馬も、筋骨逞しい大きな馬で、スピードよりもパワー優先なタイプのようです。


『これは、なかなか訓練されているようですぞ』


 男爵に続く隊列は、左右の幅も前後の間隔も綺麗に揃っていて、乱れる気配もありません。

 馬が歩みを進める度に、カチャカチャと鎧が音を立て、戦場でなければパレードのような美しさです。


 尾根道の入り口には、丸太を組んだバリケードが作られていて、数人の兵士が待ち構えていますが、ここで敵の攻撃を何が何でも食い止める……といった気概は感じられません。

 形式的に封鎖はしているけど、ヤバくなったら降伏しそうです。


 静かに馬を進めてきたガステルム男爵は、バリケードの手前百メートルほどのところで隊列を止め、鎧の庇を上げて顔を晒して叫びました。


「我が名は、アマンシオ・ガステルム! 皇帝陛下の命に従い、カレグ殿下をお迎えに参った! すみやかに同道されたし!」


 ガステルム男爵は団子鼻で赤茶色の髭をモッサリと蓄え、得意満面といった表情は愛嬌があります。

 ですが、城側の返答は当然のように素っ気ないものでした。


「そのような話は聞いていない、お引き取り願おう」


 返答を聞いた男爵は、にんまりと笑みを浮かべて二度、三度と頷いてみせた。


「皇帝陛下の命に背くとなれば、もはや逆賊! その亀の甲羅のごとき城から引きずり出してくれようぞ! 続けぇぇぇぇぇ!」


 男爵は大音声で叫ぶと、鎧の庇を下ろし、馬の腹を蹴ってバリケードへと突進を始めました。


「うぉぉぉぉぉ!」


 部下の騎士達も雄叫びを上げて男爵に続いて行きます。

 重たい馬蹄の音が轟き、土煙を上げて突進する騎馬隊は大迫力です。


「おぉぉ……これは格好いい! けど、あのバリケードどうするつもりなんだろう」


 いくら重装備の馬であっても、丸太を組んだバリケードにぶつかれば転倒は免れないでしょう。

 更には、守りを固めていた兵士達が、弓や魔法で攻撃を仕掛けてきます。


 ガステルム男爵は、猛然と馬を走らせながら右手にもった馬上槍を掲げて叫びました。


「マナよ、マナよ、世を司りしマナよ、集え、集え、我が手に集いて風となれ、荒れよ、荒れよ、風よ吹き荒れる、風槍となれ! ずおりゃぁぁぁぁぁ!」


 男爵が降り下ろした馬上槍から放たれた風属性の魔術がバリケードにダメージを与えましたが、まだ騎馬が駆け抜けられるような隙間は出来ていません。

 すると、ガステルム男爵は馬を左に寄せ、空いた空間に後続の騎士が突っ込み、馬上槍を振るって火属性魔術の火球を撃ち出しました。


 攻撃魔術を放ったら、馬を左に寄せて速度を落とす。

 後続の騎士が次々と攻撃魔術を放ち、とうとうバリケードを粉砕してしまいました。


「進めぇぇぇ! 城まで駆け上がれぇ!」

「おぉぉぉ!」


 バリケードを守っていた兵士は、持ち場を放棄して逃亡したけど、ガステルム男爵は脇目も振らずに城へと続く尾根道を駆け上がり始めました。


『ぶははは、これはこれは、なかなか爽快ですな』

『双輪転の隊列もなかなか見事……』


 先頭が入れ替わりながら連続で攻撃を仕掛ける隊列を輪転と呼ぶそうで、ガステルム男爵の隊列は二列で行っているので双輪転と呼ぶ隊列になるそうです。


『馬を左右に寄せて下がる時には手綱を引いて速度を落とすのですが、引きすぎれば先に下がった者とぶつかってしまうし、速度を落としきれないと上手く先頭が入れ替われなくなります。あのように呼吸を合わせて隊列を動かすには、相当な修練が必要となります。いやいや、ガステルム男爵なる人物は、戦闘に関しては相当なものですぞ』

「自信があるだけに、それを披露する場所を求めていたんだろうね」

『平時にて乱を忘れず鍛錬を続ける……貴族にとっては大切な事ですが、披露する場も無いのに技量を維持するのは簡単ではありませぬぞ』


 腕自慢のガステルム男爵にとっては、今回の騒動は日頃の鍛錬の成果を世に知らしめる、渡りに船の出来事だったのでしょう。

 バリケードを突破したガステルム男爵の一団は、尾根道を駆け上がっていきますが、道は大きく曲がりくねっていて思うように速度を上げられないようです。


『もうすぐ一つ目の門……弓兵が待ち構えている……』

「このまま突っ込むつもりかな?」

『いいえ、おそらくは風属性の術士に準備をさせるでしょうな』


 一つ目の門は、蛇のように大きく左右に二度のヘアピンカーブを抜けた先にあります。

 尾根道を通ってくる者は正面に門を捉えられず、逆に門を守る者達からは距離はあるものの狙い撃ちが出来る状態です。


 尾根道を駆け上がって来た一段が、蛇行する道に入る手前で、ガステルム男爵が命令を下しました。


「風の術士、詠唱始め!」

「マナよ、マナよ、世を司りしマナよ……」


 風属性の術士が詠唱を行い、魔術を発動させる準備を整えながら、ガステルム男爵の隊列は一つ目のヘアピンカーブへと飛び込んでいきました。

 そこへ門を守る兵士達が、一斉に矢を射かけてきました。


「一番! 続けて二番!」

「……風よ吹き荒れて薙ぎ払え!」


 先頭にいた二人の風属性術士が馬上槍を一閃すると、強い風が吹き荒れて飛来した矢を崖下へと吹き飛ばしてしまいました。

 更に、先頭から三番目にいた騎士が、同じように飛来した矢や火属性の攻撃魔法の軌道を変えて味方の騎士たちを守りました。


「火の術士も詠唱を始めよ! 三番!」


 騎士達は巧みに馬を操り、急なカーブを曲がっていきますが、さすがに速度がガクンと落ちています。

 門からの攻撃も激しさを増し、風属性の魔術でも軌道を反らしきれずに騎士に届き始めています。


「うわっ、落ちた……」


 火球の直撃を食らい、驚いた馬が尾根道からはずれ、騎士もろともに崖下へと転落していきました。

 一頭、また一頭と二つ目のカーブに入る手前で落伍者が相次いでいます。


「火の術士、前へ!」

「おぉぉぉ!」


 二つ目のカーブに入る直前、風属性の術士が一斉に脇に退き、火属性の術士が前方に集まりました。


『一斉攻撃をするつもりですぞ』


 隊列の前方に位置する騎士たちが掲げた馬上槍の先には、大きな火球が燃え盛っています。

 門の強度がどれほどなのか分かりませんが、五十個以上の火球の直撃を受ければ、あるいは突破されてしまうかも……と思っていた時に、門の兵士が小振りな樽を投げ落としました。


「放てぇぇぇ!」


 ガステルム男爵の命令と、門から投げ落とされた樽が尾根道に落ちて中身が飛び散ったのは、ほぼ同時だったように見えた。


 ズドォォォォン……


 突然、尾根道に巨大な火の玉が現れ、次の瞬間巻き起こった爆風に吹き飛ばされて、先頭付近にいた騎士たちがバラバラと崖下に落ちていきます。

 後続の隊列も手綱を引いて、馬を止めるしかありませんでした。


 ガステルム男爵の騎士たちが呆然とした所へ、さらに樽が投げ落とされ、それを追うように火属性の攻撃魔術が降り注ぎ、更なる爆発がおこりました。


「引けぇ! 引け、引け,引けぇぇぇ!」


 ガステルム男爵の号令で我に返った騎士達は、一斉に馬首を巡らせて撤退を始めましたが、そこへ追い打ちを掛けるように門を守る兵士たちからの攻撃が降り注ぎます。

 向きを変えて、門からの攻撃から逃げるように撤収を始めた騎馬の数は、最初の半分くらいになっていました。


「イノシシは、だいぶ手酷くやられちゃったね」

『そうですな、一つ目の門で追い払われたとなると、示威行動にもなりませんでしたな』

『でも、城側が油断するかも……』

「そういえば、攻め手側の作戦としては余り戦果を上げずに油断させるんだったね」

『ただ、城の警戒は厳しいから、どこまで油断するかは分からない……』


 ここまで動きのなかった第三皇子カレグの籠城戦は、まずは城側の勝利という形で幕を開けました。

 果たして、この状況を双方がどう利用するのか、城の中も覗いてみましょうかね。

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