第555話 ジョベラスの城

 イノシシ貴族、ガステルム男爵が敗走した後、勝利を知らせる伝令を追い掛けてジョベラス城の内部へと進みました。

 城に辿り着くまでの二つの門では、伝令が勝利を伝える度に大きな歓声が沸き起こっていました。


「ジョベラスを陥落させられる者などいやしない!」

「モンソの手先など、一の門すら破れやしないさ!」

「カレグ殿下に勝利を!」

「カレグ殿下に皇位を!」


 たった一度、抜け駆けしてきた少人数の一団を退けただけですが、城に近づくほどに騒ぎは大きくなっている気がします。


「なるほど、この調子だったら、あと数回戦果を上げるだけで油断しそうな気がするね」

『そうですな。恐らくですが、戦乱の無い平和な世が長く続いたせいで、兵の実戦経験が乏しいのでしょう』

「堅牢な城に立て籠もったのは良いけれど、実戦の経験が無いから不安を抱えていた。それが初戦で完勝したから調子に乗ってる……って感じかな?」

『兵士については、その通りでしょうな。問題は、その兵士をまとめている者どもの反応でしょうな』


 フェルシアーヌ皇国の第一皇子レーブが、次の皇帝に指名された弟モンソに授けた作戦は、敵を油断させて内部より切り崩すというものでした。

 そのために、モンソにはジョベラス城の麓に陣を敷いた後も、目立った手柄を立てるなという指示を出していました。


 ジョベラス城に立て籠もった者達が油断をしたところで、あらかじめレーブが送り込んでいた工作員が食料と爆剤に火を放つ予定になっているようです。

 水は魔術で確保できますが、食料は補充が出来ません。


 その上、カレグにとって爆剤は切り札と言っても良い存在で、失えば精神的にも肉体的にもダメージを食らう可能性があります。

 それはカレグも理解しているようで、ここまでは食料と爆剤は厳重な管理が行われているようです。


 その状況が、この勝利によってどう変わっていくのか、レーブの思い通りになるのか、それともカレグの引き締めが続くのか、ちょっと興味がありますね。


「ねぇ、フレッド。レーブが送り込んだっていう工作員は見つかった?」

『まだ尻尾を出さないから、誰なのか分からない……』

「そっか、さすがに自分から裏切者です……なんて宣伝する訳ないもんね」

『そんな愚か者では工作員は務まらない……』


 伝令が城に到着すると、歓声はジョベラス城の内部にも広がっていきました。

 これだけ好意的な反応が続くと、伝令の人間も有頂天になっているように見えます。


「我が方の完勝であった!」

「寄せ手は何も出来ずに尻尾を巻いて逃げていった!」

「爆剤を見たことも無いのだろう、驚きのあまり固まっていたぞ」


 二つ目の門を通り抜けた時には、淡々と勝利を伝えていましたが、今や話に尾ひれが付き始めています。

 そして、とうとう伝令はカレグの下へ辿り着きました。


「ご報告いたします! 一の門を襲撃してきたガステルム男爵の軍勢を壊滅させました!」


 報告を受けたカレグは、躍り上がって喜ぶかと思いきや、椅子の肘掛けに頬杖を付きながら不機嫌そうな表情を浮かべています。


「報告は正確に行え。ガステルム男爵はどのような規模で、どのように向かって来た? 何騎で攻めて来て、生き残ったのは何騎だ?」

「お、襲って来た軍勢は……おおよそ二百騎から二百五十騎。先頭が入れ替わりながら、攻撃魔術を連射してきました。爆剤を用いて反撃したところ、混乱に陥って多くの兵が崖下へと転落し、敗走した敵の数は半数以下でした」


 おやおや、かなり人数を水増ししているようですけど、大丈夫なのかね。

 詳細な報告を聞いたカレグは一瞬口許を緩めましたが、笑みを噛み殺した後で伝令に訊ねました。


「ガステルム男爵の死亡は確認できたのか?」

「一の門を守っていた者達は、命令に従って深追いをせず守りに徹しておりましたので、確認は出来ておりません」

「そうか……初戦でガステルムのような者を討ち取れれば状況に変化もあったかもしれぬが、それほど甘くはないか……」


 カレグは少し考えを巡らせた後で、伝令の男に言葉を掛けました。


「報告大儀であった。初戦の勝利は喜ばしい事ではあるが、ここで気を緩めて敵に付け込まれるようでは何にもならぬ。ひとしきり喜んだら、次の戦いに備えて気を引き締めるように全軍に伝えよ。敵は必ずや手を打って来る、油断するな!」

「ははっ!」


 伝令が退室するのを見送ると、カレグは机の上に広げた城の見取り図を睨みながら口を開いた。


「コバーヌ……」

「お呼びでございますか……」


 柱の陰から滲み出るように姿を現したのは、髪をオールバックに撫で付けた長身で細身の男でした。

 年齢は三十代前半ぐらいでしょうか、言葉を発しているのに殆ど口許が動かず、能面のように無表情です。


「城内の引き締めを行え。たかだか初戦に勝利した程度で、あれほどに腑抜けるとは思ってもいなかった。あんな状態がいつまでも続くようでは、敵に好き放題掻き回されることになるぞ」

「ご心配なく、食料庫と武器庫の監視は厳重にしてございます」

「奴らの狙いは、我々の慢心と油断だ。決して弱みをみせるな」

「かしこまりました」


 コバーヌと呼ばれた男は、軽く会釈をすると足音も立てずに部屋を出ていきました。


『あの男がカレグの腹心……』

「ずいぶんと酷薄そうに見えるし、武術の腕は相当なものみたいだね」

『ほほう、ケント様もそう思われましたか』

「いや、ラインハルトと違って僕の場合は当てずっぽうだけど、バッケンハイムで違法ポーション作りをしていたオイゲウスと組んでいた、Sランク冒険者のジリアンと似ているように見えたんだ」

『コバーヌはジョベラス城の留守居役……城で働いている者からは恐れられている……』


 フレッドによると、コバーヌはいわゆる諜報部員のような存在で、数人の部下と共に城内での不正に目を光らせているようです。

 食料や爆剤の警備も、コバーヌが中心となって進められているそうです。


「でも、うちの方が何枚も上手なんだよね?」

『当然……』


 既に影の空間には、食料庫から運び出した穀物が積み上げられています。


『普通の人では入れない裏から運び出してる……』


 食糧庫では、古い穀物から順番に使えるように、新しい穀物が入って来た時に積み替えを行っているそうです。

 不届き物が新しい穀物を持って行けないように、古い穀物を出さないと新しい穀物の積んである場所まで入れないそうですが、僕の眷属達には関係ありません。


「それじゃあ、ここにあるのは……」

『一番奥にあった、一番新しい穀物……』

「これで、全体のどのくらいの量なの?」

『まだ五分の一程度……』

「場内が寝静まった頃に運び出してるんだね?」

『運び出しは昼間にやってる……』

「えっ、どうして? 昼間にやったら気付かれちゃうんじゃない?」

『昼間の方が、周囲に音が溢れているから気付かれない……』

「なるほど……」


 昼間は訓練や伝令などの声や物音が響いてきますが、夜になると周囲が寝静まってしまうのでかえって気付かれやすくなるようです。


『でも、みんな殆ど物音を立てないから、夜でも気付かれないと思う……』


 こうして僕とフレッドが話をしている間にも、手の空いているコボルト隊がせっせと穀物を運び出していますが本当に物音はしませんし、なんだかコボルト隊が自慢げです。

 あとで、いっぱい撫でてあげましょうね。


『ケント様、爆剤はどうする……?』

「爆剤かぁ……」

「ドーンする?」


 爆剤と聞いて、マルト達が期待に満ちた視線を向けて来るけど、ここでまとめてドーンはマズいよねぇ……。


「この城は歴史があるみたいだし、文化財としても貴重だと思うから、爆剤で破壊してしまうのは忍びないね」

『では運び出す……?』

「うん、最終的にはそうなるけど、問題はタイミングだね」

『ケント様、食料の運び出しが終わったタイミングで、爆剤も一気に運び出してはいかがです?』

「そうだね、食料と爆剤はカレグにとっては籠城を支える二本の柱だと思うんだ、食料が無いと気付いたら、爆剤を使って自暴自棄な攻撃に出て、多くの死傷者が出るような事態が起こるかもしれない」

『では、同時に一気に……?』

「うん、食料をこれ以上運び出したら気付かれるというタイミングで、城内の爆剤を全部運び出そう。それまでに、爆剤が置かれている場所をチェックしておいてくれる?」

『ただ、倉庫には常時見張りが複数人いる……』

「まぁ、当然だろうね。ちょっと見てみたい、案内してくれる?」

『りょ……』


 フレッドに案内された倉庫には、予想していたよりも多くの爆剤が置かれていました。


「これ、全部爆剤なの?」

『そのはず……』

「これは、カレグが強気になるのも分かる気がする……」


 倉庫の内部には爆剤を詰めた樽が山積みにされていて、倉庫の外に八人、内部にも四人の見張りが付いています。

 倉庫は石造りの堅牢な建物で、出入口の他には窓もありません。


 倉庫内部を照らしているのは魔道具の明かりで、当然ですがランプや篝火なんて焚かれていません。


『倉庫内部に常に四人の見張りがいる……』

「外部の見張りとの連携は?」

『何か異常が起こらなければ、見張りの交代の時以外、倉庫の扉は開かない……』

「徹底してるね。これじゃあレーブの工作員も手出しできないんじゃないかな」

『何かをするとしても、自分も命を落とす覚悟じゃなければ無理……』


 何か工作を行うには見張りが多すぎますし、もし火を着ければ爆発に巻き込まれてしまうでしょう。


「まぁ、僕らにとっては何の問題も無いけどね」

『見張りは……いつものように眠らせる……?』

「倉庫内の四人を眠らせて、一気に爆剤を運び出し、交代の時間になったら……」

『ぶははは、さすがはケント様ですな。運び出した爆剤はいかがいたしますか?』

「影の空間に置いておくのも危なそうだから、ダビーラ砂漠の真ん中あたりに専用の倉庫でも作ろうかと思ってるんだ」

『なるほど、砂漠の真ん中ならば、万が一爆発した場合でも被害を出さずに済みますな』

『ゴタゴタは早く片付けるに限る……』


 フレッドの言う通り、僕と関係の薄い厄介事は、さっさと終わらせてしまいましょう。

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